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世界地図0216

齋藤武夫先生は、長い間小学校の教員をされ、最後の2年は中学校でも歴史を教えておいでだった先生です。
現在も定年後の再就職で教えています。
その斎藤先生が、ご自身のブログ「小6・中学社会 学校でまなびたい歴史」を書いておられます。
今日は、そのブログから一文を引用させていただきます。
=========

さて、世界は国家でできているという話から始めました。
国家と国家のトラブルが起きる。
 ↓
A 交渉(話し合い)で解決する。
 ↓
B 戦争(武力)で解決する。勝ったほうが有利に解決して、講和条約が結ばれ、トラブルは終わる。
となります。ほかに方法はありません。
例を挙げます。


1 いま尖閣を中国がとろうとしています。でもこれは日本領土で実際日本が支配しているのでトラブルになりません。でも中国が本気で取りに来ればBに行くでしょう。覚悟しましょう。
2 いま竹島は日本領土ですが、韓国に武力で支配されてしまっています(侵略です)。日本は国際司法裁判所で話し合おうとよびかけていますが無視されています。日本がどうしても取り返さなければならないと思ったら、戦争しかありません。日本は戦争がいやなのでそのままにしています。
3 いま、多くの日本人が北朝鮮に強制連行(拉致)されています。話し合いで5人帰ってきましたが、まだ100人以上残っています。日本がどうしても取り返そうと思ったら、最後はやはり戦争しかありません。日本は戦争がいやなので、拉致された日本人は政府と日本国民にそのままにされています。
もしアメリカだったら、自国の領土をとられっぱなしにはしませんし、国民がひどいめにあっているのをほったらかしたりしません。
すぐ戦争で解決します。
こういうところは、いまも世界は弱肉強食で動いています。
========
実に本質をついておられると思います。
尖閣を支那が盗ろうとしているけれど、戦争にならないのは、日本がガマンしているからです。
竹島を韓国が武力占領していますが戦争にならないのは、日本がガマンしているからです。
北朝鮮による拉致被害があっても戦争にならないのは、日本がガマンしているからです。
実は、戦前も同じでした。
戦前の日本の大陸への軍の派遣は、そもそも義和団事件後の条約に基づいて世界11カ国が支那に軍を派遣し、その中の派遣国家ひとつとして、日本も軍を派遣したというものです。
これはいまで言ったら、無政府状態となっているソマリアへの国連軍の派遣や、内戦状態にあったカンボジアへの国連からの兵の派遣、あるいはイラクでの戦後処理のための派兵と同じ種類のものです。
ところが、欧米の諸外国と日本では、一点、大きな違いがありました。
何かというと、当時の支那には、大量のコリアン労働者がいた、という事実です。
当時の朝鮮半島は、日本統治領です。
ですからコリアンも、「@日本人」です。
その日本人であるコリアンが、大陸に、うようよといたのです。
もともと大陸は、国境を越えて陸続きです。
いまでも、たとえば東京や大阪には、地方の出身の方が数多く移住してきていますが、これと同様に、支那や満洲内部に、コリアンたちが職を求めて、大量に入り込んでいたわけです。
もちろん日本人労働者や日本人の農民などもいましたが、数の上では、ごく少数です。
人数構成からしたら、日本人1に対し、コリアンは10以上の割合でした。
そしてこのコリアンたちが、日本語の話せない日本人となって、支那、満洲に大量にいたのです。
問題は、彼らの行状です。
都合の良いときは、コリアンとなり、都合によっては「@日本人」となる。
もともと清王朝時代には、朝鮮族は支那社会的において、漢族や満州族よりも、はるか下位に置かれていた人々でした。
ところが日韓併合がおこって、彼らが「@日本人」となり、当時の日本はロシアを破った世界の最強国のひとつですから、いきなり彼らの立場は、漢族や満州族の上位となったわけです。
もともと日本人というのは、上に立って驕らず、下にいて恥じずというくらいで、秩序維持の上からの上下関係は大切にしますが、人としては対等だという意識の強い民族です。
ところが、朝鮮族の場合、そうした対等観がなく、もっぱら上下関係しか理解しません。
そして、上に立てば、下の者に対しては、いかなる暴虐も許され、下の者たちの財産も名誉も、女たちも、すべて自分の物と考えるのが、彼らのアイデンティティです。
そういう連中が、実は、支那や朝鮮のあちこちで問題を起こしました。
よその家の作物や家畜を勝手に泥棒してきて食べてしまうのはあたりまえ。
それどころか、他人の家に入り込んで、その家の娘や女房を強姦する、殺人する。
支那人や満洲人たちが、いわば被害者同盟の自警団をつくってコリアン狩りをすると、そのコリアンたちは、支那人や満洲人たちにイジメられたと、日本軍の施設に保護を求めて逃げ込むわけです。
日本軍は強いから、そこに逃げ込まれたら、もはや民間では手も足も出ない。
保護した日本軍の日本人たちは、支那語も満州語もわからない。
その一方で、朝鮮語については、軍属や慰安婦にコリアンがいましたから、保護したコリアンの言い分だけは、通訳でちゃんとわかる。
コリアンにとって、嘘を言うことは生きる智慧だし、通訳を頼まれたコリアンにしても、コリアン社会のなかにおける報復が怖いから、本当は保護を求めて飛び込んで来たコリアンの方が悪いと知っていても、嘘の通訳をして、コリアンの側に立つ。
こういうことが、支那でも満洲でも、頻繁に繰り返されていたわけです。
こうしたことは、支那人社会や満洲人社会の中における大きなストレスとなります。
そこへ事態をさらに厄介にしていたのが、支那国民党と、支那共産党の対立です。
そして対立をあおり、紛争をあおりたてるのは、まさに共産党の得意とするところです。
結果として、支那、満洲における支那人、満洲人たちの怨嗟の声は、同じように大陸に派兵している欧米列強ではなく、日本に向けられることになりました。
このことは、実は、ベトナム戦争における韓国人兵士による強姦や殺戮行為によって、ベトナムの怨嗟の声が米国に向けられたことと、非常によく似ています。
ベトナム戦争では、小国の北ベトナムが、大国アメリカを破りました。
正義は、明らかに米国にあったものと思います。
なにせ北ベトナムは共産主義国なのです。
民衆のための戦いというのなら、南ベトナムや米国に正義はある。
加えて、経済力、軍事力は、南ベトナムと米国の連合軍の方が、格段に強かったのです。
良くて南ベトナムの勝利、悪くても引き分けで、朝鮮半島のように、南北に別れて休戦となるのが普通です。
ところが戦いの帰趨は、貧国である北ベトナムの圧倒的勝利となりました。
なぜなら、北ベトナムの兵士たちは、殺しても殺しても向かってきたからです。
なぜ北が強かったのか。
答えは、ナポレオンの強さにあります。
ナポレオンの兵士たちは、ひとりひとりが国家を背負って戦いました。
ベトナム戦争においては、兵士たちは、ひとりひとりが自分の家族の安全を護るため、あるいは家族の復讐のため、命を的にして戦わざるを得なかったのです。
当然です。
たった5万のコリアン兵士たちによって、10万人のライダハンが生まれるほど、強姦がなされたのです。
医学的なことはよくわかりませんが、強姦というのは、一度に多くの精子を胎内に受け入れるため、人体の防衛本能が働き、普通は妊娠しにくいものなのだそうです。
しかも、コリアン兵士たちは、強姦後の殺戮まで行っています。
それでいて10万人ものライダハンが産まれたということは、いったいどれほどの非道がそこで行われたのか、想像を絶します。
民族の傾向というものは、千年二千年経っても、そうそう変わるものではありません。
結局、東亜における様々な諸問題は、多くの場合、コリアンによる非道が、そのきっかけとなっているといっても、決して過言ではないと思います。
戦前の日本は、五族共和を目指し、人種の差別をなくし、すべての民族が安定し安心して共存し、暮らせる社会を希求しました。
これはまさに大御心でもあったものです。
けれどそれが結果として通用しなかった背景には、朝鮮族の我儘が多大な影響を及ぼしたものといえます。
わたしたち日本は、いま、支那や朝鮮から、軍事的な圧力を受けています。
けれども、それが戦争になっていないのは、日本がひたすらにガマンし続けているからです。
しかし、戦前の日本は、そのガマンをしたばかりに、最後は戦争に突入するしかありませんでした。
もし戦前の日本に何か問題があったとするならば、それは実は、情報公開の不足にあったといえるかもしれません。
事実関係を、世界に晒し、日本民族の考え方、朝鮮族の非道、支那人の野蛮性などを、広く世界に向けて、普通に情報発信しているだけで、世界の世論は逆転し、状況は大きく変化した可能性があったのではないかと思うのです。
先日、建国記念日の記事で書きましたが、お隣の韓国の建国記念日は、年に2回もあります。
8月15日の「光復節」と、10月3日の「開天節」です。
「光復節」は、昭和20年(1945)年の終戦の日が、日本から解放された日です。
この日を境に、韓国は、て「光が回復した日」なのだそうです。
実際には、この日を境に、韓国は終戦時に日本から寄贈された21兆円もの半島内資産をなんら民生に活かすことなく、世界に類例のない暴力国、極貧国に陥りました。
そして半島内で北と南に別れて内戦をはじめ、国民の10人に1人が死傷するという、世界に類例のない悲惨なたいへんな戦い(朝鮮戦争)へと突入しました。
せっかくの日本から寄贈資産を、なんら活かすことができなかったどころか、そのお金をつかって半島内で人殺しをはじめてしまったのです。
そのそのどこがどう「光が回復した日」なのか「理由をあげて具体的に説明せよ」と試験問題に出したいくらいです。
「開天節」に至っては、物語そのものが捏造した建国伝説であるだけでなく、その内容が、白頭山に住む夫婦に対し、旦那を暴力で追い出し、その女房を人前の壇上で強姦したのが建国の英雄だという恥ずかしいものです。
しかもその女房というのが、熊のような女性だったというのですから、相手構わずです。
要するに、女性の人権をまるで無視するようなお話で、これが建国神話であって、国の祝いの日であり、天が開かれた日、すなわち「開天節」だというわけです。
そういうお話のどこがどう素晴らしいのか、これまた「理由をあげて具体的に説明せよ」と試験問題に出してみたいくらいですが、こうした「光復節」や「開天節」が、彼らの国にとって、彼ら民族にとっては、まさに国を愛し、民族の紐帯を築くアイデンティティなのです。
世界は民族を基本とする国家でできています。
そして民族ごとに、その持っているアイデンティティは、まるで異なります。
どんな人でも、民族でも、国家でも、良いときは良いのです。
良いときは、誰もが「いい人」であり、「良い国」です。
けれど、問題は、いざというときに、どういう態度をとるかです。
そして、その「いざというとき」の姿は、国や民族によって、実はまるで違います。
そういう違いがあることを、情報としてきちんと発信していく。
そういう情報発信に、「国として、ちゃんとお金を使う」。
そういう努力を、実は、何もしてこなかったのが、戦後の日本です。
情報発信は民間任せだと、なぜいけないのかは簡単です。
民間というのは、生きるためにカネが必要だからです。
そのカネのために、スポンサーの意向に従うことになります。
そしてスポンサーは、自己の欲得のためにのみ、お金を使います。
つまり、あらゆる情報は、特定少数の欲得のためにのみ、発信されるという結果を招いてしまうのです。
「利益ではなく、正しいことのためにお金をつかう。」
日本は、それをしないと、世界に飲み込まれてしまうのです。
世界は国家でできています。
世界国家などというのは、現実のいまの世界においては、タワゴトです。
世界国家、世界連邦などというのなら、その首都はどこにあるのでしょうか。
世界連邦の総裁は誰でしょうか。
わたしたちがわたしたちの国を護るための予算は、何も防衛予算だけではありません。
教育、文化、啓蒙、外交のすべての分野に及ぶものです。
いま、日本は、まさにその情報発信力が問われていると、思います。
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