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写真を二つご紹介します。
ひとつが水師営の会見、もうひとつが戦艦ミズーリ号上での降伏文書調印のときの写真です。
どちらも有名なものなので、ご覧になられた方も多いかと思います。
水師営の会見
水師営の会見0426

はじめの写真は、水師営の会見です。
この写真は、日露戦争中の明治38(1905)年1月15日に撮られたもので、旅順要塞近くの民家で日露両軍の将軍が会見したときのものです。


写真の中列左から二番目に写っているのが、日本陸軍、第三軍司令官の乃木希典(のびまれすけ)大将、左から三番目に写っているのが、ロシア側旅順要塞司令官のアナトーリイ・ステッセル将軍
です。
そしてのその両側にいるのが、右端が日本側伊地知参謀長、左端がレイス参謀長、前列が津野田大尉と、ネペルスコーユ参謀です。
実はこの写真で、世界の戦争の常識では「あり得ないこと」が起きいます。
何でしょうか。
答えは、日本側ももちろんですが、敗れたロシア側の将校たちもが「帯刀している」ということです。
戦争で、あるいは戦闘で、敗れた側は武装解除します。
つまり一切の武装を解きます。
なぜそうするかといえば、敵を無力化しなければ、危なくってしょうがないからです。
言い方はきついかもしれませんが、戦闘というのは、命の奪い合いをしているわけです。
「勝負あった!」とみえても、たとえばこの水師営の会見の席上で、いきなりステッセル将軍側が乃木大将に斬りかかって殺害する、などということも、ありえないことではないのです。
ですから当然のことながら、負けた方は、たとえ将軍といえども武装は厳禁、というのが世界の常識です。
ひどいのになると、終戦後に武装解除した日本の兵隊さんたちが、そのものズバリの丸裸、要するにフ◯チンにさせられて、行軍させられるなどという恥ずかしめを受けたりもしています。
ところが水師営の会見において、乃木大将は、ご自身の息子さんを戦いで失うという悲劇を経ていながら、そしてまた幾万の部下たちを死なせるという厳しい状況を経ながら、それでもロシアの将軍に対してきちんとした礼をとり、敵将の名誉を削がないように気を遣ったわけです。
会見の場において、双方ともに礼服に身を包み、帯刀して会見に臨む。
武人の名誉を尊重したわけです。
ですからこの写真は、まさに日本武士道の象徴として、当時、世界中で絶賛を浴びています。
一方、次の写真は、大東亜戦争終戦時後の昭和20(1945)年9月2日に、戦艦ミズーリ号上で行われた降伏文書調印式の模様です。

戦艦ミズーリ上の調印式

画面右側に写っているのが、日本側代表団、後ろに見えているのが、米軍の将校たちです。
軍人たちの服装は、双方とも、略式の戦闘服です。礼服ではありません。銃も剣も所持していません。
完全な礼服に身を包んでいるのは、重光葵全権以下の外務省の役人たちだけです。
どういうことでしょうか。
まず、重光全権と外務省の代表は、モーニング姿の大礼服です。
これは理由は明確で、彼らは、畏れ多いことですが、天皇陛下の名代として艦上に立っているからです。
ですから相手の服装がどうのという問題ではありません。
陛下の名代である以上、きちんとした服装をするのはあたりまえのことです。
では、梅津大将以下日本の陸海軍の代表たちは、どうでしょうか。
服装は通常の軍装(防暑衣)、帽子に至っては戦闘帽です。(正装するときは、堅いツバ付きの帽子をかぶります)
なぜでしょうか。
これまた当然のことです。
調印式が済むまでは、国としての戦闘状態は継続しているのです。
武装こそしていませんが、降伏文書調印式では、どこの国でも、あたりまえのことです。
ですから、日米双方とも、軍装(略式の軽装)でいます。
つまり、あたりまえのことがあたりまえに行われた、ということです。
逆にいえば、水師営の会見にあったような、武士道精神を、国家として発揮したのは、かつての日本だけだ、ということです。
水師営の会見が行われた日露の戦いの時代は、私の年代からすると4代前、いまの若い世代の人たちからみたら5代前、未成年の方なら6代前、ご高齢の諸先輩方ならわずか三代前のできごとです。
ミズーリの調印式なら、それぞれもう一代ずつ若くなります。
親日国として知られるフィンランドは、かつてソ連に100万の兵で攻め込まれました。
けれどフィンランドは、わずか20万の兵力で果敢に戦い、ソ連を撃退しました(冬戦争)。
その後、昭和16年に再びソ連に攻め込まれた時は、ドイツによってスエーデン側を封鎖されていたために、連合国側の支援さえなく、孤立無縁の状態でソ連と戦いました。
やむなくフィンランドはドイツと手を結び、このため終戦時には日独伊側とみなされ、ソ連には方外な賠償金を支払い、さらにソ連によって東側諸国に従属国として巻き込まれてしまいました。
けれどフィンランドは、そこまで追いつめられてなお独立自存をあきらめず、国をあげてソ連に抵抗する姿勢を持ち続けました。
この結果フィンランドは、ソ連側の一員となりながらも、国の体制は共産主義国とならずにいまに至っています。
寡兵であっても、小国であっても、窮鼠猫を噛む状態であったとしても、国として戦う姿勢をどこまでも貫き通すこと。戦後日本の混乱は、終戦後のGHQによる軍隊解体によってもたらされたと言っても過言ではありません。
そして、たいへん面白いことに、その日本軍を否定したGHQが、後年になって逆に積極的に日本軍を名目だけは自衛隊として「作らざるを得なかった」という事実です。
日本は、誇り高い武士道の国です。
その武士道の国が、主権を回復するということは、ひとことでいえば自前の正規軍(武士団)を持つということです。
牙のない動物は、すべて「餌」にしかならないからです。
下にあるのは、フィンランドの子供達が書いた日本のイメージです。
かつての日本の勇気は、いまでも世界の多くの国々に、勇気と独立自存の誇りを与えているのです。
駐日フィンランド大使館が公開した、フィンランドの子どもたちが描いた日本の国土擬人化キャラ「ヤパニネイト」のひとつ。
pic.twitter.com/2W0VzE8BA6
フィンランドの14歳の子供の絵

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