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セイタカアワダチソウ
セイタカアワダチソウ

はじめに「ごめんなさい」と謝っておきたいのですが、もう毎年この時期になると、必ず掲載しているのが、この「ススキとセイタカアワダチソウのお話」です。
しつこいと思われるかもしれませんが、でも、ものすごく示唆的なお話でもあることと、個人的に外来種のセイタカアワダチソウがあまり好きではないこと、それとススキのガンバリが、涙を誘うものであるので、今年もまた掲載したいと思います。
それにしても、今年はセイタカアワダチソウが極端に減りました。
去年も「減ってきたなあ」と感じたものですが、今年は、もう生えているのが気にならないほどセイタカアワダチソウは勢力を落としています。
10年くらい前まで、野山をあの毒々しい山吹色で、まるで「我が物顔」に席巻していたあの勢力を考えると、まるで隔世の感があります。


「セイタカアワダチソウ」というのは、戦後に北米からやってきた外来種です。
戦後の日本は、極端な食料不足に悩まされ、米国から大量の食料品を補充してもらっていましたが、そのときに、米国からの穀物に混じって日本にやってきたのが「セイタカアワダチソウ」です。
この「セイタカアワダチソウ」は、何もない北米大陸の痩せた土地でさえも繁殖できる植物なのですが、それだけに日本のように高温多湿で土壌の肥えている土地ですと、そのぶん、猛烈な勢いで増殖し繁殖します。
おかげで10年くらい前までは「セイタカアワダチソウ」が日本全国で猛威をふるいました。
ある年、「セイタカアワダチソウ」の種が俟(ま)ってきて、空き地にポツンと黄色い花を咲かせたと思ったら、翌年には、群生をはじめ、数年経つと、その空き地が密生した「セイタカアワダチソウ」によって独占されてしまっていました。
高さは1~2.5メートルほどで、よく肥えた土地だと4メートル近い背丈になって、あたり一面に群生したのです。
この「セイタカアワダチソウ」は、密生して群生するだけでなく、地中に毒素をまき散らします。
そのため、他のススキやコスモス、ナデシコなど、秋の他の植物を蹴散らし、生育できないようにしてしまうだけでなく、モグラやミミズのような生物さえも寄せ付けません。
排他的なのです。
とにかく自分たちだけが繁殖できれば良い。
「セイタカアワダチソウ」にとって、他の植物も、地中の動物や昆虫も、すべては敵なのです。
彼らにしてみれば、痩せて乾いた北米大陸の大地で繁殖するためには、それはそれでやむを得なかったのかもしれません。
痩せて乾燥した土地でも生育できる植物なのです。
それが肥えて湿度の高い日本にやってきたらどうなるか。
猛烈に繁殖するのは、あたりまえのことです。
その結果、日本古来の植物は排斥されてしまう。
育つ土地を奪われてしまうのです。
まさに「セイタカアワダチソウ」は、我が世の春を迎えたようなもので、よく成育し、まさに猛威をふるって日本の古来からある植物たちを駆逐していきました。
いまから50年ほど前のことです。
この「セイタカアワダチソウ」の強烈な繁殖力に脅威を感じた一部の植物学者さんたちが、この「セイタカアワダチソウ」によって、日本古来の植物体系がまるごと崩れてしまうことを危惧し、さかんに警鐘を発しました。
国にも訴えました。
ところが、当時の政府はまるで動こうとしませんでした。
困った植物学者さんたちは、苦肉の策として、未来の子供たちにその意を託そうと、なんと当時少年たちに絶大な人気のあった少年マガジンや少年サンデーの巻頭のカラーページで、「セイタカアワダチソウ」の脅威を紹介し、子供たちに未来を託しました。
昭和40年代なかばのことです。
けれど、少年たちに何ができるわけでもありません。
国のお偉いさんになる「できの良い子」は、そもそもマンガ本なんて読まなかったのかもしれませんし、日本は良くない国だ。日本なんてオクレタ国だ。日本なんかなくなったほうがいい、などと教わって育った少年少女たちは、大人になっても、なにもその対策をとろうとしませんでした。
結果として国も地方公共団体もまったく動かず、「セイタカアワダチソウ」は、まさに日本列島全域を占領していったのです。
ちょうどバブルの頃のことです。
日本列島が好景気に湧いて、大学の卒業コンペがあるというと、企業からポンと200万円くらいの現金が学生たちに与えられ、若い日本人のOLさんたちが、ガラパゴスやアフリカ、エジプトにまで海外旅行のバカンスを楽しんでいた、そんな時代、日本列島の秋の景色は、昔の景色から一変したものとなりました。
野山や河川敷には「セイタカアワダチソウ」があふれ、秋を彩ったススキやコスモスやナデシコたちは、ほんの片隅に追いやられてしまっていたのです。
「セイタカアワダチソウ」は、密生して大繁殖します。
それだけでなく、地下50センチくらいまで深々と丈夫な根を張ります。
そして、そこから毒素を吐きます。
毒素は他の植物を枯らし、土中のモグラやミミズなど、土地を豊かにしてくれる動物や虫たちまでも殺してしまいました。
おかげでセイタカアワダチソウが繁殖したところでは、日本古来の草花だけでなく、モグラやミミズまでいなくなってしまったのです。
ちょうどその頃のことです。
私は海岸の岩場の近くの砂利道で、迷子になっているモグラを見たことがあります。
「セイタカアワダチソウ」に野原を奪われ、岩場に出てきたのでしょう。
そんなところにモグラの餌などありません。
おなかを空かせてガリガリになって、それでも一生懸命砂利の中を掘っていたモグラ君に、ものすごくあわれなものを感じたものです。
「セイタカアワダチソウ」は、先端の密集した黄色い花から、大量の種子を四方八方に飛ばしました。
季節がかわって、ようやくセイタカアワダチソウの地上部分が枯れたと思っても、奴らは、地下の根茎から新らしい芽を湯水のように出しながら越冬しました。
そして翌年になると、その地下茎の芽から続々と発芽し、空き地を我が物顔に占拠しました。
そこから飛んで行った種子で、さらに近隣に領土を広げました。
「セイタカアワダチソウ」には、郷に入って郷に従おうとか、他の草花との共生を図ろうなどという意思が、カケラもありません。自分たちだけが生き残れれば、それで良いのです。そのために、他の植物がどうなろうと、知ったことではない。
それは、かつて北米に800万人いたインデアンを駆逐してしまった白人文明にも似ています。
あるいは戦後日本を席巻した反日プロパガンタにも似ているかもしれません。
あるいは一部のChineseやKoreanにみられる傲慢さにも似ているかもしれません。
そういえば、ロサンジェルスやサンフランシスコ、バンクーバーなどにあったジャパンタウンは、いつの間にかジャパンタウンとは名ばかりで、そこはいかわがしい売春やアダルト販売店ばかりの実質コリアタウンになってしまいました。なんだか「セイタカアワダチソウ」ととても似ている気がします。
「秋の七草」といいえば、昔は、萩(はぎ)、桔梗(ききょう)、葛(くず)、撫子(なでしこ)、尾花(おばな=ススキ)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)です。
どれも中間色系のやさしい風情のある花であり、他の植物と仲良く共生してくれていました。
けれど、いつのまにか日本全国の空き地という空き地は、「セイタカアワダチソウ」一色となり、あの毒々しい原色系の黄色い花が席巻してしまいました。
秋の七草は、ホームセンターにでも行かなければ、見かけることさえなくなろうとしていました。

なでしこ
なでしこ1018

国は何もしない。
地方の行政も動かない。
野山は「セイタカアワダチソウ」一色に染まって行く。
ずっとそんな状態が続きました。
そして少年マガジンに掲載されてから、まる50年が経ちました。
ところが、実は、私たちの知らないところで、この外来種の「セイタカアワダチソウ」に、一生懸命、戦いを挑んでいた日本古来の植物があったのです。
「ススキ」です。
ススキ
ススキ1018

ススキは日本の古来種です。
日本人は、このススキの穂を家畜用の飼料にしていたし、丈夫な茎は屋根に用いたりしていました。
昔の民家は、屋根が草で葺(ふ)かれたものですが、草葺き屋根に使われる植物は藁(わら)かススキです。
ススキのことを「茅(かや、萱)」と呼びますが、そのススキで葺かれた屋根が「茅葺(かやぶき)屋根」です。
弥生時代の遺跡、たとえば登呂遺跡などにある竪穴式住居で用いられていた屋根などは、まさにその茅葺き屋根です。
登呂遺跡の茅葺き屋根の住居(復元)
登呂遺跡の茅葺き屋根の住居

茅葺(かやぶき)屋根は、ススキの茎を冬場に収穫し、春まで十分乾燥させ、屋根材として用いました。
なぜ冬に収穫するかというと、茎に水分が多い状態で屋根に使うとすぐに腐ってしまうからです。
ですから冬になってススキが枯れてから収穫し、春まで乾かして用いていました。
この屋根の葺き替え作業には、ものすごくたくさんのススキを使います。
しかも作業はとてもたいへんです。
ですから屋根葺き作業は、村の大人達が共同で作業しました。
この茅葺き屋根というのは、実におもしろいと思うのですが、家の中でカマドや囲炉裏(いろり)を焚くと、その煙で燻(いぶ)されことで耐久性が高まり、しかも虫がつきにくくなります。まさに生活の知恵です。
そんなことが、いまから少なくとも5000年くらい前から、日本では一般的に行われ、それがつい最近まで続いていたわけです。
ススキは、漢字で書くと「芒(すすき)」、「薄(すすき)」です。
「茅(かや)」とか、「尾花(おばな)」ともいいます。
名前が多いということは、それだけススキが日本人の生活に密着していたことをあらわします。
しかも、もともとススキはイネ科の植物です。
日本は天壌無窮の神勅による稲穂の国と呼ばれ、日本のもとの国名も「豊葦原の瑞穂の国」です。
この瑞穂(みずほ)というのが、稲のことです。
いまでも東京の雑司ヶ谷の鬼子母神では、ススキの穂で編んだミミズク細工が民芸品として売られていたりします。
さて、そのススキは、株が大きくなるのに時間がかかります。けっこう育ちが遅いのです。
けれど、その分、しっかりとした根(株)を作ります。
そしてススキは、実は、日本の植物生育の中で、最後に繁殖するという性質を持っています。
たとえば、空き地があるとします。
最初の年は、ただの空き地です。
翌年になると、そこに背の低い草花が繁殖を始めます。
そして何年が経つと、空き地が草でぼうぼうになります。
そうして、その空き地が背丈の高い草で、草ぼうぼう状態になった頃、ようやくススキが繁殖を始めます。
そして数年経つと、その空き地は、ススキでいっぱいになる。
ススキは根が深くて群生するので、何年か経つと、地面が湿気を多く持つようになります。地味が肥えるのです。
そして地中深くまで地味を肥やし、土地がそうなることによって、そこに今度は樹木が育ちはじめます。
ススキは、木の成育の前に書かせない植物でもあるわけです。
ススキが群生を始めて何年が経つと、アカマツなどの樹木が生えます。
ススキは植物生育の最終段階で群生し、地味を肥やして、次の世代の樹木を育ててくれるという性質を持っているのです。
こうして、原野は草原となり、やがて林となり、森になって行きます。
森ができると、そこには動物達も住めるようになります。
そんなススキを収穫するために、全国どこの村でも、村の脇に、ススキを繁殖させるススキ畑を持っていました。
これが「茅場(かやば=萱場)」です。
東京証券取引所は、東京都中央区茅場町にあります。
なぜもとの茅場だったところに、日本経済の中心となる東京証券取引所があるのかというと、そこが昔はススキ畑=茅場(かやば)だったことに由来します。
ススキは、荒れ地を開墾し、そこに樹木を育てます。
育った樹木は、何百年もかけて大木に育ちます。
明治のはじめ超がつく貧乏国だった日本は、100年後には世界経済の牽引役となる日本に育つようにと願いをこめて、東京の茅場に、証券取引所をつくりました。
そしてほんとうに東京証券取引所は、世界に冠たる証券取引所に成長してくれました。
そのススキが、戦後、絶滅の危機に晒されました。
原因は、「セイタカワダチソウ」です。
ススキの群生地は、いつのまにか「セイタカワダチソウ」にとって変わられ、ススキは、ほんのわずか、「セイタカワダチソウ」が繁殖している片隅に、ようやくちょっとだけ生き残っているというところまで追いつめられていました。
ところが近年になって、不思議なことがおこりはじめました。
なるほど「セイタカワダチソウ」は、我が物顔に繁殖したのです。
ところが彼らが根から出す毒素が地中に溜まり、こんどは彼ら自身を滅ぼしはじめたのです。
戦後に外来種となった「セイタカワダチソウ」は、日本国内で盛大に繁殖しました。
密生し、野山を席巻しました。
ところがあまりにも盛大であったがゆえに、今度は自分たちが出した毒素で、逆に自滅をはじめたのです。
一方、これがすごいことなのですが、地中深くにあったススキの根は、セイタカワダチソウの出す毒素を体内に取り込みました。
そして毒素を体内で中和し、セイタカワダチソウたちの自滅に替わって、再び地上に芽を出し始めたのです。
そしてススキは生長し、セイタカワダチソウが荒した土地にふたたび栄養を与え、毒素までも中和し、他の日本古来の植物も生育できるように、土地を改良しはじめました。
土中の毒素が中和されたことで、野原にモグラやミミズも、戻って来ました。
スズムシなどの秋の昆虫も帰って来ました。
そして、秋の風物詩の、おみなえしや、なでしこ、コスモスなども帰って来てくれたのです。
コスモス1025

自己中で排他的な「セイタカワダチソウ」に覆われていた野山が、ふたたびススキやなでしこなどが共生する、もとの野山に戻りつつあります。
ここまで来るのに、まる69年もかかりました。
けれど確実に、ススキは、日本の野山を取り戻しつつあります。
いま、かつてセイタカワダチソウが大群生していた河川敷や空き地、野山などに、たくさんのススキやコスモスが群生しています。
日本古来種のススキが毒素を中和し、他の日本に古くからある草花が再び美しい花を野原に咲かせてくれてるようになってきたのです。
いまもまだ「セイタカワダチソウ」はいます。
けれどその数は少数になりました。
そしていつのまにか「セイタカワダチソウ」は、ススキやコスモスなど、日本に古くからある種と共生するようになりました。日本型の植物に変化したのです。
実に不思議なことです。
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日本には本来、建国の昔から貴き伝統があり、有難き国風がある。
ロシアの真似も、英国の真似も、アメリカの真似も、すべてそれらは、この国風を長養(ちょうよう)する意味において摂取する場合においてのみ意義を発揮し得るのであって、単に模倣のための模倣は決して日本のためにならぬのである。
その昔、儒教仏教もこれが国風化したときに、はじめてそれは日本国家のものとなり得た事実に鑑み、欧米舶来の新思想もまた、これを国風化して日本開展の一資料たらしむる覚悟がなければならぬのである。
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この文は、以前ご紹介した戦前の特高序文にある文章です。
ここに書かれている通り、日本は古来、外国から様々な文化を取り入れ、それを国風化することで、日本という国のカタチを築いてきました。
けれどそれは、日本人だけではなく、もしかするとススキとセイタカアワダチソウのように、日本の植物も、同じように外来生物を取り込み、最後には共生化させてしまってきていたのかもしれません。
そう考えると、なんだか日本て、とてつもなくすごい!って思えます。
いまこれをお読みのあなたが、もし、セイタカアワダチソウの群生する中に、ほんの少々のススキを見かけたら、遠くからでも、ぜひ心の中で、「がんばれよ、ありがとう」と声をかけてあげてください。
ススキは、私たち日本人そのものであり日本人の仲間たちなのですから。

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