本来はたいへん誠実な人格者なのですが・・・

丹羽宇一郎駐China特命全権大使が、英国メディアのインタビューで、石原都知事の尖閣諸島購入計画について、
「日中関係に重大な危機をもたらすことになる」などと反対意見を明言しました。
尖閣購入に関して、民間からすでに10億円を超えるご寄付が集まり、世論調査では、国民の95%が尖閣諸島購入に賛成しているというこの時期に、丹羽大使の発言は、たいへんな物議をかもし、なんと丹羽氏を任命した民主党の内部からさえ、丹羽氏批判の声が巻き起こっています。
丹羽氏は、伊藤忠商事の会長/社長あり、日本郵政株式会社取締役を経た大変バランス感覚のとれた立派な方です。
平成22(2010)年6月に民主党政権下でChina、中共の「特命全権大使」を務めらたのも、その人柄が買われ、民間から起用された外交官として、選任当時、たいへんな注目を集めました。
けれどこの発言はなんでしょう。
Chinaでハニトラにでもあったか、乱心したか、不適切も甚だしいとしか言いようがありません。
以下に示す文章は、私が丹羽大使を擁護するものではありません。
そうではなくて、丹羽大使ほどの人物でさえ、Chinaという毒に犯されるとこういうことになる、という見本を、みなさまにお示ししたいのです。
丹羽氏の人生のモットーは「清く、正しく、美しく」です。
たいへん高邁な人格者として知られています。
伊藤忠というれっきとした一部上場の会社の社長就任中でさえ、通勤には電車を用いていたそうです。
偉ぶることのない人柄なのです。
思いやりがあり、洞察力があり、国際感覚に優れ、人徳があり、日本人的見地からみたら、まさに申し分ない人格者です。
けれどそれだけの人格者であっても、Chinaの毒は猛毒です。
Chineseには、人徳は通用しないのです。
そこが肝心なところなのです。
Chinaという国は、愛情を注げば注ぐほど、朝鮮半島と同じで、結果として最後はコチラの身が滅ぼされてしまう。
Chinaとはそういう国だということを、是非、丹羽氏にも、またみなさんにもご理解いただきたいのです。
なぜそういえるのか。
いまにはじまったことではないのです。
かつてChinaと深い関わりをもった英国は、最後は阿片戦争を行なわざるを得なくなり、ちゃんとした大義があったにも関わらず、この戦争が大英帝国の汚点となっています。
日本も、Chinaと深い関わりを持ちました。
けれど結果的には、日華事変、大東亜戦争を経由して、日本はChinaで、あれだけの善政と信頼を勝ち得ながら、いまではどうでしょう。日本はChinaで悪辣非道をしたことにされてしまっています。
Chinaとはそういう国なのです。
このことについて、いまから10年前の平成13(2001)年に、拓植大学日本文化研究所客員教授の黄文雄さんが、たいへん貴重な文章を書かれています。
今回は、その文をご紹介したいと思います。
Chinaに関する極めて適切な指摘です。
ものすごく勉強になります。
できればこの文章は、Chinaと関わりのある全ての人に読んでいただきたいと思う次第です。
尚、原文で「中国」と表記されている部分は、私の独断で、全て「China」に置き換えさせていただきました。
また「人種差別」は、あえて「人種差蔑」と文字をおきかえさせていただきました。
これも信念あってのことです。
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【Chinaが嫌われる七つの理由】
拓植大学日本文化研究所客員教授黄文雄
隣国同士で非常に友好的な関係を結んでいるという国は案外と少ない。
善隣は実はむずかしいのである。
「呉越同舟」というChina故事があるが、これは、善隣を装わなくてはならない悲哀をよく表している。
「遠交近攻」とは、善隣のむずかしさから生まれた国家存亡の戦略である。
Chinaと韓国は嫌日感情が強い。
日本に反発し、日本ゆえにあなどろうとする感情は日常的に存在している。
逆に、日本でも、嫌中・嫌韓感情が生まれている。
いくら「友好」を強調しても、すればするだけ「善隣」のむずかしさが大きくなる。
実はChinaは、日本ばかりでなく、他の近隣諸国からも嫌われている。
ベトナム人もインド人、ロシア人、チベット人も嫌中感情が強く、China国内の回族のようなイスラム教徒は歴史的にはげしい文化摩擦が生じていたので、ほかの国より漢族に対する嫌悪感が強い。
隣国同士の反感は、国同士の利害に関わることばかりに原因があるわけではない。
ことChinaに関するかぎり、この国の人々に共通している性格に起因することが断然多い。
およそ百年前、宣教師としてChinaの山東省で三十数年間伝道活動を続け、つぶさにChina社会を見てきたA・H・スミスは不朽の名著『Chineseの性格』を著した。
私は台湾に居住するChina文壇の最長老で、かつて『醜いChinese』を著して日本人のChineseイメージをー新した柏楊氏に、スミスの分析とくらべて現在のChineseは変わったかどうか、尋ねてみたことがある。
柏楊氏の答えはノーであった。
西欧文明の東漸による近代化の荒波をうけても、Chineseの国民性はほとんど不変であった。
現在、世界の企業がChinaで事業を展開し、海外経験のあるChineseも多数いる。
これほど対外的に開放されたにもかかわらず、Chineseの保守的傾向はますます強まっているといってよい。
Chinaが嫌われるのは、近隣相嫌うという隣国の原理というよりは、変わらぬ国民性から来ることが多い。
本論ではその国民性を徹底的に探ってみたい。
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自分以外は人間ではない
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1.自己中心
「自己中心的であ」を略して「自(ジ)己(コ)中(チュー)」などと呼ぶが、こういう人間が好かれることはまずない。
Chineseはまさにジコチューが国民性といってよい。
そしてそれが国家規模に拡大され、自国中心主義になる。
「中国」という自称がその最たる証拠である。
客観的に見て、この丸い地球上に中心となる地点があるわけはない。
天下(世界)の中心を意味する「China」は、地理上の中心点ではなく、精神的な中心である。
ごく簡単に言えば、自分が世界の中心、文化の中心であるという強い思いこみだ。
この精神的な中心意識から生まれたのが、China文明至上主義である。
China文化が最も優れており、周辺に伝えて文明の恩恵を与えているという同心円的な観念が中華思想の精神構造で、それは揺るぎない優越意識でかためられている。
Chineseは古来、近隣国を蔑視してきた。
この蔑視観は、文化の違う人々を人間と見なさないほどまでに強い。
その優越意識はアパルトヘイト以上である。
その証拠に華人以外はみな禽獣として、民族名称には獣へんや虫へんのついた漢字を用いて書いた。
盛唐時代の代表的な知識人である韓愈は、著書「原人」で、夷狄のことを「半人半獣」とし、獣より進化したと評した。
作家の魯迅は「Chineseは人間を人間とも思わない」と、Chineseの国民性を批判している。
このようなChineseの人種差蔑意識に対抗しようとしたため、日本人はChineseからずいぷんと嫌われてきた。
一八九八年の戊戌維新のとき、伊藤博文は維新派の康有為らに政治顧問として北京に招聘されたことがあった。
明治維新の成果を清国維新派が評価して、維新の秘訣を徴されたのである。
そのとき伊藤はこう忠告している。
「まず、外国人を夷狄と呼ばないことだ」。
西欧諸国が清国に対して通商要求をするときに、どうしても耐えられなかったのはあの屈辱的な「三脆九叩」の礼をさせられることである。
アヘン戦争終結後の一八四二年、外国人を夷狄あつかいする清国に対し、イギリスは南京条約第一七条でわざわざ英国を「英夷」と呼ばないように規定した。
それでもChinaが守らないので、一八五八年、アロー号事件後の天津条約の締結のさいに「夷狄」呼ばわりしないことを再度明文化させている。
清末にChineseと接した外国人のほとんどがその傲慢さに苛立ち、イギリス通商特使として北京に派遣されたマカートニーは逆にChineseを「半野蛮人」と呼んだ。
イギリス公使兼香港総督J・F・デビスはChina文明を「半文明Lとみなし、初代総税務司のN・レイに至っては「アジアの野蛮人」と呼んで軽蔑した。
こうなると、Chineseとイギリス人のジコチューくらべである。
2.ご都合主義
ジコチューは自分の都合に従って行動する。
したがってご都合主義が普遍化されるのである
。他人の都合や思惑は二の次、三の次というより、最初から考慮されていない。
政治の流れを見ても、一九五〇年代、「向蘇一辺倒」などといわれ、ソ連と蜜月の関係を結んでいたにもかかわらず、六〇年に入って突然「ソ連修正主義反対」、「ソ連社会帝国主義打倒」のスローガンを掲げて豹変した。
そして六〇年代、日米安保、アメリカ帝国主義反対を唱え、旧日本社会党と共同声明まで出したChinaは、七〇年代に入るやある日突然、日米安保賛成、反ソ親米に急変した。
このとき日本の旧社会党員は肩すかしを食らい、いわゆる進歩的文化人はどれほど困惑したことだろうか。
日本にかぎらない。
文化大革命を礼賛した世界の文化人たちは、文革収拾とともに、文化大革命そのものが「動乱の十年」となって評価が逆転して、Chineseの敵として振り落とされていく。
Chineseのご都合主義についていくのはたいへんなことである。
戦後、日本の世論は「Chineseとは、原則を重視する民族」という神話を信じていた。
それはChina政府がいつも「平和五原則」「周恩来四原則」「日中三原則」と原則ばかりを唱えていたので、つい幻惑されたためであろう。
実は、これは原則ではなかった。
偏執、強情、拘泥を「原則重視」に読み間違えたのである。
ジコチューのChinaは、原則(建前)と本音を実にうまく使い分ける。
日本人はまったくこの点を読むことができない。
あまりに思いやりのある民族であるため、日本人は相手の意に添うことばかりを考え、ときには迎合することさえある。
ジコチューのChineseと、相手の意に添うことの上手な日本人ならば、これほど理想的な友好カップルはないはずだ。
だが、それはあくまで日本人がついていかれるならばの話である。
人治国家のChinaでは、法はあっても自分の都合で利用したり、無視したりするのが通常である。
したがって、朝令暮改、契約反故などが頻繁に起こり、たいていの日本人はChineseの独断にふりまわされ、最後にはノイローゼになってしまう人までいる。
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悪いのはすべて他人だ
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3.独善
仏教と儒教はChinaから朝鮮を経由して日本に伝えられた。
宗教が共通なのだから、精神文化も共有しているように思えるが、根本となる死生観がまったく異なっている。
日本人は「死ねば神」「死者悉皆成仏」といって、死後にまで生前の利害や怨恨を問わない心を持っている。
だが、Chineseには強烈な勧善懲悪の倫理意識があり、自分の敵は死後もその墓を暴き、屍にむち打ち、魂まで食らおうとする。
人は死しても安らかに眠ることができないのである。
しかも信仰の自由はなく、国内で邪教とされた宗教は徹底弾圧し、日本の総理の靖国神社参拝にまで政治的に干渉してくる。
Chinaの内政干渉は靖国問題にとどまらない。
歴史教科書、政府高官の発言、南京事件の評価、日本の生存権問題に属する日米安保、憲法改正論議、ダライ・ラマや李登輝前台湾総統の訪日、航空会社の空港使用、ホテルでの国旗掲揚など、ありとあらゆることに干渉し、外交問題にしようとする。
かつてテレピ朝日の二ュースステーションで、キャスターの久米宏がチベットに関して発言した内容にChinaが圧力を加え、翌日の放送でChinaに対して謝罪した事件があった。
同じように、テレピ各社のChina特番で、China政府と協力して制作されたものであるにもかかわらず、放送後、Chinaの一方的な抗議を受け、公開謝罪させられたケースが何度もある。
Chinaの独善的な思惑の押しつけは、日本に対してだけではない。
世界のいたるところにおよんでいるのである。
たとえば、旧西ドイツやデンマークなどでチベットの人権侵害問題をとりあげる議会に圧力をかけ、決議をしたら報復すると恫喝した。
また江沢民主席はかつてスイスでデモ隊に遭遇したときに、迎えに出たスイスの首相に対し、自国の管理もできないのかなどと、いちじるしく礼を失する発言をしたことがある。
アメリカに対しでも同様の干渉を加える。
李登輝が総統の座にあったとき、卒業したコーネル大学の訪問のために訪米を申し入れたことがあった。
アメリカの上下両院が李氏の訪米を受け入れる決定をしたにもかかわらず、Chinaはこの決議に関しても「誤った決議」だとして反省を求めたのである。
一党独裁、全体主義国家のChinaは違うが、アメリカ建国の理念は議会制民主主義である。
議会は民意を代表し、いかなる決議も民意の反映であることには変わりない。
議会の決定は大統領といえども無視することはできないことが、江沢民にはわかっていない。
アメリカ議会に対する反省要求は、中華思想の露骨な表現であった。
日本ならばすぐに反省し、謝罪してしまうだろうが、アメリカは相手にしなかつた。
4.責任転嫁
「悪いのは全部他人で、成果は全部自分のおかげ」という責任転嫁と絶対無謬の独善意識が中華思想の真骨頂である。
私は台湾で生まれ育ったが、小中学校時代に、近代Chinaが貧困・落後したのは列強の侵略と清朝の腐敗、軍閥内戦に原因がある、と教えられた。
中華人民共和国では、それがすっかり国民党政府の責任にされている。
また、文革が終焉すると、「動乱の十年」の責任は全部四人組のせいにされた。
毛沢東の過ちに触れられることは決してなく、あれほどの社会的混乱の責任をすべて四人の政治指導者に押しつけたのは、裏返せば、Chineseの破廉恥な無責任意識のなせるわざである。
改革開放になると、急激な経済開放のために強盗殺人、賭博、麻薬密売、買売春、人身売買、詐欺、迷信など、「六害」「七害」と呼ばれる凶悪犯罪が横行するようになった。
これはある意味で当然の結果である。
こうした無秩序はChina本来の姿であり、百年変わらぬ国民性の復活にすぎない。
ところがChinaはそれを認めず、資本主義の精神汚染だと決めつけ、今度は「社会主義新文明を創造せよ」と呼びかけ、党大会のたびに決議などしている。
資本主義のモデルについていくだけで手一杯だというのに、何主義だろうと新文明の創造などできようはずがない。
西欧文明が東アジアに大きな影響をおよぼしたのちのChineseの不幸、落後はすっかり西欧のせいにされてしまったのである。
近代Chinaの没落はアヘン戦争以後、すべて列強の侵略の結果に帰され、China自身にどんな問題があっても、それに目を向けることはない。
こうした責任転嫁は、China文明の優越性に対する固執の表れともいえる。
自己の無謬性の過信によって独善的となり、ことに日本人のような自虐的な国民に対しては、反省や謝罪を要求することをやめようとしない。
明末、異端の儒学者といわれた李卓吾は、その著書『蔵書』の中で、Chineseについてこう指摘している。
「いかに自己礼賛するかについては苦心惨憺するが、自己批判についてはまったく関心を持たない」と。
最近、China駐在の日本人商社関係者がChinese気質について調査をし、以下のようなChinese像がまとめられたという。
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絶対自分の非を認めない。
それはChineseが責任感の意味を知らないというよりも、失敗を他人のせいにする習性があるからだ。
もともと、Chinaは熾烈な競争社会であり、責任をとる段になったら、なるべく自分の身にふりかからないようにしなければ生き残れないからだ。
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二人で井戸をのぞくな
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5.人間不信
Chineseは国家を信用していないばかりか、社会も人間も信用していない。
妻さえ住用しないのは、もともと他人だからとしても、血のつながった親子や兄弟でさえ信用できないのである。
毛沢東の極左政策の時代に、「父母よりも毛主席が親しい」と言う言葉が流行り、当時はChina社会の砦とも言うべき家族まで階級の敵と目され、子が父を告発することさえ頻発した。
劉少奇や林彪は、政敵ではなく我が子に密告され、一人は獄死し、一人は逃亡する途中で死亡したのである。
Chinaのことわざに「一人で廟に入るな、二人で井戸をのぞくな」というものがある。
一人で廟に入ると、悪い坊主のカモにされ、殺されて金品を奪われてしまうかもしれない。
二人で井戸をのぞくと、相棒に突き落とされる危険があるという意味である。
この人間不信社会で生き残り、競争に勝つために兵法が発達した。
孫子は「兵は脆道なり」と言った。
つまり戦争は詐欺の道だというわけである。
Chinese気質の最大の特色も「詐」にある。Chineseは「詐の民」だという人もいる。
親は子に対して「人にだまされるな」と教育し、常日頃口うるさく教えている。
戦後、日本人はChineseの詐欺ぶりを目の当たりにして驚愕した。
偽残留孤児、偽難民、偽装結婚、偽造パスポート、闇銀行、偽造卒業証書、偽造プリペイドカード……。
自分の利益のためにはどんな物でも平気で偽造するし、どれをとってとも日本人の想像を絶するものばかりだ。
世界中で今大きな問題になっているのは、Chinaの偽ブランド品である。
知的所有権の盗用は別としても、薬、タバコ、酒、食品など、人が健康を害したり、悪くすれば命を落としたりしてもおかまいなしに、どんどんコピーをつくってしまう。
China政府は「打仮運動」と称して偽ブランドの追放キャンペーンを行っているが、効果はまったくない。
現在のChinaは、公金横領、賄賂横行、汚職天下の国であり、偽物天国である。
今日もChinaのどこかで偽プランド品が製造され、世界にばらまかれている。
嘘でぬりかためられた人間不信の社会の中で、Chineseは上から下までだましあっている。
政府はマスコミを通じて民衆をだまし、民衆は面従腹背で良民を装いながら国家を食い物にする。
Chinese社会で詐欺師が暗躍し、偽物が氾濫するのは当然なのだ。
6.土匪国家
この数年来の日本におけるChinese犯罪の急増はいまや常識といえる。
実際、外国人犯罪者の半数以上がChinese犯罪者で、新手のピッキング強盗となるとほとんどがChineseの手によるものである。
石原慎太郎都知事も、この類例を見ない凶悪犯罪を新聞で指摘しているし、ある自衛隊関係者は、警察署に収容されたChineseに提供する食事の一食分の経費が、自衛官のそれよりも高いことをぼやく有様だ。
日本ばかりではない。
世界の多くの大都市がChinese密入国者の問題に悩まされている。
シベリアヘのChinese密入国者は年間五十万人にのぼるという信じがたい数字も出ている。
蛇頭の年間総収入は世界の麻薬密売の収入の数字をとうに超えている。
Chineseが海外流出すると、流出した先で社会が大きく変化する。
台湾の生活環境の変化は、その代表的な一例である。
台湾は戦時中、疎開して家を離れても物が盗まれることがなかった。
しかし、戦後、四十万の日本人が台湾から追放され、代わりに二百万のChineseが大陸から流入すると、台湾はたちまち泥棒の国と化した。
泥棒の多さは高層ピルの上階でも窓に鉄格子がはまっていることが如実に物語っている。
あの特異な建築群の景観は、泥棒のせいなのである。
台湾では「Chineseを見たら泥棒と思え」という教育を親がするようになった。
九四年、Chinaの浙江省杭州の千島湖で、台湾入観光客二十四人を乗せた遊覧船が湖上で強盗にあい、全員が船室で焼き殺された事件があった。
台湾では有名な事件である。
当時のChina政府はこの痛ましい事件が強盗殺人事件であったことをひた隠しにしていた。李登輝総統は激怒し、Chinaを「土匪国家」だと非難した。
Chinaが「土匪国家」であることは、歴史的にも知られている。
清代の乾隆帝時代、英国の通商使マカートニーは、『奉使記』の中で沿道には乞食と盗賊ばかり目立つと記している。
中華民国初期は、「賊のいない山はなく、匪のいない湖はない」と言われるほどで、賊の数は推定二千万人、軍隊より多かった。
その当時、上海や満州の各都市では公共パスに武装兵士が最低二人同乗していた。
そうでなければ安全が確保できないのである。
現在でもいたるところで「車匪路覇」に注意を呼びかける看板がかけられ、改革開放後のChinaを特色づけている。
九〇年代、匪賊との銃撃戦で殉職した警官は毎年二千人あまりにものぼる。
なぜそれほど匪賊が多いのか。
結論を言えばそれが伝統文化なのである。
「天下は馬上で取る」
「勝てば官軍、負ければ賊軍」という歴史の法則に基づき、王朝末期には生活手段を失った民が賊に変身し、やがて易姓革命の原動力となった。
易姓革命は、盗賊を正当化するChinaの歴史の原理といえる。
チペットに対しても、台湾に対しても、この強奪行為を正当化し、周辺諸国との領土をめぐる紛争は絶えない。
増え続ける密入国者によってChinese犯罪が世界に広がり、かつて白人に恐れられた黄禍が華禍となって、ますます嫌中感情が増幅されることだろう。
7.危険な「友好」
親善、好意を示す「友好」という言葉は、本来嫌われるはずがない。
だが、Chineseとの「友好」だけは別である。
新聞やテレビなどのマスコミは、米、英、仏、独と日本との大人のつきあいには普通「親善」という言葉を用い、「友好」というキャッチフレーズを使うことはあまり見られない。
だが、Chinaに関するかぎり、なぜか「友好」という言葉が使われ、日中交流の専門用語のようになっている。
戦前、戦後を通して、日本とChinaは「友好」と「非友好」に二分されていた。
一時、Chinaとの関係はもっぱら「友好人士」や「友好商社」という、Chinaからお墨付きをもらった一部の日本人に独占されていた。
一九七二年に日China交正常化がなると、日中間の交流は「友好人士」の独壇場でなくなり、やがて「子々孫々にいたるまで」という形容がつけられて「友好」が強調されるようになった。
普段、人間不信の社会で生きているので、Chineseは人間関係についてことさら「友好」を強調しないと不安に襲われる。
しかし、Chinaを相手にする側にとって、Chinaが強調する「友好」ほど不安なものはない。
なぜなのか。
その理由は「友好」の解釈権がもっぱらChinaの側にあり、Chinaの規定する「友好」におとなしくついていかなければならないからだ。
ことにしたたかさをあまり持ち合わせていない日本人は、腹芸が下手でタヌキとキツネの化かし合いができない。
しかも日本人は外圧に弱く、China流の「友好」パフォーマンスに対抗するのがきわめて下手である。
「友好」という言葉を額面どおり受け取っていると、思わぬ落とし穴にはまることになる。
実はChinaが「友好」を語るとき、ことに相思相愛を語るときが最も危険なのである。
それは歴史を振り返ればわかる。
たとえば、中ソ、中印、中越戦争が起こったときは、いずれも両国の「友好」関係が蜜月のピークに達した時期にあたり、まさに老子のいう「物極まるときは必ず反(かえ)る」という結果になった。
だいたい人間の歴史で、民族間、国家間に「子々孫々の友好」などあったためしがない。
Chinaとの「友好」は、すなわち彼らの独善的な価値観を全面的に受け入れることでしかない。
日本人はChinaがたたみかけてくる友好の嵐に翻弄され、身も心もくたくたになってしまう。
そして考えれば考えるほど嫌悪感を越えて怒りがこみあげ、やがて「日中友好」の滑稽さに気づくことであろう。
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黄文雄さんが、この文を書かれたのは、冒頭記したように平成13年、いまから10年も前のことです。
文中にありますが、大英帝国が阿片戦争でさんざん苦労したように、そしてまた日本がChina事変から大東亜戦争でたいへんな苦労を背負い込む結果となったように、そしてま黄先生が論文を書かれた10年前もいまも、Chineseの本質は、当時もいまもまるで変わっていないのです。
その意味で、Chinaはたいへん特種な国だし、Chineseというものは、それだけ信用信頼に値しない民族なのです。
そしてそれが、可哀想かもしれないけれど、人種の違いということだし民族の違いです。
戦時中、米軍の空爆を逃れるために租界しても、家が盗難に遭うことなどまったくなかった台湾は、戦後、China国民党が乱入してきて以降、いまでも「高層ビルの上層階にも泥棒よけの鉄格子」が必要な国となりました。
いま、日本では、民主党の売国奴たちが、好んでChineseを日本に引き入れようとしていますが、実にとんでもない話です。
Chineseを国内に引き入れるということは、家や会社の中に、泥棒や強盗、凶悪な殺人鬼を住まわせるのと同じことなのです。
国民の生命と財産を守るべき国政が、市民県民の平穏な暮らしを支えるべき地方政治が、好んでChineseを受け入れることで、日本中でChineseを繁殖させ、日本人の生命、財産、生活の平穏をおびやかす。
いったいわたしたちは、なにをやっているのでしょうか。
「そんなことはない。私の付き合っているAさんは、Chineseだけれど、とってもいい人です。Chineseにもいい人はいっぱいるのではないですか?」
そう思うこと自体が、実は、とんでもないことなのです。
ハナから、私は泥棒です。強盗ですといって近づくものはいません。
最初は、ニコニコと親しげにやってくる。
そして、その親しみが、どこまでも相手に対する思いやりとなって現れる日本人と、ある日突然、平気で「手のひらを返す」Chinese、Koreanとは、まるで違う。
多くの日本人が、騙されてからそんなことに気付いています。
今回、丹羽氏は、その発言によって日本中で大顰蹙(ひんしゅく)を買っていますが、あの高邁な人格者である丹羽氏ですら、Chinaと関わるとロクなことにならない。
そう、ちょうど戦前の日本人の多くが、Chinaや朝鮮で、結果として酷い眼に遭わされたように、です。
Chinaという猛毒にかかると、あらゆる善政や徳義が、すべてあとあと「唾棄すべき悪行」とされてしまうのです。
そのことは歴史が証明しています。
ChinaやChineseとの付き合い方は、私達は抜本的に考え直さなければならないと思います。
なお、丹羽氏は、もはやいまの段階では、一刻もはやく更迭すべきです。
そうしなければ、彼らChineseは、ますますつけあがり、日本の内政に干渉してきます。
Chinaの毒は、そういう毒なのです。
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