
7月2日に、石原都知事が、素晴らしい論考を産経ニュースに寄せられました。
まず、この論考を引用させていただき、軍備とは何か、そしていまの日本で実現しなければならなことに関する私の意見を書かせていただきたいと思います。
すでに石原慎太郎知事のこの論考を読まれた方でも、最後までお付き合いただけたらと思います。
また、本日の記事の末尾に掲載した動画は、是非、みなさんにご覧いただきたいと思います。
とくに8分35秒のあたりからの映像は衝撃的です。
これを観ても尚、日本に軍備はいらないという人がいたら、その人は日本人ではなく、さらには人ですらない。
そのような者に、日本人や、あまつさえ国際人を名乗る資格はない、と申し上げたいのです。
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【石原慎太郎 残酷な歴史の原理」
2012.7.2 03:33 [産経ニュース:日本よ]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120702/plc12070203350002-n1.htm
歴史を振り返って見ると世の中を変えたのは絶対的な力、端的にいって軍事力だというのがよくわかる。
いかなる聖人がいかに高邁な教えを説こうと、それが物事を大きく動かしたという事例はほとんど見当たらない。
功成り名遂げ成熟安定した国家社会では、人権を含めてさまざまな理念が説かれようが、その実現が利得を離れて成就されたなどという事例はあまり見当たらない。
今日世界一の大国と自負するアメリカは実は世界で最も遅く奴隷を解放した国でしかなく、その奴隷たちも極めて最近まで公民権をあたえられることなく過ごしてきた。
歴史的に見てアメリカが人権の保護に関して最も厚い国だなどというのは彼等自身の虚妄であって、例えばスペインが国家として凋落し、その過酷な支配からようやく解放されようとしたフィリッピンをスペインに代わって乗っ取り植民地にしたアメリカは、独立を志す者たちをバターン半島に追いこみ四十万人もの者たちを餓死させて駆逐した。
こうした事例は人間の歴史の中に氾濫していて、いつの時代どこにあっても軍事を背景にした力がことを決めてきたのだ。
わずか三丁の鉄砲を手にしてやってきたスペイン人たちによって呆気なく滅ぼされたインカ帝国の人たちが、キリスト教に教化されて本質的な幸福をつかんだかどうかは、いえたことではない。
ヨーロッパに誕生した近代文明はほぼ一方的に世界を席巻し植民地支配を達成したが、その推進は決定的に勝る軍事力によって遂行された。
それは古代から変わらぬ歴史の原理であっていかなる高邁な宗教もそれを否定出来まいし、宗教の普遍の背景にも歴然とその力学が働いているのだ。
ということがこの日本という国に関し隣国シナとの関わりでも証明されるかも知れぬということを、今一体どれほどの国民が感じとっていることだろうか。
繰り返していうが、今現在日本ほど地政学的に危険に晒されている国が他にどこにあるだろうか。
敗戦のどさくさにロシアに貴重な北方領土を略奪され、北朝鮮には数百人の同胞を拉致して殺され、シナには尖閣諸島を彼等にとって核心的国益と称して堂々と乗っ取られようとしている我々。
そしてそれら三国はいずれも核兵器を保有しそれをかざして恫喝してくる。
多くの日本人が一方的に頼りにしているアメリカは、自国へのテロ攻撃に怯えイスラム圏に派兵し不毛な戦で国力を消耗し軍備を縮小しとじこもりかねない。
彼等が金科玉条に唱えている人権の保護の実態は、シナの覇権主義によって実質的に消滅したチベットへの姿勢を眺めてもうかがえる。
民族の個性もその文化も抹殺されてしまったあの国あの民族を本気で同情しているのは私の知る限り著名な俳優のリチャード・ギアくらいのものだ。
日本とチベットではアメリカにとっての比重が違うという者もいようが、国際関係の中でアメリカにとって最重要なものは所詮自国の利益でしかあり得ない。
この今になって私はかつてフランスの大統領だったポンピドーの回想録のある部分を思い出す。
引退後彼が訪問して話した当時のシナの最高指導者毛沢東に、
「あなたは水爆などを開発し何をするつもりなのか」と質したら、
「場合によったらアメリカと戦争をするかも知れない」と答え、
「そんなことをしたら二、三千万の国民が死ぬことになりますぞ」と諭したら、
「いや、わが国は人間が多すぎるので丁度いい」と答えられ仰天したという。
それを読んであることを思い出した。
アメリカでのヨットレースで親しくなった男がかつての朝鮮戦争で新任の士官として分隊を率いてある丘を守っていた時、深夜異様な気配で思い切って明かりをつけて確かめたらいつの間にか目の前におびただしい敵兵が這いよっていた。
そこで機関銃を撃ちまくったが次から次へと切りがない。
しまいにはオーバーヒートの機関銃に水をかけて撃ちまくった。
ようやく夜が明けて眺めたら累々たる死体の山。
しかし確かめるとどの兵隊もろくな兵器は持たずに手には棍棒だけ、ろくな靴もはいていない。
後にわかったが、彼等は台湾に逃げた蒋介石の残した兵隊たちで、人海戦術として前面に駆り出されその背後には中共の正規軍がいたという。
こういう国家の本質をみればアメリカがたたらを踏むのは当然だろうが、そのアメリカを盲信している日本人も危うい話しだ。
今日のシナの指導者たちがどんな感覚で国民を支配しているかはいざとなるまでわからないし、成熟しかけているシナの社会での兵士も含めて、場合によっては駆り出されるだろう若い世代の覚悟というか、有事に際しての反応はうかがいきれない。
この現代に、彼等が場合によったら核の引き金を引くか引かぬかは占いきれまいが、私たちがその圧力に怯えて、彼等が一方的に核心的国家利益と称する日本の国土の島をむざむざ手渡すことは国家の自殺につながりかねない。
そして日本の国家民族としての決意をアメリカが己の利益のために無視するのならば、結果としてアメリカは太平洋の全てを失うことになるのは自明だろう。
尖閣諸島への対応には、実はアメリカにとっても致命的な選択がかかっていることを知るべきに違いない。
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文中にある「しかし確かめるとどの兵隊もろくな兵器は持たずに手には棍棒だけ、ろくな靴もはいていない。
後にわかったが、彼等は台湾に逃げた蒋介石の残した兵隊たちで、人海戦術として前面に駆り出されその背後には中共の正規軍がいた」は、たいへんショッキングな事実を示しています。
戦争に負けて蹂躙されるということは、要するに人間が人間として一切「扱われなくなる」ということであるということを、たいへんよく象徴しているエピソードだからです。
だから「戦争はいけない」「戦争はしたくない」。おっしゃる通りです。
誰も戦争などしたくない。
けれど、戦争は「相手があって起こるもの」なのです。
憲法9条などを死守して、「私は戦いません」などと宣言しても、相手が攻めて来ることを防ぐことはできない。
若くて美しい女性が、たったひとりで植えた強姦魔の集団の中に「私はセックスはいたしません」などと書いた紙切れ一枚持って素裸で入って行って、未来永劫強姦されずにいれる保証は何もないのです。
でも実際に日本は、日本国憲法施行後65年間もの長きにわたり戦争がなかったじゃないか、という人もいそうです。
大きな間違いです。
なるほど過去65年間で、一度も戦争を経験しなかった国は、先進諸国の中では日本だけです。
けれど、戦争がなかったのは、日本が憲法9条を持っているからではなく、ひとつには米国との安保があったこと、もうひとつは戦前の日本が、あまりにも強かったからです。
寝た子を起こすな。起こしたら誰も勝てない。
そういう印象を与えるに足るだけの凄味を、戦前の日本が勇気を持って世界に示したからこそ、戦後65年間の日本の平和はあった。
そのことを、間違えてはいけないと思うのです。
日本が、日清日露の戦いをし、勝利したことは、みなさまご存知の通りです。
この2つの戦争は、2つとも原因となっているのは同じことです。
つまり、ロシアの南下政策によって、我が国が蹂躙されることを防ぐための戦いでした。
これを防ぐために、第三代内閣総理大臣の山縣有朋は、日本でできた最初の国会である第一回帝国議会において、大規模な軍事予算を計上し、国会の承認を取り付けようとしました。
ところが、当時の国会は、内政重視を掲げて、結局山縣有朋の予算案を蹴飛ばしました。
その結果何が起こったかといえば、日清戦争です。
武力を怠ることで、清国は露骨に日本を侮り、むしろロシアの南下政策の矛先を清ではなく日本にむけさせようとした。
このため、やむなく日本は戦わざるを得なくなったというのが、日清戦争です。
当時の、兵力では、圧倒的に清国側が有利でした。
軍事力だけなら、もしかしたら清国が勝利したかもしれない。
いやむしろ、世界は清国の勝利を信じて疑わなかった。
それを勝利に導いたのは、ひとえに、日本の帝国軍人たちの勇敢な行動があったからに他なりません。
日露戦争も同じです。
圧倒的な兵力、圧倒的な国力を持つロシアに対し、東亜の貧乏国である日本が果敢に戦いを挑んだ。
そして戦いを五分に進め、多くの命を犠牲にして、ようやくつかんだのが日本の勝利でした。
いま、ちょっと大きな神社にいくと、全国津々浦々、どこの神社にも決まって置いてあるのが、「忠魂碑」と書かれた大きな石碑です。
「忠魂碑 希典書」と書かれたその石碑は、後ろにまわってみると、そこには沢山の名前が刻んである。
その神社のある地元から日露戦争に出征し、お亡くなりになった方々のお名前です。
決して楽な戦いではない。
それだけ苦しく、大変な戦いであったということです。
さらに大東亜戦争では、もっと多くの若い命が失われました。
親として、祖父母として、子や孫を失うことが、どれだけ大きな悲しみを招くか。
辛い戦いに出征する男たちが、どれだけ苦しい戦いの日々を送ったか。
ここでは多くは語りませんが、日本はほんとうに苦しい戦いをしてきたのです。
そしてその大東亜戦争があったからこそ、いま、世界に植民地はなくなり、植民地支配する者もいなくなった。
私達はその事実をもとに、先人達に深い感謝の念を抱く必要があると思います。
けれど、その大東亜戦争さえ、なぜ戦争に突入したのかをずっと掘り下げて行くと、開戦のなんと28年も前に、その原因が生まれていたという事実が浮き彫りとなります。
どういうことかというと、その年(大正2年)、日本は扶桑級戦艦の建造計画を打ち立てるのですが、やはり国会によってその予算を大幅に削減され、結果として日本は海軍力を低下させることになってしまっているのです。
孫子の兵法にある有名な言葉ですが、「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」とあります。
戦って勝つことは、決してよいことではない。
戦わずして勝つことが大事なのだということです。
軍事力というものは、戦いを行うためのものではありません。
戦いを起こさずに済むよう、備えることが軍事力のもっとも肝要なところなのです。
大正2年の国会は、目先の景気対策のためにと、日本の軍事予算の削減を決定しました。
その結果、日本は侮られ、あちこちで露骨な排日運動を起こされ、結果として大東亜戦争という悲惨な戦いまで追い込まれていったのです。
こうした歴史から、私達は何を学ばなければならないのでしょうか。
戦争は悲惨なことだ。
戦争は避けなければならない。
ならばこそ、軍事力教化、防衛力の強化は、私達の生活と未来の平和と安定のために、国家として書かすことの出来ない命題だといえるのではないでしょうか。
いま、私達は、大きな現実を目の前につきつけられています。
それは、ひとつには、尖閣領海内に眠る大規模天然ガス田と石油の油田です。
そしてもうひとつは、日本の領海内に眠る、メタンハイドレードとレアアースという巨大な埋蔵資源の存在です。
尖閣領海内にある大規模天然ガス田と、その下に眠る大油田は、世界第二位の産油国であるイラクに匹敵する埋蔵量といわれています。
埋蔵量は、金額に換算して約750兆円。
経済効果で計算すると約1京円(1兆円の1万倍)に相当する巨大なものです。
この存在が明らかになったのは、昭和44年のことでした。
ここに資源があることが明らかになって何が起こったかというと、日中国交回復です。
日中国交回復は、田中角栄さんのお手柄で実現した、という気のいい話ばかりではないのです。
中共政府にしてみれば、長い資源エネルギー確保戦略に基づく、必要があって行なったことであることを、私達はちゃんと気付く必要があります。
当時、わざわざ小平が来日して、「尖閣問題は当面棚上げしましょう」と述べました。
なぜ小平がそう述べたかといえば、当時のChinaには、安保のある日米と戦って尖閣領海を奪い取るだけの武力も資金力もなかったからです。
その後、中共は着々と資金力をつけ、軍事力を強化し、昨今では武力で尖閣を実効支配しようとして海軍力を尖閣領海に展開し、その上で、日中の約束を一方的に破って、勝手に尖閣領海内の海底資源の掘削を開始しています。
さらには、沖縄に大量の工作員を忍び込ませ、莫大な経費をかけて日米の基地排除を宣伝し、さらには沖縄を日本から独立させて琉球国としてChinaの属国にしようと画策までしています。
昨今、沖縄で起きている様々な問題は、背後には中共政府の政治工作と大量の資金が動いているということを、私達は知る必要があろうかと思います。
レアアース、メタンハイドレードなどの天然資源が、実は日本は領海内に大量に保有していることが明らかになってきています。
南鳥島の領海内だけで、たとえばレアアースのテルビウムなどは、なんと向こう4千年分の埋蔵量です。
メタンハイドレードは、一説によれば、日本近海には、向こう1千年以上の分の埋蔵量です。
こうした資源の存在が明らかになった以上、私達は、こうした資源が、平和裏に発掘され、私達の生活や未来を築く礎になるようにしていく必要があろうかと思います。
先般の衆院において、消費税法案が可決となりました。
国民に負担を強い、明らかに景気悪化を招く消費税法案について、何故、自公が賛成に回ったかと言えば、景気回復を何が何でも実現させなければならないからです。
何もしない、何もできない民主党政権では話にならないが、さりとてこのまま放置しておいたら、日本の景気は益々悪化する。
では、いま、何をしたら良いのか。
それは、かつてない規模の大規模な財政出動であろうと、私は思っています。
そしてその財政出動は、日本の未来をきちんと見据えたものでなければならない。
小手先の「緊急景気対策」ではどうにもならないからです。
これについて、公明党からひとつの案が出されています。
公明党の案が良い案だと書くと、またぞろ創価学会がどうのとかご批判を被りそうですが、そういうことではなしに、あくまで政治として、景気対策として、日本の未来への道筋として、これは良い案だと私は思っています。
それは、年10兆円、10年で合計100兆円の財政出動によるニューディール政策と呼ばれるものです。
どういうことかというと、「建設国債」を発行し、老朽化して古くなった高道路や橋梁、河川の土手、学校などの公共建築物の大規模補修事業を行うというものです。
コンクリートの耐用年数は50年であり、日本国内のインフラの多くは、東京オリンピック前に築かれたものです。
すでに耐用年数に至っている。
ご近所に、橋があったら、その下を良くご覧になってみてください。
橋桁が、だいぶ痛んでいます。
その痛んだ橋の上を、大型トラックが毎日たくさんの荷物を積んで往来している。
もし、その橋が落ちたら、どうなってしまうのでしょう。
国債の発行は、国の借金を増やすだけではないかという反論も聞こえてきそうですが、それは違います。
国債はなるほど借金ですが、公共建築物の補修による資産が形成されます。
つまり貸借対照表上は、負債と資産が両方等しく増加するわけで、これは赤字国債のように、単に国の借金を増やすものとはまるで意味が異なります。
私は、この政策は一日も早く実現すべきだと思う。
そしてもうひとつは、やはり年間10兆円、10年で合計100兆円の「資源開発国債」の発行による未来の資源エネルギーの確保のための投資です。
日本の領海内に資源があるといっても、それを採掘し、活用しなければ絵に書いた餅にもなりません。
そして採掘するためには、新たな技術開発が必要となり、さらに新たな設備投資が必要となります。
しかも、資源採掘は、民間レベルの事業の問題ではなく、国家としての課題です。
この「資源開発国債」も、建設国債同様、新たに資産が形成され、単なる借金とは明らかに様子の異なるものとなります。
そしてこの資源開発国債によって得られる年間10兆円のうち、半分の5兆円を資源開発費、そして残りの半分の5兆円を、資源を守るための防衛力増強費に、是非、充てたいのです。
なぜなら、いくら日本が採掘しても、それをどこかの国に奪われたり、特定国家の支援を受けた海賊などが横行して資源採掘を露骨に邪魔されたのでは、お話にならないからです。
海洋上で資源開発をしようとしているすぐ脇に、どこかの国の「漁船」が勝手に入り込んで衝突事件でも起こされようものなら、開発どころか賠償がどうの、犯人逮捕がどうのと、肝心の開発がまるで進まなくなってしまう。
何億円もするお宝を展示するときには、防犯や警備をきちんとします。
あたりまえのことです。
ならば、国家が国家の資源採掘という、何億円もする宝石の何百倍、何千倍の経済的価値に手を伸ばそうというなら、警備のために相応な資金を使うのはあたりまえのことです。
そしてこれも、資源開発のうちのこととなります。
ですから「資源開発国債」をもって、その費用の半分を我が国の防衛力の増強に充てよと申し上げたいのです。
この、年間10兆円、10年で総額100兆円にのぼる「資源開発国債」の発行と、資源開発、防衛力増強は、我が国に新たな産業を興し、さらに建設、化学、ITなど、さまざまな分野に多大な波及効果をもたらします。
おそらくその経済効果は、年間200兆円くらいの規模になる。
そして日本の軍事費増強は、戦争をもたらすものとなるどころか、中共政府のチベット弾圧や、台湾への政治的干渉、あるいはウイグルへの弾圧問題等、さまざまな理不尽への大きな警鐘にもなります。
なぜなら、日本が強くなることは、正義が悪に打ち勝つ世界を築くことなるからです。
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これを観て尚、日本に軍備はいらない、今日の私の記事の軍事費政策に反対だという人がいたら、その人は日本人ではなく、さらには人ですらありません。まして国際人などと聞いて呆れます。もはや人ですらない、と申し上げたい。
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