
ある米国黒人が言ったそうです。
「俺たちの祖先は人じゃない。奴隷だ」
この言葉には、たいへん大きな意味があります。
「人ではなかった」というのです。
アメリカには二種類の被征服民が存在します。
ひとつは、みなさまご存知の通り、黒人たちです。
彼らは、奴隷となることで、人種を保持し、つなげました。
ただし、現在米国にいる黒人の方々は、肌の色が黒くても、ほぼ100%白人との混血種です。
もうひとつは、アメリカインデアンたちです。
アメリカインデアンたちは、白人の奴隷となることを断固拒否しました。
そして戦いました。
その結果、彼らは、死滅させられました。
彼らは、もともと北米大陸に800万人の人口があったと伝えられています。
けれどいま、北米大陸に現存するインデアン種は、たったの35万人です。
そして全員、白人との混血種です。
文明の衝突という言葉があります。
平成8年(1996)に出版された、米国の政治学者サミュエル・ハンチィントンの著書のタイトルで有名になった言葉ですが、この本の衝撃は、あまりに強いものでした。
それは、異なる二つの文明が衝突したとき、それは「どちらか一方が消滅するまで戦いが続く」ことを意味するものだったからです。
戦いの結果は、どちらかの文明が完全に滅びてなくなるまで続きます。
そして滅びる側のは、文明も種もなくなるか、世界秩序の中で劣位・・・つまり下位に置かれる(奴隷化する)ことで文明が滅んで種だけが生き残るか、そのどちらかの選択しかないというわけです。
上の例でいえば、文明も種も滅んでなくなったのが、アメリカインデアン。
文明が滅び、言語も失われたけれど、種だけが混血して生き残ったのが米黒人種ということになります。
他にもあります。
かつて南米には、スペイン、ポルトガルがやってきました。
そしてアルゼンチンやウルグアイは、完全に白人だけの国家になりました。
そこには先住民の文明も、種も、痕跡さえなくなっています。
そこでは先住民族たちが、ほぼ完ぺきに抹殺されたのです。
同じ南米でも、エクアドルやペルー、ボリビアなどには、原住民系の顔立ちの人たちが数多くいます。
けれど彼らは、支配階級が白人の純血種、そして先住民系の人たちは貧困な被支配層となっています。
そして、100%白人種との混血です。
そして先住民たちが、かつてもっていた文明は、言語習俗習慣さえ、完全に消えてなくっています。
このことは現代においても、わたしたちの目の前で繰り広げられています。
中共漢族によるチベット、ウイグル、女真族に対する民族浄化と称する混血の推進と文明と血の消去がそれです。
これが文明の衝突です。
文明の衝突は、片方が完全に絶滅するまで続けられるのです。
日本は、もともと多文化共生を目指す社会です。
東亜のはずれにある島国の日本には、かつて様々な種がやってきました。
有色人種もいたし、白人種もやってきました。
けれど、そうした様々な人種や文明が、日本という国でひとつに溶け合い、融合し、それぞれの良いところを活かしあって、日の本にひとつになり、日本というひとつ屋根の下に暮らす家族となって、新たな文明を長期間に渡って築いてきたのが日本であり、日本文明です。
日本は多神教国ですが、それは同時に多文化共生国であることをも意味しています。
その日本に、かつて、異文化排除をもらたす征服民族の脅威がやってきました。
日本は、多文化共生社会と種を維持するために、国内の大改革を成し遂げ、むしろ積極的に彼らの文明文化を取り入れ、学び、努力して彼らと「対等な国」つくりを行いました。
その最初の出来事が7世紀の大化の改新でした。
Chinaに新たにできた軍事国家「唐」の大帝国の脅威の前に、彼らの文明を積極的に取り入れ、学び、国内の大改革を実現したのです。
その大改革によって構築された体制は、約千年続きました。
途中に、政権は貴族政権、武家政権と様々に変化しましたが、その基本となる統治体制は、ずっとそのまま保持されました。
ところが19世紀に、欧米列強の脅威がやってきたとき、日本は、二回目の大改革の必要に迫られました。
文明の衝突に勝ち抜き、日本の文化文明と種を保持するため、むしろ積極的にその脅威の根源となっている欧米の文化を学び、取り入れ、彼らと対等な国家の構築を図りました。
明治維新です。
明治維新のはじまりは、嘉永6年(1853)の黒船来航である・・・と、このことは、誰もが同じ認識であろうと思います。
学会においても、そういう認識です。
けれど、「では明治維新のゴールはいつなのか」という点に関しては、学会においても諸説あります。
明治政府の樹立をゴールとするもの、大日本帝国憲法制定をゴールとするもの、明治44年の条約改正をゴールとするもの等、さまざまです。
明治維新を、内政という面で見るならば、なるほどそのような見方ができようかと思います。
ただ、明治維新を日本文明と西欧文明の「文明の衝突への応答」とみるならば、実は、まだその衝突状態は続いているともいえるのではないかと思います。
なぜなら、日本が不平等条約を解消して、欧米諸国と完全に対等な独立国となり得たのは、嘉永6年の黒船来航以降、実は、たった3年間しかなかったからです。
高村光太郎が、真珠湾攻撃を寿いで詠んだ詩があります。
========
「鮮明な冬」
高村光太郎
黒船以来の総決算の時が来た
民族の育ちが それを可能にした
長い間こづきまわされながら
なめられながら しぼられながら
仮装舞踏会まであえてしながら
彼らに学び得るかぎりを学び
彼らの力を隅から隅まで測量し
彼らのえげつなさを満喫したのだ
今こそ古にかへり 源にさかのぼり
一瀉千里の奔流となり得る日が来た
われら民族の此の世に在るいわれが
はじめて人の目に形となるのだ
ひよどりが鳴いている 冬である
山茶花が散っている 冬である
だが昨日は遠い昔であり
天然までが我にかえった鮮明な冬である
=======
有名な詩ですが、ここに「仮装舞踏会まであえてしながら」という一文があります。
これは鹿鳴館のことを指していることは明白です。
日本がここまでして「彼らに学び得るかぎりを学び、彼らの力を隅から隅まで測量し」たのは、まさに日本の独立自尊を保持するためです。
そしてそれが具体的には、不平等条約の解消のためでもありました。
その不平等条約は、2つから構成されています。
ひとつが関税自主権、もうひとつが治外法権です。
このうち関税自主権については、明治44年に日本は自主権を回復しました。
これがひとつの日本の不平等条約解消の節目になったということは、事実です。
ただし治外法権は、その後も残りました。
もちろん、外国人が日本の領土内のどこででも犯罪を犯しても日本がそのことの罪を問えないという点に関しては、明治時代に解消しています。
ところが、いわゆる「外国人居留区」内における治外法権は、その後も維持されていたのです。
これが具体的にどういうことかというと、たとえばいまの東京都新宿区の大久保界隈は、コリアタウンになっています。
そのコリアタウン内で、日本人女性が強姦され、日本人男性が暴行を受けたり殺害されたりしたとしても、日本国政府には、その犯罪者に対する捜査権も逮捕権も、裁判権さえもない。
そう考えたら、この治外法権が、どれだけとんでもないことか、ご理解いただけようかと思います。
こういうことが、神戸や横浜などの「外国人居留区」には、その後もずっと保持され続けていたのです。
この「外国人居留区における治外法権」が、完全に撤廃されたのは、なんと昭和17年のことです。
つまり、大東亜の戦時中のことです。
そして昭和20年の終戦、そしてGHQによる占領統治によって、再び日本は、治外法権の国となりました。
さらに昭和22年には、日本を属国とするための、日本国憲法が施行されました。
そしてその日本国憲法は、いまだに日本の憲法となっています。
つまり、日本は、相変わらず不平等な地位におかれたままになっているわけです。
このことは、国連においても明らかなことです。
国連憲章において、日本は、いまもなお、敵国のままです。
これが何を意味するかというと、国連憲章というのは、国際秩序を定めたものである、ということです。
そしてその国際秩序は、五大国(米、英、仏、ソ、China)が、世界の警察と軍事を取り仕切る国であり、その他の国は、その五大国に従う。
そして五大国およびその他の国々は、敵国を常に監視し、戦いを続ける、という世界秩序構造にあるのが、国連秩序構造である、ということです。
このことを簡単に図式化すると、
=======
【国連による世界秩序】
「五大国」=世界を取り仕切る警察
↓
「加盟国」=その警察に協力し、その協力の代償として連合国に護ってもらえる諸国
↓
「敵国」=五大国と加盟国が連携して叩きのめす対象国
=======
となります。
そして日本は、その「敵国」として、いまなお、国家非常大権を持てず、竹島に代表されるように、連合国から明確に国家主権の及ぶ地域として特定されている竹島さえも、隣国に軍事占領されながら、手も足も出せず、日本人が一生懸命働いて得た富みは、まるごと、他国に吸い上げられるという状況が続いています。
李承晩ラインを、韓国が勝手にひいて、日本人漁民を勝手に逮捕拘束し、死者までだしても、当時の国際世論は、日本の味方にはなりませんでした。
これは、誰がどうみても、韓国の非道です。
しかも韓国は、大東亜の戦いの頃には、日本であり、連合国と戦った民族です。
ところが、連合国によって、新国家を形成してもらい、しかも当時は朝鮮戦争のさなかで、連合国に味方してもらって、北と戦争をしていたわけです。
そして連合国は、なんとかして、日本に再軍備させ、朝鮮戦争に参戦させようとしていました。
これが、突然、サンフランシスコ講和に至った理由です。
にもかかわらず、李承晩は、日本が再武装して参戦してきたら、自分個人の地位が危うくなることを心配して、日本に対する嫌がらせとして李承晩ラインをひき、筋の通らない竹島の領有を主張し、日本漁民を拿捕したわけです。
誰がどう見ても、これは非道以外の何者でもないのですが、戦時中につくられた国連秩序のうえからは、韓国は、連合国(つまり国連)の庇護下にある国です。
これに対し、日本は「敵国」です。
それが国連秩序です。
ですから、サンフランシスコ講和まで用意して、日本を朝鮮戦争に狩り出そうとした米国の思惑は、その秩序の上からは、単なる御都合主義と写ったし、だからこそ、吉田内閣が言を左右にして占領統治基本法である日本国憲法を盾にとって、朝鮮戦争参戦を拒んでも、さしものアメリカも、無理強いはできなかったし、結果としてサンフランシスコ講和条約を、朝鮮戦争参戦という見返りなしで結ばざるを得なかった。
けれど、その代わり、日本は、占領統治基本法体制のまま、戦後68年間、ずっと置かれたままになったわけです。
そのことを、見事に立証してみせたのが、実は東日本大震災でした。
東日本大震災が発生したとき、アメリカは、即時、米軍を日本国内に進駐させました。
見かけ上も、たてまえも、「オトモダチ作戦」という体のいい言葉ですが、当時、菅内閣は、米軍の被災地への上陸を拒否したという経緯があります。
国家を代表する内閣が拒否したにも関わらず、米軍は、それを完全無視して、「ハーイ、オトモダチ、オトモダチ〜〜♡」といって、勝手にガンガン、日本に上陸したわけです。
このことは、被災地にとっては、とても良いことでしたし、米軍の行動は、たいへんにありがたいこととして、歓迎すべきことです。
ですので、この「被災地への米軍上陸」は、ありがたいこととして、感謝すべきことですし、実際それによって、多くの命が救われたわけですから、これまた、甚大な感謝を捧げるべきことです。
そして、このことは、同時に2つのことを、わたしたちにしっかりと考えることを要求しています。
ひとつは、国家には「平時」と「非常時」があるということ、もうひとつは、戦後の日本は、世界の国々と「対等な国」ではない、ということです。
占領統治基本法である日本国憲法は、あくまでも連合国が日本を統治するにあたって、平時における国の在り方を規定した、アメリカ人によって書かれた法律です。
「平時」というのは、通常の法が機能する状態です。
その状態においては、日本国憲法が規定する、三権分立も、主権在民も、戦争放棄も、それなりに正常に機能します。
けれども、法が及ばない「非常時」においては、それら「平時法」は、まったく機能しません。
大規模震災が起こり、国家非常事態に陥ったとき、三権が分立していては、内閣が行政権を駆使して治安維持と災害波及をなんとかしてとどめようとしても、常に議会はその行為について、ケチをつけ、紛糾するし、何より迅速な意思決定が損なわれます。
加えて、内閣の緊急対応について、後日逐一司法によるチェックが入るとなれば、なおのこと、行動は阻害されます。
早い話が、大規模震災が起こって、街が壊滅して、瓦礫の山となったとき、非常事態対応ができるだけの装備も訓練も、警察にも消防にもありません。
頼りになるのは、軍隊だけですが、その軍隊の存在を憲法が否定しているというならば、内閣はその軍隊(自衛隊)の派遣さえも本来のタテマエの上からはできません。
実際、東日本大震災においては、陸自の幕僚長には災害派遣の権限さえなく、幕僚長が辞表を胸に、出動命令を出したという事実があります。
さらにいえば、竹島を韓国が勝手に軍事占領した、そのような事態は法の想定する事態ではありません。
そうした法の想定していない事態に際して、日本のいまの法は、何の対処もできません。
また、尖閣にChina漁船が侵入し、その漁船が海保艦に体当たりをしてきたとしても、それに対して事前に迎撃をすることができません。
なぜなら、それが、法が想定している平時の事態ではなくて、非常事態だからです。
そうした非常事態への権限は、いまの日本では誰も持っていません。
また自衛艦に、あからさまな体当たりというテロ行為が行われても、それに対する対応ができません。
法が想定した事態ではないからです。
もっというなら、ペルーで日本大使館が襲撃され、ペルー駐在の世界中の大使やその家族、子供たちまでが人質になるという事態が発生しても、日本政府には、総理大臣が、木村屋のアンパンを120個差し入れることくらいしか、現実に対応ができない。
日本国憲法には、国家の非常時において国や国民を守るために必要な規定が、何もないのです。
そしてこのことは、ふたつめの問題、すなわち「日本は世界の諸国と対等な国家ではない」ということを証明しています。
なぜならもし万一、東京や大阪などの大都市に、他国からいきなりミサイルを撃ち込まれても、日本には何もできない国だからです。
李承晩ラインという非道によって日本人漁民が他国に拿捕され殺害されても、北朝鮮によって日本の国土内で日本人が拉致され、殺害されても、あるいは明らかに日本の領土である竹島を軍事占領されても、あるいは日本の海自艦に、他国の船が体当たりテロをしても、あるいは自衛艦に漁船が体当たりテロをかましても、あるいは、外国にある日本の大使館が襲撃されても、日本には何もする権利がない。
いまのところ、まだアメリカが日本占領統治を続けていますから、まだマシなようなもので、すくなくとも、国連(連合国)の五大安全保障理事国の中には、中共政府もその一角となり、また国連(連合国)の事務総長は、なんとあろうことか韓国なのです。
もし、中共、北朝鮮、韓国などが、米国に代わって日本統治に名乗りをあげてきたら、いまの国家非常大権を放棄した日本国憲法では、まったく対処ができないのです。
いまが、安全、安心だから、未来もずっと安全で安心だとは限りません。
未来を担うわたしたちの子供や孫の時代において、わたしたちの子孫たちが、今以上に、安全と安心と繁栄を手にするためには、わたしたちは、しっかりと事実を踏まえて考え、行動していかなければならないと思います。
列強との不平等な関係の修復。そのためにわたしたちの先人は、大日本帝国憲法をつくり、苦しい戦いを戦い抜き、国を護るために多大な犠牲をはらいながら、日本を諸外国と対等な関係にしようと努力を続けてきました。
そして振り返ってみれば、徐々に不平等な関係を修復したとはいえ、幕末以降、日本が完全に諸外国と対等な関係になったのは、戦時中のわずか3年間のことでしかありません。
そしてその不平等な関係は、幕末の黒船来航から160年を経たいまもなお、継続中なのです。
高村光太郎の詩にある、
「長い間こづきまわされながら
なめられながら しぼられながら」
という状態は、いまもまだ続いています。
わたしたちが、日本を取り戻すための戦いは、いまなお続いているのです。
わたしたちの祖先は、わたしたちの国が持つ多文化共生社会を護るために、大化の改新を成し遂げ、また自主憲法としての大日本帝国憲法を制定し、他国からの文明の脅威に対しての応答を成し遂げてきました。
そして69年前に大きな敗戦を経験し、世界秩序の上からは、たいへん残念なことに最下位の「敵国」という状態におかれて、いまに至っています。
大局的にみると、これからの世界は、欧米文明圏と、中華文明の衝突の時代にはいっていくと思います。
この衝突は、共産主義と自由主義の衝突以上の大規模な衝突となっていく可能性を秘めています。
いまの世界は、そうした衝突を避けるために、あたかも日本をスケープゴートにして別に敵国とすることで、目先の衝突を避けているかのようにも見えます。
そうした衝突を避けるためにも、日本が2千年以上にわたって築き上げて来た多文化共生社会の仕組みや仕様は、今後、もっと研究されて良いものだと思うし、衝突を避けるための答えも、まさに日本という国の中に、その答えがあるように思います。
武力を用いて人が人と殺し合うことほどの不幸はありません。
そうした事態を避けるためにも、わたしたち自身が、わたしたちの国をよく知り、そしてその情報を世界に向けて、もっと大きく発信していくことが、今後、ますます重要性を増してくるのではないかと思います。

↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

