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■書 名:ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!
■ISBN-13: 978-4434184727
■著 者:小名木善行、出版社:彩雲出版

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殺されて吊るされた屍体を見て、「おいしそうだ」と感じる感性(かんせい)は、わたしたち日本人にはありません。
ところが、お隣の支那人にとって遺体は、牛や豚の肉と同じ単に食べ物として認知されます。
いきなりショッキングな話ですみません。
不愉快に感じられる方もおいでかと思います。
けれど、それは事実です。
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わたしたち日本人も、スルメイカや、アジが干物として並んで干してあれば、「おいしそう」と感じます。
本マグロが目の前でさばかれれば、「うまそうだ」と期待に唾液がわきます。
それとまったく同様に、支那人にとっては、人の肉も、ただのおいしそうな食べ物にすぎない、というのは、古来変わらぬ彼らの文化であり、民族的DNAによる習性なのだそうです。
世界中のたいていの民族には、いわゆる禁忌とする食べ物があります。
仏教国であれば、動物の肉は禁忌(食べてはならないもの)ですし、イスラム教においては、豚肉は禁忌ですし、ヒンズー教徒にとっては牛肉が禁忌です。
また、キリスト教国民にとっては、犬や猫の肉は禁忌で、日本人にとっては大切な食べ物とされているクジラが、キリスト教国においては禁忌であることなど、よく知られています。
こうした食の禁忌は、それぞれの民族の持つ宗教上の戒律であったり、法制度であったり、あるいは文化的禁忌であったりするわけですが、単に衛生上の問題から禁忌となっているものもあります。
その代表例が人糞ですが、ところがお隣の朝鮮半島では、古来、この人糞食は、ごく日常的なものであったことは、よく知られています。
世界中、いろいろな民族に、それぞれの民族ごとの禁忌あり、また禁忌でなものもあるわけです。
そんな中で、世界にただひとつ、食に関する禁忌がまったくない、つまり、なんでも食べてしまう民族が存在します。
それが中華民族で、彼らはおよそ口にできるものならば、なんでも食べてしまいます。
わたしたち日本人からみたら、不衛生でえげつない、わたしたち日本人ならまず食べることのない昆虫や、らくだやトナカイ、猿、熊、ウサギ、ネズミ、犬や猫肉はいうに及ばず、冒頭に申し上げた人肉も、普通に料理の対象です。
とりわけ人肉食については、魯迅の「狂人日記」を読むと、そこには「親が子供の肉を喰う」様子が、ごく普通のこととして描かれていますし、史記には、殷の紂王が諫言をした重臣を殺して様々な料理法で処理して家臣たちに配ったという記述があり、他にも似たような話がたくさん出てきます。
また、日本で有名な孟子が絶賛した易牙という料理人は、斉の桓公が「私は人の肉は食べたが、まだ赤ちゃんの肉は食べたことがない」というので、自分の生まれたばかりの赤ちゃんを蒸し焼きにして食べさせたという逸話が残っています。
要するに、古来、彼らにとっては、人肉は、ごく普通の日常的食材であったわけです。
胸の悪くなる話ですが、これが事実です。
胸といえば、同じく魯迅の小説の中に(「薬」)、饅頭に人間の血液を塗った「人血饅頭」が、肺の病に効くとされて流通していたことが取り上げられています。
日本の兵隊さんが大陸に出兵したとき、彼らの食文化のあまりの激しさと残酷さに驚愕したという話が様々な記録に残っているし、私自身、大陸に出兵した経験を持つ祖父から、その話をさんざん聞かされてもいます。
要するに、同じ人間であっても、その国や民族が持っている文化は、必ずしもわたしたち日本人にとって、普通に受け入れられる、あるいは良い意味で学べるものもたくさんある一方で、あまりにも受け入れがたい文化も現実に存在するということです。
ひとくちに「多文化共生」といいますが、文明文化は、どちらか一方の民族が消えてなくなるか、あるいはどちらか一方が自らの文化やアイデンティティを捨てて隷属し、奴隷となるか、二つにひとつの選択しかなかったというのが、これまでの人類史です。
いま、世界の多くの人々は、いつかくる未来社会において、世界の異なる地域において生まれ育(はぐく)まれたそれぞれの民族の持つ文化が、融合し、溶け合い、互いの長所を学び活かすことで、より良い世界、より良い文化が生まれ、育まれると信じています。
とりわけ、世界最古の文明文化を持つ日本人は、世界有数の多神教国民族であり、古来、多様な価値観を認め、互いに学びあって成長するという指向を強く持っています。
けれどその一方で、一面的な価値観しか認めない一神教国も世界には存在するし、なかには宗教性そのものを忌避し、自分さえ良ければ、他人の苦痛など、まるで眼中にないご都合主義の民族も、現に存在するわけです。
その意味において、「多文化共生社会」というのは、ひとつの理想であったとしても、現実には、それを受け入れることが、人々の生活の安全を脅かし、治安を悪化させ、美徳を破壊してしまうという危険も、同時に内在するということを、わたしたちは理解する必要があろうかと思います。
世の中は、紙の裏表です。
表があれば、裏もある。
良い面もあれば、よからぬ面もあるというのが、現実の社会であるからです。
いま、私の手元に一冊の本があります。
謝冠園さんという米国在住の台湾の女性が書いた、
「中国の移植犯罪ー国家による臓器狩り」という本です。
米国の医師等12名が、綿密な調査に基づいて、中共政府が無実の囚人6万5000人を臓器収奪のために殺害したこと、その臓器狩りの対象となったのが法輪功の学者など、なんと120万人であったことなどを告発した本です。
私はこの本を、著者の謝さんから、直接いただきました。
内容を一読し、この事実の拡散の必要を感じました。
そして、異質な文化への恐怖を感じました。
このブログで何度も書いていますが、日本は9世紀の遣唐使廃止(894年)以来、日米和親条約をはじめとした安政の五カ国条約を、明治元年(1872)に、天皇を核とする明治新政府が追認するまで978年間、約千年にわたって、鎖国をしてきた国です。
これまた何度も申し上げていることですが、途中で朱印船貿易や長崎出島による交易などがあったではないかという方がいますが、それらはすべて、時代の政権が行ったことで、わたしたちの国の国体である皇室による外交とは切り離し、ひらたくいえば、あくまで民間貿易ないし政治交易として行われたものです。皇室外交という、わたしたちの国そのものの選択とは異なります。
その日本が、幕末に幕府が締結した不平等条約を解消するために列強と対等な国となろうと、国の諸制度をあらため、また大日本帝国憲法を発布し、日清、日露、大東亜の戦いをなし、そして現在に至っているわけですが、明治の開闢(かいびゃく)以降、日本が完全に不平等条約を解消できていたのは、先の大戦中である昭和17年から昭和20年の終戦までの、わずか3年間しかありません。
そしていまも日本は、国連憲章上の「敵国」という、国連加盟国間の世界秩序の中の最下位国という扱いになっています。
そしてその日本が、十分なガードをしていない状況の中において、中共政府は、実際には国連の安全保障理事国の資格などないのに、そのポジションに居座り、その五大国の強権をもって、日本への侵略を着々とすすめてきているというのが、現在の実情です。
(参照:世界秩序のお話)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2158.html
いま、多くの日本の学者や政治家などの先生方、あるいは利益団体である大手メディアなどが、そうした中共政府の露骨な悪意に対し、むしろこれを無防備に歓迎するという態度でいますが、もし、日本がこれをそのまま受け入れれば、その中共政府による臓器売買の対象は、法輪功から今度は日本人になっていく可能性が充分にあるわけです。
中共は、一昨年まで、「人体の不思議展」と称して、人間の死体の実物に樹脂加工をほどこして、さまざまなポーズをとらせたり、人体そのものをスライスしたものなどの展示会を世界中で行いました。
英国の「007」シリーズの映画の中にも、その展示会が紹介されたりもしていました。
この展示された遺体は、支那の法輪功の学者たちとも、拉致されたウイグルの人々ともいわれています。
あまりにも残酷で異常なこうした展示会を、興味本位、金儲け主義で公然と行う支那人や中共政府に、わたしはとてつもない悪質さを感じます。
そして、そうした支那人、そして中共政府の刃が、いま、着々と日本に向けられているわけです。
そのことを、あらためてわたしたち自身がしっかりと自覚していくこと、そして日本国政府が、日本と世界の良心を守るために、しっかりと世界に向けて責任ある発言と情報発信をしていくこのとできる国に、日本がなっていくことを強く望みます。
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