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特高必携

以下に示すのは、先日、倭塾(わじゅく)公開講座の際に、ご紹介した文です。
昭和7(1932)年のものです。
ちょっと堅い文章ですが、是非、ご一読なさってみてください。短いものです。
======
国家の進運は
畢竟(ひっきょう)
その国家本然(ほんねん)の
独創的改革によって
はじめて成就し得るものであって、
決して模倣によって
招来(しょうらい)し得るものでない。
日本には本来、
建国の昔から貴き伝統があり、
有難き国風がある。
ロシアの真似も、
英国の真似も、
アメリカの真似も、
すべてそれらは、
この国風を長養(ちょうよう)する意味において摂取する場合においてのみ意義を発揮し得るのであって、
単に模倣のための模倣は
決して日本のためにならぬのである。
その昔
儒教仏教もこれが国風化したときに、
はじめてそれは日本国家のものとなり得た事実に鑑み、
欧米舶来の新思想もまた、
これを国風化して
日本開展の一資料たらしむる覚悟が
なければならぬのである。
======


たいへんに内容の濃い文章です。
この通りと思います。
実際たとえば、共産主義思想は、ロシア正教にもともとあった「ユートピア」に由来しています。
根っこのところに、ロシアの宗教的伝統文化があるのです。
だからこそ、世界初の共産主義国はロシアに産まれました。
ユートピアというのは、ロシア正教が太古の昔に「あった」とする貧富の差のない理想郷です。
人類は社会の発展にともなって貧富の差や格差を産んだけれど、未来には人類発展の理想型として神によってユートピアが人々に与えられるというものです。
これは日本でいうなら、さしずめ極楽浄土です。
ただし、極楽浄土が死後の世界であるのに対し、ユートピアは今生の未来社会であるという点が異なります。
もとが宗教的理想郷ですから、そのユートピアなる社会が、どのような刑事、民事、商事等に関する社会構造があるのかといった具体像はありません。
極楽浄土の社会構造や、立法、司法、行政の仕組みに具体的解説がないのと同じです。
あろうがなかろうが「ある」と信じるのが信仰です。
ですからこれだけなら、共産主義はただの宗教的空想論に終わったはずです。
ところが、現実の貧富の差のある中で、このユートピア思想に当時流行したダーウインの進化論が加わりました。
進化論では、すべての生物は進化するものであり、進化に乗り遅れたものは淘汰されると説かれます。自然淘汰の原則です。
ですからユートピアにむかうことが人類の進化とするなら、これを阻害する者は、たとえ相手が君主や貴族や雇い主、はたまた同じ共産主義者であっても思想的に対立する者は、すべて淘汰の対象となるから、殺たり奪ったりして構わない、としたわけです。
これは強盗や殺人鬼、権力主義者などには、まことにもって都合の良い政治思想です。
なぜなら彼らの悪辣な趣味嗜好が「科学的に」正当化されるからです。
おかげで共産主義によって殺害された人の数は、共産主義誕生以来おそらく10億人を下らないであろうと言われています。
とんでもない暴力主義です。
ふりかえってみれば、実にとんでもない話なのだけれど、当時のロシアの人々は、共産主義のユートピア思想にコロっと騙されてしまいました。
もともと、それを希求する歴史、文化がロシア内部にあったからです。
ただし、そうした土壌があってもなお、ロシアの共産主義者たちが、ロシア国内でに共産主義国を実現するためには、人類史上も、ロシア史上もかつて類例のないほどの、異常な殺人を重ねなければならなかったことは、注目に値します。
こういう危険思想を、ただやみくもに日本にとりいれるのは、いかがなものか。
それぞれの国には、その国に根ざした歴史、文化、伝統があるのだから、良いところは学び、そうでないところは切り捨てて、我が国なら我が国の国風にあった形に改善し、改良しながら、学び、取り入れていかなければならないのではないか。
冒頭の文章は、そう言っているわけです。
文は、儒教や仏教のケースも採り上げています。
Chinaで生まれた儒教も、インドで生まれた仏教も、日本国内で長い年月をかけて神道的思想と一体化し、国風化しました。
なぜ国風化したのかといえば、儒教や仏教でさえも、我が国の国風にあった形にならなければ、我が国内で一般化し、常識化することはない、ということでもあります。
ですから上の文では、最後に「欧米舶来の新思想もまた、これを国風化して日本開展の一資料たらしむる覚悟がなければなない」としています。
その意味からすれば、欧米生まれの自由主義、民主主義、資本主義といった思想さえも、やはり我が国の歴史、伝統、文化に即して、良い部分は取り入れ、良くないところは切り捨てる、そういう国風化していく努力が、まず必要だということです。
なんでもかんでも舶来モノをありがたがるのではなく、日本の国情にかんがみて、学び、活かすという努力が大事だということです。
すこし脱線するかもしれませんが、英国生まれの高級スコッチのジョニ黒は、昭和40年代、つまり、サラリーマンの初任給が1〜2万円だった時代に、国内での販売価格は1万円しました。
いまで言ったら、一本20万円くらいの感覚になるのでしょうか。
まさに高級酒だったわけです。
けれど当時のジョニ黒は、英国から船に載り、アフリカ南端の喜望峰をまわって、はるばるインド洋を経由して日本に輸入されていました。
まだ船内の冷蔵設備など十分でなかった時代です。
ですから赤道直下を通過するときなどは、船内でウイスキーが沸騰してしまい、日本に着く頃にはもともと英国で売られているときとは全然別な味に変わってしまっていました。
けれど、それを当時のお金持ちさんたちの間では、庶民に手が届かない高級酒として贈答用に使われていたわけです。
いまでは冷蔵して輸入されますから、英国で売られているジョニ黒も、日本で売られているそれも、味は同じです。そして当時もいまも、値段は同じで14000円くらいです。
ただいえることは、沸騰ジョニ黒だった時代、高給スコッチは、贈答用にかなりの数が売れました。
なにせ、味より「値段が高い」ということが重要だったのです。
かつては北朝鮮が人類の理想国家として、北朝鮮への移民が奨励された時代もありました。
日本は世界最悪のひどい国であり、北朝鮮には、人類が理想とすべき素晴らしい楽園が建設されているから、こんな日本は捨てて、北朝鮮に移り住もうというわけです。
けれど、現実の北朝鮮がどういうものであったか、いまでは誰でも知っています。
ただ、このとき、移民を斡旋した連中は、大儲けしています。
要するに、思想であれ品物であれ、なんでもかんでも舶来品をありがたがるのは、なんらかの下心や邪心のもたらす悪徳商法や、利権集団の悪事の宣伝によるダマシでしかないということです。
ほんとうに我が国民のためを思うのならば、北朝鮮を理想郷としてそこに単に逃げ出すのではなく、その「よくない」と思う日本を、いかにして住み良い国にしていくか、そのために世界中の様々な習俗や思想を学び、それをいかにして日本の国風に調和させていくか、そういうことをまじめに考え実行することが大事です。
そして、そうするためには、まずは日本という国の持つ歴史、文化、伝統、国風をしっかりと学び、その上で、海外の文物を学び、取捨選択して日本にそれを根付かせる。
それにはもちろん、膨大な時間がかかるし、損な役回りだし、途中で何度も失敗もあるかもしれない。
けれど、本当にそれがいいものだと思うならば、なんどでもあきらめずに、謙虚に学び行動していく、その覚悟が大事だと、冒頭の文章は書いているわけです。
では、冒頭のこの文章、いったい何に書いてある文章でしょうか。
実はこの文は、かつて特高(とっこう)と呼ばれた、特別高等警察官の職務手帳である「特高必携」の冒頭序文にあるものです。(冒頭の写真)
戦前の「特高警察」といえば、思想取締警察として有名で、苛酷な拷問や尋問を行った恐怖の機構組織と、いまどきは多くの方が思っているようです。
正式名称は、特別高等警察(とくべつこうとうけいさつ)といって、一般の警察機構が都道府県単位に独立した警察組織になっているのに対し、特高は内務省の直接指揮下にあり、全国規模で思想の取締を行いました。
特高警察がおかれたのは、大正12(1923)年です。
なぜそういう機構がおかれたのかは、時代を考えると答えはすぐに見つかります。
その前年の大正11(1922)年に、日本共産党が結成されたのです。
大正6(1917)年にはじまる共産主義のロシア革命では、ニコライ二世など、ロマノフ王朝の王族がことごとく虐殺されました。
大正9(1920)年には、ロシアのニコライエフスクで尼港事件が起きて、ソ連の共産主義者たちによって約700人の日本人居留民が、みるもおぞましい姿で全員虐殺されるというたいへんショッキングな事件も起こりました。
さらに大正11(1922)年になると、ソ連が世界の共産化を目指してコミンテルン組織をつくり、世界から君主を廃絶することを目標として掲げています。
これは我が国でいえば、天皇の廃絶です。
しかもそのためには、どれだけの人の命を奪っても、それは革命のためだからということで正当化されるというのです。
むしろこのような偏向した殺人思想を持つ者や団体は、取り締まらない方が、国としてどうかしています。
ですから、世界中で、共産主義者に対する逮捕や投獄がさかんに行なわれるようになりました。
同様に日本でも、日本共産党という極左暴力集団が結成された以上、これを取り締まるための警察機構は、できて当然です。
大正14(1925)年には、先般お話した「治安維持法」が制定され、特高警察の取締に法的根拠が明示されました。
さらに昭和初期には、日本国内の戦時挙国一致体制保持のために、これを否定する反戦運動家や、似非宗教などの反政府的団体も、取締の対象となりました。
戦後に巨大新興宗教団体として成長し、いまや政党まで持っている某宗教団体も、この頃、特高警察によって、会長以下の幹部が逮捕投獄されています。
実は、これまた、あたりまえのことです。
日本国の宗旨を、その宗教団体の宗派に変えようというのです。
しかもその教団幹部は、日本崩壊を狙う不逞在日朝鮮人です。
戦後、特高によって逮捕投獄された人たちが、GHQの解放によって、牢獄からゾロゾロと出てきました。
彼らが口を揃えて言ったのは、「自分は、国家権力によるいかなる弾圧にもめげずに、信念を貫き通したのだ」というものでした。
彼らがヒーローとなるためには、特高による取り調べは、厳しいものであればあるほど彼らにとって都合がよくなります。
ですから、特高の取り調べは、脚色され、増幅されて、まさに特高警察による尋問は、暴力そのものによる極めて厳しいものであるかのように宣伝されました。
けれど、その特高警察の取り調べというものは、ほんとうにそのような苛酷なものだったのでしょうか。
昭和7(1932)年に出された「特高必携」という本があります。
特高警察官の心得や、各種反社会的団体について、その概要を記した本なのですが、その本の序文には、冒頭でご紹介した文に続けて、次のように書かれています。
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特高警察官は、彼等に対してよき薫陶を与え、よき反省のための伴侶であり、師であり、友であることによって、職務の実を挙げ得るよう心掛くべきである。
それは独りその人々の幸福たるのみならず、国家のための至福たるべきものである。
=======
もし本当に、特高警察が、殺人鬼集団のようなものであったのなら、特高に逮捕された人たちは、そもそも出所できていません。
中共やソ連によって、政治犯として逮捕された人たちは、誰も出て来れない。
なぜなら、裁判もなく、皆殺しにされているからです。
そういう平気で皆殺しをするような思想を持つ者を、特高の警察官は逮捕しました。
そこで何が行われたかといえば、捜査官たちが、逮捕した政治犯たちと真面目に向き合い、彼らの話も一生懸命に聞きながら、彼らに対して、その心得違いを諭し、ときに涙を流しながら、彼らに日本の国風にあった改革を考えるよう、懸命に説得を重ねていたのです。
もちろん暴力をふるうこともありました。
それがいいこと、わるいことという議論はさておいて、我が国の特高では、取調中の死亡者は、小林多喜二1名しか、実例がないというのが現実です。
これが諸外国の政治犯収容所なら、数千、数万人規模で死者が出ています。
逆にいえば、特高警察官が、どれだけ「やさしかったか」ということは、戦後に逮捕された政治犯たちが、全員、五体満足、健康そのもので出所してきた事実が明確に示しています。
戦後、GHQによって特高警察は解散させられました。
そしてその一方で、元政治犯たちによって、特高は恐怖の国家権力集団としての印象操作がされました。
かつて、その特高警察官として、涙を流して説得にあたっていたまじめで正義感の強い警察官たちの思いは、いかばかりだったことでしょう。
戦後の日本は、否定してはいけないものを否定し、肯定しなければならないものを否定し、否定しなければならないものを肯定し、ただただ経済優先で、やってきて、その歪みが、いまやピークに達してきているように思います。
そろそろ日本人は冷静さを取り戻し、戦前の日本を再評価して、より良い、ほんとうに日本人が日本人として、豊かに生きれる社会について、本気で考えるべき時代がきていると、私は思います。
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