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■書 名:ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!
■ISBN-13: 978-4434184727
■著 者:小名木善行、出版社:彩雲出版
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http://homepage2.nifty.com/sai/e_book/t_n56_nezu_01/
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http://www.sinkan.jp/radio/radio_1674.html

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藤岡信勝先生がご自身のFacebookでご紹介されていたので、こちらに転載し、ご紹介させていただきます。
私の所感は、末尾に書かせていただきます。
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「私は死んで当然の小日本です」我が家にきた日本の子どもの言葉に凍り付いた―中国
http://kinbricksnow.com/archives/51846299.html
■日本の子どもがやってきたんだけど、その言葉にいたたまれなくなった。
猫撲、2013年3月6日
◆日本の子どもがやってきた
ちょっと我慢して読んでね。書きたいのはね、よくネットにあるような日中の子どもの自立能力、学習能力の違いとかじゃないからさ。
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日本人男性と結婚したいとこが帰省してきた。旦那の親戚だっていう子どもを連れてね。なんでも中国に興味があるんだって。3人はいとこのお姉さんの家に住むことになった。っていうのも日本の子どもとだいたい同い年ぐらいの子どもがいるからちょうどいいだろうって話になったの。
日本人の子どもの名前は俊夫。小学1年生になったばかり。メガネをかけた姿はドラえもんののび太そっくりだ。中国語はほんのちょっとだけしゃべれるんだけど、初めてきた見知らぬ国、言葉の通じない人を前にちょっと緊張していた。でもぼくらをみるとにこっと笑ってくれる。それから礼儀正しくちゃんとお辞儀して、ぎこちない中国語で挨拶してくれる。良い子だなって、本当にかわいがったよ。
◆鵬鵬の敵意
でもね、上のいとこの子ども、小学3年生の鵬鵬は敵意むき出しだった。俊夫と会うやいなや、拳をふりあげて「打倒小日本」って叫んだんだ。言葉の意味がわからない俊夫はどうしたらいいか分からない様子。もちろん鵬鵬も脅かすだけで殴ることはなかったんだけど、びっくりした俊夫は顔色を変えていた。
上のいとこはあわてて鵬鵬をひっぱってきて、お客さんだから失礼なまねはしないで!って怒っていた。そうしたら鵬鵬が泣き出してしまった。日本人は中国の敵だ、おまえたちは愛国者じゃないって先生に言われたんだって。
それでぼくも説明した。先生が話したのは歴史の話でね、今は日本と中国の関係は改善したんだ。我が家に来た日本の子どもは善良な友人なんだよって。
そうしたら鵬鵬はもっと怒り出した。じゃあなんでちょっと前までパパもママも毎日家で日本が中国の土地を奪っただ、日本製品ボイコットだなんて話していたの?それに学校の先生は最近、生徒に教育アニメを見せたんだよ。日本帝国主義を打倒しろっていう内容なんだよ。
結局、鵬鵬はその日はずっと敵意に満ちた目で俊夫を見ていた。
◆日本の教育
俊夫は本当に善良でききわけのいい子どもだった。上のいとこが言うには、自分のものはちゃんときれいに片付けるし、顔を洗うのも歯を磨くのも言われなくても自分でやるんだって。それどころか自分の下着や靴下は自分で洗う。ご飯の時も食べてもいいよと言われるまでじっと待っている。
中国の親ってやつは自分の子と他所様の子どもを比べるのが大好きだ。上のいとこは鵬鵬も俊夫みたく物わかりが良ければ……って嘆いていた。彼女はいつも息子の後をついて回ってはゴミを拾い、戦場のようになった部屋を片付け、代わりにいろいろやってあげている。食事の時もいちばんいい部分は鵬鵬のもの。ぼくたち親戚だって鵬鵬を溺愛して、あれやこれやプレゼントしてあげている。
俊夫の聞き分けの良さ、礼儀、大人を敬うことを知っている姿を見ると、上のいとこは鵬鵬にあの子はああなのにと怒り出すのだった。確かに日本の家庭や学校の教育は中国とは全然違う。それが社会の雰囲気によるものかどうかはわからないけどさ。
こんなことが続いたから、鵬鵬は本当に怒り出してしまった。俊夫がやってきた翌日のこと、彼は自分のラジコンカーを鵬鵬に使わせてあげた。こうやって分け与えるのも彼らが受けた教育なのかもね。ところがその翌日になると、リモコンカーはばらばらになって鵬鵬の部屋に落ちていた。上のいとこが問い詰めると、鵬鵬は憎々しげに「日本製品ボイコットだよ」って答えた。それで俊夫はオモチャを貸さなくなったし、鵬鵬とも距離を置くようになった。
◆ぼくたちを凍り付かせた事件
でもその翌日になって、鵬鵬の態度もようやく変わってきて、俊夫と仲良くするようになった。あれだよ、やっぱり子どもの本性っていうのは善良でさ、友達を作りたがるものなんだよ。2人はお互いに名前を教え合った。鵬鵬は日本語の発音に興味を持ったし、「鵬鵬」「朋友」とか中国語の単語を教えてあげていた。それから自分のオモチャの車を俊夫に貸してあげた。
俊夫は本当に楽しそうだったし、大人たちもほっとしたよ。
でもね、俊夫が帰る前日の夜に起きた出来事がぼくたち全員を驚かせたし、心底恥じ入らせたんだ。
その日の夜、ぼくとぼくの両親、上のいとことその旦那、おじさんとその奥さんはみんなでリビングに集まってテレビを見ていた。日本からきたいとことその旦那は買い物に出かけていた。
すると、鵬鵬が俊夫を連れてやってきて、得意げに「俊夫が最後に話があるよ」って言ったんだ。そうしたら顔を赤らめた俊夫がもじもじしながら、恥ずかしそうに笑って不器用な中国語で話し出した。
「私は死んで当然の小日本です。中国人に対して申し訳ない。」
その場にいた全員が固まったよ。まっさきに反応したのは上のいとこだった。すぐに笑みをうかべて俊夫を抱きかかえて頭をなでた。その旦那は鵬鵬をトイレに連れ込んだ後、外まで聞こえるような大きな音がでる勢いでビンタした。その勢いはぼくまでどきっとしたほどだ。
真相はこうだ。あの言葉はきっと鵬鵬が教えたのだろう。俊夫はありがとうとか楽しかったとか、そういう言葉だと思ったんだろうね。
◆ぼくたち中国の愛国教育はこれでいいのかな
俊夫が日本に帰った後、上のいとこたちは自分たちの教育について随分反省していた。それからこんな小さな子どもまで、もはや変態的といっていいレベルで日本を憎んでいることに悲しみと不安を覚えていた。日本からきたいとこが言うには、少なくとも彼女が知っているかぎりでは日本の子どもたちは中国にそんな悪い印象を持っていないんだって。まさか今の中国の子どもがこれほど根深い憎しみを持っているなんて想像もしなかったと言っていた。
あるいはぼくたちの愛国教育はもっと客観的にするべきかもしれない。ぼくたちの反日感情はもっと冷静になるべきかもしれない。
子どもは物事を分かっていない。その心は純真無垢のはずだ。でも同胞が日本の自動車販売店を燃やして、日本車を壊して、ジャスコを打ち壊している時、学校の教育で日本を憎む感情を植え付けられた時、子どもの愛国観はすでにゆがみ始めている。
国恥を忘れるべきじゃない。小さい頃からこうやって教育するべきなんだ。そう言う人もいるかもしれない。
でも、なんでだろうね、一人の善良な日本の子どもが顔を真っ赤にしてぼくたちに親愛の情を伝えた時、中国人の子どもの憎しみはどうしてこれほどまでにぼくたち大人をいたたまれなくしたんだろうか。
■2013年3月8日追記
コメント欄やはてブでいろいろご意見、ご質問をいただいているのでちょっと回答を。
(1)この記事はコピペ?:上記にリンクした猫撲は初出ではなく、確認できる最古の書き込みは2012年11月。昨年の反日デモの後のもの。はてブでは11月12日付青青島社区をご紹介して頂いています。その後、いろんなネット掲示板、ブログに転載されたという次第。
(2)フィクションなの?:ネットの書き込みなので真偽を確かめることは難しいですが、ありそうな話だと思っています。例えばブログ・中国ガオガオブーの記事「日本鬼子」
「憎悪の記憶」
をご覧ください。
(3)中国人の反応は?:直接参照した猫撲ではスレ主批判のレスばかりですが、他の場所では「ひどいな」「悲しい」といった書き込み一色になっている場所や、賛否両論で議論になっているところもあります。
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転載は以上です。
みなさんは、ここから何をお感じになられたでしょうか。
私からは、2つのことを書かせていただこうと思います。
1 人間の心は変わらない。
2 上下と支配しかない世界
3 中共のポーズへの警戒
1 人間の心は変わらない。
世界中、どこに行っても、それは社会主義政権当時のソ連であれ、北朝鮮であれ、現代支那であれ、子を愛し、正義や正しいことを愛し、仲良くすることや平和と安定を求める心というのは、世界中の誰もが持つ心だということです。
政治体制がどうあれ、人の心は変わらない。
良いもの、美しいもの、正しいものを愛する心は、人間の本能といえるものかもしれません。
ですから、支那人や朝鮮人と普通に恋におちいることもあるし、お二人が互いに協力し、幸せになっていくこともあるし、支那人と結ばれて幸せなカップルもあるわけです。
個人のレベルにまでなれば、人種や民族や国家の壁を越えて、互いにわかり合い、いたわり合い、励まし合って、幸せを築くことは、必ずできるものであると思いますし、そのように信じたいと思います。
2 上下と支配しかない世界
しかし、そういう人の心を平気で踏みにじる社会も、現実にあるということを、同時に私たちは理解しなければならないと思います。
中共や朝鮮半島など、いわゆる華夷秩序の中にどっぷり漬かっていた国には、民衆の正義はありません。
それがどんなに正しいことであったとしても、それを個人が主張すれば、ただ殺されるだけです。
しかもその殺され方は、我々が想像もできないような残酷さを持ったものです。
華夷秩序というのは、現実には、そうした恐怖によってしか民衆を支配できなかった秩序体制だったし、その文化的影響は、彼らの国にいまだに根強く残っています。
それがどのようなものかといえば、常に上に立つものにとっての都合だけで、人が支配され、蹂躙される社会構図です。
ですから、上に立つものにとって、反日が都合がよければ、社会の上から下まで、全部が反日になります。
逆らえば、財産を没収されるというのは、まだ良い方で、生きたまま四肢を一本ずつ、何日もかけて切り落とされたり、ノコギリのようなもので、肉を削ぎ落とされたりなど、およそ人間とは思えないほどの鬼畜行為による体罰を受け、最後には殺されるわけです。
それも、本人が殺されるだけでなく、身内まで同じ目に遭う。
ですから、彼らの国には、いまだに言論の自由は存在しえないし、存在するように見えても、それは徹底した監視下にあるわけです。
上下と支配だけしか存在しない社会においては、下となった者以外は、すべて「敵」と看做されます。
日本は、日本人もですが、支配されることを好みません。
どんな場合でも、一寸の虫にも五分の魂というのが、日本人の心です。
ですから、日本はなかなか調略できないし、彼らの下に付くことの不幸を知っていたからこそ、日本は9世紀の終わりには、支那や朝鮮との正式な国交を絶って、華夷秩序から離脱し、その鎖国体制を明治の開闢まで約千年も維持しました。
これによってわが国独自に栄えたのが、わが国の平安時代以降の国風文化だし、鎌倉以降の武家文化だし、おかげで18世紀には、小伝馬町の牢屋に入れられる囚人が誰もいなくなるほどの(享保年間の20年、逮捕投獄された犯罪者が誰もいなかった)、治安の良い、民度の高い民族国家を形成し得たわけです。
一方、華夷秩序にどっぷり漬かっていた朝鮮は、ロシアの南下が現実のものとなっていてさえも、その脅威が理解できず、むしろ国王が利権と利得と個人の蓄財のために、日本に作ってもらった鉄道などを、積極的にロシアに売り渡そうとまでしていました。
華夷秩序の最大の特徴は、そこに「民衆の幸福という概念が皆無である」ということです。
すべては、上に立つ者のため、上に立つ者の利権と贅沢のためにしか存在しない。
ですから、レストランに入っても、お金を払ってもらうまでは客じゃないし、先にお金を払ってもらったとしても、食事を出すときには、いやいや「めぐんでやる」のだという態度を露骨にとるのが、あたりまえになります。ニコニコして食事を出したら、舐められて、客に他の要求までされかねないからです。
まれに、サービス精神のありそうな態度をとる高級レストランもありますが、それは上の者がそういう態度をとることを店員に強制しているからにすぎません。
「おもてなしの心」なるものは、カケラも存在しないのが、彼らの国の常態なわけです。
3 中共のポーズへの警戒
支那にしても韓国にしても、最近、ときどき、上にご紹介したような、親日的と思しきニュースが流れることがあります。
ですが実はこれこそが、一番警戒の必要なニュースなのです。
というのは、反日のオンパレードだけですと、日本人はそうした報道にすぐに飽きてしまいます。
塩味を効かせるときには、少し砂糖を混ぜるように、たまにこうした親日的報道を流すことによって、日本社会の耳目を、常に特アの方に向かせることができる。
よく、「アジアの意見は」などという言葉がありますが、たとえば靖国参拝について「アジアの人々は」というようなものです。実際にはアジアにはベトナムもあれば、タイやカンボジア、マレーシア、シンガポール、フィリピン、インド、インドネシア、台湾など多数の国があるのに、そこで言われる「アジア」というのは、なんのことはない、支那と韓国、北朝鮮の三国だけであったりします。
つまり、日本にとっての近隣諸国は、この三国だけしかみれないようにする。
それが彼らの国の高官たちにとって、日本を食い物にし、日本からカネをせびり取り、個人の蓄財をするために必要な戦略だからです。
そのために、意図的な反日情報を流したり、たまに親日情報を流したりと、忙しい。
それらは、ただ単に、「私を見て〜」、「私に恵んで〜」というためだけのポーズであり、政治工作でしかない、ということです。
間違えてはならないのは、彼らにとっては、それは「一定の権力者たちだけにとっての政治」だ、ということです。
そこに民衆の幸福という概念も発想もありません。
近代国家というのは、民主主義であり、人々のための政治が行われるものというのが日本人や西欧人にとっての一般的な考え方です。
有名な言葉が、「人民の人民による人民のための政治」です。
けれども、残念なことですが、いまの支那も韓国も北朝鮮も、「人民の人民による人民のための政治」が行われる近代国家ではありません。
彼らは、いまだに、中世的王権国家の住民でしかない、ということです。
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