
写真の花は、高山植物の駒草(コマクサ)です。
花の形が、馬の首に似ていることから、この名前がついているのだそうです。
とても美しいこの花は、不思議なことに、他の植物が生育できないような厳しい環境のもとでのみ生育します。
学名は「Makino」で、植物学者の牧野富太郎が命名しました。
ヨーロッパには生息していません。
日本の高山を中心に、北海道、千島、樺太などに分布する花です。
高山などでは、標高が高くなると、ほとんど土がありません。
かわりに石がゴロゴロしていて、その石も風で動いてしまいます。
駒草は、そういう環境で育ちます。
そして美しい花を咲かせます。
だから花言葉は、高嶺の花、誇り、気高い心です。
そう聞くと、なんだか、ほんとうに気高い花に見えて来ます。
花も美しいですが、茎や根も、古来腹痛の妙薬として親しまれて来ました。
昭和29(1954)年当時といいますから、いまから60年近くも昔のことです。
群馬県にある本白根山には、駒草が群生し、この季節になると美しい花を咲かせていたのですが、これが絶滅寸前にまで追い込まれてしまったのです。
どういうことかというと、戦後食料事情の悪化と貧困から、多くの人が食べるものにことかき、いまでは想像もつかないほど、衛生環境が悪かったのです。
お腹を壊す人が沢山出る。
そんなときの腹痛の特効薬が、この駒草を原料とする腹痛薬「御百草」だったのです。
戦前は、本白根山一帯は、関東随一の駒草の群生地でした。
駒草は、多くの人のお腹の痛みを和らげました。
しかし、そのために、本白根山の駒草は、まさに絶滅寸前まで追いつめられてしまったのです。
その駒草を、戦前のようなもとの姿にもどそうと立ち上がった人いました。
その模様が、「やまの鼓動」というブログサイトにありましたので、転載します。
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【本白根山のコマクサ】
http://d.hatena.ne.jp/akagi39/20050716/1293205665

本白根山のコマクサの復元・保護活動は、コマクサの美しさに魅せられた二人のロマンチストの願いから出発した。
万座の干川文次氏は昭和13年7月にコマクサと出会い、以来本白根のコマクサの種を万座で発芽させ、その種をまた本白根に蒔きつづけた。
六合村の山口雄平氏宅の庭や畑からは白根の美しい山並みが見えた。
あの山に自生するコマクサが盗まれて絶滅寸前と聞いた。
露を含んだコマクサに朝日が射すと朝露が七色に輝く-息を呑むようなその美しさに、心底、魅せられていた。
どうにかして復元できないかと思った。
そして自分よりもっと前から種を蒔き続けている人がいる-干川文次氏との出会いが山口氏の意志を強固なものにした。
草津中学校一年生の協力で苗を植え続けた。
植え始めた頃は子ども達が寒風の中で手を真っ赤にして植えた苗を、同じ町内の人が採りに行ったことを知った。
暗然とし、前途の多難さを思った。
またある年などは強風に吹かれ倒れそうになりながら苦心して植えた2,000本の苗が数日後には全て抜き取られ、子ども達に合わす顔もなくひとり苦悩した。
やがて生徒の保護者や学校の深い理解と積極的な協力を得るようになった。
報道機関も取り上げて保護活動はいよいよ町をあげてのものとなった。
自然保護団体、営林署、草津町当局、嬬恋村などで保護復元の会が作られ、早朝パトロールなどの保護運動は一層強化充実された。
かつてのように子どもが植えたから採りになどとは冗談にもいえない雰囲気に変わった。
移植した本数、37,330本、蒔いた種、307万粒(*1)。
絶滅寸前まで追い込まれた本白根山のコマクサは、半世紀を経て日本一の株数を誇る大群落地となった。
夢を追い続けたロマンチスト、故干川氏、故山口氏。二人が活動を始めた頃は皆笑い飛ばした。
しかし今この風景を見て両氏の偉業を笑い飛ばす人は誰もいない。
人間力が造る風景もある。
まれにそれが自然力に劣らぬこともある。
ロマンチストが夢を追い続けて造り上げた風景-それが、本白根山のコマクサの風景。
(*1 2005年7月5日・湯田六男氏調べ。正式に記録してある数のみ抽出。)
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文中にある干川氏とは、万座温泉で民宿「こまくさ園」を経営されていた方です。
明治44(1911)年のお生まれで、平成7(1995)年に、84歳でお亡くなりになりました。
干川さんが、たったひとりで駒草を山に植えはじめたのは、昭和29(1954)年のことでした。
それから37年、80歳になって引退表明するまで、干川さんは、ただひたすら、本白根山に駒草を戻そうと、努力をされてきました。
環境問題や、自然保護を叫ぶ人はたくさんいます。
けれど、環境問題も自然保護も、長い長い期間にわたって、人が地道な活動を続けた先に、実現できることです。
しかも、それによって利益を得れるというケースは、非常にすくない。
それでも、やり続ける。
地位でもない。名誉でもない。お金でもない。ましてや誰の命令でもない。
そういうことを、地道にコツコツとやり続けるのが、日本人の本当の勁(つよ)さ、底力なのではないかと思います。
そうそう。駒草といえば、小さな昔話があります。
むかしむかしのことです。
信州(いまの長野県)の小諸(こもろ)の近くにある小さな村に、おこまという、それはやさしい母親がいました。
おこまには、おいちという、これまたとても美しくて気だてのいい娘がいました。
二人は、しあわせに暮らしていました。
ところが、ある年の秋も終わり頃、娘のおいちが、病に倒れてしまったのです。
母親のおこまは、心配でたまりません。
一生懸命看病するけれど、いっこうに病いは回復せず、いつしか暖かい春となっても、おいちは衰弱するばかりでした。
母親のおこまは、藁(わら)にもすがる思いで、信州の西の瑞にある木曾の御嶽神社にまで行き、娘の病気快癒を一心に祈りつづけます。
そして三、七、二十一日の満願の日、とうとう夢のお告げを受けるのです。
「御嶽の頂上に、金銀に輝く葉を持ち、美しい桃色の花が咲く小草がある。娘の病気には、その草をとってきて飲ませよ」
おこまは大喜びで、さっそく御嶽の頂上にまで登ります。
そして、お告げの植物を探しあて、急いで家に持ち帰りました。
そして娘に飲ませましたところ、夢のお告げどおり、おいちの難病は、たちまちの全快したのです。
それからは、この小草のことを、娘を思う母親のおこまの名をとって、オコマグサというようになりました。
いま、コマクサと呼ばれるこの草は、オコマグサがなまって、駒草となったものです。
※「旅先で聞いた昔話と伝説」池原昭治著
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なんだかとても暖かなお話ですね。
最後に一点だけ。
駒草は、6月末から8月にかけて、本白根山頂周辺の至るところで可憐に咲きます。
けれど、とてもデリケートな花なのです。
もし現地に行かれて観賞されるときは、開花前の苗を踏んだり、触ったりしないよう、十分にお気をつけて下さいね。
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