倭塾第3回公開講座のご案内
今回は知覧特攻基地の母、鳥浜トメさんのお孫さんからお話を伺います。
6月9日(日)15時開始 (受付開始14:30から)
詳しくは↓で。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1895.html
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二飛曹任官祝

昭和5(1930)年6月3日、つまり83年前の今日、海軍少年飛行予科練習生として、栄えある第一期生が入校しました。
予科練の始まりです。
元、特攻隊員の永末千里さんは、その予科練出身の元特攻隊員です。
永末さんは、昭和2年のお生まれで、満16歳で海軍甲種飛行予科練習生として、鹿児島海軍航空隊(予科練)に入隊され、昭和19(1924)年3月、予科練を卒業し、飛行術練習生となられ、同年11月に、海軍二等飛行兵曹に任命されています。
上にあるのは、その任官祝いのときの写真です。
全国から集まった、健康で明るい若者たちの輝く笑顔が写っています。


永末さんは、インターネットで、「老兵の繰り言」というブログを書いておられます。
http://blogs.yahoo.co.jp/senri0220
ブログは新聞でも紹介されました。

永末さん新聞

その永末さんのブログから、文を引用します。
=========
【特攻隊員の心情】
2006/7/29〜30
http://blogs.yahoo.co.jp/senri0220/39818441.html
http://blogs.yahoo.co.jp/senri0220/39855094.html
今日は人の身、明日はわが身、いつ出撃命令が出るか分からない状態で、更に死ぬため の訓練が続けられました。 
一度は死を決意したものの、夜半ふと目覚めて故郷に思いを走らせることがあります。
そして、まだ死にたくない、何とか生き延びる方法はないものかと、生への執着に悩まされることも度々でした。
特攻隊が編成された当初は、 皆一様に無口になり、決意を胸に秘めている様子でした。
ところが、日が経つにつれて、今度は以前にも増して快活になってきのです。皆それぞれ自分の死を納得したのでしょうか。
それとも、表面の快活さは、心中の悩みを隠すための手段なのかも知れません。
心を許し合った同期生の間でも、直接この問題に触れて話し合うことはありませんでした。
それは、他人の介在を許さない、自分自身で解決すべき問題だからです。
そうは言っても、人生経験の浅い18歳の若者に、このような解答を出させるとは非情です。
だが、内心の葛藤とは裏腹に、飛行機を操縦している時だけは、緊張のため雑念も涌かず、死ぬための訓練でありながら、超低空飛行を行っても怖いというよりもむしろ爽快な気分を味わうことさえありました。
訓練は続き技量は上達しても、 死に対する不安や恐怖は消えるどころか益々強くなってきました。 
この生への執着は、出撃命令を受けて最後の離陸の時までは、恐らく断ち切ることはできないであろうと感じていました。
だれでも、一時の感情に激して死を選ぶ事は可能かも知れません。
しかし、理性的に自分の死を是認し、この心境を一定期間持続することが、われわれ凡人にとって、いかに大変なことであるか、経験しない者には想像もできないことでしょう。 
日ごろ大言壮語していた者が、「特攻隊」の編成に際し、仮病を使ってまで逃げ隠れした事例からも判断できます。
見方を変えれば、あれが人間の正直な姿であったのかも知れません。
当時のような「全機特攻」の重苦しい雰囲気の中で、なお死から逃れようと努力する者には、それ相当の勇気
が必要であったと思われるからです。
他人の心を計り知ることはできません。 
だが、意識して皆との話の輪に加わり、他愛ない 話題に興じて、  無理に快活に振る舞っている自分の姿を、彼らはどう見ているのでしょう。
彼らもまた私と同じような心理であったのかも知れません。
皆と一緒に談笑の輪の中にいながら、ふと脳裏を掠める不安に戦(おのの)く事も度々でした。
昼間は同僚との馬鹿話で気を紛らわす事もできます。
しかし、夜中は自分だけの世界です。
眠れぬままに、遠い古里の思い出に浸り、死後の未知の世界を想像することも再々でした。
際限なく次々と頭に浮かぶ雑念を振り払いながら、 儚い人生につかの間の安らぎを求めようと、 焦燥する日々がが続いたのです。
「特攻隊員」を命じられた場合、覚悟が決まるというか、決心がつくというのか、死に対する気持ちの整理ができるのに、2~3日かかるのが普通です。
中には一週間程度も悩み続ける者もいました。
そして、一週間が過ぎても、なお決心がつかなければ脱落するしかないのです。
それでは、特攻隊員はいかにして、死に対して自分の気持ちを整理し、覚悟を決めたのでしょうか。
まず一般的に死を解決する要素として考えられるのは、宗教です。
私の家は真宗の信者でした。
子供のころから、仏壇に向かう母親の後に座り「正信偈」その他のお経を読む程度の関心は持っていました。
また法要などで 「夫レ人間ノ浮生ナル相ヲツラツラ観ズルニ・・・」に始まる蓮如上人の「白骨の御文章(おふみ)」に無常を感じたり、 説教師の法話を聞いて感銘を受けることもありました。
しかし、いくら「極楽浄土」を信じていても、敵とはいえ「殺生」に変わりはありません。
だから、「極楽」ではなく「地獄」に落ちるのではないのか。などと考え始めると、ますます混乱します。
「そうだ! 狙うのは敵艦であって敵兵ではない!」そう心に決めることで、自ら安らぎを求めるのでした。
当時の年齢や人生経験から、信心といっても程度が知れています。
それに比較して解決すべき問題が、あまりにも大き過ぎたのです。
だから、宗教によって死を肯定する心境までには至りませんでした。
次に、「悠久の大義に生きる」という国家神道の教えです。
当時の精神教育は、この一点に集約されていました。 
だが、前述の宗教と同じように、真にこれを理解し、これで死を納得するまでには至りませんでした。
日ごろ同僚との会話の中で、
「俺たちは、戦死すれば軍神として靖国神社に祀ってもらえるんだなあ……」
「そうだよ、靖国神社にも先任後任があるんだ、俺が先に行って待っている。遅れて来た奴は食卓番だぞー」
「そらつくな、軍神が食卓番なんかするものか。毎日が上げ膳据え膳で、 お神酒は飲み放題だ!」
「そうだー、俺たちは軍神なんだ。だからお神酒だけは今から供えて欲しいなあー」
「なに言ってる。お前さんの供えてもらいたいのは、おふくろさんのオッパイだろう」
などとふざけ合っていても、本心から、軍神になることや靖国神社に祀られることでこの問題を解決できた者は、恐らく一人もいなかったのではないでしょうか。
人間はどうせ一度は死ぬのです。
それなら多少とも、後世に名を遺したいという見栄があります。
そして、軍神や靖国神社は生前に予想できる唯一の死後の姿でした。
地獄や極楽など単なる幻想の世界ではないのです。
立派に戦って戦死すれば、靖国神社に軍神として祀られることは約束された現実です。
しかし、初めからそれを目的として考えることは、神に対する冒涜でしょう。
私たちは、国家神道を観念的には理解できても、それは、死後の姿を想定する手段としてであって、死を解決するには別の何かを求めざるを得なかったのです。
次に運命として諦める方法があります。
確かに人の運命には予測できない面があります。
それは、過去の戦闘や飛行機事故などの例で、生死は紙一重であることを痛感していたからです。
だから、これに運命的なものを感じていたとしても不思議ではありません。
 
しかし、これは結果としていえることで、運命そのもで死を解決するのは、諦らめの理論です。
諦らめ切れないから悩むのであって、これが解決の手段にはなりませんでした。
要するに理屈で解決するのでなく、感情的に納得できる何かを求めていたのです。
(引用ここまで)
~~~~~~~~~~~
昨今の論調の中には、おどろくべきことに「特攻隊員というのは一種の狂信教信者に他ならない」などとわけのわからないことを書いている者がいます。
けれど、そういうことを言う連中というのは、おおかた支那や韓国からカネをもらっている売文屋でしかない。
カネのために誇りを失うことが、どんなにみっともないことか、恥ずかしいことなのか。
これが日本でなければ、おそらくそういう者達は、その本人だけでなく、親戚一同に至るまで、みせしめのために衆人環視の元でありとあらゆる暴行を加えられて全員虐殺されることでしょう。
それだけ酷いことを、そういった連中ははずかしげもなくやっているのです。
日本だから、日本というやさしさと包容力があるから、彼らは好き放題売文ができていました。
けれど、それも、もういい加減おしまいです。
考えてみていただきたいのです
文中に、「一時の感情に激して死を選ぶ事は可能かも知れません。しかし、理性的に自分の死を是認し、この心境を一定期間持続することが、われわれ凡人にとって、いかに大変なことであるか」とあります。
一時的な熱狂と興奮の中で、たまたま命を失うということと、あらかじめ死ぬことと決まって訓練を続け、そして死に至るということでは、雲泥の差があります。
なぜなら、実際に出撃して特攻するまでは、何年も何ヶ月も何週間もあるからです。
いよいよ出撃となって飛行場を飛び立っても、敵艦隊に突入するまでには、数時間あります。
その間、機内にひとりです。
それは、猛烈なストレスだったことでしょう。
ひよわな精神だったら、それだけで気がふれたかもしれない。
その特攻隊員たちが、出撃の日まで悩み抜いて、最後に自らの死を受け入れることができたのが、
「わが身を犠牲にして顧みない、肉親に対する愛情」だったというのです。
そして特攻隊員たちは、その肉親への愛情のために、わが身を肉弾にして、敵艦に突入していかれました。
悩みに悩みぬいて、最後の最後にたどり着くのが、肉親への愛だったのです。
その肉親というのは、親であり、子であり、親戚でもあります。
そして、私たちがちゃんと認識しなくちゃいけないのは、その肉親というものが、いまを生きる、つまり後世に生きている私たちひとりひとりの、現代日本人だといことです。
彼らは、私たちのために、命をささげてくれたのです。
私たちは英霊の尊い勇気の上に「生」をいただいているのです。
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