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東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)が起きた平成23(2011)年3月11日から、はや2年です。
震災による死者・行方不明者は1万8574人、建築物の全壊・半壊は合わせて39万7976戸、避難者等の数は31万5196人です。
たいへんな天災でした。亡くなられた方々には、心からの追悼を意を表したいと思います。
未曾有の厄災といえば、昭和20年の終戦のときも、東京中は焼け野原となっていました。
下にご紹介するのは、昭和27年の東京の写真です。
(クリックすると大きくなります)

この写真は、東京駅前のビル街だからと思われるようでしたら、次の写真、こちらは、手前が浅草雷門、向こうに見えるのが吾妻橋、駒込橋、廐橋、蔵前橋、国鉄橋です。

見事に住宅が建ち並び、道路だけでなく橋までしっかりと整備されている様子がわかります。
同じ場所の昭和20年の終戦時の写真です。

いかがでしょう。まる焼になり、まさに瓦礫の山となっていた東京下町が、しっかりとした街並に変貌していることがおわかりいただけようかと思います。
もう一枚、東京神田紺屋町付近の住宅街の、やはり同じく昭和27年3月28日の写真です。

右上に見えるのが、今川小学校で、中央左にあるのが昭和ロータリーです。街並が美しく整備され、まさに復興が進んでいる様子がおわかりいただけようかと思います。
加瀬英明先生は、父親が戦艦ミズーリ上で重松葵全権が降伏文書に調印したときの通訳だった方ですが、昭和20年当時、まだ幼かった英明氏が、何もかもが無くなって見渡す限りの瓦礫となった東京を見て、父親に、「父さん、東京がこんなにこわされてしまったけれど、これから日本は大丈夫でしょうか。」と聞いたそうです。
すると父親は、このとき「アメリカ人はね、日本中をすべて壊すことはできるけれど、日本人の心を壊すことはできないよ」と答えられたそうです。
まさに戦時中から戦後にかけての日本は、ハードは壊れたけれど、日本人としての心は壊れていなかった。
だからこそ、上の写真のような、それこそあっという間の復興が可能だったといえようかと思います。
いまの日本はどうでしょう。
安倍政権になってから急速に復興の兆しが見え始めたといっても、東日本大震災の爪痕も、瓦礫の山も、津波による被災地の建物も、いまだ復興ならずです。
その復興を含む補正予算さえ、参院でようやく可決したものの、その票差はたった1票です。
では震災後、1年1年9ヶ月政権を担っていた民主党政権で、復興が進んでいたかといえば、瓦礫までほぼ手つかずです。
下の写真は、長野県安曇野市の市長さんが東日本だし震災の被災地を、昨年10月に視察されたときの写真です。
写真は、安曇野市役所の市長の活動日誌のページから拝借しました。写真の使用にあたっては、当該市長さんへの評価云々とは一切関わりなく、単に被災地写真として検索して見つけたものであることをお断りしておきます。
写真は、震災からちょうど1年7ヶ月経ったときのものです。

この市長さんは、このときの日記に次のように記されています。
「被災家屋がそのまま残され、山積みのがれきを目のあたりにすると、改めて津波の恐ろしさを実感しました。
気仙沼市で立ち寄った物産販売の方は、「家族全員と家を失い、一人きりになってしまった。県外の方からは、『がんばって』と声を掛けられるが、何をどうがんばったらいいか答えが見つからない」とさみしそうに語っていました。
復興予算をめぐっては、その使途が疑問視されていますが、一日でも早く被災された皆さまが立ち直っていだくことを願ってやみません。」
民主党政権下で、被災地復興予算が、まったく別なことに費消されていたことは、すでにみなさまご存知おきのことと思います。
まさに、デタラメな政治、カネ目当ての素人の政治ごっこ、それどころかカネになると思えば、平気で国を売る。
その民主党が、先の衆院選で大敗を喫したのは、当然すぎるほど当然のことと思います。
けれど、おかしなことに、得票数では、民主も自民も、それほど大きな差はない。
加えて、先の参院での補正予算審議では、わずかにたった1票差で、安倍内閣案が通過しました。
たった1票差です。
安倍自民党は、「日本を取り戻そう!」と言って、先の衆院選での大勝利を得ましたが、日本を取り戻そうというのは、上の終戦復興のときの日本には歴然としてあった、日本人としての「心」を取り戻そうということです。
自分よりもみんな。
みんなのために生きること。
みんながよくなれるように、自分も頑張るという姿勢。
そういう心をもった日本を取り戻そうということです。
そして内閣組閣からわずか3ヶ月で、いまや現実に、株価は急激に上昇し、円安も推進し、国内の景気も、ようやく回復基調となり、日米関係も回復してきています。
そういう現実を目の当たりにしながら、先日も、予算委員会で、民主党の、もう誰とは言いませんが、質問に立った民主党議員は、執拗に「安倍総理の施政によって、矢の一本がうまく行ったても、我が党の主張する(民主党)三本の矢がそろわなければ意味がない」と繰り返していました。
冗談じゃないです。
三本の矢を言い出したのは、安倍総理です。
民主党ではない。
これには議場からも、失笑が洩れていましたが、漫才でもこれほど下手な芸では、客はつかない。
にもかかわらず、参院では、議決にわずか1票差なのです。
もし、以前の自民党、あるいは少し前までの民主党政権下で、日本全国が焼け野原となった終戦のときのような状況を迎えたとしたら、日本は戦後わずか19年で東京オリンピックを開催し、さらにその後の20年で世界第二位の経済大国にまで成長した奇跡の復興を実現することができたでしょうか。
昔、サラリーマンだった頃のことですが、全国にある支店に、支店長が派遣されるのですけれども、支店長が赴任して、3ヶ月経つと、その支店の業績が上向くか下向くか、あるいは横ばいとなるか、その徴候が見えて来るといわれました。
そして半年経つと、実際にその成績が、具体的な数字となってあらわれて来る。
半年経って、業績が上がらない、あるいは下向くような支店長なら、その後、2年やっても3年やっても、支店の業績は下を向きっぱなし。
逆に半年目に成績が向上しているようなら、そのままの体制を2年、3年続けることで、その支店は業績がぐんぐんとアップさせることができる、といわれました。
実際、これはその通りで、支店長に限らず、社長の交替劇でも、まったく同様のことが起こりましたし、個人の営業成績でも、3ヶ月目の徴候、そして半年目の成績如何で、その後の様子がわかりました。
つまり、ひとつの方向性で半年やらせてみてダメなら、その方向や方針を、そのまま何年続けようが、ダメなものはダメでしかない、ということです。
反対に、3ヶ月で徴候が現れ、半年で劇的に成績が上がったなら、その方向は正しいし、すくなくとも、向こう3年は、その方針が生きるということでもあります。
民主党が政権をとって、半年目といえば、鳩ぽっぽ総理が信用信頼をなくし、政権が崩壊に向かった頃です。だめなものは、いくらやってもダメなのです。
逆に安倍内閣ではどうでしょう。
発足から3ヶ月で、すでに日本経済は上向きの徴候が芽生えていますし、様々な改悪の修正もぐんぐんと進んでいます。
「政治なんざあ誰がやったって一緒」などというのは、とんでもない話です。
それは、
社長なんざあ、誰がやったって一緒、
支店長なんて、誰がやったって一緒、
店長なんて、誰がやったって一緒、
というのと同じです。
店長、支店長次第で、店の雰囲気から業績、みんなのボーナスまでまったく変わってしまうのは、すこし社会経験を持った人なら、誰でも本当は知っていることです。
国政も同じ、県政も、市政も、町や村の長も同じです。
長が変わると、町や村も、市も県も、そして国も、一変します。
私たちの祖国日本は、終戦後の焼け野原さえ、「ハードは壊れても心は壊れない」と、その心で復興を一気に押し進めることができた国であり、民族です。
その民族のDNAは、戦後68年経っても、いまだ変わってなどいません。
要は、目を覚ますだけのことなのではないでしょうか。

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