
戦前の時代と聞くと、多くの現代日本人は、軍国主義の時代、カーキ色一色に塗りつぶされた暗い時代といったイメージを持たれているようです。
なるほど当時の写真といえば、写りの決して良いとはいえない白黒写真ばかりですし、日本は貧しかったし、戦争で焼け野原になってしまったし、そういうイメージを抱くのも決して不思議なことではありません。
いつか司馬遼太郎さんも、昭和初期から戦時中の時代について、文芸春秋の巻頭言だったと思うのですが、その時代を「ヌエのような、ネバネバしたつかみどころのない、異形の時代」と形容していたような記憶があります。
けれど、本当にそうだったのでしょうか。
ラビ・バトラ(Ravi Batra)という人がいます。
パキスタンの生まれで、米国に住む世界的に有名な経済学者です。
彼はインドの大哲学者プラブハット・ランジャン・サーカー(ヨガの指導者としても有名)を師とし、サーカーが昭和34(1959)年に唱えたプラウト理論を継承しています。
プラウド論というのはひとことでいえば、社会を支配する階層が、戦士(Warrior)、知識人(Intellectual)、資本家(Acquirer)が順別に循環し、歴史が展開されるという階級循環論です。
で、そのラビ・バトラが、日本の明治から大東亜戦争までをどうみているかというと、これが実は「知識人の時代」とみているのです。
戦後世代の私たちがイメージする「武人の時代」ではないのです。
実際問題として、明治から昭和の大東亜戦争にかけての日本の支配層は、現代の我々からみても、ものすごく教養の高い人たちです。
たとえば東条英機首相は、陸軍の出身で軍人ではあるけれど、それ以上に実に教養豊かな人であり、数カ国語に通暁し、しかもその書はいまどきの日本の民主党内閣総理大臣などは及びもつかないほど立派です。
冒頭の写真は、東条英機首相がまだ陸軍大臣だった当時の昭和16(1941)年秋の頃に、「靖国之絵巻」の表紙に題字として揮毫されたものですが、実に見事なものです。
ちなみに背景にある絵は、横山大観です。たいへん格調高く仕上がっています。
東条英機氏が、すくなくとも階級循環論でいう「資本家/富者」でなかったことは、他の誰でもない、GHQが証明しています。
戦争が終わりGHQが日本にやってきたとき、彼らは東条英機元首相の青森の居宅まで行って、しらみつぶしに家宅捜索したのです。
「あれだけの戦争をやってのけた日本の首相なのだから、さぞかし莫大な財産を持っているだろう」というわけです。
そしてその「莫大な財産」を没収するために、彼らは、東京の公邸から青森の自宅、親戚筋の居宅までも、徹底的に家捜ししたのです。
ところが何も出ない。
彼らGHQは、なぜこんなに何一つ財産らしい財産を持たない貧乏人が日本の総理大臣だったのかと、あまりにも不思議に思い、首をひねったといいます。
さらにいうと、東条家では、それだけ徹底的な家捜しを受けてさえ、なにひとつ財産がなかったことが、いまでもなによりの誇りだという。
このことがはっきりと証明しているのは、戦前の時代、私たちが軍国主義の時代とレッテルを貼って見ているその時代は、すくなくともカネ(=富者)が政権を担う時代ではなかった、ということです。
では彼らは、武力を背景に政権を担った人たちなのでしょうか。
なるほど東条首相は、陸軍の出身者です。
常住坐臥、死を覚悟しているという点では、まさに武人です。
けれど、彼は武力を背景にして政権を取ったわけではないし、国の内外で武力を弄して行動したという事実もありません。
そして何より、大東亜戦争の開戦に、もっとも慎重だったのが東条英機氏であったこと、だからこそ昭和天皇が東条君にと、総理の座を任命したという事は、歴史が証明していることです。
むしろ東条英機氏は、武人というよりも、非常に高い教養と知性で行動した人です。
すくなくとも、武器を手にして「強ければいい」「武力があれば何をやっても許される」という武力主義者の思考は、彼にはまったくありません。
そしてこのことは、当時の日本社会の支配層や、陸海軍の士官学校卒業生全員にいえることでもあります。
彼らは軍人である以上に、とてもつもなく優秀な知識人であったのです。
実際、日本の軍隊がその軍事力を背景に政府を脅し、何事かの政策を迫ったという事実は、日本の歴史にはありません。
あったとすれば、二二六事件、五一五事件ですが、なるほどこの二つの事件は、軍人が武力を用いて社会に革命を求める事件であったけれど、当時の日本は、彼らの行動に対しては、むしろ否定的です。
一方、当時の日本は、現実に外地に出兵し、戦争をしたではないか、これは武人の時代というべきではないか、という議論もあるかもしれません。
なるほど日本が軍を出動させ、戦争を行ったのは事実です。
けれど戦争前の海外出兵は、Chinaへの派兵にしても、南洋への派兵にしても、国際条約に基づく約束事の履行として行われています。
また戦争にあたっては、日本は逐一筋を通し、日清、日露、第一次大戦、大東亜戦争とも、丁寧に宣戦布告を行い、我が国の立ち位置と、戦争目的とその理由を明確に宣言しています。
これらいずれをとっても、単に武力を誇り、武力を持って相手を政治的に支配するという武人の時代とは、あきらかに一線を画するものであり、むしろ考え抜き鍛え抜いた知性の発露として行われた国家行動というべきす。
マッカーサーは、昭和26(1951)年5月に、米国の上院軍事外交委員会で証言を行いました。
世に言う「マッカーサー証言」です。
米国において、上院軍事外交委員会というのは、最も権威ある最高の審議機関とされている委員会です。
なぜなら軍事外交は、国家レベルで最も重要な審議事項であるからです。
そこに召喚されたマッカーサーは、大東亜戦争について、次の通りの証言をしています。
Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
(彼ら日本人が戦争を始めた目的は、従って、安全保障の必要に迫られたためである)
「従って(therefore)」というのは、この言葉の前にマッカーサーが述べたことを受けての言葉です。
彼がなにを述べたかというと、
1 日本人は働くことの尊さを知っている国民である。
2 日本には蚕(かいこ)以外に資源がなく、国民は資源を他から求めるほかはない。
3 米国がその資源を絶つことは、日本においては1千万人を超える人々が働く場を失う恐れがあった。
と述べているのです。
マッカーサーは、これを受けて「therefore」と言っているのです。
そしてこのときの証言でマッカーサーは、日本が開戦に踏み切った理由は「by security」とはっきりと証言しています。
セキュリティのため、と言っているのです。
つまり大東亜戦争は、日本が軍事侵攻を目的としたものではなく、あくまで自衛(セキュリティ)のため、やむなく戦わざるを得なかったと証言しているのです。
「やむを得ないかどうか」を判断し決定するのは、武力や財力ではありません。
知性であり教養であり理性です。
武力を背景とした威嚇行動や、利益のための侵略行動ではないです。
要するに、当時の日本の政治権力は、軍事や武力ではなく、知性によって行われていた、ということです。
そしてこのことは、私たちの心の中にもしっかりと根付いています。
私たちにとって「立派な軍人」とは、武力を背景に威張り散らす人を指す言葉ではありません。
「立派な軍人」とは、立ち振る舞いがキチンとしていて、私たちには到底かなわないだけの豊富な知識のある立派な教養人であり、戦えば必ず勝つの信念を明確に持つ人たちです。
この点、昨今の日本のようにカネがありさえすれば、少々人格に問題があったとしても人が寄って来るというご時勢や、どこぞの国ように、少々人格に問題があっても武力があれば何をしても許されるという社会構造を持つ国とは、戦前の日本は、明らかに一線を画しています。
いまでも私たち日本人は、単に武力や暴力を背景に権力を欲しいままにするような人を、誰も尊敬などしない。
こう考えてみると、戦前の日本という国がどういう国であったのかが、明確に形となって見えて来ます。
戦前の日本は、まさに知性の花が咲きほこる、輝く知識人の時代であったのです。
そして戦争が終わり、戦後の復興の時代を担ったのも、この「戦前の教育を受けた」知識人たちでした。
彼ら知識人たちは、またたく間に焼け野原となった日本を復興させ、終戦時には世界の最貧国となっていた日本を、わずかな期間で、世界第二位の経済大国にまで育て上げたのです。
けれど、日本が経済の繁栄を謳歌しはじめた頃、日本社会はこうした知識人たちではなく、単に経済力をつけた富者が時代を担うようになっていきました。
深い教養や自己鍛錬など、まるで関係がない。ひとえにカネがあれば勝者であり、勝ち組であり、何をしても許されるという社会風潮は、いまや日本中に蔓延し、富者でありさえすれば、日本国籍のない在日外国人であっても時の人になり、権勢を得ることができるという時代になっています。
まさにバトラの循環論にいう「富者の時代」の到来です。
では、この「富者の時代」を変えるのは、どういう力なのでしょうか。
循環論では、富者の時代の次にくるのは、武人の時代だといいます。
その「武人」の形が変わってきているように私には思えます。
どういうことかというと、大昔の人の武器は刀や槍、弓です。
近世には、これが銃器などの火力にとってかわり、近代になるとミサイルなどがこれに代わるものとなりました。
では、現代ではどうでしょうか。
ミサイルを持つ者が政治権力を担うのでしょうか。
ちょっと違う気がします。
現代社会における最大の武器は、むしろ「情報」にあります。
現代戦では、情報を早く正確に掴んだ者が、戦争に勝ちます。
このことを明確に証明したのが、イラク戦争でした。
イラク戦争では、米ソの大戦車部隊が砂漠で決戦をしたのですが、世界最強を誇ったソ連製の戦車部隊を、またたく間に粉砕したのは、日本製のジャイロスコープとGPSでした。
戦いは、わずか5分で終わり、ソ連製の戦車は、全台が破壊され、米国側戦車部隊はまったくの無傷に終わったのです。
つまり、現代戦においては、戦う前に勝負はついている。
ではその勝利を決めるのは何かというと、情報です。
そう考えると「富者の時代」の次にくる「武人の時代」とは、情報武装した者、ということができそうです。
そして富者政権であった自民党内閣が倒れ、民主党内閣が誕生した。
良く考えてみると、これまた情報戦による民主党勝利だったようにみえます。
民主党は、子供手当などのバラマキ情報を垂れ流し、国民を騙して政権を奪いました。
要するに情報戦で選挙に勝ったのです。
もちろん、嘘はバレます。
ですから、民主党政権というのは、社会の中心が、富者の時代から情報の時代へと変化する、いわば過渡的な政権であったということがわかります。
では、新しい情報の時代における政権は、どういう人たちでしょうか。
日本社会の価値観の中心を担うのは、どのような情報になるのでしょうか。
現時点では、情報は、大手メディア(=富者)が握っているようにみえます。
大手メディアは、経営者も富者ならスポンサーも「富者」です。
そして「富者」の垂れ流す情報は、かなり左前で反日なものに偏っています。
けれど、社会の中心を為す価値観は、いまや富者である大手メディアの手を離れようとしています。
どういうことかというと、インターネットです。
インターネット情報は、玉石混合ですが、メディア情報と異なるのは、情報が双方向性である、ということです。
情報の伝達も早いけれど、淘汰も早いのです。
もうひとついえることは、「情報がただの情報でいる限り、世間は動かない」ということです。
情報(=理屈)だけでは人は動かないのです。
頭で理解するだけで、行動には結びつかない。
当然です。
数ある情報は、見た次の瞬間には忘れ去られるからです。
ですから理屈で動く「理動」という言葉は、古今東西、どこの国にも存在しません。
では、情報が人の動きや価値観となるのは、どういう場合かというと、人が「感じた」ときです。
感じて動くのです。
ですから「感動」です。
時代が変わるということは、時代の中心となる価値観が変わるということです。
つまり、情報が感動となったとき、その感動が、新しい時代の価値観を担うようになると考えられます。
このことは逆にいえば、「人を動かし時代を変える力は、人々の情感に訴える情報によってもたらされる、これによって生まれる新たな価値観が時代を変える」ということになります。
その「情感に訴える情報」とは、ひとつには「怒り」であることもあるでしょう。
あるいは「誇り」や「愛」、あるいは「絆」が時代のキーワードになるかもしれません。
いずれにせよ、これだけはいえるのは、私たちは今、大きな時代の境目に立っている、ということです。
そして次代を担うのは、情感に訴える情報の発信源となる者となることでしょう。
その、新たな感動の発信者たちが、新しい日本の新しい価値観を創造する。
そして時代が動く。
私たちひとりひとりの力は小さいです。
けれど、その小さな感動が、何十人、何百人、何千人、何万人、何百万人と集まったとき、日本は変る、変われるのではないでしょうか。
毎日できることは、小さいし、ほんのすこしのことしかできません。
けれど、一日1分の時差が、4年蓄積されるとまる一日の24時間になり、うるう年となる。
同様に、私たちひとりひとりの小さな感動が、私たちの祖国日本を、歪みから立ち直らせる大きな力となるように思います。
時代は変わるのです。
日本を変える力を手にしているのは、私たち日本人です。
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