■ねずマガ有料版のお申込はココをクリック
■大好評発売中!
↓ご注文は書店さんで↓
■書 名:ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!
■ISBN-13: 978-4434184727
■著 者:小名木善行、出版社:彩雲出版
【拡散】中山なりあき事務所からの連絡です。
まだ番組表では発表になっていませんが、中山成彬先生が衆院予算委員会で質問に立たれます。
TVとラジオの中継も入るようです。
※2月12日(水)13時~は是非、国会中継をご覧下さい。

↑ ↑
応援クリックありがとうございます。

ブログ「爆ちゃん吼える」に、素晴らしい文が掲載されましたので、今日は、これをご紹介します。
私の解説と意見は、末尾に書かせていただこうと思います。
=========
死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし
http://blog.livedoor.jp/cordial8317/archives/51925781.html
「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし、生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」との名言があるが、これは吉田松陰が高杉晋作に認めた手紙の一文だと言われている。
「喩え死んだとしても、朽ち果てることの無い意義があれば死を選ぶことも選択肢の一つ、生きることで己の志が達成出来るなら、どんなことをしても生き延びなさい」という意味だと理解する。
獄中にいた師を、高杉晋作ら松下村塾の塾生らが懸命に助け出そうとしていた時に、松陰は晋作にこの手紙を託す。
晋作は、師が没した4年後、師の「草莽崛起」の訓えを受継ぎ、「奇兵隊」を組織し、生きることで明治新時代の礎を築いたのだ。
=======
この世を超え、生き代わり死に代わりつつ「永遠」に生き続ける魂がある。
昭和45年11月25日、三島由紀夫は森田必勝と共に、市ヶ谷駐屯地に於いて米国依存体制からの脱却を訴え、壮絶な死を遂げた。
携行した「檄文」には次の様な一節が在る。
「我々は戦後の経済的繁栄に現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場凌ぎの偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は自己保身、権力欲、偽善のみに捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されず誤魔化され、日本人自ら、日本の歴史と伝統を潰して行くのを歯噛みしながら見ていなければならなかった・・・」
三島、森田の命は消えたが、あの挙で訴えた我が国への警鐘乱打とその崇高な精神は未だに色褪せることなく生き続けている。
正に吉田松陰の訓えそのものであろう。
「七生報国」を念じ自裁した楠木兄弟然り。歴史上、その様な生き方をし、死に方をした人々は無数に存在する。
何より、先の大東亜戦争で見事な最後を遂げた英霊もその「義」を貫いた方々であり、その精神は朽ち果てることはない。
あの若者達の最後は、我々の想像を絶する悲しみや苦しみの世界を潜り抜けた末の決断と行動だったに違いない。
しかし、出撃直前の様様な記録や写真などから感じるものは、悲壮感というより、正に楠木兄弟と同じ「よに嬉しげな気色」の様な不思議な透明感である。
その不思議な透明感は山口二矢や野村秋介にも通ずるものだ。
二矢は、昭和34年10月12日、日比谷公会堂で演説中の日本社会党委員長・浅沼稲次郎を刺殺し現行犯逮捕された。
携行した檄文にはこう認めてあった。
「汝、浅沼稲次郎は日本赤化を謀っている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接の煽動者としての責任からして、汝を許しておくことは出来ない。此処に於て我、汝に対し天誅を下す。 皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢」
供述調書にはこう述べている。
「私の人生観は大義に生きることです。人間必ずや死というものが訪れるものであります。その時、富や権力を信義に恥ずるような方法で得たよりも、たとえ富や権力を得なくても、自己の信念に基づいて生きてきた人生である方が、より有意義であると信じています」
「浅沼委員長を倒すことは日本の為と堅く信じ殺害したのですから、行為については法に触れることではありますが今何も悔いる処はありません。しかし、浅沼委員長は最早故人となった人ですから生前の罪悪を追及する考えは毛頭なく唯故人の冥福を祈る気持ちであります。又浅沼委員長の家族に対しては、如何なる父、夫であっても情愛に変わりなく、殺害されたことによって悲しい想いで生活をし迷惑を掛けたことは事実ですので、心から家族の方に申し訳ないと思っています」
供述調書を取り終えた11月2日未明、東京少年鑑別所の個室の壁に「七生報国天皇陛下万才」と記し、従容として死に就いた。享年17歳。
旧来の思想や社会構造を打破しようとする時、常軌を逸した行動が生まれる。
来島恒喜、山口二矢、三島由紀夫、森田必勝、野村秋介や元国士舘大生・大橋正文や、その叔父、故土方英次などなど国を憂いて自裁した方々は少なくない。
正に松陰の「不朽の見込みあらば」そのものの行動である。
生き続けるしか出来ない我々は、「人は何の為に死ぬのか」「人は何の為に死なねばならないのか」ということを身を以て示した彼らの崇高な精神を忘れてはならないのではないだろうか。
命を賭して行動した彼らの行為を論うことなど烏滸がましいことだ。
だがそうした彼らを「犯罪者」呼ばわりし、或いは敗戦の責任を被った方々を「戦犯」だと称し、或いは特攻隊を「無駄死」だとする輩がいることも確か。
日本人として恥ずかしい限り。
今どきの捻くれたジャーナリズムは、松陰の名言も一部を論って、「いつでも死ぬべし!とはケシカラン、自殺を奨励するのか」となるんじゃなかろうか(笑)
そんなことを思わせる様な薄っぺらなヨタ記事を目にした。
NHK経営委員で埼玉大学の長谷川三千子名誉教授が、野村秋介追悼二十年の「群青忌」に寄せた寄稿文の内容が、NHK経営委員として不適格だとして毎日新聞の一面に掲載された記事だ。
長谷川名誉教授が送った追悼文集に「人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである」と礼賛していると断じている。
因みにその追悼文には、神に捧げる神饌の話しや逸話を交え、「人間が自らの死を捧げられることが出来るのは神に対してのみである」と、朝日新聞東京本社で自裁した野村秋介が最後に口にした「すめらみこといやさか」という言葉の意味を教えている。
「『すめらみこといやさか』と三回唱えたとき、彼がそこに呼び出したのは日本の神々の遠い子孫であられると同時に、自らも現御神(あらつきがみ)であられる天皇陛下であった。そしてそのとき、喩へその一瞬のことではあれ、わが国の今上陛下は(『人間宣言』が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神となられたのである」
「野村秋介の死を追悼することの意味はそこに在る」、という長谷川名誉教授の文章は実に文学的であり、我が国の思想を如実に顕した名文でもある。
三島由紀夫が唱えた「天皇陛下万歳」も、山口二矢が書き記した「天皇陛下万才」も、英霊の方々が最後に口にした「天皇陛下万歳」も、この野村秋介の唱えた「すめらみこといやさか」と同じ意味、同じ精神である。
長谷川名誉教授の言葉の意味は大きい。
その毎日新聞の下劣なヨタ記事に煽られたのか、足並みを揃えたとでもいうのか、連帯してるとでもいうのだろうか、民主党のアホ議員までもが経営委員の辞任を要求し、参考人招致を要請した。
野村秋介を「元右翼幹部」と称し、言論機関に拳銃を持ち込んだ犯罪者と断じるが、三島由紀夫も市谷駐屯地で監禁、不法侵入、銃刀法違反などの罪を犯しているが、三島を称えた政治家も同じ様に断罪するとでもいうのか。
野村秋介があの挙に出た原因が朝日新聞側に在るにも拘らず、そうした経緯を説明もせず、一方的に断じていることこそ「放送法」や「新聞倫理綱領」に抵触するものであり、こうした傲慢極まりない態度は嗤うしかない。
低能ジャーナリズムの毎日新聞やアホ議員のやってることは単なる右翼蔑視、言葉狩りではないか。
普段、「表現の自由」やら「知る権利」、或いは「ヘイトスピーチ」が何たらとホザきながら、自分らの意に反するものは全て「悪」だとするのは如何なものか。
長谷川名誉教授は、「自らの仕事として精神思想史の研究を行ったり、追悼文を書いたりすることは、経営委員の資格とは全く無関係」と意に介さない。
菅官房長官も、「経営委員が自らの思想、信条を表現することは妨げられてはいない。放送法にも違反しない」と、何ら問題は無いとの認識を示しているが、当然だろう。
Twitterなどでは、やはり同じ経営委員の百田直樹が自らの思想・信条を綴り、また東京都知事選で「南京大虐殺は無かった」と田母神候補を応援していることに、「不適格」だとしてバッシングされていたが、此方も意に介さない。
両人とも大したものだ。
参考人招致、大いに結構なことではないか。いっそのこと両人の発言や真意が国民に知れ渡り、マスコミのこうした言葉狩りや侮蔑こそ問題であるとして、マスコミや政界の浄化に繋げて欲しいものだ。
=========
冒頭にも書きましたが、素晴らしい文だと思います。
私などはいわば「死に損ない」で、いまは「護国のために自分にできること」を求めて、日々を重ねさせていただいていますが、覚悟だけは常住坐臥失ってはならないと日々自分に言い聞かせています。
文中に高杉晋作が出てきました。
高杉晋作は、29歳でこの世を去っていますが、彼がいなければ、明治維新は挫折したであろうというのが、歴史家の一致した意見です。
幕府の第一次長州征伐への敗北によって、当時の長州藩は幕府に恭順の意を表し、藩内の攘夷派を一層しました。
この時点の国内の情勢は、民間の多数の草莽の志が、外患を憂いて活動をしていました。
志士達のなかには、危機感からの焦りもあったのでしょう。かなり乱暴な行動に走る者も多々あったし、志士同士の凄惨な潰し合いや殺し合いも頻発していました。
しかし最終的に国を動かす力となるには、単に草莽の志士たちだけの活動では、実は、残念ながら足りません。
藩という巨大な動力がその推進役となったとき、はじめて国を動かす力となる。
いいかえれば、藩さえも動かす力がないようならば、国というもっとおおきなものを動かし、変える力にはなり得なかった、ということです。
しかもその一方で、攘夷を唱える諸藩の脱藩浪士の一部は、もちろん正論で堂々と戦う人たちも多数いたけれど、その一方では内ゲバで志士同士で殺し合ったり、逃げ回ったり、あるいは民家や商店を襲ったりと、これでは革命改革どころか、ただのテロの強盗傷害団としか世間からはみられないという状況でもあったわけです。
桜田門外の変にしても、この時点で安政の大獄を行った大老・井伊直弼は、殺されて当然と思うけれど、さりとて、このとき襲撃した浪士たちの襲撃方法は、あらかじめ駕籠に拳銃を撃ち込んで重傷を負わせた上で、駕籠から引きずり出して首を刎ねるという、残念なことですが、武士としては、あまり褒めたわざでなく、当然、世間の理解を得る事のできるものではありませんでした。
井伊直弼は剣術の達人であり、武士ならば正々堂々と立会って雌雄を決するべきであったというのが、当時の武家の一般的な見方でしたし、町方の意見でもあったわけです。
そしてこの時代、政論は大きく分けて3つありました。
1 ひとつは、外患に対して、従来の徳川幕藩体制のままで対応すべし、というもの。
2 ふたつめには、公武合体して公家と諸藩の藩公で議会と内閣をつくって外患にあたるべし、とするもの。ここには坂本龍馬や山内容堂などがはいります。
3 みっつめには、公家や幕藩体制そのものをいったんぶち壊して、天下の有能の士によって、新たに天皇を中心とする堅固な国つくりをすべしというもの。
この3つです。
最終的には、この3に改革のエネルギーがシフトしていくわけですが、もし高杉晋作が、第一次長州征伐のあとに、たったひとりで農兵を率いて立ち上がった功山寺挙兵を行わなければ、この時点で遂げず、幕府への恭順を行っていなければ、おそらく3へのシフトは起こらず、日本は2によって形成される家門や門閥による江戸幕藩体制の延長線上の政体が続いたであろうといえます。
そしてこの場合、各藩ごとの独立体制は維持されますから、そうなると、昨今よく言われる道州制ではないけれど、藩単位で米英仏蘭に取り込まれ、諸藩がいわば独立国であることを主張しはじめることで、国内が虫食い状態のように欧米列強に食い取られ、結果として日本は分断され、複数の別々な国となったうえで、列強の植民地と化した可能性は否定できません。
実際、世界中の諸国が植民地化したのは、まさにそうした市町村、もしくは県単位で国からの独立を果たし、その独立国同士が最終的に合体して、植民地国となるという手順を踏んでいます。
第一次長州征伐における長州藩の敗北は、単に長州藩が負けたという危機というだけでなく、そのまま長州藩が引き下がれば、そのまま日本がなくなるという危機だったわけです。
そしてその危機を、たったひとり、藩政に逆らって立ち上がったのが高杉晋作でした。
高杉晋作は、たったひとりで農民たちを集めて功山寺で挙兵を行い、藩論の立て直しを図ったわけです。
高杉晋作のこの挙兵は、見事に長州藩の恭順姿勢を打ち払いました。
そしてその改革勢力に、討伐軍の側だった薩摩が相乗りし、明治維新は打ち立てられました。
高杉晋作は、明治の開闢を見ることなく、若干29歳でこの世を去りましたが、それは、彼が見事に国を護る働きをなし得た、その功をもって、高天原の神々に召されたためだったのであろうと思います。
「人は二度死ぬ」という言葉があります。
ひとつは、肉体の死、もうひとつは、人々から忘れ去られるという死、です。
逆にいえば、人は肉体が滅んでも、その志が人々の記憶の中に生きる、ということがあるということではないかと思います。
爆ちゃんさんの冒頭の文の中に、「そうした彼らを「犯罪者」呼ばわりし、或いは敗戦の責任を被った方々を「戦犯」だと称し、或いは特攻隊を「無駄死」だとする輩がいることも確か」という一文があります。
現代のジャーナリズムや、左傾した学者、評論家のことを言った文です。
「シラス」国を理解し、「シラス」国を、「ウシハク」支配と隷属の国から護るために、正々堂々と戦い、自らその責任をとって命をまっとうした彼らを、いたずらに「犯罪者」呼ばわりするということは、自ら率先して支配と隷属の下に民衆を隷従させようとする、きわめて不謹慎かつ不道徳な行為です。
わたしからみれば、批判している者たちこそ、犯罪者であると断じれると思います。
今回の都知事選の勝利者は、舛添となりました。
彼は、都知事になって早々に、金銭問題、女性問題、暴力問題で、世間からの猛パッシングを浴び、短命政権で終わることでしょう。
そしてその過程で、彼を通じて、在日問題が、大きくクローズアップされてくるものと思います。
日本の歴史を見ると、正しい者には、始めに必ず試練があります。
最初から、いいとこどりだけをしているような者は、所詮はそれだけの存在でしかありません。
苦しいことがあっても、最後はかならず良くなる。
そのことは日本の歴史が証明している事実です。
また、新たな闘いのはじまりです。
=======

↑ ↑
応援クリックありがとうございます。
ねずさんのひとりごとメールマガジン有料版
最初の一ヶ月間無料でご購読いただけます。
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓ ↓

日心会メールマガジン(無料版)
クリックするとお申し込みページに飛びます
↓ ↓

拡散しよう!日本!

