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■ねず本の第三巻「日本はなぜ戦ったのか」が8月24日に発売になります。。
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中共と日本は、いま現代型の戦争状態にあります。
それは一方的に中共から日本が仕掛けられている戦争で、日本国内の情報を操作し、あるいは中共から発せられる情報をコントロールし、反日をあおり、一方で日本国内では原発への反対運動をバックアップすることで日本の石油依存度を高めておき、その裏側では、日本が石油を中東から輸入するためのシーレーン(海上輸送ルート)を事実上閉鎖できるように、南と東のシナ海を封鎖する。
日本は、石油という首根っこを掴まれることで、中共の言う事を聞かざるを得ない状況となり、一方で中共が国をあげて反日を煽る事で、日本は中共に言われるままに「貢ぐ君」を続けざるを得なくする。
これが現実に起こっている事です。
20世紀の戦争は、軍隊が出て行ってドンパチするのが戦争でしたが、石原莞爾が洞察した通り、核誕生以降は戦争は銃を手にして撃ち合うよりも、むしろありとあらゆる情報を駆使して相手国を貶め富を奪うという形態に変化してきています。
もちろん、いざというときの軍事力は必要ですが、多くの戦争が相手国の富を奪い、従わせるものとするなら、軍を用いずにその力を背景に敵を恫喝し、混乱させ、思い通りに言うことを聞かせる、そのために情報戦争を仕掛けるというのが、戦争のカタチになってきているわけです。
日本は、バブル崩壊後、ずっと不況に沈んだままになっていますが、世界の国々がどんどん豊かになっていく一方で、日本だけがどんどん貧しくなるのは、ひとつには、日本の富が腹黒い国よって奪われているから、ということも、実は、実際に起きている現実であるということもできます。
「だから日本は強くならなければならない」
まさにその通りで、私もまったく同感です。
日本は核武装をすべきである。
日本こそ、世界最強の軍事力を持つべきである。
日本こそ、世界最大級の情報戦争を勝ち抜く諜報力を持つべきである。
私も、まったく同感です。
このブログでも何度も書いていますが、日本は最低でも年間10兆円規模の防衛予算を持つべきだし、いまのような状況下においては、年間20兆円規模の防衛費を使うことさえも、やむなし、と私は本気で思っています。なぜなら、それが世界では、富を持つ国のあたりまえの常識だからです。
ところが、そういう話をすればするほど、わかっている方々、つまり問題意識を共有化している方々は、まさに盛り上がるし、「そうだ!そうだ!」と共感の渦が巻き起こるけれど、逆に一般の人たちは、逆に引いて行ってしまいます。
そんな体験を持っておいでの方も多いのではないかと思います。
なぜなのでしょうか。
8月24日に発刊になるねず本の第三巻は、そのサブタイトルが「日本はなぜ戦ったのか」です。
そして帯に書いたコピーは、
「これほど平和を愛する国はない。
戦えばこれほど強い国はない。」です。
本の宣伝をしたいわけではなくて、これが事実だと思うのです。
けれどいまの日本は、「これほど平和を愛する国はない」はその通りですが、果たして国民意識として「戦えばこれほど強い国はない」といえるかといえば、すこし疑問です。
日本の歴史を振り返れば、たしかにそうなのです。
けれど、いまの日本は、戦う気力も、国を守ろうとする意識さえも、希薄になっているのが事実です。
だからこそ「学び語り伝えなければならない」ということは、もちろんそうなのですが、だからといって「お前たち、聞け!」と声高に叫んだとしても、多くの日本人は、問題意識を持った一部の人たちが、それを大声で主張すればするほど、そこから離れていってしまうのです。
なぜなら日本は、腹黒いといわれる世界の国々と、そもそもの国の成り立ちも在り方も、根本的に違うからです。
だから、世界のように腹黒い政治をしたり核武装したり、スパイ網を張り巡らせて工作活動をしたり、政敵を次々に逮捕投獄したりするといった、世界ではあたりまえの政治が、日本ではなかなか行いにくい。
というよりも、ほとんどの日本人は、誰もそんなことを望んでなどいない。
そんなことではなくてもっと違う形の日本の再生を、というのが、多くの日本人の一般的な思考なのではないかという気がします。
けれど、それをしないと、日本が解体させられてしまう。
これも事実です。
では、私たちはいったいどのようにしたら良いのでしょうか。
その答えのひとつが、日本人が日本人としての自覚と誇りを取り戻す、言い換えれば日本人が日本人としてのアイデンティティを取り戻すための運動ではないかと思います。
そのひとつが、歴史を取り戻す運動ですし、また、日本の文学や伝統芸能を取り戻す運動なのではないかと思います。
そしてこれらの運動は、政治そのものに関する運動と、一体となって推進していく必要があるのではないかと思うのです。
つまり、政治だけ、政治的主張だけではなくて、そこにほんのちょっぴりでも構わないから、日本文化という液を一滴垂らす。
そういう工夫が必要なのではないかと思うのです。
政治の話は敬遠される方でも、あるいは政治的に左の思考を持った方であっても、たとえば歌舞伎は好きですという方は多いし、あるいは落語や講談、浪曲のファンはいまでもたくさんいます。
相当の左翼主義者でも、「千代紙はお好きですか?」と聞くと、ニコニコしながら「大好き」とお答えになる方も多い。
あるいは、安全で健康的な食生活となると、これはもう誰もが望むことがらです。
そういう文化的なエッセンスから、日本人としての自覚と誇りを取り戻して行く。
そういう文化性を持った取り組みが、政治的主張をくり返すという運動に、車の両輪として、必要なのではないかと思うのです。
このブログで、百人一首の解説などを書いているのも、まさにそのためのものです。
そして不思議な現象が、最近では起こり始めています。
たいてい、保守系の集会と言えば、花形は政治講演で、慰安婦問題や南京問題、軍事問題などを扱えば、これまでもたくさんの人が集まってくださいました。
ですから、いろいろな団体が、そうした勉強会や講演会を開催してきたのですが、ところがたとえば都内ですと、どの会合に行っても、そこに集うのは、いつも同じ人であったりしていたわけです。
ところが、最近、百人一首の講演などを始めているのですが、どこの団体でも、これをやると過去最高の入りになる。そして会場には、はじめて見る顔がたくさんになったりしたのです。
それは、これまでのその団体の努力と積み重ねられた信用が、まず土台となっていて、その団体が主催する会で、そういう文化性のある話というから、「じゃあ、ちょっと行ってみようかしら」となったものであろうと思います。
けれど、そのようなことでもかまわないから、新しい人が、護国のためにどんどん参加してくださるということは、とっても貴重だと思うのです。
政治談義が、もちろん大事ですし、それこそが花形なのですが、これと同時に、そこに文化という薬味をちょっと落してみる。そうすると味が締まって、おいしくなって、お客さんが増える。保守層が拡大されて行く。
そのような取り組みの工夫が、これからますます重要になってくるのではないか。
そしてそのことが、回り道にみえるかもしれないけれど、もっとも我が国の国民性に合致した、結果として日本を取り戻す近道となるのではないか。
そんな気がしました。

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