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■書 名:ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!
■ISBN-13: 978-4434184727

■著 者:小名木善行、出版社:彩雲出版
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紅白饅頭

昭和23年に廃止された紀元節は、18年後の昭和41年になってようやく復活し、「建国記念の日」と呼ばれるようになりました。
実はこの建国記念の日、「建国記念日」いう言い方は正しくなく、あくまでも「建国記念の日」が正しい呼び方です。
なぜ「の」がはいるかというと、この日はあくまでも「日本が建国されたという事象そのものを記念だけの日」であって、「建国の理念や趣旨などを国民の祝日とする理由として含まない」ためなのだそうです。
そしていまも、建国記念日は「国民の祝日に関する法律」に、日付が特定されていません。別途政令で定める日とされています。
なんだかのけもの扱いみたいです。
そして明らかに国民の祝日でありながら、左前のカレンダーや、ネット上のカレンダーなどでは、国民の祝日や祭日としての記載がされていなかったりしています。
そして多くの国民は、学校教育の場でも、また新聞やテレビなどのメディアにおいても、この日が祝日であることの理由を教えられず、何も知らないまま、ただこの日が、会社や学校がお休みとなる楽な日としてしか認識しなくなっています。


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2月11日は紀元節、日本の初代天皇である神武天皇が即位され、わたしたちの国が建国された日です。
今年は、皇紀2674年になります。
わたしたちの国のはじまりの日です。
ちなみに、すこし脱線しますが、最近、わたしたちの国について、これを「この国」と表現しているものがたいへんよく目に付きます。
おそらくこれは司馬遼太郎が月刊文芸春秋に連載した「この国のかたち」から広まった言葉だと思うのですが、「この国」とは、いかにも国を客体化したような言い方ですが、ここは「わたしたちの国」です。
わたしたちと血のつながったわたしたちの父祖が、さまざまな試行錯誤を繰り返しながら世界でもっとも古くから築き上げて来た、ここは「わたしたちの国」です。
ですから私は、「この国」という言い方が、あまり好きではありません。
わたしたちの国は、「わたしたちの国」というべきであろうと思います。
そのことはともかく、世界中どこの国でもその国の建国の記念日を国民の祝日にしていない国はありません。
建国の日を国民的祝日として「祝わない」国は、それこそ世界中どこにもありません。
「祝日」というのは、お祝いの日という言葉の通り、その国の民が、その国の歴史伝統文化を忘れないため、そしてその歴史伝統文化を踏まえて、未来を築く新たな決意のために定められるものです。
ただ、会社がお休みになって、楽ができる日ではない。
なかでも建国の日は、それぞれの国のアイデンティティ構築上で、とても大切にされる日です。
たとえばアメリカなら7月4日が、Independence Day です。独立記念日です。
ですからこの日は「特別な日」です。
「7月4日に生まれて」とか、「インディペンデンスデイ」という映画もありましたが、Independence Day は米国人にとっては、Fourth of July で、特別な日です。
米国の独立は1776年ですが、この日以来、米国では毎年欠かさずワシントンの記念塔付近で盛大に花火が打上げられます。
これは独立以来237年間、毎年、一度も欠かさずに行われている行事です。
米国の場合、クリスマスやお正月は、多くの商店が休業になります。
ところが独立記念日は、逆に盛大な独立記念セールが行われます。
ですから自動車や宝石、家電など、この日を目指して買い物すると、結構お得な買い物ができたりする。
まさに米国人にとっては、ワクワクする特別な日であり、全米で独立を祝う式典も催されます。
それだけ、重要な日なのです。
アメリカに限ったことではありません。
フランスでは、7月14日が「パリ祭」ですが、これは1789年にパリ市民が政治犯解放を求めてバスチーユ監獄を襲撃した日(フランス革命が始まった日)を祝ったものです。
毎年行われるパリ祭の盛大な催しについては、ニュースなどでご存知の方も多いかと思います。
中華人民共和国は10月1日が「国慶節」です。
これは1949年に毛沢東が天安門で建国宣言をした日です。
北朝鮮は9月9日が「国慶節記念日」で、1948年に朝鮮民主主義人民共和国の建国が宣言された日です。
お隣の韓国に至っては、建国の祝日は、なんと2つもあります。
どちらも祝日です。
ひとつが8月15日の「光復節」です。
彼らにとっては、昭和20年(1945)年の終戦の日が、日本から解放されて「光が回復した日」なのだそうです。
実際には、この日を境に、韓国は世界に類例のない暴力国、極貧国に陥りました。
終戦時に、朝鮮半島では、せっかく日本から21兆円もの半島内財産を寄贈してもらったのに、この資産を、独立後のインフラ整備や朝鮮人たちの福利厚生に使えばよかったものを、逆にこの莫大な財産を使って、半島内で北と南に別れて内戦をはじめてしまったのです。
この内戦(朝鮮戦争)は、世界の戦史上、もっとも悲惨な戦争のひとつといえます。
同じ民族同士で殺し合い、なんと人口5000万のうち、500万人が死傷したのです。
このことは、日本の戊辰戦争が、死者わずか3万人だったことを考え合わせれば、いかに悲惨な出来事だったかわかります。
ときどき、「自分はもと陸軍兵士で、戦時中、きわめて残酷なことをしてきました」とか、「国や軍によって強制連行され、性奴隷として売春を強要されました」などと「証言」する人がいますが、そうした証言をする人の年齢を考えるとすぐにわかることですが、いずれも、朝鮮戦争時代の彼らの実体験です。
そして実は朝鮮戦争当時、クレムリンから当時のお金で55万ドル、いまの相場でいえば324億円もの大金を、戦費として与えられた日本共産党は、武器を取り揃え、日本共産党軍を勝手に朝鮮半島に派遣しています。
「自分はもと陸軍兵士で、戦時中、きわめて残酷なことをしてきました」というのは、まさに、この共産党軍として参戦した人たちでもあるわけです。
それらの非道行為の罪を、彼らはすべて大東亜戦争中の日本軍になすりつけようとしているわけですが、こういうのを「自作自演」といいます。
韓国は、終戦の20年後に日韓基本条約を締結して、日本から当時の韓国の国家予算の3倍にもあたる莫大な現金を援助してもらうまで、ずっと貧困と殺戮と強制と強要と不法逮捕と暴力が支配し、若い女性たちが国によって強制連行されて売春のための性奴隷を強要される悲惨な国であったわけです。
この戦後の20年間は、国家的暴力と貧困という意味において、無政府状態のソマリアよりも酷い状態です。
治安がよく、人々が豊かにのびのびと暮らしていた日本統治時代から、一転しての悲惨な社会。
そのどこがどう「光が回復した日」なのか「理由をあげて具体的に説明せよ」と試験問題に出したいくらいです。
韓国のもうひとつの祝日は、10月3日の「開天節」ですが、これは紀元前2333年に檀君(たんくん)が古朝鮮王国(檀君朝鮮)を建国したとされている日です。
これもまた、実際には4347年前ではなくて、明治時代に書かれたただの作文で、日本が当時建国2500年だったことから、支那が「とりあえず日本の倍にしとけ」と乱暴なことをしたものを真に受け、どういうわけかその支那の捏造建国より11年だけ古くして建国神話を捏造したというのが、そもそものはじまりです。
支那が大雑把に、日本の倍で、ドーンと5000年にしたのは、あるいみ気宇壮大と微笑ましさも感じますが、それにプラス11年だけしたというのが、どうにもセコイ。
さらにいうなら、その壇君神話なるもの自体が、旦那(虎男)を暴力を振るって追い出し、人妻を壇上(つまり人に見える場所)で強姦してできた子供が建国の英雄というのですから、これまた凄いというより恐ろしい話で、しかもその人妻の女性が熊のような女性だったというのですが、これまた女性なら相手構わずです。
お隣の国のことなのでどうでもいいといえばどうでもいいのですが、女性の人権をまるで無視するいかにも彼ららしい建国神話です。(詳しくはコチラ
それでも彼の国では、これがふたつめの建国記念日となっているわけです。
これもまた、悲しい話だと私は思いますが、それでもそれが彼らにとっての大切なアイデンティティというのですから、民族というのはわからないものです。
すくなくとも、日本人とはまるで感性(かんせい)の異なる人や国や民族が、現実にこの世に存在するということについて、わたしたちはもう少し、日本社会全体として、しっかりと把握していく必要があろうかと思います。
さて、日本における建国の日は、「日本書紀」に基づきます。
初代の天皇であらせられる神武天皇が即位されたのが「辛酉年春正月庚辰朔」で、これをグレゴリオ暦に換算すると、紀元前660年2月11日になります。
この日、神武天皇が発せられた建国の詔にるお言葉が、
 上則答乾霊授国之徳
 下則弘皇孫養正之心
 然後、兼六合以開都
 掩八紘而為宇、不亦可乎
「上は則(すなわ)ち乾霊(けんれい)の国を授(さず)けたまいし徳(とく)に答え、下は則ち皇孫の正を養うの心を弘め、然(しか)る後、六合(りくごう)を兼(か)ねて以(もっ)て都を開き、八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(な)さん事、亦(また)可(よ)からずや。」と読み下します。
「乾霊(けんれい)」は、祖先の霊で、この場合、神武天皇の祖先は直系となられる天の神々を意味します。
その神々が国を授けてくださった徳にお答えし、「皇孫の正を養うの心を弘め」とあります。
この「皇孫の正を養うの心」というのが、実はとても大切なところです。
というのは、この「皇孫の正」というのが先般、大国主の国譲りのところでご紹介した「シラス国」を意味するからです。
(参照→http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2161.html
すなわち、権力によって頭ごなしに支配し人々を隷属させるのではなく、みんなが情報を共有し、互いに助け合って生きる国を意味します。
そして「六合(りくごう)」というのは、東西南北の六つの方角に上下を合わせた6つの方角で、これは天下を意味します。
ですから「六合を兼ねて以て都を開き」というのは、世界全体、天下万民のために都を開く、といういう意味になります。
さらに「八紘」は、「天地を結ぶ8本の綱」です。四方八方です。
その四方八方を掩(おお)って、「宇(いえ)と為そう」というわけです。
つまり神武天皇は、「国土開闢(かいびゃく)以来の神々のご意思であられるシラス国を築くため、ここに都をひらき、世界全体がひとつ屋根の下に暮らす家族として仲良く暮らすなら、それはなんと楽しくうれしいことであろうか」と仰せられました。
これが、わたしたちの国の建国の詔(みことのり)で、これがわたしたちの国の「建国の理念」となったのです。
英語では、八紘一宇は、Universal brotherhood(世界同胞(兄弟)主義)と訳されます。
戦前のわたしたちの国の外交文書では公式に、この用語が用いられていました。
それこそが、わたしたちの国の理想であり、理念であり、基本姿勢そのものであるからです。
そして戦前は、この2月11日が「紀元節」と定められて、国民が建国の理念を再確認する日でもありました。
その「紀元節」が、いまは「建国記念の日」として国民の祝日となっています。
ところが、実は、この日は、いまも、他の祝日のような「祝日法」に定められた国民の祝日ではないのです。
実は、昭和23年(1948)に、国民の祝日に関する法律の附則2項で、紀元節は国民の祝日から除外させえられました。
当時の日本は、GHQによる占領統治下にありましたから、これはGHQの意向です。
そして翌年の昭和24(1949)年から、昭和41(1966)年に復活するまでの18年間、2月11日は、国民の祝日から除外されたままとなりました。
そしていまでも「国民の祝日に関する法律」では、他の祝日が、それぞれ日にちを特定されているのに対し、建国記念日だけは、別に「政令で定める日」とされたままとなっています。
(国民の祝日に関する法律→http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO178.html
昭和23年に廃止された紀元節については、昭和27年のサンフランシスコ講話条約締結後、日本国内では、昭和32年から都合9回にもわたって、復活を望む議員立法法案が提出されました。
戦前の教育を受けた保守系の議員さんたちが、当時、本当によく頑張ってくださったのですが、ところが当時は、俗に55年体制と呼ばれる自民党と社会党の二強対立の時代です。
そして社会党は当時、この運動に対して、「建国記念日を復活させることは、保守系議員の反動的行為である」と激しく対立しました。
ようやく、この日が国民の祝日として復活したのは、昭和41年(1966)になってからのことで、当時の佐藤栄作内閣によって設けられた「建国記念日審議会」によって、ようやく祝日としての復活を遂げたのです。
ただし、戦前にあった「紀元節」の用語は廃止。
そして、建国記念日は、「建国記念『の』日」と、名称に「の」を入れて、国民の祝日法とは別途に日にちが制定されることになりました。
これはいまでもそうで、ですから「建国記念日」という言い方は正しくなく、あくまでも正しい呼び方は「建国記念の日」です。
なぜ、「建国記念日」ではなくて、「建国記念『の』日」なのとかというと、これはあくまでも「日本が建国されたという事象そのものを記念だけの日」であって、「建国の理念や趣旨などを国民の祝日とする理由として含まない」ためなのだそうです。
ずいぶんとウルサイ話ですが、戦後左翼というのは、日本人が日本人としての誇りを自身を持つことを一切拒否し、日本という国の建国にあたっての、世界中、誰の目にも素晴らしいとしかいえない理想や理念さえも、敵対し、対立し、闘争し、破壊する対象であったわけです。
こうして、いまでも、建国記念日は、国民の祝日に関する法律に日付が特定されず、また正式名称を「建国記念の日」と書かれ、そして明らかに国民の祝日でありながら、左前のカレンダーや、ネット上のカレンダーなどでは、国民の祝日として祭日としての表記がされなかったりしています。
そして多くの国民は、学校教育の場でも、また新聞やテレビなどのメディアにおいても、この日が祝日であることの理由を教えられず、何も知らないまま、ただこの日が、会社や学校がお休みとなる楽な日としてしか認識しなくなっています。
私が小学生のときのことです。
私の通った小学校は、市内でも歴史ある小学校とされていた学校だったのですが、寒い冬の2月11日、全校生徒が朝、登校し、全校朝礼で校長先生からなにやらムツカシイ訓話をいただき、帰りに紅白饅頭をいただいて帰宅した記憶があります。
意味はさっぱりわかりませんでしたが、紅白饅頭をもらえたことが、とっても嬉しかったことと、この日の校長先生の訓話のあとで、横に居並ぶ先生方が、ものすごく感動した感じで、手がくだけそうなくらいの激しい拍手をされていたことを、とても印象深く覚えています。
当時は、なぜそんなことになっていたのか、まるで意味がわかりませんでした。
けれど、いまならわかります。
あのとき、校長先生は、紀元節の復活を心の底から喜ばれ、みんなの前で、紀元節の由来と建国記念日の復活を心から寿ぐ訓話をされたに違いありません。
そして、前に居並ぶ先生方も、それをまるで我が事のようにうれしいこととして、受け止めていたのであろうと思います。
大人たちの感動や、その理由(わけ)としてのお話は、子供たちにはとてもむつかしくて、理解できないものでした。
けれど、その大人たちの感動は子供たちの心に残り、時を超え、子供たちがある年代に至ったときに、その意味が怒濤のように押し寄せて、「なるほど、そうだったのか!」と、新たな感動となって、次世代に引き継がれます。
私は、建国記念日が、国民の誰からもお祝いの日として、普通にちゃんと認識される日が一日もはやく来ることを願ってやみません。
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