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八幡太郎義家
八幡太郎義家

ねず本にも書いたことですが、永承6(1051)年に始まる「前九年の役」における八幡太郎義家(源義家)と、安倍貞任(あべのさだとう)の歌合戦は、日本的精神を考える上でもたいへんに貴重な物語といえます。
「前九年の役」というのは、陸奥の豪族である安倍一族(安倍晋三総理のご先祖です)が時の国主に反抗した起こした反乱です。
この討伐軍のリーダーが八幡太郎義家(源義家)です。
八幡太郎義家は、武芸の神様である八幡神(やはたのかみ、はちまんじん)を異名にとるくらいですから、ものすごく武勇に優れた人でした。
とりわけ弓は強くて、三枚重ねた鎧(よろい)まで撃抜いたというくらいですから、まさに豪腕です。
ですから別名を「天下第一武勇之士」ともいいます。


この義家が、敵の大将の安倍貞任(あべさだとう)を馬で追いかけていたときです。
逃げる貞任を義家が追います。
義家は、貞任に「衣のたてはほころびにけり」と下の句を投げつけます。
すると貞任は、振り向きざまにっこり笑って
年を経し糸の乱れの苦しさに」と、上の句を返しました。
その返歌の見事さに、義家は構えていた弓を降ろし、貞任を逃がしてあげました。
義家と貞任の歌問答としてたいへん有名なお話です。
最近の学者さんたちの解説を読むと、そこには、表現こそいろいろあるものの、簡単に言えば、義家の「衣のたてはほころびにけり」というのは、逃げる貞任の服装が乱れていたことを指摘したものであり、
貞任の「年を経し糸の乱れの苦しさに」は、衣服が古着だからねえ、と答えたと書いてあります。
要するに、服装を乱して丸くなって逃げていく貞任が、衣服が乱れているのは、「これは古着だからねえ」と答えたから、見事な歌だった、というのです。
しかし、これはおかしな解釈です。
仮にも一軍の大将です。
それが古着だからねえと見苦しい言い訳をしたという、そんなくだらない話のどこがどう歴史に残る名場目宴の歌問答なのでしょうか。後世に至る名場面として語り継がれる物語なのでしょうか。
全然違うと思います。
この歌合戦には、天皇の民という日本の根幹となる思想の流れがあるのです。
そこのところを見逃す、または故意に否定しようとするから、おかしな解釈になるのです。
どういうことかというと、義家も貞任も、武門の大将です。
そしてその武門の大将というのは、天皇の民を預かる者です。
そういう気概のもとに、彼らは戦っているのです。
そこを理解すると、この歌問答からは、まったく別な物語がみえてきます。
はじめの義家の
「衣のたてはほころびにけり」
という下の句は、これはもうマンガの「北斗の拳」のケンシロウの名セリフ、「お前はもう死んでいる」と同じものです。
義家は弓の名手であり、その剛弓は三枚重ねた鎧(よろい)さえも撃抜くほどの威力であって、しかも狙いは正確です。
その義家が、貞任にピタリと狙いを定めたのです。
弓を引き絞って「貞任、おまえの衣のたてはほころびにけり」、つまり「お前はもう死んでいる」と声をかけたわけです。
これを聞いた貞任は、馬をとめ、振り返ってニヤリと笑い、
「年を経し糸の乱れの苦しさに」と上の句を詠みました。
この上の句が何を意味しているかというと、「300年続いた律令体制が崩れ、国司などの横暴に、多くの天下の公民たちが苦しんでいる。その『苦しさ』のために、俺たちは立ち上がったのだ」という意味です。
和歌というものは、上の句と下の句が、いわば三角形の底辺の角の二点です。
その二点を詠むことで、三角形の頂点の一点を指し示す知的技術です。
義家は下の句で「お前はもう死んでいる」と詠んだのですが、安部貞任が「年を経し糸の乱れの苦しさに」と上の句を詠んでしまうと、この上下の句が示す三角形の頂点は、当初の義家の「つもり」とはぜんぜん違う意味になってしまうのです。
義家は、あくまで安部貞任が「お前はもう死んだも同然だ」と呼びかけました。
これに対して、安倍貞任は上の句でえ、「年を経し糸の乱れの苦しさに」、つまり、「それは律令体制が長年の間にほころびて民が苦しんでいる。だから俺たちはたちあがったのだ」と上の句を返しました。
律令体制が構築されたのは7世紀のことです。
前九年の役が起きたのは、11世紀の終わり頃のことです。
長い年月の間に律令体制はほころびてしまい、いまや民が苦しんでいる。律令体制が死んでしまっているのだ。だから俺たちはたちあがったのだ」と、上の句と下の句が示す頂点は、「安部貞任が死んだ」のではなくて、律令体制の死を意味することになってしまいました。
先に下の句を詠んだのは、源義家です。
ですからそうなると、律令体制の保持を目的として討伐軍の大将となっている義家自身が、逆に律令体制のほころび(死)を認めたことになってしまう。
要するに、義家の投げつけた「お前はもう死んでいる」にを受けて、律令体制の各種矛盾が表面化した世相を上の句として瞬時に詠みこんだ安倍貞任は、義家の下の句の意味をまるで違ったものにしてしまっただけでなく、安倍一族が何のために戦っているかという戦いの目的までも、明らかにしてしまったわけです。
当時の武門の長というのは、新田の開墾百姓たちのリーダーです。
そして新田の開墾百姓たちは、まさしく天皇の民、「おおみたから」です。
したがって、義家も、貞任も、その誇りを胸に戦っています。
だからこそ、義家は「見事な男だ。俺の歌を瞬間に違う歌に変えてしまった。しかもあいつは民のために戦っている。それなら志の根は、俺と同じだ。殺すには忍びない男よ」ということで、つがえていた弓を降ろし、貞任を逃がしたわけです。
まさに、歴史に残る名場面です。
日本社会は、支配者が民衆を奴隷にして君臨するという「ウシハク」国、大陸的な支配と隷属に基づく社会ではありません。
昨日の記事にもあるように、日本は「シラス」国です。
ですから武士たちにとっても、民こそが一番大事な宝です。
武士たちは、民の生活の安寧のためにこそ立ち上がり、腰に刀を帯びている。
そこにこそ武門の存在価値と権威がある。
こういうことが、天皇否定、日本否定の戦後的歴史観では、まったく理解できなくなります。
そして子供達に、誇るべき我が国の古典を教えることができない。
昨今の悲しい現実であろうと思います。
※八幡太郎義家の歌問答については、昨年1月のねずブロを一部引用しています。
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