
実は7月11日というのは、私の中ではひそかな記念日なのです。
というのは、昭和37年(1962)のこの日、戦後日本での国産初の飛行機YS-11が完成した日だからです。
戦後、GHQは日本を占領するとすぐ、日本にある国産の航空機のすべてを破壊しました。
それだけでなく、航空会社も解散させてしまいました。
日本は飛行機を運行することも、製造することも一切できなくされてしまったのです。
ところが米国は、そんなお布令をすぐに撤回しなければならなくなりました。
昭和25年に朝鮮戦争が勃発したらからです。
朝鮮戦争に参戦した米国は、日本から米軍機を飛ばしたり、日本で米軍機の整備や修理を行うために、同年には、日本国内で日本人による飛行機の整備をすることを解禁したのです。
その米国は、朝鮮戦争によるあまりの不利(当初は北朝鮮側がめちゃくちゃ強くて、南朝鮮は南端の釜山まで押された)から、急遽、一度は解体した日本軍を復活させ、朝鮮半島に派遣しようと目論みました。
ところがその4年前には、その同じ米軍によって占領憲法が発布施行され、そこには日本は戦争を放棄すると書いてある。それでは日本で軍を再編することができません。
そこで米軍は、日本の占領状態を解除し、日本を独立国として承認することで日本に再軍備を促そうとし、これが昭和27年(1952)年のサンフランシスコ講和条約へとなるわけです。
ところが当時の日本は、まだ戦争の傷跡が深く、米軍の空襲や艦砲射撃によって焼け野原だったところに、ようやくバラックが建ちだしたような状態です。まだまだ極貧状態にある。
戦争は莫大な国費がかかるものでし、日本人自身も、もともと戦争は嫌いですから、当時の吉田内閣は、米国からの再軍備・朝鮮戦争への参戦の要求を、まさに言を左右にして拒否し続けたわけです。
ちなみに、すこし脱線しますが、この日本の朝鮮戦争参戦に、猛烈な危機感を抱いたのが、これまた実におかしな話なのですが、南朝鮮の大統領の李承晩でした。
日本の参戦に、北朝鮮が危機感を持つのなら、話がわかるのです。それが自分たち南朝鮮に味方してくれる日本が参戦することを、いちばん拒否したのが、その南朝鮮だったのです。
これがなぜかというのは、あまりにも理由が明白です。
日本が強すぎたからです。
物資がなくても、あの強大な米国とタメで戦ったのが日本です。
その日本が、米国から豊富な米軍物資を与えられて朝鮮戦争に参戦してきたらどうなるか。
答えはあまりにも明白です。
北朝鮮はあっという間に敗退し蹴散らされ、朝鮮半島は韓国南朝鮮によって統一されることは間違いない。
ところがそうなると、当然のことながら日本の朝鮮半島に対する影響力が増します。
すると、偏向し徹底した反日工作によって大統領の座に就いている李承晩は、完全に韓国政界から追い出されることになるのは、まさに自明の理です。
つまり李承晩は、おのれの保身のために、祖国朝鮮半島の統一も民主化さえも拒んだわけです。
権力者が民衆の幸せなどまるで考えず、自己の権力の拡大と保身だけを追い求める。
ウシハク国の恐ろしさというか悲しさの代表例みたいなものが、そこにあります。
さて、朝鮮戦争のために、日本の航空業界について、米軍機の整備だけという条件付きで復活を認められた日本ですが、サンフランシスコ講和条約によって日本が独立を「」付きであれ回復すると、当時の通産省が中心となって、輸送用貨物飛行機の開発計画が早々に建てられました。
飛行機というのは、商品サイクルが非常に長い製品です。ですからこれを自前で開発することは、日本の産業基盤を築く上で欠かせない課題でもあります。
けれど、日本が飛行機を持つということは、再び日本を世界の軍事強国にしてしまうおそれ有りと考えた米国は、日本の通産省のこの計画を容易に認めようとしませんでした。
そもそも日本を占領したのは、建前の上では、連合国(United Nations)です。
その連合国は、第二次世界大戦以前に組成されていた国際連盟(League of Nations)を事実上乗っ取るカタチで、国際連合(United Nations)を組成しました。
これもよく誤解されることですが、国際連合というのは、日本が戦った相手である連合国のことです。
ですから、日本語では国際連合と連合国と、なにやら漢字を書き替えることで、別なものであるかのような印象操作がなされていますが、両者はどちらも「United Nations」であって、同じものです。
その「United Nations」は、安全保障理事国である五大国(米ソ英仏中)が世界の軍事のすべてを仕切り、それ以外の世界の諸国は、その五大国の軍事によって守ってもらうべき存在であるというのが建前です。
では、どこの国の脅威から軍事的に守ってもらうのかというと、それが「United Nations」の「敵国」で、それは日本です。
ですから日本が自前で飛行機を開発するということは、「United Nations」の建前上は「敵国に軍事力を与える」ということになり、これは国際秩序形成の上から望ましくない。
というわけで、日本が飛行機を開発することは、日本が「United Nations」にとっての脅威となることだから許容できない、というのが「United Nations」の意向でした。
それでも、なんとかして日本の国産飛行機を復活させたい。
日本では通産省が中心となって、必死の根回しが行われました。
そしてようやく日本が日本独自の国内線の運行や飛行機の製造が許可されたのが、戦争が終わって11年後の昭和31年(1956)年のことです。
そして昭和31年度の国家予算編成に際して、通産省は航空機開発のための5カ年計画の初年度予算として、8000万円の予算を政府に要求しました。
ところがこれが認められない。
「United Nations」からみて「敵国」である日本が独自飛行機を開発することは、日本が戦争の意思有りとして、「United Nations」によって再び占領される自体を招くだとか、飛行機は米国産の飛行機を買えばよく、自前の飛行機をつくる必要性自体が認められないとか、ありとあらゆるところから中傷や嫌がらせがはいったのです。
結局再々の交渉の上、ようやく獲得できた予算は、計画の半分にも満たない3500万円でした。
しかもその名目は、航空機開発費ではありません。
建前上、「鉱工業技術研究補助金」として支給する、というものでした。
それでも、国産飛行機をつくりたいという夢を抱いた技術者たちはあきらめませんでした。
少ない予算の中で必死の研究を続け、ついに昭和37年(1962)7月11日に、国産で戦後初の飛行機の試作機を完成させたのです。
この飛行機は双発のターボエンジンを搭載したプロペラ機でした。
民生用であることから、安全性がとことん重視され、なんと飛行中にエンジンが停止しても、そのまま空を滑空できるという優れものです。
機体は小さく、60人乗りで、乗ると客室内は、まるで観光バスのようでした。
機体の両側についたプロペラは、ブーンとうなり声をあげるのですが、気流の関係でときどき片方のプロペラの音が消え、「えっ!、エンジン停止?!」などと驚かされたりもしたのですけれど、そのエンジンの信頼性は、他のどんな飛行機の追随も許さない素晴らしいものでした。
名前は「YS」と付けられました。「Y」は輸送機のY、「S」は設計のSです。
つまり、機体の名前からして、あくまでこれは軍用機ではなく、民生用の飛行機であることを強調したものです。
普通に考えれば、飛行機は飛行機であって軍用機か民生機かは、単にその使い道の問題でしかないのですけれど、日本はそこまでしなければ、飛行機の開発さえも認められない、そんな状況にあったのです。
こうして開発されたYS11は、米国の民間企業を筆頭に、世界中から注文が殺到することになりました。
なにせ性能が抜群に良いのです。売れない方がおかしい。
けれど、そのYS11は、昭和48年(1973)には、生産打ち切りとなり、長く運行していた機体も平成18年(2006)には運行完了となりました。
そしていまだに国産のジェット旅客機は開発さえされないでいます。
技術力のある日本が、世界一安全で低燃費の飛行機を開発し、運行する。
それは利権や利害を超えて、ほんとうに人類の福祉と安全を希求するなら、世界中の民衆が望み、期待するものであろうかと思います。
それがそうはならなかったのは、日本が国連(United Nations)の敵国であったことに加え、日本の技術が世界に広がることを歓迎しない勢力というものが世の中にあることに起因しました。
戦後という時代は、日本人のためになり、ひいては世界の福祉に貢献できるような正しい事柄が、利権と、それを利用する政治によって潰され続けてきた時代でもあります。
YS11は、まさにそれを象徴した飛行機であったともいえようかと思います。
同様に日本は、戦後長い間、戦前の日本の真実を伝えようとすることはタブー視されてきたし、日本は良い国だと言っただけで、幕僚長が辞職に追い込まれる、そういう国でもあったわけです。
そして知らず知らずのうちに、日本人は愚民化洗脳されていっていました。
けれど、愚民となりつつあった日本人を目覚めさせたのは、実は、中共や韓国です。
彼らは、反日をあおり続けることで、結果として世界中の信頼を損ね、世界から日本の復活を望む声を巻き起こし、さらに日本人の目を覚まさせるという、彼らにとって政治的かつ致命的なミスを犯しました。
もし私が中共や韓国の政治リーダーなら、これまでの対日戦略部門の担当官を全員死刑にすることでしょう。それだけの致命的ミスを彼らは犯したのです。
日本は、いま陸続と目覚めつつあります。
目覚めた日本は、良心に従ってつき合う国にとって、これほど素晴らしい国はありません。
けれど対日的悪意を持つ国にとっては、人類史上最強の盾(イージス)です。
YS-11以降、日本は飛行機をいまだに作れずにいます。
作っても採用されずにいます。
けれど、空という世界で一番安全が求められる旅客輸送の分野で、世界で一番安全なモノを作れる日本製品が、どうして作られず、採用もされないのでしょうか。
7月11日は、YS-11の記念日です。
私は、毎年、この日には、製造中止となった戦後の国産初の旅客機に思いをいたし、いつの日か、世界一安全で快適な日本の旅客機が世界の空に舞う日を期待し続けたいと思います。
YS-11について、三枝理枝子さんという方が、その著書『空の上で本当にあった心温まる物語2』(あさ出版 )で、感動的なお話を紹介しています。
タイトルは「息子のつなぎ姿」です。
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「息子のつなぎ姿」
八丈島からの便で、搭乗したのは、YS11というプロペラ機でした。
その日は天候が悪く、機体もかなり揺れました。思い返すとなんでこんな時に、と思うのですが、私は首にしていたペンダントを外し、汗を拭き取り始めました。
そのとたん、機体が大きく揺れ、手に握りしめていたペンダントを座席の間に落としてしまいました。
すぐに探したのですが、見当たりません。
その姿に気づいて、CAさんが
「何かお探しですか?」と声をかけてくれました。
「実はペンダントが落ちてしまって…」
特徴を説明すると、隣の席の年配の方も、後ろの座席のダイビング帰りらしき真っ黒に日焼けした若者たちも、下を向いて探し始めてくださいました。
しかし、まったく見つかりません。
たった今、それも機内で落としたのですから、なくなるはずないのに…。焦る私に、CAさんが、
「ご心配だと思いますが、到着してから必ずお探しいたしますのでご安心ください」
と力強い言葉をかけてくださいました。
ずっと探し続けてくださった周りの方にもお礼を言って、不安ながらも羽田到着を待つことにしました。
着陸後、全乗客が降りるなり、連絡をしてくださっていたのでしょう。
整備士の方々が乗り込んで来ました。
再度、どんな風になくしてしまったかを説明すると、座席近くを丹念に探してくださいました。
ところが、やはり出てきません。
「動かすしかないな」
リーダーと思われる人のそのひと声で、座席の分解が始まりました。
座席を外すことがどんなに大変なことか、十分理解していました。
それでも、私には、「もう、いいです」のひと言が、どうしても言えませんでした。
ネジを外し終え、座席シートを外したとたん、ペンダントが見つかりました。
「どうしてこんなところに」と思うくらい狭い座席と座席の間でした。
「ありがとうごあいます。ご迷惑をおかけしました」
そう言いたかったのですが、受け取ったとたん、涙がぼろぼろ溢れ出てきてしまい、言葉になりません。
「実は昨年の春、息子が八丈島に旅行中、友達の運転する車の助手席に乗っていて、交通事故に遭って死んでしまったのです。就職も決まった、卒業旅行でのことでした。一年経ちましたが、息子の死が受け入れられないままでいます。このペンダントは、息子の形見で、だからどうしても探し出したくて…。
皆さんには大変ご迷惑をおかけしてしまいましたが、もしかしたら、息子が私に何か伝えたくて、こんなことをしたのかもしれません。皆さんが作業をされている姿を見ているうちに、なんだかそんな気がしました。
息子は私と同じように技術職でした。車の会社ですが、あのまま生きていたら、きっと、皆さんのようにつなぎを着て活躍していたことでしょう。私が息子のつなぎ姿を見るのを、とても楽しみにしていたのに気づいて、皆さんのつなぎ姿をみせようと、今日、引き合わせてくれたのかもしれません」
「そうでしたか」
いつの間にか、整備士さんとCAさんだけでなく、機長さん、副操縦士さんまでが私の傍に来て、心配そうに取り囲んでくれていました。CAさんの何人かは涙くんでいます。
「元気になってください。息子さんもそう願っているはずです」
同年代であろう機長さんが声をかけてくださいました。
「また、ぜひご搭乗ください。一生懸命整備して、お待ちしていますから」
目を見て力強く言ってくれた先ほどの若い整備士さんに息子の顔が重なって…。
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こういうやさしさがあるのが、日本なのだと、思います。
子を思う親の心、親に立派に成長して作業衣を着た姿を見せたいと願う子の心。
たったひとりの乗客のために、みんなで力を合わせて座席まで外してペンダントを探してくれるパイロットやCA、整備員のみなさんの心。
そういうやさしさと思いやりの心の集まった国、それが古くからある日本の姿なのだと、思います。

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