ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!第二巻「和」と「結い」の心と対等意識
2014/04/12発売 ISBN: 978-4-434-18995-1 Cコード:C0021 本体価格:1350円+税 判型:四六 著者:小名木善行 出版社:彩雲出版 注文書はコチラをクリックしてください。
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明智光秀0611

先日、第四期日本史検定講座の第四講で、チャンネル桜などでおなじみの井尻千男(いじりかずお)先生の「明智光秀は何故信長を討ったか」という講義が行われました。
この講義の主題とは、少し異なる話なのですが、その講義の中で井尻先生が明智光秀の発句、
 ときはいま
 あめがしたしる
 さつきかな
という句を紹介されていました。
この句は一般に、というか戦後の通解では、「とき」が光秀の出自である「土岐源氏の土岐」、「あめがしたしる」を「天が下知る」と解釈できるから、通釈すれば、
「土岐源氏を出自とする光秀が、天下に号令する」、すなわち光秀が、
「俺が天下をとるのだあ!」と述べた句だと言われています。
それが一般的解釈です。
ところが井尻先生は、そうではない、と説かれています。


「ときはいま」は、まさに「時が来たぞ」です。
「あめがしたしる」は、「天が下々をシラス」つまり、天皇のシラス統治をいうと説きます。
つまり、武力を用いて天皇を無理矢理退位させ、そのままいけば我が国の天皇さえも否定してしまいかねない信長、それを容認すれば、日本がまさにChinaのような、いってみれば信長を始祖とするChina皇帝のような国に、日本がなってしまう。
そのことに危機感を抱いた光秀が、「敵は本能寺にあり」とばかり、信長を討ったのだし、そのことを証明しているのが、この句にある、と説かれます。
この時代に関する私の考察は、
過去記事「6月2日は本能寺の変」に書かせていただいていますので、ここでは重複を避けますが、
要約すれば、本能寺の変から秀吉の天下統一、家康の江戸開幕までが、いってみれば、ある意味、あらかじめ書かれたシナリオであったのではないかというのが、私の見方です。
特に光秀の上の句についての解釈は、私も井尻先生の解釈とまったく同感です。
なぜそういう解釈になるかといいますと、理由は、句の末尾にあります。
「さつきかな」です。
そもそもどうして、光秀は、この句の末尾を「さつきかな」としたのか、ということです。
光秀は、どうして「さつき」と詠んだのでしょうか。
この時期に咲く花なら、アジサイでも、アヤメでも、カキツバタでも良いはずです。
それがなぜ、サツキなのでしょうか。
百人一首の解説でも、何度も書いていることですが、和歌というのは、わずか五七五七七の31文字の中に、万感の思いを込めるものです。
たった31文字しかないのです。一字一句無駄にできない。
光秀ほどの才人が、意味もなく「さつき」と詠むはずがないのです。
では、サツキには、どのような意味があるのでしょうか。
「サツキ(皐月)」は、5月下旬から6月にかけて咲く花です。(冒頭の写真)
この花が、なぜ「サツキ」と呼ばれているかというと、理由があります。
「サツキ」は、もとの名前は、「早苗月(さなえつき)」だったのです。
サツキの花が咲く頃、まさに田植えが始まるのです。
サツキの花が咲いたら、農家では、田植えの準備です。
ですから苗を植える月を誰にでもわかるように早く教えてくれる花、という意味で、この花は「早苗月(さなえつき」と呼ばれていました。
その「さなえつき」が詰まって、「さつき」という名称になっています。
つまり「さつきかな」の「さつき」は、実は、稲作文明、稲作文化の象徴なのです。
そして日本は、天壌無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく)を受けた国です。
天壌無窮の神勅というのは、天照大神が、孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を、豊葦原の水穂の国(トヨアシハラノミズホノクニ))に降臨させた際に与えた神勅で、
日本書紀には、「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫の王たるべき地なり。
爾(いまし)皇孫、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」(日本書紀巻二)と書かれています。
現代語に訳すと、
「豊かな葦原で、秋になると稲穂がたくさん稲が稔る國は私の子孫が統治する地です。なんじ皇孫よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。寶祚(天皇の御位)が栄えることは、当然に天地と共に永遠で窮まりないことです。」といった意味になります。
つまり、サツキは、田植えを暗示し、田植えは稲作を、そして稲作の続く限り天皇の御位が栄えることが永遠できわまりない、ことを暗示しているわけです。
ということは、光秀の句の「さつきかな」は、すなわち天皇の統治を意味します。
そうすると、その前にある、「あめがしたしる」の「しる」は「シラス国」と見えますから、「あめがした」は、「天皇のもと」、そして「ときはいま」は、光秀がすでにこの句を詠んだ時点で「時はいま」というのです。
ですので、ここまでを通解すると、
「いまこそ天壌無窮の神勅に基づく天皇の統治する日本にもどすべきときがきたよ」となります。
日本の歴史では、しばしばこのように歌が、さまざまな真実を教えてくれることが多々あります。
そしてその歌というのは、書かれている文にその真意があるのではなく、文の外に、その真意があります。
言いたいことを直接言わず、読み手にその言いたいことを察してもらう。
詠み手は、その「言いたいこと」をひも解くためのヒントを、歌に込めるし、読み手は、そのヒントを手がかりに詠み手の言いたいことにたどりつく。
そういうきわめて知的なゲーム性が和歌の特徴だし、そこに「相手の意図を察する」という「おもいやり」という日本文化の原点があるわけです。
この句、「ときはいま あめがしたしる さつきかな」を、いまどきの学者さんたちの学説にあるように「土岐源氏の末裔である光秀がいま天下をとる」と解釈しようとしたら、続く「さつきかな」の説明がつかなくなります。
それに光秀が、自分が信長を殺して天下をとりたいというのなら、この句は「あめがしたとる」の方が明快です。なぜそれを「しる」としたのかの説明もつきません。
説明がつかないということは、その解釈は「不正解」ということです。
古今の名将や、平安貴族たちは、たくさんの歌を残しています。
万葉集や古今和歌集など、古い文献におさめられた歌も、数々あります。
明治以降では、天皇陛下や皇后陛下もたくさんの御製や御歌をのこしておいでです。
そしてその歌に込められた意味を、特に戦後は、かなり「はきちがえた」解釈にされているのも事実です。
歌に込められた真意。それを取り戻して行くことも、日本を取り戻すための大きな仕事のうちだと思います。


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