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藤原俊成2

次世代という言葉で思いつくのが、百人一首の83番に収録された皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶしゅんぜい)の歌です。
 世の中よ道こそなけれ思ひ入る
 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

どの解説本を読んでも、この歌は「濁った世の中に道などない。思いをひそめて山奥に分け入っても、哀れ、鹿が泣いているだけだ」という厭世、遁世の歌であると、解説されています。
全然違います。
和歌は、言いたいことを「直接言わず」、「言外に真意を描く」ものです。
歌に表面的に書かれていることだけを見て、それでわかった気になるのでは、歌を読んだことにならないということは、これまでにも再三繰り返しのべてきたところです。
だからこそ、和歌は、思いやりの文化であり、あらゆる日本文化の原点といわれているのです。
まして作者の藤原俊成は、百人一首の選者である藤原定家の父親で、西行法師と並ぶ平安末期最大の歌人とされた人です。たいへんな英才です。
皇太后の家政機関である皇太后宮大夫・正三位にまで栄達し、六十三歳で出家して法名を「釈阿(しゃくあ)」と名乗り、九十一歳で没するまで精力的に歌集の編纂や歌人の育成に努めた人です。
それだけの人物が、その生涯を代表する作品として提示しているのが、この歌なのです。
表面的な字句だけを読んでわかったような気になるなら、それは作品に対しても日本文化そのものに対しても、失礼というものです。


この歌の詞書には「述懐百首の歌よみ侍りける時、鹿の歌とてよめる」とあります。
歌を詠んだときの藤原俊成は27歳です。
91歳まで生きた歌人が、27歳のときの作品を、その生涯のこの一首としているのです。
もうすこし丁寧に、歌の真意を読み取りたいものです。
なぜそういえるのかといえば、息子の藤原定家は、この歌について、詠み人の名前として「皇太后宮大夫俊成」と付しました。
藤原俊成が皇太后宮大夫となったのは、1170年のことです。
俊成57歳のときです。
もちろん息子の藤原定家も存命です。
そして27歳の若者の歌というのではなくて、50代後半の「皇太后宮大夫」としての歌として、この歌を百人一首に提示しています。
そしてこの時期の日本は、平清盛が太政大臣であり、平時忠が「平氏にあらずんば人にあらず」と豪語していた時代です。
そういう時代背景下にあって、平家という武家政権に対して、明確にNOという立場をとっていた俊成が、万感の思いを込めたのが、この歌であるからです。ただの若者の歌ではないのです。
なるほど上の句の「思ひ入る」は、何かに思い悩んで「入る」=山の奥に隠遁する=出家するといった意味にとることができます。けれどもし出家するという意味とするなら、下の句の「山の奥にも鹿ぞ鳴くなる」は何を言っているのでしょうか。ただ「鹿が鳴いている」なのでしょうか。それなら「なくなる」はどういう意味なのでしょうか。上の句を、単に隠棲、遁世と捉えるなら、下の句の説明が、そもそもつかなくなるのです。
中世において、「鹿が啼く」というのは、牡鹿が牝鹿を求めて啼いている様子をあらわします。
つまり恋があり、結びがあり、愛の結晶として子を授かることを想起させるものです。
が産まれるといったところに、言外の意味があります。
ということはこの歌は、実は「世の中よ道こそなけれ」=世の中がどんなに変化したとしても、そもそも世の中に道なんてものはない、つまり世を憂いて出家しようがしまいが、「鹿ぞ鳴く」世の中には新たな命が誕生し、そして時代は次世代へとつながって行く。
「時代はつながって行く」ということを詠んでいるということがわかります。
ただ過去に縛られて世を憂いていても、はじまりません。
世の中には道なんてものはないのです。
世の中に腹を立てたり、政治の混乱に思い悩んだとしても、それだけでは何も変わりません。
大切なことは、いうまでもなく、もっとポジティブに次の世代へと、より良い時代を切開いて行くこと。
そこにこそ、人としての価値があるのだということを、若き日の藤原俊成ではなく、皇太后宮の大夫となった頃の壮年の藤原俊成として歌に託しているのです。
どんなに厳しい日々が続こうと、決して希望を失わない。
一見するとただ「鹿が啼いている」とだけ詠んでいるようでいて、よく見れば未来への希望を次世代に託している歌であることが、この歌の心にはっきりと見えてくるのです。
かつて、「政治は対立する利権や利害の調整だ」と豪語していた人たちが、学会にもメディアにもたくさんいました。
違うと思います。
政治は現実です。リアリズムです。
現状を打開し、次世代を切り開くのが政治です。
いま手元にあるお饅頭を半分こにするのが政治の役割だというのなら、そんな政治は要りません。
それはウシハク支配者の論理だからです。
なぜなら、そのお饅頭を食べてしまったら、もう次に食べる食べ物がない。
わたしたちが求めているのは、いま手の中にあるお饅頭をどう分けるかだけではなく、これからもずっとお饅頭をお腹いっぱい食べることができるようにしていく。それが政治です。
もう、利権調整政治なんていりません。
イデオロギー政治もいりません。
評論政治もいりません。
なんでも反対政治もいりません。
特定宗教の信者や他国を利するだけの政治もいりません。
わたしたちに必要なことは、
過去を粗末にしない。
国を愛し国民を愛し現状を打破し、次世代へと未来を切り開く政治です。
それこそが生粋の1億の日本の民が求めている政治なのです。


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