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橋下発言が問題になっていますが、事実は事実です。
いささか尾籠(びろう)な話ですが、どんな立派なお宅でも、浄化槽は糞でいっぱいです。
ただし日本人が他国と違うのは、どこぞの国のようにその糞を街中や路上に放置せず、ちゃんと肥溜めにして発酵させ、農作部の肥料として活用したという点です。
朝鮮半島では、そうした売春婦たちを、公娼、私娼とも「朝鮮ピー」と呼びました。
「ピー」というのは、支那語の隠語で女性の性器をあらわします。
そしてこのピー達は、皮肉な事に、いまだに、売春業を廃止させられることに強く抵抗しています。
なぜなら、儲かるからです。
そして彼女達が、もっとも安心して稼げた・・・つまり暴力を振われたり性病の感染の心配をせずに安心して稼げた時代が、実は日本統治時代でもあったのです。
「日本軍に強制連行?」そんなもの、まったく必要ありませんでした。
朝鮮人の女衒が、朝鮮全道から女性を集めてまわっていたのです。
そして当時の朝鮮人の家庭では、日本軍の施設の近くの慰安所で採用となると、親戚一同が集まって「これで我が家も生活が楽になる」と大祝いしてその女性を送り出していたのです。
強制徴用などまったくする必要がない。
日本が当時再三やったのは、むしろ女衒達が暴力的に女性を連行したりすることがないように、取締をしていたくらいです。
以下は、「なでしこアクション Japanese Women for Justice and Peace」に掲載されたものです。
実話です。
12歳から終戦の昭和20(1945)年まで、朝鮮の首都京城府にお住まいだった女性の体験記です。
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朝鮮ピー と ピー屋
http://sakura.a.la9.jp/japan/?p=3558
当時、朝鮮人娼婦は朝鮮にはごく普通に居ました。
何故か「朝鮮ピー」と呼ばれていました。
業者も「ピー屋」です。
長崎でも上海でも古老の話では、「ピー」、「ピー屋」の表現が今も聞かれるそうです。
「P」は英語「Prostitute」(娼婦)の頭文字説と、時代は分かりませんがもうひとつ、性器そのものを指す中国語の蔑称説があります。
どちらにしても「従軍慰安婦」という言葉はどこを探してもないのです。
当然です。
何十年も過ぎてからの造語、捏造語でしかないからです。
京城では日本人が組合組織する公娼中心の娯楽街「遊廓」内では、16歳以下の女子を使うと「打ち壊し」の刑で、実際に壊されたケースもあったと聞いています。
遊廓には病院や組合事務所もあり、定期的巡視もありました。
しかし男たちの華やかな楽しい遊楽街、遊興街でもあったのです。
日本人遊廓の傍には、朝鮮人の組合組織ができて居て、それ以外に、男性を誘い込む私娼窟が、あちこちに無数にありました。
ピーさん、ピー屋(業者)は、ごく普通に居たのです。
中村粲先生(「大東亜戦争はなぜ起こったのか」等のご著書を残して居られる独協大学教授)は「カラスのこっち、入りなさいよお」と、呼び込みをしていた様子を書いて居られます。
12歳まで京城にいた私が今改めて当時の中学大学生に聞くと、朝鮮人は「ガ」の発音ができないために「カラス戸の外から見てないで勇気だして入って来なさい」と言ったのだとのことです。
当時の思い出話を書きとめた林茂太さんのイラスト入り憶え書きには「カクセイさんおはいりよお」とあります。
学生の帽子をひったくって「カクセイさん、勇気だして。帽子いりますか」そんな甘い駆け引き話が書かれています。
遊んで病気に罹って、親にも言えず内緒で「治療代のカネ貸して貰えないか」と泣きついてきた硝子屋さんの息子の話も聞けました。
朝鮮人ピーさんは安かったので、学生は親や教師の目を盗んで行ったのです。
戦争が激しくなって軍隊が大陸や南シナ海に移動していくと、ピー屋がピーさん達を纏めて「渡航証」を持って移動し、半島最北の大河の鴨緑江を渡リ大陸づたいに相当奥地に迄移動しています。
この河を渡ると、先は満州、つまり異国ですからパスポート「渡航証」が要る。
そこで朝鮮人と解ると満州族に苛められる。
そこで日本人名に改名して「娼婦部隊」と名乗り、かなり奥地に移動して行ったという話も聞きました。
「おとうさんが病気で、オモニが私を売ったよ」といった悲惨な身売りですが、人数では日本人の方が遥かに多数でした。
上海事変に参戦した者が親戚に居ますが、その手記に「日本髪の女給さん」が居たので懐かしく声を掛けたら、「朝鮮人だった」とあり(発音で解る)、「どうして日本髪を?」と聞いたら「そのほうが、オカネニナルヨ」と言ったと書いています。
ユーチューブで見た銭湯の写真には日本髪の裸の女性が7人浴槽から出て洗う感じの場面で、みな朝鮮座りの独特の立て膝です。
今、立て膝座りのコリアンは居ませんが、朝鮮戦争が終わって10年、20年後も、まだまだ立て膝座りは居ました。
「性奴隷」ではない絶対に。
2年間稼いで、帰国する時は「従軍看護婦」で働いていたという顔をして帰ったのだと証言しているコリアン女性は、何人も居ました。
朝鮮戦争に従軍記者として米軍のIDカードで渡鮮した東京新聞外報部記者だった笠井真男さんからも、のち私が同社勤務だった関係で、渡鮮のその時の話を聞いています。
韓国人から「わぉ日本人がきた」と大歓迎され、民家に招待されマッコリで盛り上がった話を聞いています。
こんな問題が起きる以前、草の根の私達も日韓友好で同窓会を日韓でやったり、日本に招いたり、ピアノやパソコンを贈ったり、友好に努めたものです。それだのに今になって強制連行とは悲しい限りです。
もともと李氏朝鮮時代の社会の位層は、王族、両班、中人、常人、白丁、最下層は「奴婢」ピラミッド型に裾野が広かったようです。(奴婢は名前さえなかったケースも)
姜在彦さんのご著書「ソウル」に奴婢の記述があります。
そういう土壌土質の改良が成されていないから、売春防止法が出来ても反発が起き「こんな法律があったら私達は暮らして行けない、即刻廃止せよ」とガソリンをかぶって火を点けるぞと抗議する恐しいデモを娼婦達自身が起こしています。悲惨な現象です。
6年前、横浜でウランバートルでNPO活動をしている韓国人男性の講演があり、その時、日本は売春防止法が出来た時、こういう騒ぎはなかったのでしょうか、と問われたことがあります。
赤線、青線ぐらいは知っていましたが、毎年、大騒ぎになる韓国売春婦のこのようなデモ騒ぎは聴いたことがなく、誰ひとり答える人は居ませんでした。
不幸な話ですが「性奴隷」とか、20万人の強制連行は、でっち上げも甚だしい愚挙です。
日韓基本条約でも以後、個人賠償は相互に一切しないことを約束したはずです。
あちらの醜い押しの一手や、醜いロビー活動には適いませんが、日本人は日本人として正統派で正々堂々、根気強くチャレンジ致しましょう。
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《ご参考》
小野田寛郎さんが語る韓国売春婦
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-705.html

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