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和同開珎

歴史というのは、書いたものが歴史です。
いつの時代にあっても、その瞬間瞬間には、さまざまな事象が起きています。
通史に書いてあることも起こったことだし、書いてないことも、起きた現実です。
そして書かれなかった現実は、数限りなくあります。
たとえば自分の人生を振り返ったとします。
振り返れば、そこにはたくさんの失敗もあれば、成功もあります。
記録に残っていることもあるし、残っていないものもあります。
それらすべてを、私達は「経験」といいます。
そのひとつひとつの経験のすべてが、おそらくはその人を作っています。
けれど、その自分の人生から、子や孫達に何を残すか、となったとき、おそらくそこには、自分にあった様々な出来事や、その経験から自分が「何を学んだか」を、残そうとするのではないでしょうか。
諸外国、たとえばChinaの古代の歴史書は、暴力でもぎとって立国した王朝が、いかに正統な王朝であるかを記録するという目的のもとに編纂された史書です。
ちなみに「歴史」という熟語は日本語です。
Chinaでは「史」です。「史」は「綴られた文」という意味です。
魏史とか唐書とか宋書、あるいは史記など、さまざまな史書がChinaにはありますが、それらは王朝の正統性を綴ったものであって、それが後世のわたしたちの歴史の研究に役だっているという意味になります。
これに対し、日本の古い歴史書としては、古事記、日本書紀があります。
両方合わせて「記紀」ですが、記紀は、藤原氏の正統性を目的として綴った史書である、などとおっしゃる先生もおいでになります。
なるほど、そういう見方もできるかもしれません。
ただ、私は、記紀の中には、もしかするとそういう側面もあったかもしれないけれど、それ以上に、「親や祖父が子や孫に遺すように、当時の日本人が過去の様々な出来事から学んだことを後世のために書き記してくれた」、それが記紀である、と理解しています。
それを漢文で公開文書として書かれたものが日本書紀。秘伝として大和言葉で書かれたものが古事記です。


たとえば古事記には、大國主神話がありますが、因幡の白兎からはじまるこの神話は、私はシラス、ウシハクという大切な統治の基本を伝えるために書かれたものであると考えています。
大國主神話には、大國主がスサノオから、スサノオの頭髪にいるムカデを手でとって食べるようにと命令されたり、蛇や蜂の部屋に閉じ込められたりという神話がありますけれど、これなど、それだけ苦しい薫陶を受けても、互いに支えあって、その訓練を経由していかなければならないということが比喩的に描かれているものであると思っています。
日本書紀には、その出雲神話はありません。
その代わりに歴代の天皇記が詳細に記述されています。
そしてその記述は、どういう国を目指そうとしたのか、そのために臣たちがどのように働いたのかが、日本神話にはあきらかにされています。
そういう「後世のために伝えるべきものを書いて残す」という習慣は、日本の歴史には一貫しています。
ですから歴史に向き合う姿勢も、日本人なら、歴史を批判するのではなく、そこから「何を学ぶか」が大切な要素となります。
すこし考えればあまりにも明らかすぎて笑ってしまうほどなのですが、Chinaの歴史書というのは、それぞれの王朝の正統性を証明するために書かれたものです。
ですから、その王朝が滅んで、別な王朝が建つと、その後からできた王朝は、前の王朝を何かと笑いものにしたり、ケチをつけたりするようになります。
つまり、前の王朝の正統性を批判し、否定するわけです。
これはあたりまえのことで、前の王朝を否定したからこそ、次の王朝が成立したわけで、そうであれば前の王朝が正統な王朝であっては困るわけです。
ですから、China文明においては、過去に書かれた歴史書は、ひとことでいえば、現在の王朝からは全否定される存在である、ということになります。
ですから歴史学に対する態度も、常に史書を批判し、非難し、否定するという立場になります。
いかがでしょう。最近の日本の歴史学者にも、また歴史を学ぶ者にも、それとおなじようなマインドがでてきてはいないでしょうか。
ところがもともと日本における歴史書は、常に、後世の人が学ぶためのものとして書かれてきました。
私達が歴史に求めていることも、信長が何年何月何日に比叡山を焼き討ちしたかではなくて、なぜそこまでのことを信長が行ったかであり、そのことが私達の暮らしに及ぼした影響であり、そこから私達が今を生きるために、そして未来の子供達のためになすべきことを学ぶことが、歴史において最も大切なことなのではないかと思います。
ただし、だからといって、歴史をファンタジーにしてしまうのは、いきすぎです。
古事記では、伊弉諾尊神が禊(みそぎ)したときに、左の眼から天照大神、右の目から月読命、鼻から須佐之男命が生まれたとされています。
それだってファンタジーじゃないかという人がいますが、全然違います。
比喩とファンタジーでは、意味が異なります。
アマテラスは太陽の恵みです。月読は暦を意味します。
つまり、太陽の恵みと、暦は対等だということを、比喩的に表しています。
またスサノオは、大気と水です。
どれも農業に欠かせないものです。
そしてその太陽神であるアマテラスから、日本は天壌無窮の神勅をいただきます。
稲作を大切にする。それがわたしたちの国の根本だということです。
ちなみに江戸時代まで、日本の経済は、米本位制でした。
貨幣ではなく、お米が経済でした。
ですから、給料も、お米で支払われました。
これには、何かと問題があることも事実であろうと思います。
けれど、それでも米経済が千年以上の長きにわたって続けられてきたことには理由があります。
それは「お米は独占できない」ということです。
貨幣なら、一部の大金持ちが、貨幣を独占し、自分だけが富を独占することができます。
いまでも、在日系の企業などでは、社長一人が年間何百億円もの給料をもらっている会社などがありますが、ところがお米ですと、もらいすぎたら、腐ってしまうだけなのです。
蓄えにも、場所が必要です。
これを不合理と笑ってはいけません。
米本位制である以上、富は独占できないのです。
人間一人が食べる量など、天下とっても二合半です。
それ以上は、いくらお米があっても食べられません。
では、食べる量以上にお米をもらったらどうするかといえば、みんなのために配らなければならないのです。
貨幣そのものは、日本でも和同開珎が、すでに708年には発行されています。
日本には貨幣はあったのです。
けれども日本は、貨幣の存在がありながら貨幣経済を否定し、意図的に米経済で世の中を回してきました。
その理由は、経済も国も、すべては「おおみたから」である民のためにあると考えられたからです。
歴史は、ただ批判のための道具としたり、馬鹿にしたり、日本を貶めたり、あるいは面白くもない年号の丸暗記にするのではなく、そこから学びを得ることにこそ、歴史を記述し、歴史を学ぶ意義があります。
私達の先祖は、そういう選択をしてきたのです。
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