
「日本を取り戻す」、自民党の標語ですが、実によい言葉だと思います。
では「日本を取り戻す」ためには、何をしたら良いのでしょうか。
もちろんデフレからの脱却を目指す景気対策、災害対策としての日本の国土強靭化といった目の前の政治課題への対応があります。
自主憲法制定や、他国からの軍事的脅威への対応の問題もあるでしょう。
慰安婦問題や南京問題など、情報戦争への対策も急がれます。
また、国内においては、不逞な在日渡来人の問題、あるいは教育問題などへの取組みもあることでしょう。
目の前にある様々な政治課題について、まさに「日本を取り戻す」ために、具体的な解決案を提示し、国会で審議して具体的に法制度化し、これを行政に活かして行く。
そのために、必要なことをどんどん推進していく。
それがいまの国政の大きな課題であろうと思います。
けれども、では景気が良くなり、日本の国土が強靭化され、自主憲法が制定され、軍事力が強化され、情報戦争への対応が施され、国内の不逞在日への取締等が強化されれば、それで日本が「取り戻せた」ことになるのでしょうか。
答えはNOであるように思います。
いかなる政治も、国民が誇りを失い劣化してしまったのでは、どこまでいっても泥沼にしかならないからです。
そういう意味では、私は「日本を取り戻す」という言葉にある本当の意味は、「戦後歪んでしまった、日本人本来の価値観を取り戻すこと」であると思っています。
日本は、なんだかんだいって、世界最古の歴史を持つ国家です。
逆にいえば、よくもそれだけ長い期間、日本は日本のままでいたものだと感心してしまうくらいです。
そしてその日本を護り育むために、ほんとうにたくさんの人たちが、まさに命をかけた戦いをしてきています。
そして戦後68年の平和も、そうした先人達のおかげで、私たちは平和で豊かな生活を享受させてもらっています。
おもしろいもので、虚心坦懐に日本を学びなおすと、実にさまざまなものが見えてきます。
先入観、あるいは刷り込み、どちらの用語をつかっても構いませんが、これまで持っていた常識を、いったん横に置いて、もういちど歴史を学び直すと、本当にびっくりするような、まさに目からウロコがはがれ落ちるような感動とともに、時事も政治も歴史も、様々なものを私たちに見せてくれます。
戦後の平和もそうです。
戦後生まれの私たちは、「憲法9条という世界に類例のない誇りある素晴らしい憲法をいただくことによって、平和な社会を築いている。もう二度と戦争はしてはいけません」と教わって育ちました。
ところが、よくよく考えてみれば、戦争というのは、相手があってはじめて戦争になるわけです。
相手がないのに戦争はあり得ない。
ということは、コチラがいくら「戦争しませ〜ん!平和大好き〜♡」と声高らかに叫んでみたところで、どこかの国が国土を侵略してきたら、ただいたずらに、私たちは殺されるに任せなければならなくなります。
現に、そうやって私たちは樺太を失い、北方領土を失い、満州を失い、台湾を失い、国際連盟から統治を委任されていた南洋諸島を失い、そしていま竹島を一方的に他国に占領されています。
「そんなことは許されないことですよ、では国際司法裁判所でキチンと決着を付けましょう」と言ったところで、国際司法裁判所には、何の強制権もありません。ただの仲裁所です。
相手国が、裁判するまでもなく、俺たちの領土ニダと言い張れば、それでおしまい。
竹島は占領されたままです。
Chinaは、尖閣領域への侵犯程度のことをしているだけではありません。
彼らはすでに、尖閣どころか堂々と琉球諸島を越えて、太平洋へと艦船を進めています。
Chinaの国内計画によれば、琉球列島は2020年までにChinaの領土とし、2030年までには小笠原諸島まで、彼らの領土に、そして2050年までには、太平洋を米国と半分こするとしています。
そのために、着々と、軍事と情報両面での戦争を仕掛けています。
これがその通りになれば、日本は、いまのウイグルやチベットと同じです。
私たち日本人は、いま、小学生や幼稚園に通っている子供たちが、日本の独立、中共政府からの解放を求めて、将来、公道で焼身自殺を図らなければならない未来を希望しているのでしょうか。
政治は、日本国民の縮図です。
あたりまえのことですが、政治は国民の投票によって選ばれた政治家によって行われるものだからです。
ならば、日本を取り戻すために一番大切な根幹は、日本人が目覚めること、日本人が今持っている常識を、根底から覆すことなのではないか、というように私は思います。
「常識」というのは、「価値観」です。
ですからこれは、日本人の価値観を変える戦いです。
私はときどき、「ねずブロって、どういうことを書いているの」と聞かれて、返事に困ることがあります。
ねずブロは、政治や歴史を扱っていますが、時事問題や政治の解説サイトでもなければ、歴史サイトでもありません。
もうすぐもうすぐ発売になる「ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!」も、歴史書でもなければ、評論やエッセイでも、時事解説本でもありません。
結局のところ、煎じ詰めればどちらも、「現代日本の常識を変え、本来ある日本人の日本的価値観を取り戻す」ことを目的に日々書き綴っているものです。
考えてみれば実にだいそれたことを始めてしまったものです。
上に述べた様々な政治的課題が不要と言っているのではありません。
それらの課題を解決していくためにも、日本人が日本人としての価値観を取り戻す、そのための努力が必要だと思うのです。
それが「日本人の価値観を変える戦い」です。
そして実はそのことが、時間がかかるようにみえて、あるいはいっけん遠回りにみえるけれど、実は日本を変たり取り戻したりすために、最も近い道なのではないかと思っています。
米国の選挙は、日本にいるとせいぜい大統領選挙くらいしか細かな情報は伝わってきませんが、現地にいると上院も下院も、州議も、市議も、選挙のときは相手陣営へのネガティブキャンペーンのオンパレードです。
日本では考え持つかないくらいの、悪口雑言が飛び出します。
それくらい刺激的な方が、米国社会では票が集まるということなのかもしれませんが、私たち日本人の目からみると、異様に映ります。
こうしたことが起こるのは、彼らの文化がその根っこのところに「対立と闘争」を置いているからに他なりません。
二大政党制という制度も、結局のところ「対立と闘争」によって勝者が勝ち残るのだ、という哲学が根本にあるからこそ生まれた制度であろうと思います。
一方、日本の文化は「共生」の文化です。
様々な考え方を共存させ、その中でみんなで話し合い、合意して全員一致で物事を前にすすめる。
英語風の言い方をすれば、これはコンセンサス(Consensus)社会です。
コンセンサスは、日本語にすれば「合意形成」ですから、日本は「合意形成社会」ということもできます。
これがもっと小さくなって、たとえば会社内などになると、コンセンサスは日本語の「根回し」となります。
商談も、会議での合意の形成も、根回しがものをいう。
これが日本社会です。
そして共生するコンセスサス社会であるということを前提に、歴史をみれば、日本の大名たちは、西欧やChinaなどにいう、皇帝や国王などという、ある種の神に代わる絶対権力者などとは、ほど遠い存在であったことがわかります。
戦後の歴史では、たとえば信長などは、いかにも西欧型絶対権力者であるかのように描かれますが、記録を読めば、信長がいかに家臣を大事にし、そのために細心の気配りや根回しをしていたやさしさのある殿様であったかがわかります。
また、「共生文化」というものは、同時に相手に対する思いやりの文化であることも理解できてきます。
相手の存在を頭ごなしに否定するのではなく、相手の思いや気持ちを、一生懸命理解し、察し、その美しさを学びとる。
そういう姿勢が、また日本の文化の特徴であることがわかります。
先日、小野小町のことを書きましたが、まさにそれは、そのようなことを論じようとしたものです。
ちょっと振り返りますと、小野小町は、日本三大美女のうちのひとりですが、彼女の肖像画は残っていないし、直接的に美人だと書いているものもありません。
その小町を、美女として世に登場させたのは、小町が死んで200年も経ったあとの時代の紀貫之です。
そして紀貫之は、小町を日本最大の美女と讃え、彼女の歌の数々を紹介し、その中の一種は、やはり歴史上もっとも美しい美女の歌として、百人一首にも掲載されました。
その歌というのが、有名な
花のいろは
うつりにけりな いたずらに
わが身よにふる ながめせしまに
です。
通解は、「雨が降っているのを眺めている間に、花の色は変わってしまった。わたしもいつのまにかおばあちゃんになっちゃったわ」という意味だと、たいていの本が書いています。
で、この歌がどうして美人の代名詞になるのでしょうか?
少し考えれば、おかしいと気付くはずです。
誰だって歳をとる。歳とってお婆さんになってしまったと愚痴をこぼしていることの、どこが美女なのでしょうか。
そうではなく、当時の歌の「花」が「桜」を意味していると知れば、この歌からはまったく別な側面が見えてきます。
なぜなら、桜の花は、色が変わるのではなく、散るものだからです。
雨が降って桜の花はいらずらに散っていく。
けれど、小町は「散った」とは詠んでいないのです。
まだ散っていないのです。
ならばこの歌は、雨が降って桜の花はいたずらに散っていくけれど、私はまだ散っていないわよ。
つまり、もういちど燃えるような恋がしたいわ、と詠んでいるのです。
小町は92歳まで生きた人です。
そしてこの歌は、小町の晩年の作だといわれていいます。
ということは、もう相当なお婆ちゃんになっていた年齢のときの歌です。
いくつになって、歳を重ねても、シワシワのお婆さんになったとしても、それでも燃えるような恋をしたい。そう詠んでいる女心のはかなさに、紀貫之は衝撃を受け、本邦第一の美女として、小野小町をあげているのです。
そういう惻隠の文化、相手の心をおもんばかる文化というのは、まさに、共に生きる「共生」という文化的姿勢からこそ、生まれるものです。
そして、相次ぐ戦乱や強姦や残酷や悲惨が、かれこれ2000年以上(Chinaは4000年以上)続いている人類社会にあって、こうした争いよりも思いやりを大切にする文化を、ずっとずっと育んできた国というのは、世界広しといえども、なんのことはない、日本だけです。
そういう日本の日本的文化を取り戻す。
取り戻すだけではなくて、その心を日本国中に発信する。世界に向けて発信する。
そういうときが、いま来ているのではないかと思うのです。

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