ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!第二巻「和」と「結い」の心と対等意識
2014/04/12発売 ISBN: 978-4-434-18995-1 Cコード:C0021 本体価格:1350円+税 判型:四六 著者:小名木善行 出版社:彩雲出版 注文書はコチラをクリックしてください。
ねず本第二巻の「立ち読み版」が公開されました。
(本の画像の下の「立ち読み」というところをクリックしてください。)

新刊ラジオでも紹介されています。ねずさん本人も出演しています。
耳で聴く『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!』
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マガジンとサンデー

昔、少年マガジンや、少年サンデー、ぼくら、冒険王などのマンガ雑誌があって、いまでは名作とされている数々のマンガが、そこから誕生していきました。少年ジャンプは、時期的にはずっと後発だったように記憶しています。
そのマンガの雑誌は、発行日の翌日になると、クラスメイトの誰かが学校に持って来てくれて、休み時間などに、みんなで回し読みをしました。
回し読みといっても、読むのはひとりではなくて、ひとりが読んでいるまわりに、同級生たちが6〜7人集まって、みんなで読む。
それが2〜3回繰り返されると、クラスメイトの男の子全員が、一冊のマンガ誌を読み終えるのです。
マンガを買うのは、クラスメイトで持ち回りでした。
順番が決まっているとかではありません。
そのとき、お小遣いのある子が買ってくる。
当時、少年マガジンもサンデーも、一冊60円くらいだったように思いますが、子供たちにとっては、その60円が大金で、ひとりでは毎週買うなんてことはできません。
ですから、そのときお金がある子が、なんとなく買って来て、なんとなく教室で休み時間にみんなで回し読みして、また続きを楽しみにしていました。
これが女の子たちですと、少女フレンドとか、マーガレットとかのマンガ誌が、同じような動きをしていたように思います。


昭和30年代のことです。
そんな「回し読み」をしている小学生の少年少女たちには、共通する、おもしろい自覚がありました。
親や教師からは、「マンガばっかり読んでいて、ちっとも勉強しない」と叱られるのですが、子供たちからすると、「俺たちがこうしてマンガ雑誌を買うことで、マンガ家たちがマンガを書けるんだ」という自覚です。
もっといえば、マンガは「俺たちが支えているんだ」という自覚がありました。
この頃の漫画家たちは、永島慎二の『漫画家残酷物語』なんてのもありますが、たいへんな貧乏暮らしの中で、それでもマンガを書くことが好きで好きでたまらないという、ごく一握りの人たちが、まさに手弁当状態でマンガを描いていました。
そんな中で生まれた作品が、おそまつ君であったり、伊賀の影丸であったり、サイボーグ009であったり、8マンであったり、墓場の鬼太郎であったりしました。
明日のジョーなども、連載が開始された頃のちばてつや氏は、ほとんど食うや食わずの状態だったようにも聞いています。
けれど、そういうマンガを、子供たちが、ただ自分が楽しむというだけでなくて、描いてくれる人に感謝して、子供たちがそれを支えようとしていたというところに、すごく日本人らしさというか、おもしろいものを感じます。
自分が、少年マガジンを買えるのは、せいぜい年に2〜3冊です。
たった60円でも、買うのはたいへんなことだったのです。
だから、なんとなくみんなで、それを買っていた。
自分にできることは、せいぜい年に2〜3冊のサンデーやマガジンを買うことしかできないけれど、「俺たちがマガジンを支えてるんだ」、「あたしたちが少女フレンドを支えているのよ」といった自覚を、なんとなく子供たちが共有していたのです。
それでもまだ、こうしたマンガ雑誌を「買える」ようになっただけ、昭和30年代の子供たちは恵まれていたといえるかもしれません。
それ以前の、「冒険ダン吉」や、「タンクタンクロー」、「まぼろし探偵」、「赤同鈴之助」、「イガクリ君」などの時代は、貸本屋さんの時代で、漫画を買うのではなくて、借りる時代でした。
それを借りて来る。
自分では買えないけれど、貸本屋さんに買ってもらって、みんなでそれを借りて読む。
そうすることで、これまた、「俺たちが支えているんだぜ」と、ドヤ顔をして弟たちに自慢したりしていた、そんな時代でした。
この時代、小学生の、まだほんの子供たちが、こうして「俺たちがささえているんだ」という気持ちを共有していたということは、注目に値します。
つまりそれが日本社会の、ごく普通の、あたりまえの姿であったということだからです。
そしてそういう支えを受けた漫画家たちも、商業主義ではなく、子供たちに夢や冒険やロマンや正義感を提供しようとして、経済的には貧乏のどん底暮らしをしながらも、それぞれが孤軍奮闘していました。
そしてそうした中から、次の時代の漫画家たちが登場して行ったわけです。
実は、明治の中頃の和歌にも、同じような流れがありました。
もともと和歌は、万葉集に詠われているように、日本に古くからあった和風文化です。
ところが、遣唐使や遣隋使が始まるとともに、Chinaから漢詩文化がはいってきました。
漢詩的叙情は、男性的なものとして、もてはやされるようになっていったわけです。
ところが日本は、遣唐使を廃止しました。9世紀のことです。
遣唐使が廃止され、日本が鎖国することによって、ここから国風文化が花開くことになるのですが、この遣唐使廃止からちょうど10年後に、天皇の命令による勅撰で、古今和歌集が編纂されました。
漢字文化ではなくて、我が国の独自の歌という、ひとことでいえば和風文化を再現していこうというのが、この歌集が編纂された目的です。
そしてこの古今和歌集に、初出したのが「君が代」の歌であり、また続く勅撰和歌集に納められた数々の歌から、古今の名歌を集めて一人一首で編纂されたのが、小倉百人一首です。
こうした歌集に所蔵された数々の歌は、その後の日本の国風文化の柱となりました。
どういうことかというと、いま、自分が得ている感傷は、実は、何百年、何千年前の歌人が抱いた感傷と同じものである。つまり、情の面から、歴史の縦軸が自然とつながる、人と人の心が、時代を超えてつながっている。そしてその歌人たちの世界は、天皇や朝廷という存在と、これまた一体であるということが、情の面から、広く民衆に受け入れられるようになっていったわけです。
ですから、古典的和歌は、その歌のひとつひとつが、日本の朝廷、もしくは天皇という存在と結びついていました。
これを大きく変えたのが、明治の正岡子規で、正岡子規は、明治の新時代という息吹の中にあって、歴史という縦糸から独立して、ただ、いまこの瞬間の叙情を詠むのが和歌であるという、まったく新しい運動を開始したわけです。
そしてその運動の流れは、当時の多くの民衆の支持するところとなって、与謝野晶子など、新しい歌人たちを育成しました。
そしてその歌人たちを、多くの人々が支持し、同人誌のような歌集をみんなで支えることで、歌壇に、新しい、動きが芽生えました。
つまり和歌が、古典的な歴史という縦軸から解放されて、ある意味自由になり、瞬間瞬間の歌人の思いとだけ、読み手が共感する。そういう流れが生まれたわけです。
この流れは、戦後になって拡大し、いまでは、すっかり和歌は、歴史とは切り離されたものとして解釈されるようになってしまいましたが、逆にそこまでいくと、今度は、昔の古い万葉や古今集時代の歌意が、みえなくなってしまうわけです。
だから、おかしな解釈がまかり通るようになるし、そういうことを研究する役割のはずの学者さんたち自体が、正岡子規以来の思考の金縛りにあってしまって、まるで歌が見えなくなってしまう。
すると不思議なことに、市井の貧乏長屋から、ねずさんのような人が現れて、ふたたび真実の歌意を取り戻そうとする動きが現れ、そこにまた賛同してくださる方々が、これを支えてくれる。
どこまでも、人と人とが支え合い、共同し、いろいろな試行錯誤を重ねながら、民衆の手で新しいものが生み出され、育てられ、発展する。
それが、シラス国である日本です。
なぜ日本がそうなるかといえば、日本は、権力者が一切の民意を押さえ込んで、権力者の都合のためだけに、いろいろなものが動員されるというウシハク社会ではないからです。
どこまでも民衆が主役という、日本がシラス国だからこそです。
そしてそのことを担保してくれているのが、天皇という存在のありがたさです。
そして日本がシラス国であったからこそ、漫画家たちを子供たちまでが、自分にできることはほんのちょっとだけれども、自分にできる範囲で、それを護ろうとしたし、与謝野晶子や啄木などといった新しい歌人たちを育てようとしたし、そうやって日本の歴史が紡がれてきたのです。
日本は、いわゆる上意下達の国柄ではありません。
あくまでも民が主役であり、民が国を支え、国を変える、そういう国です。
だからこそ、いま、日本を取り戻すためには、社会の上位にいる政治家がどうのこうのとか、内閣がどうのとか、もちろんそれはとっても大切なことですけれど、日本人が変わらなきゃ、何も変わらないということなのです。
その日本人を変えるのは、他の誰でもない。
目覚めたおひとり、おひとりが、自分にできるほんのちょっとのことでいいから、日本の素晴らしさを、拡散する。
ひとりにできることなんて、たかが知れているかもしれないけれど、そのほんのちょっとが積み重なれば、力になる。
そして、新たらしい時代を築く、その足がかりになるものを、みんなで応援していく。
かつて、ちびっこたちが、なけなしのお小遣いで、「俺たちが支えるんだ」と意気込みながら、みんなで回し読みしていた少年マガジンや少年サンデーは、漫画家と多くの作品を育て、それがまた、残酷物語とまで形容されるアニメーターたちの食うや食わずの努力によって、アニメ化され、テレビ番組や映画となり、そしてきがつけば、それが世界に対等と協和、和と結い、そしてシラスとウシハクを、物語として伝え、広め、世界を変えるエネルギーにまで大きく育っています。
小さな積み重ねこそ、日本を変え、世界を変える。
私は、小さな積み重ねこそが、世界最大最強の偉大な、そして大きな力なのだと思うのです。


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