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院政(いんせい)といえば、すぐに思い浮かぶのが後白河法皇(ごしらかわほうおう)です。
平安時代の末期、第77代となられた後白河天皇は、退位して天皇の地位を二条天皇に譲ると、上皇(じょうこう)となって、政治に直接介入、平清盛と激しく対立して幾度も上皇の地位を追われながら、清盛の死後、またまた上皇に復活されています。
天皇という存在がありながら、なぜ「院政」などという、おかしな政治形態が行われたのか。
実はそこに、我が国の国のカタチのおもしろさを見て取ることができます。
院政(いんせい)という言葉自体は、江戸時代に頼山陽が「日本外史」の中でそのように表現したことから、広く知られるようになった言葉です。
実際に、たとえば後白河上皇が政治に参画した時代には、特に「院政」という言葉があったわけではなくて、院政を行う上皇が「治天の君」と呼ばれていただけです。
ただ、院政であれ、治天の君であれ、天皇という存在がありながら、なぜ、わざわざ天皇が退位して、天皇であることの地位を皇太子殿下に譲るまでして、自分は「上皇」となって、政治に介入しようとしたのか。
世界にある普通の国なら、これはきわめて考えにくい、説明のつかない出来事です。
なぜなら、普通、君主や国王というのは、その国最高の政治権力者です。
政治権力を揮うために、その最高の政治権力者としての地位を、わざわざ他に譲るなど、矛盾しています。
政治権力者が、みずからの政治権力としての地位を息子に譲り、譲った父が政治権力者になる。
ありえません。
わざわざ地位を息子に譲らなくても、そのまま王や君主の地位にとどまって、政治権力者としての辣腕を振るえばよいのです。
ちなみに、なぜこんなことを今日書いているかというと、まさに保元3(1158)年の今日、後白河天皇が在位わずか3年で、天皇としての地位を守仁親王(二条天皇)に譲位して、上皇となって院政を開始された日だからです。
天皇がわざわざ上皇となった理由とは何か。
実に簡単な答えです。
古来、我が国の天皇は「政治権力者ではなかった」からです。
古来、我が国における天皇は、政治権力者ではなく、政治権力を揮う人に、その権力の裏付けとなる認証を与える「権威」とされてきたのです。
たとえば、会社において、部長さんは、部の責任者です。
部下を持ち、部下にあれこれと命令する権限が与えられています。
部長さんがどうして部下に命令できるかというと、会社から部門の長(責任者)としての部長という肩書きを与えられているからです。
つまり、部長さんは、会社という権威によって、その地位を与えられています。
同様に我が国では、政治を直接行うのは、太政大臣であったり、関白であったり、将軍であったりしましたが、それらの地位はすべて天皇によって与えられた地位です。
我が国の天皇は、直接政治権力を揮う存在ではなく、あくまで政治権力を揮う人を任命し、その権力者が政治権力を揮うための権限を与える「権威」としての存在なのです。
では、なぜ天皇に「権威」があるかといえば、それは天皇が我が国の最高神であらせられるアマテラスオオミカミから綿々と続く万世一系のお血筋にあたられる方だからです。
お血筋というのは、これは誰にも否定できません。
ですから、その血統によって、政治権力者に権力を与える。
権力を与えられた権力者は、その権力をもって民の暮らしを守る。
その民は、権力者の私有民ではありません。
民も、すべて「天皇の民」とされてきました。
ですから政治権力者は、天皇から権力を授かり、天皇の民を豊かにするために存在する。
それが、我が国古来の国のカタチです。
これを「国体」といいます。
逆に、天皇という権威の存在がなければどうなるか。
この場合、天皇の民という概念は存在し得ません。天皇がいないからです。
すると政治権力者にとって、民は「私有民」となります。
私有民というのは、私物です。
自分のモノなのですから、似て食おうが焼いて食おうが、誰かに売り飛ばそうが、それは権力者の自由です。
だって、「俺のモノ」なのです。
どうしようと「俺の勝手」です。
世界中、どこの国でも、国王や皇帝、あるいは豪族たちにとって、民衆は私物です。
ですから、奪うも殺すも売るも犯すも国王や皇帝、豪族たちの勝手です。
ところが我が国では、最高位におわす天皇は、直接政治権力を揮いません。
つまり、天皇が民を直接統治しない。
だから、天皇が民を奪ったり殺したりすることはありません。
天皇は、民を統治する権力者に、権力を揮うための権威を授けるだけです。
そして民は、天皇の民とされました。
このことはコップに例えるとよくわかります。
いま、みなさまの机の上には、コーヒーのはいったコップがあるかもしれません。
そのコップが、あなたのものであれば、あなたはそのコップを、捨てようが、割ってしまおうが、誰かにあげてしまおうが、それはあなたの勝手です。
なぜなら、そのコップは、あなたのものだからです。
けれどのそのコップが、誰か、他人のもの、たとえば会社のものであればどうでしょう。
あなたは、そのコップを、割ることも、捨てることも、誰かにあげることもできません。
なぜなら自分のものではないからです。
同じコップです。
手にしているのも、同じ「あなた」です。
けれど、そのコップが、自分のモノなのか、他人のモノなのかによって、そのコップの処遇はまるで違ったものとなります。
これと同じです。
世界中、どこの国でも、豪族や国王たちにとって、民は私物です。
私物ですから、好き放題、捨てることも、奪うことも、殺すことも、奴隷として誰かに売ってしまうことも、それは豪族や国王たちの自由です。
ところが日本では、太古の昔から、民は天皇の民とされてきたのです。
こうなると、国王(太政大臣や将軍)などにとって、民は私有民(自分のもの)ではありません。
自分を政治権力者にしてくれた天皇の民です。
先ほどのコップが、単に会社の備品というだけでなく、天皇からの恩賜の国宝であればどうでしょう。
もったいなくて、気楽にお茶やコーヒーを入れて飲むことさえできません。
それこそ神棚に祀って、毎日拝まなきゃならない。
ところがまさに日本では、民は「天皇の民」とされたのです。
そしてその「民」のことを「おおみたから」と言いました。
「おおみたから」というのは、大和言葉です。
天皇の宝物ということです。
民が、天皇の宝物なのです。
ここまでくれば、政治権力者の立ち位置は、諸外国とはまったく違ったものとなります。
こうした我が国のカタチは、現代でもなお続いています。
内閣総理大臣は、与党第一党の党首ですが、与党第一党の党首だからといって、即、内閣総理大臣として政治権限を揮えるわけではありません。
天皇の親任式を経て、天皇に親任されて、はじめて内閣総理大臣としての権力を行使できるようになっています。
つまり、日本のカタチは、いまもむかしも、その基本は変わっていないのです。
だからこそ、日本では誰もが、内閣総理大臣をはじめとした政治権力者は、民のための政治を行うことが当然のことだと思っています。
自分のフトコロをだけを肥やし、民を省みない大臣など、考えもつかないくらいです。
ところが、我が国のすぐ近くにある3つの国では、大臣や閣僚、大統領や国家最高指導者や総書記、主席という肩書きを持つ人は、民のための存在ではありません。
民は、先ほどの私物としてのコップと同じです。
彼らは自分のために生き、自分のために政治権力を利用します。
そしてその権力者の権力や財力に群がるごく一部の人たちだけが、贅沢三昧な暮らしをします。
民は著しく貧しい状態に置かれ、地震や火災、竜巻などの大規模被害が起こっても、鉄道事故が起こっても、被災地復興や、民の生命や財産は守られず、もっぱら復興資金は、復興資金という名目だけの権力者のフトコロを肥やすことだけに費消されます。
我が国でも、天皇の存在を否定する人たちが政権をとった一時期、まったく同様のことが起こりました。
さて、今日は「院政」のお話です。
ここまで読まれた方なら、もう「院政」がなぜ行われたかが、もうお判りのことと思います。
天皇は、直接政治権限を揮う存在ではありません。
けれど、たとえば後白河天皇の時代ならば、平家一門がその財力にものをいわせ、平時忠などが調子づいて「平氏にあらずんば人にあらず」などと暴言を吐く。
天皇の民のことを、「人にあらず」などと言い出すわけです。
これを放置することはできない。
であれば、天皇が退位し、権威としての存在を息子の皇太子に譲った上で、ご政道を正常なものに戻す。
そうしなければ、日本の国のカタチが、諸外国と同様、権力者と私有民というカタチに変わってしまうからです。
政治は、あくまでも民のために行うもの。
先祖伝来の、アマテラスオオミカミの代からずっと続く「公民(おおみたから)」を護りぬくために、あえて上皇となる。
それはたいへんに尋常ならざる政治のカタチだけれど、民を私有民と考える横暴を抑えるためには、他に選択の余地がなかったということです。
「院政」が、なぜ行われたのか。
いま、教科書でそれを明確に説明しているものは、あまりありません。
けれど、天皇という存在のありがたさを理解すれば、それはきわめてわかりやすいことです。
冒頭の絵は後白河法皇ですが、とかく昨今の小説やドラマなどでは、後白河上皇を権力志向の強い権力への執着心の強かった人物として描かれることが多いようです。
けれど、後白河天皇が政治権力を揮うために、あえて、天皇の地位を捨て上皇となられたこと。
そこを考えれば、後白河上皇という人物の、また違った側面が見えて来るのではないでしょうか。

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