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古事記は大和言葉を漢字で書き記したものとして知られていますが、いったい全文で何文字くらいあるのかというと、これが約5万5000字です。
古事記の編成は、おおまかに言ってしまえば上巻、中巻、下巻ですけれど、このうち中巻以降は神武天皇からはじまる古代の天皇のそれぞれの記録となっています。
そして、上巻だけが、神武天皇以前の、いわゆる神代のお話になっているわけです。
では、その上巻の文字数がどのくらいあるかというと、これが約1万9000文字です。
その上巻の編成は、以下のようになっています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1 序文
2 神代七代
3 伊邪那岐命と伊邪那美命
4 天照大神と須佐之男命
5 大国主命と葦原中国の平定
6 邇邇芸命
7 海幸彦と山幸彦
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
全部で7つの大項目があるわけですけれど、このなかで特筆すべきは、やはり大国主神話ではないかと思うのです。
というのは、大国主神話には、上巻1万9000字のうちの、およそ3分の1占める約7000文字が割かれているからです。
考えてみると、これはおかしな話です。
大国主は、出雲一国の神様だからです。
この時代の「国」がどういう概念であったのかは諸説あります。
ですが、すくなくとも大国主神よりも、ずっと新しい時代の記録である宗書倭人伝に、西暦478年の「倭王武の上表文」が掲載されています。
この上表文は、倭王武(雄略天皇)が、宋の皇帝に提出した国際文書です。
その中に、次の記述があります。
=========
封国は偏遠にして、藩を外に作(な)す。昔より祖禰(そでい)躬(みずか)ら甲冑をめぐらし、山川を跋渉(ばっしょう)し、寧処(ねいしょ)するに遑(いとま)あらず。東方五十五国を征し、西のかた六十六国を服し、渡りて海の北、九十五国を平らぐ
=========
古い言葉でちょっとむつかしいので、現代語に訳してみます。
すると次のようになります。
=========
我が国日本は、宋からは遠いところにありますが、昔から我が皇室の祖先は、みずから鎧(よろい)を着て、あちこちを征伐し、東の方角に55カ国、西の方角で66カ国、そして海を渡って95カ国を平定し、国を統一しました。
=========
「海を渡りて」というのは、朝鮮海峡を渡って、という意味です。
この文から、雄略天皇当時に倭国(わこく、やまとこく)は、国内で121カ国、朝鮮半島95カ国を征して倭国を形成した、と書いているわけです。
宗書というのは宗の国の公式な歴史書ですから、そこに嘘の記述をしたら、書いた人は首を刎ねられます。
ですからとても信用性の高い史料です。
その史料に、「倭国では、祖禰(そでい)が自ら甲冑(かっちゅう)を着て、日本本土から朝鮮半島にいたる合計216カ国を統一して、一大国家を築いた」と書かれているわけです。
この記述から、古代の朝鮮半島の南部は日本の領土であったことがわかりますし、また、雄略天皇が国を統一するまで、つまりそれ以前の神代における「国(くに)」というのは、いわば村落共同体のようなものを意味したといえることがわかります。
そこで振り返って、大国主神話に戻りますと、なるほど大国主は、出雲一帯の村落共同体を征した偉大な大王であったかもしれないけれど、その出雲は、倭国が征した多くの国々のなかの、ひとつでしかなかったわけです。
国内だけで121カ国の国があったと書いてあるのです。
出雲はそのなかのひとつの国にすぎません。
にもかかわらず、121カ国中の1国でしかない出雲のことが、古事記においては、上巻の3分の1を占める大きな扱いになっているのです。
なぜでしょうか。
これはとても不思議なことです。
古代大和朝廷が統一した国は、正規の外交文書の中で、朝鮮半島を含めれば、合計216カ国に及んだと倭王武の上表文にしっかりと書いてあるのです。
ところが、古事記の中では、そのなかの出雲一国のことだけについて、3分の1もの文字数を割いて扱っているのです。
そこには、それだけの大きな理由と意味があるはずです。
もうひとつあります。
古事記と日本書紀の関係です。
古事記では、「やまと」は「倭」と記述しています。
ですからたとえば「やまとたけるのみこと」は、古事記では「倭建命」と書かれています。
一方、日本書紀では「やまと」は、「日本」と表記されています。
ですから「やまとたけるのみこと」は、「日本武尊」と表記されています。
古事記と日本書紀の記述には、それだけでなく様々な違いがあるのですが、では、同時代に書かれた記紀が、どうして内容も表記も異なっているのでしょうか。
これについて、多くの学者さんたちは、古事記が偽書であるとか、古事記を書いた人たちは出世を目論んだのだとか、いろいろな説を唱えているのですが、どれもピンときません。
ただ、ひとついえることは、古代から中世に至るまで日本では、というか東洋の社会ではすべてがそうなのですが、「一番大切なことは隠しておく」というのが文化であり常識でした。
ですから高貴な方が、下位の者と会うとき、高貴な方は名を隠し、本名を名乗りません。
下位の者は本名を名乗ります。これが作法とされていました。
おなじことは、剣術の免許皆伝の際に弟子に与えられる秘伝書にもいえます。
そこには本当のことが書いてあるのだけれど、これは訓練が最後まで終了した者(高貴な者)にしか与えないし見せない。
たいせつなことは、どこまでも隠しておくという、それ自体が文化だったのです。
その意味からすると、古事記、日本書紀の位置づけはたいへんに明確になります。
古事記の方が先に書かれ、それはやまと言葉によるまるで暗号のような記述になっていました。
一方、あとに書かれた日本書紀は、漢語で書かれ、ある程度漢文の素養のある人ならば、誰でも読むことができました。
そして古事記は封印され一般には公開されず、日本書紀は対外的外交的な日本の歴史書として使用されるとともに、平安時代の貴族や豪族たちにとっての一般的な歴史教科書となっていたのです。
ということは、「隠す」という文化からすれば、古事記には、本当の我が国の施政者が知らなければならない我が国統治の本質が秘伝として書かれているから、その公開はされず、日本書紀はその「秘伝」となる部分を省いて隠してあるから一般公開用の史書として流布したのだとみることができます。
そして、その秘伝に相当する、重要な部分のひとつが、実は古事記に書かれた大国主神話にあると考えますと、すべての辻褄が全部合ってくるのです。
そこで大国主神話を詳しくみていきますと、大国主神話は、大きく分けて5つの物語で構成されていることに気付かされます。
1 因幡の白ウサギ
2 八十神による大国主へのイジメ
3 スサノオの薫陶
4 大国主の国つくり
5 国譲り
最初の導入部が「因幡の白ウサギ」です。
青年時代、オオナムチと呼ばれていた頃の大国主神が、兄貴たちの荷物運びをさせられるという酷い待遇を受けながら、それでも「やさしい心」を失わず、白ウサギを助ける。
けれど、そのことがきっかけとなって、大国主神は、八十神と呼ばれた兄貴たちから、ひどいイジメを受け、命まで何度も奪われてしまう。つまりすさまじいイジメの被害者になってしまうわけです。
命を奪われた大国主神は、母の愛によって助けられ、何度も蘇生するのだけれど、兄貴たちの嫉妬によるイジメはますます惨いものとなっていきます。
たまらず大国主はついに、スサノオのいる根の堅洲国に保護を求めに行くわけです。
そこで大国主神は、スサノオから、さんざんな試練を与えられます。
けれど、その都度大国主神は、妻の助けによって、窮地を脱し、ついにはスサノオから生大刀と生弓矢をもらいます。
そしてその太刀と弓で八十神たちを追い払ってしまいます。
ほんのちょっぴり常識を働かせて考えればわかることですが、刀や弓をもらっただけでは、人は強くはなれません。
なぜなら刀も弓も、それなりの訓練を受けて使い方の技術を習得してはじめて使いこなせるようになるものだからです。
大国主神がスサノオからもらったのは、魔法の杖や願い事を叶える玉などではないのです。
ですから大国主神の根の堅洲国での出来事は、スサノオによる心と体を鍛える訓練であったとみることができます。
そして成長した大国主神は、ついに八十神たちを、ひとりのこらず追い払ってしまうわけです。
八十神たちを退治した大国主神は、出雲で国作りをはじめました。
大国主という名前は、「大いなる国の主」という意味です。
ここまでの物語で、大国主が、ただ楽をして一国の大王となったのではないこと。死ぬほどの屈辱や、苦しみや苦難を味わいながらも、やさしい心を失わず、失っていないから愛を受け、愛を知り、その愛によって立ち直り、蘇生し、幾多の修羅場をくぐり抜けて、ようやく、大いなる国の主となれるだけの者として成長したという、ここまでが大国主神の「成長の物語」です。
ところが、それだけ苦心して、ようやく出雲を治めるようになった大国主神に、さらに試練が訪れます。
大国主のもとに、手に乗るほどの小さな、スクナビコという神様がやってきたのです。
この神様が、とてつもなくわがままで、口が悪い。しかも大国主神の肩に乗っかって、耳元で口汚く大国主神をののしり、勝手なことばかりをわめきちらすのです。
それがあまりにも酷いので、大国主神は、高天原に伺いをたてるのですが、すると天上の神様は、大国主神とスクナビコに、「おまえたち二人は兄弟となって、ともに力をあわせて出雲の国づくりをしなさい」という。
そこでスクナビコが兄、大国主が弟となって国づくりをし、兄であるスクナビコの指導によって出雲は、樹々が植えられ、田畑が開墾され、とても豊かな国として成長するのですが、出雲の国が充分に豊かな国になると、スクナビコは常世の国に帰ってしまうのです。
このことも、非常に重要ことを示唆しています。
大国主はスクナビコを兄として敬い、スクナビコの言を用いて、国をおおいに富ませるという設定なのですが、そのスクナビコは、体が親指くらいしかなく、口が悪いのです。
体が小さいということも、口が悪いということも、これらはひとつの象徴です。
民衆は、口が悪く、ひとりひとりは小さな存在でしかありません。
けれど、その民衆をこそ兄と思い尊重することが大事ということを、この神話は私たちに教えてくれています。
民衆こそ「おおみたから」という概念が、ここにも明確に現れているのです。
さらにいえば、大国主神が、苦労して人格形成を成し、自分で努力して出世したというだけでなく、出世をしたあとも、謙虚に人の言うことを受け入れたり、その知恵を用いることの大切さ、そしてそうであればこそ、偉大な大王となれるということをも、象徴しています。
そのような「伝えたい真実」を行間から読み取ることが、古代の文を読むときのいちばん大切な事柄です。
ところが、ここでびっくりするような事態が起こるのです。
そこまで苦労し、努力して築き上げた出雲の国を、アマテラスオオミカミ様が「返せ」といってきたのです。
もともと、この地上はアマテラス様の両親にあたるイザナキ、イザナミの神が産んだ場所です。つまり、もともとはアマテラス様の国です。
大国主は、そのなかの一国である出雲において、たいへんな努力をして、国をおおいに富ませたのです。
それを、いきなり「返せ」という。
「え〜!、どうして??」と普通なら疑問に思ってしまいます。
アマテラス様は、アメノホヒという神を最初に使いとして出雲に向かわせました。
ところがアメノホヒは、大国主の財力に、逆に取り込まれてしまいます。
アメノホヒは、天上から来た賓客として大歓待され、すっかり大国主のとりこになってしまったのです。
これまた大事なポイントです。
大国主神は、一代で身代を築いた神様です。それだけに人間的にも魅力があるし、築いた身代は莫大な富です。人間的魅力にプラスして巨額の財力がある。
さしもの高天原の神様でも、その魅力と財力を駆使した歓待に、すっかり骨抜きにされてしまうわけです。
アメノホヒが帰らないので、アマテラス様は、アメノワカヒコと、アメノマカコユミという神を次に使わします。
ところがこの二神も、これまた大国主の「君たちを私の後継ぎにしてあげよう」という言葉と接待に籠絡されてします。
そして三番目に派遣されたのが、武門の神様のタケミカズチ神です。
タケミカズチ神は、出雲国伊那佐の小浜に降りると、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先に大あぐらをかいて座り、大国主に、
「汝がウシハクこの国は、我が御子のシラス国ぞとアマテラスオオミカミが仰せである」と、国譲りを迫ります。
原文ですと、「汝之宇志波祁流 此葦原中國者 我御子之所知國」となっています。
大国主は「二人の息子と相談して回答します」と答えるのですが、ひとり目の息子のコトシロヌシは、たちどころに了解、ふたり目の息子のタケミナカタは、タケミカズチに、力比べを申出るですが、あっという間にやられてしまい、諏訪にまで逃げてしまいます。
こうして大国主は、「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げましょう。その代わり私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい」と申出、国譲りを見事に成功させたタケミカズチは、高天原に復命します。
ここまでが、古事記に書かれた大国主神話です。
さて、この神話を通じて、はっきりと見えてくるのは、ひとつは「大国主は一代で身上を築いた立派な大王(神様)だった」ということです。
けれど、それだけのことなら、長い古代の歴史のなかにあって、他にも苦労して大きな国を築き上げた大王はたくさんいたはずです。
我が国の古代の歴史書である古事記において、何も大国主神だけを大きく扱う理由にはなりません。
では、なぜ大国主神話がこれだけ大きな扱いになったのかといえば、その究極の記述の目的が、まさにわたしたちの国の根幹である「シラス」と、一般的な統治である「ウシハク」との違い、そしてウシハク統治のある意味、怖さのようなものを古代の人たちは、しっかりと秘伝として後世に伝えようとしたからなのです。
シラス国というのは、原文にある通り「知国」であり、現代風に簡単にいえば情報共有化社会です。
民衆と統治者は一体であり、同じ価値観を共有し、同じ目標のために、みんなで力を合わせる。
究極の民主主義のカタチ、いってみれば、帝政民主主義の形がここにあります。
わたしたち日本人は「真実」というのをとても大切なものと考えるし、それが「あたりまえのこと」と誰もが思っていますが、それはわたしたちの国、日本が、遥か太古の昔からこうして、誰もが「知ることを共有する国」であったからこそのことと思います。
これに対して「宇志波祁(うしはく)国」は、ウシ(=主人)がハク(佩く)国で、佩くは大刀を腰に佩くと
いうように、身につけること、つまり私有することを意味します。宇志(ウシ)が主人を意味すると説いたのは本居宣長です。
要するにウシハクというのは、豪族たちが民衆や領土を私的に私有するという統治の姿を現します。
私的に統治しているわけですから、その領土領民の収益も、ウシハク領主が独占します。
なんかのアニメに、世紀末覇者という人物が描かれていて、その人物は「覇者の前に人はなく、覇者の後ろにも人はいない。人間はおのれひとり。すべてを支配する絶対王者」なのだそうです。
まあ、これは極端な例ですが、要するに領内にあって、領主ひとりがその領内の富をひとりじめし、贅沢をつくし、逆らう者には死を与える、とまあ、どこかの国の皇帝さんのような統治の姿です。
その領主、というよりも帝王は、すべてを独占しているし、逆らう者には死を与えるわけです。
ですから領内では誰もさからうことはできません。
しかも豊富な富を個人で独占しています。
たとえ神々の使いがやってきたとしても、その使いに贅沢三昧や特権を与えてこれを籠絡するなんてことはお茶の子サイサイです。
巨大な財力で政治力を発揮し、フィギアスケートの審判を買収してとんでもない審査結果を出すなんてことも、お茶の子サイサイなのです。
そしてそういうウシハク者は、自分ひとりが利益を得るために偽の情報を垂れ流して民衆の人心を惑わすことなんてことも、平気で行ないます。
こうした統治においては、帝王だけの富が大事です。
民衆はその帝王に楯突かないことが必要になります。
ですから、民衆はアホでなければなりません。これが愚民化です。
そして愚民化した民衆は、ただ泣きまねをして大騒ぎして、飴をたくさんもらおうとします。
泣く子は飴をたくさんもらえる。大泣きする子は飴を全部もらえる。
そういう社会に育った人は、記者会見で嘘泣き号泣をしてみせたりするわけです。愚民の最たるものです。
歴史というのは、「史(ふみ)を綴った(歴)もの」です。ですから書かれたことが歴史です。
そして「有史以来」というのは、文字にしてさまざまな出来事が書かれるようになって以来という意味の言葉です。
その有史以来、実は世界中で行われ続けてきたのが、まさにこの「ウシハク」統治です。
これを修正するようにと、西洋では18世紀後半に市民革命が起こり、選挙によって選ばれた民衆の代表が政治を行うこととされるようになりましたけれど、ところが、選挙によって選ばれた者であれ、親の七光りや革命によってリーダーとなったものであれ、地位得た瞬間にウシハク権力者となります。つまり民衆を私物化するわけです。
自国の兵隊さんたちをたくさん死傷させてまで、よその国の軍隊に真珠湾を攻めさせたりするわけです。
ところが日本では、そうしたウシハク統治を、こうして古代、それも歴史に残らない神代の時代に、完全否定しているわけです。
そして私的支配を、「ウシハク統治」と一蹴し、そうではなく目指す社会は常に「シラス国」でなければならないとしているのです。
大国主神は、素直に国譲りをしていますが、なぜそのようなことができたかといえば、大国主神は、結果として自分のしてきた統治の在り方が「ウシハク」統治であると気がついたからです。
「これではいけない」と気がついたからこそ、大国主神は、国譲りに応じたのです。
出雲には、大国主神がこれを納得して引退したあと、ニニギノミコトが高天原から降臨されます。これが天孫降臨です。
ニニギノミコトは、下界を統治するために使わされた神様です。
けれどその下界はどういうところかといえば、高天原におわす最高神のアマテラス様の「おおみたから」です。
ニニギノミコトは、あくまでアマテラス様の「おおみたから」を預かる立場として、下界に降りて来られたとされているのです。
「シラス国」のカタチが、ここで明確に示さるわけです。
そしてそのニニギノミコトの子孫が、神武天皇であり、今上陛下に続く万世一系の天皇です。
天皇は「シメラフミコト」であり、「シメラフ(シラス)」存在です。
そして民衆は、その天皇の「おおみたから」です。
政体は、そのミコトによって任命された者(権威を授けられた者)が、これを行います。
そして政治を預かる者は、最高権威におわす天皇のたからものを預かる立場となるわけです。
これを民衆の側から見たとき、私的な支配をする「ウシハク」統治者と、天皇のおおみたからを預かっている立場の統治者では、雲泥の差があります。
私的に支配される立場なら、いつ殺され、奪われるかわからない。
けれどシラス国では、究極のおおみたからとされているのです。
これこそ、もっとも民衆が大切にされる、究極の民主主義というべきものです。
シラス国であっても、ウシハク国であっても、身分はあります。
問題は、その身分が、あくまでも民のためにあると考えるか、上に立つ者のためにあると考えるかの違いなのです。
これが単に思想の違いというだけでなく、権力行使の在り方にも大きな影響を及ぼすのです。
それでも、身分というものがあるという点では、つまりカタチはたいへんよく似ています。
それだけにシラスという概念を理解することはむつかしいし、まして一代で苦労して築いた会社や国であれば、なおのこと「人間はおのれ独り!」なんて思いたくもなるのが人情というものだし、人間の欲望というものなのであろうと思います。
問題は、そういう人の欲得を越えて、どこまでも「みんなのために」という考えを貫けるかどうか。
そこが、おそらく、お隣の国が千年経っても世界中から顰蹙を買い続ける国である理由だし、日本が真逆にどんなに莫迦にされても、世界中から素晴らしい国と絶賛をあび、経済的にも戦後の焼け野原から見事に復活し、また、明治維新という偉業を成し遂げ、東洋の一貧国から、有色人種国でありながら、またたく間に世界の3強の一角となった理由でもあると思います。
わたしたちの国は、古代から民衆を天皇の「おおみたから」としてきました。
そうすることで民衆は誰ひとり政治権力者の私物とならず、その結果、民衆の持つエネルギーが、約束を守ったり、人にやさしかったり、和を大切にするという、良い方向に向かったのです。
ですから「天皇」「シラス」「おおみたから」という日本の統治の根本概念を失わせようとする人たちは、自分がウシハク権力者、支配者になりたいだけの、まことにもって身勝手で不届きな人たちであるとわかります。
そしてこのことが、我が国統治のまさに秘伝であったからこそ、古事記は一般には秘匿され、日本書紀が流布本となりました。
いま、わたしたちが何をすべきかといえば、そういう日本の古くからある歴史、伝統、文化に立脚した「シラス国日本」を取り戻すことにあります。
そこに本質があるし、そこに未来があるからです。

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