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『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人! 第二巻: 「和」と「結い」の心と対等意識』
■ねずさんの百人一首本は2015年3月発売予定です。
■【CGS ねずさん】第6話 植民地支配に反対した日本

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毎年元旦に、天皇陛下は新年にあたってのご感想と、新年にあたっての御製を発表なさいます。
本来ならば、陛下の年頭のご感想や御製のことをあれこれ書くのは、ご不敬にあたることです。
けれど、和歌を「察する文化」と認識する日本古来の文化性が失われ、陛下の新年に向けた御心を、しっかりと受け止めるためには、今の時代は残念ながら解説が必要であろうかと思います。
本来はこういうことは、国やメディアが、しっかりと受け止め、紹介していかなければならないことです。
けれどそれが、まったく行われないという今の社会風潮は、これまた異常です。
普通に考えればわかることです。
例えはよくないですが、社長より偉い会長さんが、全社員に向けて和歌を発表されたとします。
「先輩、これ、どういう意味なんですか?」と、意味のとれない後輩がいたら、先輩が、これこれこういう意味だよ、と解説してあげる。そして全社員が、会長の言葉を真摯に受け止め、全社一丸となって業務に邁進する。
そういうものが陛下の年頭の御製なのではないかと思うのです。
本当に私などが生意気にと思うのですが、そんな趣旨から、今年もまた陛下の「年頭のご感想」と「新年の御製3首」の解説をいてみたいと思います。
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【天皇陛下のご感想(新年に当たり)】平成27年
昨年は大雪や大雨、さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ、家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。
また、東日本大震災からは4度目の冬になり、放射能汚染により、かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。
昨今の状況を思う時、それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ、地域を守っていくことが、いかに重要かということを感じています。
本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。
この一年が、我が国の人々、そして世界の人々にとり、幸せな年となることを心より祈ります。
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まず冒頭に、「察しています」と陛下は書かれています。
これは単に被災された方々のお気持ちを察するというだけでなく、「察する」という日本文化の根幹をお示しになられたものであると拝します。
いまの日本からは、戦後、「察する」という文化が極端に失われつつあります。
事前に察するのではなく、事後に証拠を示すことばかりが大切にされるようになってきました。
事件も事故も災害も、起きてから対処しようとする。
けれど、事前に「察する」ことは、本当はもっと大切なことなのです。
火事が起きてから消火にあたることは大切です。
けれど、火災が起こらないように、あらかじめ「察して」予防することは、もっと大切なことです。
セボル号の沈没事故のあと、日本国内では不思議なことに船舶内の火災事故が多発しました。
ところが日本では、まるでそれらが大事故にならない。
なぜなら船舶内の防火体制、消火体制がキチンと整っているからです。
すると国家財政が破綻しているギリシャで船舶火災事故が起こりました。
おかしなタイミングでおかしな事故が起こる。実に不思議な事です。
次いで陛下は防災から地域を守っていくことについて、「地域ごと」に人々が関心を寄せ守っていくことが大切だと述べられました。
昨年起こった広島の土砂災害は、古くから地すべりの危険があるから、そこは住んではいけないと、そのことが地名にまでなっているところでした。
ところがそういう場所が、平気で分譲地として売られ、そこに家屋が立ち並ぶ。
そして災害が起これば、結局は地域の人々が対策を講じなければならないのに、談合が廃止され、土木建設事業が、単なる価格競争の時代になっていることで、日頃から土木作業に従事する人の数が足らない。
結果、災害対策もなかなか進まない。
だからこそ陛下は、防災問題をひとつの例としてあげられ、地域ごとに人々が関心を寄せ、地域ごとに人々が日頃から地域を守ることの重要性をあらためて国民に呼びかけられています。
三つ目に陛下は、「終戦から70年という節目」に言及されました。
そしてこの戦争について、いまの教科書も、歴史家の多くも、昭和16年12月の真珠湾に始まったとばかり強調しますが、そうではなく「この機会に満州事変に始まるこの戦争」の「歴史を十分に学び」、「今後の日本のあり方を考えていくことが極めて大切」と述べられています。
満州事変は一般には昭和6年の柳条湖事件に端を発するとされています(私は明治38年の日露戦争発端説です)が、いずれにしても、先の大戦を真珠湾からではなく、満州事変からしっかりと学び直せという陛下のお言葉は、きわめて示唆に富んでいます。
赤穂浪士の討ち入りは、討ち入りから歴史を語れば、事件は単に浪士たちによる集団暴行事件です。
けれども浪士たちの討ち入りには、そもそも浅野内匠頭の勅使下向の接待役就任からの長いヒストリーがあるし、それを考えることによって、わたしたちは忠義の大切さを学ぶことができます。
「批判する歴史」と、「学ぶ歴史」は違います。
批判からは何も生まれませんが、学ぶことは今と未来に、それを活かすことができます。
そのことの大切さを、陛下は年頭にあたって、あらためて国民(本来は臣民)によびかけられ、その結果として「この一年が、我が国の人々、そして世界の人々にとり、幸せな年となることを心より祈ります」と結んでおられます。
次に、新年にあたっての陛下の御製、ならびに皇后陛下の御歌をご紹介します。
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【天皇陛下御製】(3首)
《神宮参拝》
あまたなる人らの支へ思ひつつ
白木の冴ゆる新宮(にひみや)に詣づ
《来たる年が原子爆弾による被災より七十年経つを思ひて》
爆心地の碑に白菊を供へたり
忘れざらめや往(い)にし彼(か)の日を
《広島市の被災地を訪れて》
いかばかり水流は強くありしならむ
木々なぎ倒されし一すぢの道
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《神宮参拝》
あまたなる人らの支へ思ひつつ
白木の冴ゆる新宮(にひみや)に詣づ
昨年伊勢神宮の式年遷宮が行われました。
式年遷宮は、20年に一度、神様のお社を建て替える事業です。
今回のこの遷宮では、国民からの寄付が寄せられ、ようやく実施が可能となりました。
和歌は「察する」文化であり、上の句、下の句はいわばベクトルのようなもので、真意は言外にあるということは、このブログでも再三、申し上げてきたことです。
ですからまず文字通りに解釈すれば、「たくさんの人々の支えによって式年遷宮が行われたことに感謝しつつ、白木が冴えている新宮に詣でました」という御製ですが、その真意はもうすこし深いところになります。
まず「あまたなる人らの支へ」は、単に式年遷宮のために寄付をしてくださった多くの人々への感謝の思いというだけでなく、「君民一体」という日本のカタチの素晴らしさ、ありがたさを、陛下ご自身が思いながら詣でられたということです。
言い換えれば、陛下ご自身が、臣民である日本人みんなに感謝の御製を示されたということであり、このことに何も感じないようなら、それは日本人ではないです。
そしてもうひとつ、さらに深い意味があります。
もともと式年遷宮は、国家の歳費でこれを執り行っていました。
伊勢神宮がいつできたのか。
それは、わからないくらい遠い遠い大昔の、太古の時代の出来事です。
そして式年遷宮は、わたしたちの国において、国が荒れた戦国時代の一時期を除いて、ずっと政府の事業としてこれが行われてきました。
近いところでは、江戸時代には徳川幕府が、その費用を全額負担していました。
戦前は、もちろん帝国政府がその費用を出してきました。
ところが戦後、式年遷宮の費用は、民間の寄進だけです。
繰り返しますが、式年遷宮の費用が政府の歳費から支出されなくなったのは、日本史上、国が荒れた戦国時代と、戦後の70年だけなのです。
その戦国時代に日本を訪れたザビエルは、日本は「平和で良い国だ」と本国に書き送っています。
日本人にとっては国が荒れた、その時代ですら、中世の外国人から見たら、平和で安定した国だったわけです。
では戦後の日本はどうでしょうか。
なるほど平成日本も、平和で安定した国であることは間違いないと思います。
けれど、500年後、千年後の日本からみたら、戦後のこの時代、とりわけ平成にはいってからのこの時代は、まさに日本が衰退し、日本が日本のカタチを見失った、戦国の世に並ぶ、歴史上最低の時代ということになりはしないでしょうか。
陛下の「あまたなる人らの支へ思ひつつ」は、君民一体を思う皇国臣民への感謝の思いであるとともに、実は、そういう日本の本来のカタチを見失っているいまの日本の政府への大いなる警鐘と受け止めるべきではないでしょうか。
《来たる年が原子爆弾による被災より七十年経つを思ひて》
爆心地の碑に白菊を供へたり
忘れざらめや往(い)にし彼(か)の日を
この歌は、昨年陛下が、長崎市の平和公園で、27年が原爆投下から70年となることを踏まえて、その惨禍を忘れてはならないとの気持ちで供花された情景を詠まれた御製です。
二度とこのようなことが起こってはならない。
絶対に忘れてはならない。そのことを歌にされています。
ただし、普通の日本人なら誰もがあたりまの常識と思っていることと思いますが、陛下は「だから復讐しろ」などとはまったく思っていないし、どこぞの国の大統領のように「千年の恨み」などという馬鹿げた妄想もカケラもありません。
起きた事実は忘れない。
だからこそ、お亡くなりになった方々の分も、いまを生きる私たちが襟をただして、本当の意味での争いのない社会、一般市民の虐殺などが起こりえない社会の構築を図る事こそを、陛下は望んでおいでになります。
国であれ個人であれ、人の世の中ですから、互いの利害が衝突したりして、対立することはあります。
現代の世界の潮流は、それが国家間の紛争(対立)であった場合、まずは当事者同士で「話し合い」をすることが求められています。
そして当事者同士での話し合いが不調なら、こんどは国連加盟国を巻き込んで、国連の場で話し合うこととされています。
そしてそれでも整わずに対立するならば、残る手段は戦争しかない、というのが国連秩序です。
グローバル・スタンダードと言ってもよい。
要するに、どこまでも「コトが起きてから対処する」というのが、いまのスタンダードになっているわけです。
けれど、話し合い、それでダメなら相手が屈服するまで戦い、殴り続け、ときに大けがを負わせたり、命まで奪ってしまうということが、本当に人々に幸せをもたらすものなのでしょうか。
日本では、1400年前の十七条憲法の一に、次のように書かれています。
「一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。」
現代語に訳しますと、
「和を大切にして、トラブルを起こさないようにしなさい。人にはそれぞれに主義主張があり、道理を完璧にわきまえた人なんて少ないものです。だからいきおい君主や親のいうことに逆らったり、ご近所さんと問題を起こしたりします。けれど上に立つ人も、下の人も、互いに仲良く親睦する気持ちを持つならば、物事はおのずと道理が通っていき、どんなことも成就するものなのです」となります。
日本人も戦いました。
けれどそれは、どうしようもない不条理に、我慢に我慢を重ねながら、もうどうしようもないところまで追いつめられたときに、やっと立ち上がり、それでも相手を屈服させたり服従させたりするのではなくて、どこまでも相手を懲らしめるだけで、互いの共存を図り続けようとしてきました。
その名状しがたい精神の奥深さこそ、日本文化の原点です。
陛下の「忘れざらめや往にし彼の日を」は、そういう日本的精神の根幹を、わたしたちにいまいちど思い起こすようにとのお言葉であると拝します。
《広島市の被災地を訪れて》
いかばかり水流は強くありしならむ
木々なぎ倒されし一すぢの道
三つ目の陛下の御製は、広島の土砂災害の被災地を詠まれた歌です。
注意すべきところは、土砂災害について、これを陛下が「水流」と詠まれていることです。
和歌は、このように通常とすこし違った詠み方をしているところに注意が必要です。
人は水がなければ生きていけません。
けれどその水が、ときにこうして大きな土砂災害をもたらすこともあるわけです。
豊かな自然に恵まれた日本列島は、同時に自然災害と常に隣り合わせの国土でもあるわけです。
そうしたことを、とりあえず忘れて、開拓と称して林や斜面だったところを宅地に造成する。
目先の利益にとらわれて、災害の恐ろしさから意図的に目をそむける。
そのことを、ひとすじの道として見せてくれたのが、広島の土砂災害でした。
そしてこのことは、同時に「あまたなる人らの支へ」、「爆心地の碑に白菊を」と詠まれた前の二首とあいまって、戦後、なぎ倒された日本文化そのものをも想起させてくださっています。
なぎ倒され、破壊されても、そこからなお、雄々しく立ち上がる。
昭和天皇は、終戦の翌年の新春、
降り積もる深雪に耐えて色変えぬ
松ぞ雄々しき人もかくあれ
と御製を詠まれました。
私達は、いま、たちあがるときが来たのだと思います。
日本は世界に53ある君主国のなかで、最大の人口を持つ君主国です。
このことについて、「天皇はあくまで憲法上に規定された象徴にすぎない」などと馬鹿なことを言う学者や言論人がいますが、大きな履き違えです。
憲法があるから日本があるのではないのです。
憲法があろうがなかろうが、日本はあるのです。
そして日本は、世界最大にして世界最古の君主国なのです。
天皇の存在は、我が国にいつ天皇という存在が現れたのかさえわからないほど、遠い太古の昔からの存在です。
そして日本は、天皇という存在のありがたさによって、民衆が権力者からの自由を得てきた国なのです。
世界の君主は、領土領民の支配者です。
支配者であるということは、領土も領民も支配者の私物であるということです。
これは倉山満先生からの受け売りですが、世界では、王や貴族などの領主が召使を殺しても、どこからも抗議がきません。召使を殺すことと飼っているニワトリを絞めることは同じ扱いなのです。
けれども日本ではそのようなことはありませんでした。
なぜなら、日本はシラス国だからです。

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