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松崎慊堂 30代の頃 『近世名家肖像』より
松崎慊堂 30代の頃 『近世名家肖像』より

渡辺華山に、高野長英といえば、ともに江戸時代後期の蘭学者として有名です。
そしてこの二人は、ともに儒学者松崎慊堂(まつざきこうどう)の弟子でもありました。
とりわけ渡辺華山は、蛮社の獄(天保10(1839)年)で逮捕されたとき、師匠の松崎慊堂(こうどう)が、老中水野忠邦あてに建白書を出し、そのおかげで、死罪を免れています。
渡辺華山にとって、松崎慊堂は、師匠であるとともに、命の大恩人でもあったわけです。


この松崎慊堂は、もともと熊本の人で、お百姓の出身、幼名を松五郎といいます。
たいへん勉強熱心であったことから、13歳で江戸に出るのですが、その江戸で松崎慊堂をもっぱら可愛がってくれたのが、浅草寺の寺主の坊さんでした。
そこから松五郎は寛政2(1790)年に設立されたばかりの、東京湯島の「昌平坂学問所」、いまの東大)にはいり、さらに江戸一番の儒学者である林述斎(はやしじゅっさい)のもとで学び、寛政6年には林塾で塾生のトップである塾生領袖になっています。
要するに、たいへん優秀で、かつ勉強熱心な男だったわけです。
さて、松五郎が、その塾生領袖時代のことです。
ある日、松五郎は、町を歩いていて、何事か考え事をしながら歩いていたのでしょう、タチの悪い若者達にドスンとぶつかってしまい、彼らが手にしていた酒徳利を割ってしまったのです。
若者達は、町のならず者たちです。
「ごめんなさい」と松五郎がいくら謝っても、許してくれません。
それどころか、酒代を出せ!と迫ってきます。
ところが松五郎は、書生であってお金がない。
そんな大金出せませんとしきりに謝るのだけれど、ならず者達は、ますます激昂します。
すぐ近くで旅籠(はたご)の飯盛り女をしていた「おすみ」という女性がこれをみとがめ、「あんたたち、よってたかって何やってんのさ」と間に割って入ります。
そしてならず者たちが要求した額を、おすみは、その場で全額立て替えて支払いました。
松五郎は恐縮して、「必ずお金は返します」というのだけれど、同時に「いまは、それだけのお金がないから、分割させてくれ」というのです。
ところが話を聞けば、月二分の生活費でやりくりしているという。
いまで言ったら、月3万円です。
見ればみすぼらしい姿です。
その少ない生活費から払うと言うのだから、おすみさんは同情して、
「わかりました。では、月2分を私があなたに払ってあげましょう、と約束してくれたのです。
それからのこと、毎月毎月、おすみさんから松五郎のもとにお金が届けられました。
いただいている上に、届けてもらうまでしては申し訳ないからと、途中からは松五郎が自分でもらいに行きました。
そして月日が経ったある月のこと。
今月に限って松五郎があらわれません。
松五郎の住む長屋に行っても、不在です。
それっきり、音沙汰がない。
おすみさんは、周りの女性たちから「バカねえ。あんた、騙されたのよ」と言われてしまいます。
松五郎は、日本を代表する私塾の塾生です。
おすみさんは、宿場の飯盛り女です。
要するに私的売春婦です。
身分が違う。
そうして何ヶ月か経ったある日のこと、おすみさんの住む宿屋の前に、立派な身なりをしたお侍さんが駕籠に乗ってやってきました。
そして、宿屋の主人に「おすみさんはいますか?」とたずねます。
呼ばれて奥から出てきたおすみさんは驚いた。
見れば、それは、あのみすぼらしい姿だった松五郎さんじゃありませんか。
松五郎は、フトコロから6両のお金を出すと、「いままでお世話になりました。これはお借りしたお金です」と、おすみさんにお金を渡しました。
「ようやく塾を卒業し、掛川藩に教授としてお召し抱えになりました。これから掛川に向かいます。いままで本当にお世話になりました。ありがとうございました。」
そして、おすみさんに、こう言いました。
「あなたさえよければ、私の妻になってください」
二人はめでたく祝言をあげました。
そしておすみさんは、冒頭にお話した渡辺華山や、高野長英など、江戸後期のなだたる論客や学者達からも、母のように慕われ、この世を去りました。
まるで、ハリウッド映画でリチャードギアが主演した「愛と青春の旅立ち」そのもののようなストーリーですが、これは実話です。
それと大事な点ですが、日本を代表する学者であり、藩にお抱えになったばかりの松五郎、後の松崎慊堂(まつざきこうどう)が、売春婦だったおすみさんを妻に迎えているという点です。
売春婦です。
いまどきの言い方なら、慰安婦です。
もし日本が、慰安婦を卑しい性奴隷と考えるという風習があったのなら、松五郎がおすみさんを妻にすることはありえません。
しかも時期は、掛川藩に仕官したばかりの状態なのです。
逆にいえば、もし掛川藩が、一般常識として卑しい身分の女性を嫁にするような男性は、大事な藩の若侍たちに教育を与える教授としてふさわしくない、と考えたなら、仕官すら危なくなるはずの話です。
ところが、掛川藩は、松五郎の妻のことを全く問題にしていません。
むしろ、藩の重要な任務となった朝鮮通信使の通訳兼交渉役にさえ、松五郎を抜擢しています。
そしてもうひとつのポイントが、おすみさんが、宿屋の売春婦でありながら、松五郎に仕送りしたり、ごろつきにからまれてカツアゲされたときに、その代金を代払いしてあげたりしている、という点です。
よく、戦後の時代劇などでは、売春婦たちは、子供の頃に女衒によって連れて来られ、年季があけるまで、売春宿の主人に借金漬けにして働かされたという設定がなされています。
要するに、これが嘘だ、ということです。
女衒に買われてきたのは事実です。
仕事ですから、女達にも厳しい側面だって、もちろんあったことでしょう。
けれど、経済的には、彼女達は実に豊かでした。
だいたい当時の売春婦というのは、17歳から22歳までくらいの女性しか働かせてもらえません。
それ以降は、それまでに貯めたお金で、自分で小さなお店を開いたりすることができたのです。
売春婦たちには、それくらいの稼ぎと経済的余裕が、実は「あった」し、それが日本の風俗の伝統でもありました。
昨今、韓国が、日本軍によって朝鮮人女性達が拉致され、性奴隷にされた、などと言っていますが、そうした日本人の風俗感からしたら、まるで「?」です。
そもそも、女性を集めてきたのは、韓国人の女衒たちだし、売春宿を軍の駐屯地の脇につくるものだから、やむを得ず、軍費を使って、女性たちの健康診断までやってあげていたのです。
そもそも日本人の感覚では、売春婦もただの職業女性であり、いかなる職業であれ、職業に貴賤はなしと考えるのが日本人です。
そしてそれ以上に、いかなる職にあっても、人としての矜持を失わず、お天道様が見ていると信じて立派に生きて行くことこそ大事というのが、日本人の普通の感覚だからです。
ですからもし、韓国の韓国人売春婦たちが、日本人からお金を払ってのセックス以外に相手にしてもらえなかったのだとしたら、それはその売春婦達が、人として女性として、尊敬に値する何ものも持っていなかったということです。
ちなみに松崎慊堂(まつざきこうどう)は、酒の席での失敗談は数多く残っていますが、女性問題は、生涯に一度もなかったといわれています。
たとえ売春婦といえども、人として尊敬できるに値する人かどうか。
職業で人を見るのではなく、人そのものを大事にした日本が、ここにあります。
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