ねず本三冊
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合掌土偶(国宝、青森県出土)約4千年前
表面には赤色顔料が塗られていた跡があるそうです。大昔は真っ赤だったのかもしれません。
合掌土偶1104

北宋の第二代皇帝の太宗(たいそう、趙匡義)といえば、水滸伝に出てくる民衆のヒーロー、宋江(そうこう)のモデルとしても有名です。
その太宗皇帝に、ひとつの逸話があります。西暦984年のことです。
彼は、日本からやってきた僧の奝然を厚遇して、太平興国寺に住まわせていたのですが、ある日に引見しました。
そこで日本の天皇が一姓(いっせい、ひとつの家系)であることを聞き、深く嘆息して、次のように語ったというのです。
「日本国は君主が久しく世襲し、また臣下も親の跡を継いでいるという。これこそ理想である。ところがわが国は乱が絶えず、王朝は短期間で交代し、大臣、名家で後を継げた者は少ない。
我が徳は太古の聖人に劣るかもしれないが、常日頃から居住まいを正し、治世について考え、無駄な時を過ごすことはせず、無窮の業を建て、久しく範を垂れ、子孫繁栄を図り、臣下の子等に官位を継がせることこそが我が願いである。」
これは『宗史・倭人伝』にある実話です。
なぜ日本には歴史に「継続」があるのでしょうか。


(原文)
此島夷耳 乃世祚遐 久其臣亦 繼襲不絶 此蓋古之道也 中國自唐李之亂寓 縣分裂梁 周五代享 歴尤促大 臣世冑鮮能嗣續 朕雖德慙 往聖常夙 夜寅畏講求治本 不敢暇逸建無窮之業 垂可久之範 亦以爲子孫之計 使大臣之後世襲禄位此朕之心焉
歴史年表で、「元・明、清」などとあるのは、日本の「平安・鎌倉・室町」などの時代区分と似ていますが、その内実はまったく違います。
日本では、単に政権の所在地が変わっただけですが、Chinaでは革命によって王朝が倒され、別の氏族や民族が支配者となり、別の国が興ったことを意味するからです。
この「別な国が興る」ということは、私達日本人には、なかなか理解しにくいことです。
なぜなら、私達日本人は2700年もの間、いやもしかすると約2万年前の縄文時代から、ずっといまの国のカタチを保ち続けているからです。
すこし想像力を刺激するために、具体的に申します。
いまから約20年前、ある在日系宗教団体が、東京に空からサリンガスをばらまこうとしました。
ドラム缶1本で100万人が死亡します。
彼らは、そのドラム缶を、なんと700本も作っていました。
空中散布のためにと、ソ連製のヘリまで用意していました。
さらに、彼らがその作戦を遂行するときに、警察や自衛隊による反撃を防ぐために、その指揮官となるべき人が通勤に使用する地下鉄を調べ、その地下鉄内でサリンガスを散布しました。あの事件は、ただの意味のない無差別テロではなくて、教団に強制捜査や教団を武力制圧できる権限を持った特定の人物を狙った犯行だったのです。
彼らは、サリンガスを用いて大量殺戮を行い、残った行政機構等を制圧して、教祖である麻原を頂点といた新国家建設を行おうとしていました。
これが彼らの言う「総体革命」です。
日本の全て(総体)を、武力闘争によって、まるごと革命するという思想です。
もし彼らの作戦が実現していたら、一瞬にして首都圏で2000万人以上の人命が奪われ、日本は麻原王国となり、いまごろは上祐あたりが総理となっていたかもしれないし、生き残った日本人は、全員、オウム教を信仰することを強制され、子供達は学校で、人間は修行を積むと空中浮揚ができるようになる、と本気で教えられるようになっていたかもしれません。
ちなみに、オウムのあの教団施設や武装は、単にオウムの数少ない信者から奪った財産だけでは、建設は不可能なものでした。
彼らは、教団施設の土地を買い、建物を建設し、特殊な機械を設置してガスを造り、さらにヘリやミサイル、噂によれば戦車まで用意していたそうですが、そのための費用はどこからでたのでしょうか。
総体革命を成功させたい、スポンサーが国内にいたのです。
そういう人たちは、なぜ、そんな勝手な、わがままなことができるのでしょうか。
どうして、サリンをばらまくなどというような暴力や、その暴力のために巨額の資金を出したりすることができるのでしょうか。
ひとことでいえば、彼らは「民衆を人と思っていない」のです。
彼らにとって、人とは、自分たち教団幹部や、スポンサーとなっているところなら、その教祖だけが人です。
それ以外は、人として認識されていない。
彼らにとって、民衆は、口先でいかなる美辞麗句を並べようと、ただの私物であり、モノでしかないのです。
そして私有化されていない人は敵であり、人モドキなのです。
だからいくら収奪しても、あるいはいくら殺しても構わないと考える。
日本はそうではなく、国の頂点に天皇をいただき、民衆をその頂点にある天皇の「宝(たから)」とするということを国のカタチにしてきた国です。
だからこそ、「宝」とされた民衆も、その「宝」としてふさわしい人間になろうと努力してきた。
それが日本のカタチです。
世界がまだ、王や豪族しか人間として理解されていなかった古代において、日本は、そういう国のカタチを築き上げてきたのです。
その国のカタチが素晴らしいものだからこそ、日本は古代からずっと日本のまま継続してきています。
その日本を否定し、あるいは天皇の御存在を否定するということは、それだけで自己中、つまり自分が権力をほしいだけの傲慢であることを証明しています。
残念なことに、たとえばChinaでは、そういう傲慢が国の王朝を築きました。
国の王朝にとって、民衆は、ただ生えているだけのモノにすぎません。
人に生まれながら、モノとしてしか扱われない。けれど人間の世の中なのです。だからそのことが社会的なストレスになる。そのストレスが嵩じると、そこに革命が起こる。歴史が継続しない。
それがChinaにおける王朝の交替です。
そういうことを踏まえれば、私達日本人が、どれだけ幸せな民族であったといえるのか。
そのことへの感謝もしないで、日本にいて日本の素晴らしさを享受しながら、反日だのと、もはや狂っているとしかいいようがありません。
日本は縄文以来2万年の歴史を持っている国です。
神話時代からでも3千年以上。そして社会制度が文字に残るようになった歴史時代からでも1300年以上の長くて古い歴史を持った国です。
そのことにあらためて思いをいたすとき、私達が守るべきものとは何なのか。
そのことをあらためて、認識することができるようになるのではないかと思います。
北宋の記述は『新しい歴史教科書』(自由社刊)を参考にさせていただきました。


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