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ヘレン・ケラー
ヘレンケラー

ヘレン・ケラーは、みなさんよくご存知のことと思います。
米国の女性で、目が見えず、耳が聞こえず、口がきけずという三重苦にも負けず、昭和43(1968)年に87歳でこの世を去るまで、世界各地で身体障害者の教育や福祉に尽くした人です。
そのヘレンケラーが、「私より不幸な人、そして、私より偉大な人」と激賞した女性がいます。
日本人女性です。
名前を中村久子(なかむらひさこ)さんといいます。


ヘレンケラーは、昭和12(1937)年に57歳で来日して、昭和天皇にも拝謁しているのですが、その二日後、東京・日比谷公会堂にやってきた中村久子さん(当時41歳)から、日本人形をプレゼントされたのです。
そのときの写真が、下の写真です。

中村久子

写真を見ると、とても大きくて美しい日本人形が移っています。
みるからに、しっかりと作ってあることがわかります。
一緒に写っているのが中村久子さんです。
写真を見て、なにか気付きませんか?
この中村久子さんは、実は、両手両足がありません。
一緒に写っている人形は、彼女が、クチを使って、器用に縫った人形です。
中村久子さんは、明治30(1897)年に、岐阜県北部の高山で生まれました。
「飛騨の高山」として有名なところです。
冬は、深い雪に埋もれます。
その寒さで、彼女は2歳のときに、凍傷に罹ってしまうのです。
最初は、左足の甲だけだったそうです。
けれど凍傷は、次第に左手、右手、右足へと広がり、脱疽(だっそ)をひき起こします。
脱疽というのは、体の組織が壊死(えし)していくことです。
そして壊死した部位は、こんどは腐敗菌に感染します。
すると人の体は、肌色ではなくて、まるで墨を塗ったみたいな真っ黒になります。
炭みたくなるのです。これが脱疽です。
そうなっていく過程は、激痛を伴うそうです。
こうなると、そこの部位を切り取る、つまり手足を斬り落すか、さもなければ感染部位が体全体に広がり、命を失います。
切れば、命は保たれるけれど、両手両足がなくなる。
切らなければ死んでしまう。
ご家族は、親戚まで集まって、たいへんに悩まれたそうです。
そして幾度となく親族会議が行われ、決断がでないうちに、左手が手首からポロリと崩れて落ちてしまったのだそうです。
結局、右手は手首から、左足は膝とかかとの中間から、右足はかかとから切断しました。
中村久子さんが、まだ3歳になったばかりのときのことです。
7歳の時に、父が世を去りました。
10歳のときには、弟が亡くなりました。
そんななかにあって、祖母と母は、久子さんを、ただ甘やかす育て方はしなかったそうです。
おかげで、久子さんは、口をつかって器用に文字を書き、さらには編み物まで、自分でできるように育っていきました。
大正5(1916)年、20歳になった久子さんは、地元高山を離れて上京し、横浜市などで一人暮らしを始めました。
けれど、母と再婚した継父に、見世物小屋に「だるま娘」の名で身売りさせられてしまいます。
見世物小屋での久子さんは、文字通り手足のないダルマ女として、見せ物になりながら、手足のない体で、裁縫や編み物を見せる芸を披露しました。
後年久子さんは、当時を振り返って、次のように語っています。
「(障害者だからといって)恩恵にすがって生きれば、甘えから抜け出せません。一人で生きていく。そう固く決意しておりました。」
実際、久子さんは、生涯を通じて国による障害者保障を受けることをしませんでした。
そして彼女は、見せ物となって全国行脚して生計を立てながら、結婚し、二女をもうけています。
そして昭和12(1937)年には、来日したヘレンケラーと会い、口を使って作った日本人形をヘレンケラーに贈りました。久子さん41歳のときのことでした。
そして久子さんは、50歳頃から執筆や講演などの活動をはじめました。
彼女は講演で、自身の奇異な生い立ちを語るとともに、自分の体について恨まず、むしろ障害のおかげで強く生きる機会を貰ったと語りました。
「『無手無足』は、私が仏様から賜った身体です。この身体があることで、私は生かされている喜びと尊さを感じています」
「人は肉体のみで生きているのはありません。人は心で生きています。」
「人の命は、つくづく不思議なものです。
確かなことは自分で生きているのではない、
生かされているのだということです。
どんなところにも必ず生かされていく道がある。
すなわち人生に絶望なし。
いかなる人生にも決して絶望はありません。」
中村久子さんの言葉です。
昭和43(1968)年3月19日、中村久子さんは、脳溢血のため、高山市天満町の自宅でお亡くなりになりました。享年72歳でした。
二つのことを申上げたいと思います。
ひとつは、障害者でありながら、自立した女性として強く生き抜いた中村久子さんという女性の強さと輝き、そして強い心です。
辛いこと、苦しいこと、どうしようもないことを、他人のせいにし、恨み、ねたみ、そねみ、他人の足を引っ張ったり、不幸を売り物にしてお上に頼る。
かように、いかにも「私は弱者です」と言って、甘えるということを、昔の人は良しとしなかった。
どんなに辛くても、苦しても、自立し、周囲と対等に付き合える自分になる。
男女を問わず、それが人としてあたりまえのことだという認識が、みんなにあった、ということです。
そしてそれが日本人、というより、人としての誇りだということです。
二つめは、来日したヘレンケラーが、中村久子さんに、「私より不幸な人、そして、私より偉大な人」と言ったのは、単にヘレンと比較して、久子さんの傷害が重くて不幸だと言っているのではない、ということです。
ヘレンケラーは、自分以上にたいへんな傷害を抱えながら、挫けることなく、明るく強く生きている中村久子さんを、「偉大だ」と言っているのです。
最後にひとつ書きます。
見世物小屋のことです。
昔は、すこし大きな縁日といえば、屋台の露天だけでなく、化け物屋敷(幽霊屋敷)と見世物小屋が、ある意味定番でした。
その見世物小屋での出し物といえば、へび女やタコ女、おっぱいが4つ(6つ)ある女性、三つ目小僧にだるま女など。
要するに「普通じゃない」ものや人が見せ物になりました。
それでもさすがに見世物小屋で人間を見せ物にすることについては、昭和50年以降、特に身障者を舞台に出すことは日本では禁じられました。
ただ、社会福祉が発達していなかった時代に、身障者が金銭を得る為の仕事として、こうした社会的仕組みがありました。
注意しなければならないのは、見世物小屋のお客さんは、もちろん恐いもの見たさに入るのだけれど、ただ「こわいもの」がそこにあるだけでは、お客さんは、二度と来てくれない、ということです。
たとえば今日のテーマの中村久子さんのようなケースでは、手足のない「だるま女」として見せ物になります。
けれど、そう言われて恐いもの見たさに入場したお客さんも、その興行を許可するお上も、ただ手足のない女性を見るというだけなら、お客さんも二度とその興行に入らないし、お上もそんな見世物小屋は絶対に許可などしません。
どういうことかというと、なるほど入場した時は、恐いもの見たさかもしれない。
けれど、小屋に入ったとき、そこで見るのは、手足がなくても、和裁をしたり、きれいな書を書いたり、けっしてくじけず芸事を磨いて必死に生きている姿を、お客さんたちは見る。
そこに感動する。
そこのところが、日本における興行の、ちょっと違うところです。
綺麗ごとを言っているのではありません。
感動がなければ、お客さんははいってくれない。
あたりまえのことです。
ハンデを背負いながらも、そこでしっかりと社会の中で生きていく。
すごいねえ。がんばってるねえ。私たちも負けずにがんばらなくちゃ。
そういう浪花節的なものがなければ、ただ奇妙だというだけでは、日本においては興行は商売にもならなかったのです。
これがひとつ。
それどもうひとつ、見世物小屋にあきらかなように、興行というものは、基本的に普段の常識とはかけ離れているから、商売になります。
見世物小屋の見せ物として、普通にどこにでもいる背広を着たサラリーマンが舞台にひとりいたとしても、そんなものは誰も見に来ません。
要するに、日常生活にはあり得ないような、奇抜なものが「ウケル」わけです。
テレビも同じです。
テレビも興行のうちですから、奇抜さが売りです。
ですから当然にテレビでは、誰も思いもつかないような、異常な考えや行動が、個性だといってもてはらされます。
そしてそういう異常性を持った人が、テレビという、デフォルメされた特殊な世界のなかでは、普通の日本人にはない感覚や感性をもっているとされ、こうした人たちがクリエーターなどといってもてはやされました。
要するに、日本人の社会常識とはまったく異なる異常な人たちが、その異常さ故にヒットを生みやすいというのが、テレビなどの興行の世界であるわけです。
ですからそういう世界では、私たち普通の日本人とは感覚のまったく違う人たちが、どうしても力を持ちやすくなります。
そして朝鮮人というのは、あきらかに日本人とは思考回路が異なります。
あたりまえです。
ケモノ的な思考を持つ人が多いからです。
奇抜さが売り物の芸能という世界と、私たちが普通に暮らす社会とでは、実はまるでその根幹にある常識が異なります。
その違いが、渾然としてしまい、むしろ現実世界の常識が、テレビという箱の中の常識に引きずられてしまっている、というのが、昨今の状況といえるかもしれません。
いずれにせよ、「おもしろければいい」「うれればいい」といったまさに仁義のない興行の世界と、まっとうな日本社会の構築は、ぜんぜん別なものであると思います。
その違いを、認識し直すことが、世直しの一歩なのかもしれません。
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