ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!第二巻「和」と「結い」の心と対等意識
2014/04/12発売 ISBN: 978-4-434-18995-1 Cコード:C0021 本体価格:1350円+税 判型:四六 著者:小名木善行 出版社:彩雲出版 注文書はコチラをクリックしてください。
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野々村竜太郎県議

兵庫県議の号泣記者会見がもっぱら世間を賑わしていますが、昨今では、この阿呆がしでかした政務調査費の流用問題から、政務調査費自体の是非論までが飛び出してきているようです。
これに対し、私は真っ向から反対します。
むしろ、地方議員も含めて、議員の給料、活動費は、もっと増やすべきです。
そもそも、よく聞かれる「議員が何をやっているのかわからない」という話をよく聞きます。
「議員や候補者がどういう人かもわからない」という声も、よく聞くことです。
「選挙のときにしか、議員の顔を見ることがない」とも、よく言われます。
だから選挙にも関心がなくなるし、人々が選挙に行かなくなるし、結果投票率が下がるし、投票率が下がれば日本解体を目論むとんでもない連中が、他国からカネをもらって、その利権団体の組織票で、選挙に受かるとんでもない連中が野放しになるのです。
ですから、議員が民衆と語り合える場をもっと増やすこと。議員主催による積極的に生涯学習の場をもっと増やすこと。そういう活動は絶対に必要だし、そのための議員の手当は不可欠と思います。カネがなくて動きがとれないでは、話にならないのです。


よく、国政の政治家などで、たまに誰かの葬儀などでテレビにちょっと映ったとき、誰がどうみても、もうヨボヨボの爺さんで、話もろくにできない、もしかしたら国会議事堂の席に座っていることさえ難しいんじゃないかというような元有名議員さんや、あるいは誰が見ても耄碌していて、完全に飛んでしまっている元有名議員さんなどを見かけることあがります。
どうしてそういう人に票がはいるのでしょう。
あるいは、犯罪を犯した人として実際に罰金などの処罰を受けていたり、誰が見てもただの偏向したヒステリー爺さん(おばさん)で、他所の国の応援ばかりしている、あるいは日本を貶めることばかりしている(それは日本人を、つまりわたしたちを貶めているわけです)ようなろくでもない人物が、当選する。
なぜなのでしょう。どうしてそういう人に票がはいるのでしょう。
ひとついえることは、そういうひとたちは、特定組織の応援を受けているだけで、一般の民衆からは「かけはなれた人たち」であるということです。
そしてそういう人たちは、議員になると、必ずするのが、議員の不正をただす、あるいは選挙と金権を切り離すと称して、議員の給料や歳費をカットすること。こればかりを主張します。
あたりまえです。
そういう偏った組織票に支えられた議員には、政治資金は必要ないからです。
政治活動など何もしなくても、ちゃんと当選できるのです。
庶民と接する機会もないし、その必要もないから、お金がかからない。だからカネのかかる選挙や、カネのかかる議員活動に、とにかく反対します。
そしてそういう風潮が強くなってくると、議員と民衆の間には、どんどん溝が深まります。
議員がなにをやっている人たちなのか、誰も知らない。わからなくなってしまうからです。
たとえば、国政報告や市政報告を、文書にまとめ、これを支持者や、支持基盤となる町内に配ろうとすれば、市議会議員なら、最低3000世帯に、その送付が必要です。封筒代、紙代、印刷代、郵便代だけで月30万円、誰かに原稿の一部を依頼すれば、原稿料が5万円、つまり月にそれだけで35万円かかります。年間なら420万円です。
他に、支持者世帯での結婚、通夜、葬儀、花代、お祝儀。支持者を集めての報告会や勉強会などを開催すれば、それだけで、最低でも月15万、年間180万円。
両方合わせれば、年600万円です。
市議でこれだけ最低でも必要なのです。
県議や国会議員となれば、その額はもっとずっと跳ね上がります。
それが、市によっては、左巻きの強いところでは、年額で36万円なんてところは、実はザラにあるのです。
飲み代にもならない。
議員の飲食はダメだというのも、左翼の宣伝です。
議員さんが、市内や町内の飲食店や商店に毎日のように顔を出して飲食をして、何が悪い。
そこでコミュニケーションをとることが、票につながるし、民衆との接点を生むし、その議員がどういう人かを、みんなが知れる機会になるのです。
戦前は、政治家になると、身上が潰れると言われました。
政治家になると、とにかく湯水のようにお金が出て行って、最後は丸裸になってしまう(財産を失ってしまう)、そういう人がよくいました。
あたりまえです。人が集まればお金がかかるのです。
その代わり、そういう先生は、街を歩けば、それだけでいろいろな人から声をかけられました。
なにせ町内のみんなが知り合いなのです。
私の世話になった恩人もそうでした。一緒に町を歩いたら、びっくりした。たった300メートル進むだけで、30分間近くかかるのです。みんなが挨拶してくる。
本来、それが票、なのではないでしょうか。
実はこのことには、もうひとつ、狙いがあります。
それは、全国の地方自治体の議員さんたちに、大人たちの勉強の場を、もっとたくさん開催していただきたいと思うことです。
全国の各市町村には、町内会館や自治会館がありますけれど、そこで年中、議員さんが、あるいは議員さんが招いた講師の先生の講演会がある。それが地域の勉強の場になる。
小さな集会であれば、そのあとに、みんなで自治会館で懇親会もできるかもしれません。
そこが、単に政治情報の発信の場となるだけでなく、地域のコミュニティとなり、社会人勉強の場になるようになっていってもらいたいと思うのです。
いまの学校教育がなってないとおっしゃる方は多いです。
けれど、大人たちの教育も必要ですし、学びたい大人たちだって多いのです。
ならば、町内会、自治会などに市議や町議がどんどん入り込んで、そこで勉強会をする。
その町の歴史について、長老から話を聞いたり、戦争の話を聞いたり、あるいは国政の話を聞く。
そういう勉強会が、頻繁に行われる。地域の人々と議員さんたちの交流が深まる。
そうなったとき、議員として生残れるのは、本当に地域を愛し、国を愛する議員さんだけになるはずです。
なぜなら、民衆と議員さんが直接接するということは、民衆が「人を見る」ことができるからです。
カルトや反日の不逞外国人の投票数では、とても敵わない、日本人の票がはいるからです。
教育は子供たちだけのものではありません。
社会人教育や生涯教育なんて言葉もあります。
現実の問題として、いま、頭に白髪の生える年齢の方なら、自分たちが子供の頃には、小川におたまじゃくしがいたし、夏には虫カゴを持ってセミ取りをしたし、いまは真っ黒になっているヘドロの川で、水遊びをした記憶があるのではないかと思うのです。
そういうものを取り戻す。
そのための勉強会を開く。そこに講師を呼ぶ。
そんな活動を、およそ議員と名のつく人であれば、県会、市議会、町議会、村議会にいたるまで、議員の誰もが日常の活動として行えるだけの環境整備を、是非図っていただきたいと思うのです。
社会人学習の機会を持ってもらいたいのです。
そしてそのための予算を、各自治体が議員さんたちの活動経費として、ちゃんと支出する。
そういう社会インフラの整備を是非、図っていただきたいと思うのです。
先日の滋賀県知事選挙では、辻本○美あたりが応援している候補者が当選しましたけれど、聞けば、この選挙、投票率が低調だった前回選挙から、さらに10%以上も下がっていたのだそうです。
先日「選挙に行こう」という記事を書かせていただいたばかりなのですが、滋賀県では、いわゆる保守といわれている人、あるいは保守を自認する人でさえ、その多くが「えっ?選挙あったの?」といった状況という話を伺いました。
選挙に対する関心が薄れ、選挙があることさえも告知が不十分で、人々が選挙に行かなくなれば、結果としてカルトや反日工作のために外国からカネをもらってやっているような不穏な団体等の組織票をもらっている候補が有利になるのはあたりまえです。
もっと投票率をあげなければならないし、そのためにはもっと多くの人に選挙や議会、あるいは候補者、議員に関心をもっていただかなくてはなりません。
それがシラス国の根幹です。
政治資金規正法や選挙管理等によって、議員の先生が選挙事務所で飲食接待をすることなども禁じられています。
けれど、よく考えていただきたいのは、それによって誰が得をし、結果がどうなるのかということです。
結局は、議員と市民が縁遠い存在となり、結果として特定組織票を持った、要するに人々と接する必要さえないような候補者が、議員として、あるいは知事として当選するという結果を招くのです。
それが、日本人が、日本の庶民が求めている政治なのでしょうか。
むしろ飲食接待多いに結構。頻繁に研修会が行われ、議員の先生方と市民の交流が盛んに行われ、さまざまな講師を招いて勉強会が盛んに行われる。
それが、本来の姿なのではないでしょうか。
もともと日本社会は、すくなくとも記録にはっきりとあらわれている弥生時代以降、村々では人々が老若男女を問わず神社に集まって、そこで宮司から中央の様子や伝統文化の話を聞き、その後で宴会が催されていたというのが、日本社会の伝統です。
いまでも、地方に行くとそうした伝統が残っていますが、これには最低でも二千年の歴史と伝統があるのです。
その宮司さんたちは、宮司さんの地方大会や中央での大会を通じて、中央の情報を末端の庶民にまで伝達する役割を担っていました。
ですから、昭和から平成へというように元号が変わると(昔は数年おきに変わったりしていましたが)、その変わったという情報は、ものの3日から一週間で全国津々浦々まで浸透したのです。浸透したから神道です。
情報通信の手段が、人伝てしかなかった弥生時代や大和朝廷時代ですら、それだけの情報伝達力があったのです。まさに日本はシラス国です。
けれどいまはどうでしょうか。
安倍総理の集団的自衛権の真意について、民衆に伝える手段はメディア頼み。
そのメディアは、反日の在日外国人が取り仕切っている。
それで日本が、国としてうまくいくのでしょうか。
兵庫県の号泣県議に投票した人は、いまはさぞかし後悔していることと思いますが、なぜ投票してしまったのかといえば、彼が「維新の会」を標榜したから、という方が多いのだそうです。
何かを変えてくれる若い人という気持ちだったのかもしれません。
ただいえることは、投票した人の多くは、あの号泣馬鹿男と、おそらくは一度も話したことすらない人たちであったろうということです。
人の噂などではなくて、会ってみなければ人なんてわからないといいます。
世の中で、成功を収めるひとは、必ず相手と会うといいます。それが人の、社会の基本であり、責任を持つ人のあるべき姿だからです。
では、その社会に対する大きな責任のひとつである選挙に関して、その候補者と、実際に会っている人は、いったいどれだけいるのでしょうか。
会う機会はあるのでしょうか。
議員さん、あるいは議員候補となる人との研修会のようなものは、いったいどれだけ行われているのでしょうか。
国会議員なら、ほとんどの議員さんが、国政報告会を設けています。
では、地方議会はどうなのでしょうか。
県議会、市議会、町議会、村議会、議員さんたちによる研修会は、どれだけあるのでしょうか。
集まる機会はあるのでしょうか。
そのための費用は、行政から支出されているのでしょうか。
全国の自治体には、かならず公民館や、自治会館があるのです。
そういうところで、議員さんとの懇談会は、いったいどれだけ行われているのでしょうか。
懇談もしたことがない。会ったことも話したこともない。
どうしてそんな人に投票できるのでしょうか。
議員を選ぶということは、AKBの人気投票と同じものなのでしょうか。
ぜひとも、全国の議員さんたちには、政務調査費、あるいは教育研修費、いかなる名目であってもかまいませんが、活動経費をいまよりももっとずっと増やしていただき、民衆と膝詰めで話し合ったり、勉強会を開催したり、講師を招いたりすることを、もっと頻繁にできるような社会環境整備を図っていただきたいと思います。
議員の給料を下げたり、調査活動費をカットしたり、あるいは議員さんたちとの飲食を制限したりすることは、一見、正しいことにみえて、実は、反日やカルト系の議員を増やすことにしかなり得ないのだということを、あらためて考え直すべきときにきていると、私は思います。


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動画の25秒からのところですが、いちど「この日本は」と言ったあと、こんどは「この朝鮮は、、、世の中を変えたい」と言っているようです。なんど聞き直しても、そのように聞こえます。
それと1分30秒のところ。
水を飲んでいますが、これ、どうみても朝鮮式の水の呑み方です。

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