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天使と悪魔

実は近代戦における強い兵というのは、たとえばガタイが大きくて体力があり、喧嘩に強かったり気が強かったりする人を必ずしも意味しません。
西洋人と比べて体躯の劣る日本人は、たとえば、成人男子でも女子でも、まず胸骨の厚さがまるで違います。
西洋人の方が、断然、胸が厚い。筋力も違います。
東京オリンピックの頃に、欧米人と日本人の体力測定検査が行われました。
そのときわかったことは、日本人の男性の体力は、なんとドイツの女性と同じだということでした。
にもかかわらず、そうした非力な日本人が、先の大戦では、まさに世界最強ともいえる果敢な戦いをし、海戦からわずか半年足らずで、東亜にいた欧米列強の軍をことごとく駆逐しています。
なぜそんなことができたのでしょうか。


ひとつには銃や砲を用いた戦いでは、個人の筋力など問題にならないということがあげられます。
さらには、気が強かったり喧嘩に強かったりしても、銃弾の飛び交う戦場では、むしろそういう日頃、というか平時において気の強い人よりも、まじめで責任感の強い兵の方が、はるかに多大な戦果をあげるということが、経験的に実証されています。
平時において威勢の良いコリアンなどは、いざ戦いが始まって敵の銃弾が飛んで来ると「哀号(アイゴー)と叫んで、みんな逃げてしまう。
要するに、どんなに弾が飛んできても、小便をちびったり脱糞したりしてしまうほどの恐怖にさいなまれても、ここを死守するとなったら、責任をもってそこを死守する。
そういう人が、まさに強兵といえる人でした。
とりわけ日華事変や、大東亜戦争は、どの戦場においても、常に日本は、自軍の10倍近い兵力を持つ相手と戦っていました。
ですからそういう厳しい戦場で戦うには、「平時に威勢の良い勇者」ではなく、平時はどちらかというとおとなしいけれど、いざとなったら、どこまでも責任感を持って働く兵士が、大切にされたのです。
そしてさらに大事なことは、先の大戦においてこの「責任感の強さが兵の強さになる」ということが、日本軍がなぜ強かったかの理由であると同時に、大東亜戦争というものの性格も、ここにはっきりと示されている、ということです。
どういうことかというと、真面目で責任感を持って戦う人というのは、胸に大義へのひたすらな思いを秘めた人でもあったということです。
つまり、こういう人たち(それは日本人そのものであるのですが)は、胸に悠久の大義を思い、祖国を護るため、家族を守るため、恋人や仲間たちを護るためという明確な目的意識を持った教養ある人たちであったし、戦地に赴けば、その地の人々を進んで庇護し、非道な振る舞いはせず、そして戦時国際法を遵守する勇敢な正義の人であった、ということです。
だからこそ、そこに明確な責任感が芽生える。
これに対し、先般も書きましたが、たとえばソ連の兵というものは、銃を持った連中がいきなりトラックに乗って村にやってきて、村人たちを全員戸外に出て並ばせ、若い男たちに銃をつきつけて、いきなり問答無用でトラックに乗せて、運び去っていました。
そしてトラックに乗せられた村の若人たちは、兵舎に押し込められ、もっとも下っ端の兵として、先輩達からまるでボロ雑巾のようにこき使われた。
そして言うことを聞かなければ、問答無用で殴られ、殺されました。
そしてある程度慣れて来ると、今度は銃を渡され、トラックに乗って、どこぞの村で後輩の兵を調達して来いと命令される。
そして数多くの若者達を連行してくれば、つれてきた者達が、新しく入った兵たちの先任上官になりました。
こうして、村人たちの調達が繰り返され、早いうちに兵にさせられた者達は、兵たちの中で大きな顔をし、下に行くほど、人間扱いさえもされない下っ端として使役させられる。
こうして完璧な上下関係が軍の中にできあがっていたわけです。
そういう兵たちですから、個々の兵には責任感も義務感もありません。
言うことをきかなければ、後ろから銃で撃たれるという恐怖だけで戦地に立っているわけです。
ですから戦いの最中に軍の指揮官が殺されたり、逃げ出したりすれば、全軍が総崩れになって逃散する。
China国民党や、毛沢東の八路軍も、その仕組みは、ソ連と同じです。
ですから軍に規律などというものはなく、風紀は乱れ、戦いに勝ったとなれば、そこらじゅうで、殺戮や強姦、強盗、窃盗を繰り返す。
こういう集団は、日本では「軍」とは呼びません。
ただの暴力団です。
そしてChinaでもソ連でも、その暴力団が、軍閥や、政府を名乗っていたわけです。
ですから、規則やきまりを守ろうなんていう発想自体がない。
これに対し、日本の兵隊さんたちというのは、これはいまの自衛隊の人たちもそうなのですが、銃を持つということの意義を全員が深く理解し、そうした武力を行使する者は、当然の如く、日頃から身を律し、自制心を養うことは当然と考え、戦地においては、責任をもって使命を遂げることを自己の使命としています。
だから強かったのです。
このことは戦後の高度成長期の企業戦士も同じで、自分が社の規則に忠実で、責任をもって一生懸命働くことで、成果を挙げ、会社の業績を伸ばすことで、会社の業態を安定させ、成長させ、同時に自分も成長することで家族にすこしでも良い暮らしをさせたい、と考え、行動してきました。
そこで大事なことは、組織人として忠義の心を持ち、会社の成長と自己の成長を一致させることでもありました。
こういう戦士たちは、強いです。
なぜなら、人は、自分のためだと思えば、甘えもでるし、妥協もでるけれど、人のためと思う時は、甘えを捨てて少々の無理をしてでも、その目的を実現しようとすることができるからです。
「同期の桜」は、実に有名な歌なので、みなさまもご存知のことと思います。
 貴様と俺とは同期の桜
 同じ兵学校の庭に咲く
 咲いた花なら散るのは覚悟
 見事散りましょ国のため
海軍兵学校の同級生たちが、自分たちを桜の花にたとえた歌です。
軍歌として有名ですが、その歌詞は、ひとつも勇ましくありません。
だって、進め進めとも、敵を殺せとも言っていない。
そうではなくて、自分が死ぬことを歌っています。
世界の常識では、軍の兵士は、敵兵を殺すのが仕事です。
ですから世界中、どこの国の軍歌も、敵を打ち倒し、打ち破り、戦いに勝利をもたらすことを高らかに謳い上げています。
たとえば米軍の「The Air Force Song(アメリカ空軍の歌)」では、
 見よ、敵機が向かってきたぞ
 兵士たちよ、速度をあげよ!
 炎を噴き上げ降下せよ!
 吼える悪魔を追い払え!
と歌っています。
英国の擲弾兵(りゅうだんへい)の歌(British Grenadiers)では、
 恐れをすべて打ち棄てて
 いざ歌おう、英国擲弾兵の歌を!
ソ連の国際学連の歌は、
 起て学生よ!
 地上の平和の為、断固戦え!
要するに、ただひたすら勇ましく、敵を殲滅し、滅ぼし、戦え!戦え!進め!進め!のオンパレードです。旋律も、たいへん勇壮です。
ところが日本の軍歌は、多くの曲にはむしろ哀愁感、寂寥感が漂い、敵を殺すのではなく、自分が死ぬことを歌っています。
そういう軍歌が多いです。
「咲いた花なら散るのは覚悟」なのです。
ここにも重大な日本の秘密があります。
世界中、どこの国でも、軍隊は上の命令で戦います。
その戦いが理不尽なものであろうがどうしようが、関係ない。
上が命令し、下はその命令通りに動かされるだけです。
ここに敵がやってくる。
やってきたら撃ち殺せ、といって銃を渡される。
撃たなければ、お前を殺すと言うのです。
だから戦う、だから撃つ。
自分が殺されないために、敵を撃つ。相手を殺す。
ところが日本の軍隊は違います。
ひとりひとりが、祖国を守るために、家族を守るために、仲間たちを守るために、そして人種の平等という悠久の大義のために殉ずるという正義を持って、自分の意思で戦ことを選んでいます。
そして規律を守り、すこしでも自分がみんなのお役にたつことで、そのために自分が死んでも構わないと覚悟を定めようとしています。
死を覚悟した決意なのです。
たとえ自分の命が犠牲になっても、なにかを実現したいと考えているのです。
それは、自分の命よりも大切なものを護ろうとする心です。
そういう思いを胸に抱いた軍人さんたちが、日本では、戦地に出て、戦ってくれていたのです。
世界の軍を、聖なる神の軍と、悪魔に率いられた悪魔の軍とに大別するならば、旧日本軍こそ、聖なる神の軍というべきものといえるのではないでしょうか。
だからこそ、GHQは、戦後、WGIP(ウォーギルドインフォメーションプログラム)において、日本のその聖なる心を奪おう、消し去ろうと画策しました。
そしてその意思は、実はいまでも明確に続いています。
どういうことかというと、植民地支配のことです。
いま、これをお読みのみなさまも、私自身もそうですが、日本人であり、マッチ箱のような小さな家に住んで、やっとのことで生活している、まあひらたくいえば貧乏人です。
けれど、植民地全盛の時代、欧米人たちは、故郷にあっては、貧しい一貴族にすぎなかったけれど、植民地にいけば、そこではまさに王侯貴族のような生活が、そこにあったのです。
服を着るのも、風呂に入って体を洗うのも、全部奴隷たちがやってくれる。
御殿のような大きな家に住み、その家から見渡す限りの地平線の先までの土地は、全部、我が家族のものです。
そしてそこには数多くの奴隷たちがいて、その全員が、私有財産であり、あなたのために働いてくれているのです。
そしてそういう生活環境が、約500年続いていました。
だいたい人間の一世代は、25年といわれています。
ですから100年経つと、4世代が交替します。
つまり曾祖父の時代までさかのぼります。
それが500年ということは、20代です。
20代前のご先祖から、ずっと植民地では、王侯貴族のような生活が待っていたのです。
20代続いたら、それはもう彼らにとっては常識であり、不動の地位でもあったわけです。
ところが東洋の小さな島国にいる黄色い猿が、いまから70年ほど前に大暴れしたために、彼らは植民地を追い出されました。
なんとか日本を打ち負かしてやったのだけれど、かつて植民地だったところは、あろうことか独立などを言い出して、彼らは、植民地にあった先祖伝来の利権と贅沢な暮らしの一切を失ってしまったのです。
それをさせないために、ありとあらゆる奸計を用いて原住民の奴隷たちに戦わせたり、祖国の貧乏人の若者達に銃を持たせて戦わせたりしたけれど、結局は、負けて、植民地を追い出されてしまった。
オレの祖父の時代までは、両手を広げて立っているだけで、着替えも片付けも食事の仕度も全部家の奴隷たちがやってくれていたのに、いまでは時代が変わって、いちいち自分で着替えはしなきゃならないし、食事のあとは、後片付けや洗い物、あるいは衣類の洗濯やら、ゴミ捨てまで自分でしなきゃならない。
なんで自分ばっかり、こんな酷い眼に遭わなきゃならないんだ。
なぜなんだ。誰がこんなことをしたんだ。
結局、日本という黄色い猿じゃないか。
日本こそ、世界を侵略した悪の権化じゃないか。
けれど、一部の人間だけが贅沢をし、他の多くの民衆が悲惨な生活を生涯送らなきゃならないというのは、不条理で理不尽だということは、理屈ではよくわかる。
自分のこうした思いも、世間一般では通用しないということもよくわかる。
だから口には出せないが、感情がこれを許さない。
実は、そういう心理が、欧米の旧植民地支配層だった家系の人々には、いまなお、深く残っています。
同じことは、朝鮮半島にもいえます。
500年続いた李氏朝鮮の時代というのは、人口のわずか2%に満たない、支配階級の両班(やんばん)が、他国から見れば、彼らの生活も貧民そのものなのだけれど、半島の中にあっては、白丁(はくてい)とよばれる一般の民間人を、生かすも殺すも思うがままという、まさに生殺与奪の権を与えられた選ばれた民であったわけです。
ところが、一部の両班が、日本と結託して半島の独立とか、日本になるとかいう選択をしたばかりに、自分たち由緒ある両班は、その利権の一切を奪われてしまった。
日本統治時代に、世界に散っていたその両班たちは、大東亜戦争終結後に朝鮮半島に戻り、かつての自分たちの利権を再び強引に取り戻そうとしました。
日本式教育を受け、皇民としての通理を堂々と主張する白丁もいたけれど、そういう連中は、出戻り両班たちは、片端から逮捕投獄し、殺害していきました。
そして、財閥を築き、その財閥は政府と結託し、国民に対して嘘偽りを並べ立てた徹底的な反日教育を施したわけです。
騙されている朝鮮の民衆は、ていよくカモにされ、利用主義的に利用されているわけです。
ごく一部の人の利権や贅沢や欲望のために、他の多くの民衆から収奪したり、あるいは民衆にデタラメを吹聴したりする行為を、悪魔の行為といいます。
そういうことを仕掛ける者たちこそ、現代の世界における、まさに悪魔そのものです。
そしてその悪魔からすると、神々の軍隊や、神々の民は、まさに敵であり、侵略者です。
だから日本は、そう呼ばれています。
欧米の旧植民地貴族にしても、朝鮮半島の反日両班にしても、いまだに大きな富を持っていますから、そうした富を背景に政治と結託し、国をあげて、世界中で反日宣伝を展開しています。
けれど、思うのです。
かつてファンドマネーから日本を救ったように、日本の政府がその気になって、反日の嘘を暴き、親日者を広める努力を国家的意思として行うようになれば、それは真実であるだけに、世界中に協力者を呼び覚まし、まさに世界の良心を喚起できるようになるのではないか。
そのために、日本こそ、情報宣伝省のような機構を持ち、活動させる必要があるのではないかと思うのです。
仮に、年1兆円くらいの予算と、非常時の日銀の協力機能付きで、日本国政府が国の内外これを行ったとき、まさに世界は変わると思う。
というより、いまこそ日本は、真実を拡散し、また国の内外に向けて日本文化性をアピールする、そういう機能を、行政府の中に持つべきではないかと思います。
このことは先般書いた、治安維持法の復活と併せて行えば、さらに効果は倍増すると思う。
そしてそれをするだけの能力も熱意も資金も、その気になれば日本はあるのです。
国民のための政治をするのが政府の役割のはずです。
ならば、国民のために、正義を、真実を拡散することも、重要な政府の役割のひとつといえるのではないでしょうか。
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