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徳川家光の盆栽「五葉松」
家光 五葉松

我が国の歴史上、時代を越えて最も人気のあった女性といえば、静御前かと思います。
静御前といえば、舞いの名手で、満開の桜の鶴岡八幡宮で、敵の武士団の前で義経を慕って舞った「しづやしづ」の舞の物語はとても有名です。
ところが静御前は、ご存知の方も多いかと思いますが、実は薙刀(なぎなた)の名手でもあったと伝えられています。
以前にも書きましたが、昔、武家の女性たちといえば、薙刀使いが定番でしたが、なぜ武家の娘達が薙刀を愛したかといえば、そこには静御前への憧れがあったから、とも言われています。


そして、静御前が愛用した薙刀は、なんと時代を越えて徳川三代将軍、家光にも愛用されていたのです。
静御前が生きた時代は、1180年代です。
家光の時代は1620年代ですから、450年の時を超えて、静御前愛用の薙刀は、大切に保管され、伝えられてきたわけです。
いかに日本という国が、モノを大切にしてきた国であったかが、この一時をもってもわかります。
ただ、この薙刀は、いまはありません。
なぜなくなったかといえば、実は家光が猪狩りに行ったときに、飛び出してきたイノシシをこの薙刀で払ったところ、刀身が根本のところでポキリと折れてしまったのです。
これは凶事と、随行した者たちはみんな青くなったそうです。
ところがこのときの有名な話が、堀田正盛(ほったまさもり)の機転で、「殿、万一これが戦(いくさ)のときなれば、お命さえ、たいへん危ないものであったはずでございます。相手がイノシシであったがゆえ、ことなきを得たのはまさに天啓。まさに吉事にございますれば」と述べたわけです。
武士は、たとえいかなる太平の世にあっても、常住坐臥、常に戦陣にいる覚悟で生きるものです。
静御前ゆかりの薙刀であったればこそ、万一のときならぬ猪狩りのときに、自ら折れて家光を守ってくれた。つまり家光は三代将軍として、天より大事を委ねられている、というわけです。
実に見事な機転です。

薙刀

堀田正盛というのは、家光の近臣として大出世した人で、父の代には700石取りの旗本にすぎなかったものが、正盛の代で、最後は佐倉11万石の大名にまで出世しました。
以後も堀田家は家をよく保ち、幕府の老中職を何代も勤める名門となっています。
ちなみに皇居には、徳川家光が愛した盆栽が、いまでも、当時の姿そのままに遺されています。実に見事な作品です。
日本という国は、つくづく不思議な国だと思います。
静御前の薙刀を折った家光は、代わりに命ある盆栽を現代に遺しているわけです。
女性の白拍子が武器を遺し、名将軍と言われ、徳川300年の基礎を築いた武士である家光が命ある盆栽を遺した。
それは、いざとなれば、女性でも武器をもって戦わなければならなかった中世から、秩序と道義を重んじる近世への時代の転換を意味していることなのかもしれません。
日本人は武家政権においてさえ、盆栽を愛し、自然を愛した平和の民です。
そしてその平和の民が、幕末から昭和にかけて、戦わざるを得なかった歴史は、結果として世界に植民地時代の終焉という成果をもたらしました。
そしていま、私たちは再び武器を手にして戦わなければならないときが来ているように思います。
それは、いまだに残る一部の国による「力による正義」という異常を解消しなければならないからです。
そしてそれができるのは、おそらく日本だけです。
日本が強くなること、日本が立ち上がることこそが、世界から力による支配や力による正義を根絶やし、まさに世界に平和と道義と正義をもたらす鍵だからです。
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