2011年9月28日午後4時ごろ。
皇居・生物学研究所脇の水田(宮内庁提供)

以下は、お世話になっている和源さんからいただいたお話です。
巫女さんが教えてくれる日々の豆知識からなのだそうです。
とっても良いお話です。
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今回の豆知識は、『赤いご飯のヒミツ』です。
みなさんは『赤いご飯』と聞いて、何を思いうかべますか?
きっとほとんどの人が「お赤飯」と答えるでしょう。
しかしお赤飯には、その前があるのです。
古事記にもあるように、日本は昔『みずほの国』と呼ばれていました。
みずみずしくて、さわやかな国。
秋になると稲穂の垂れ下がる豊かな国という意味です。
では、どうしてここまで豊かな国になったのでしょうか?
昔、まだ日本が『みずほの国』と呼ばれていない頃、どこからか赤米という、赤いお米が伝えられました。
古代人はその赤米を何とかして日本に根付かせようと一生懸命働きました。
そのおかげで赤米が日本の風土に根付き、見事な『みずほの国』が誕生したのです。
ところが、生産力の高い白米が入ってくると、生産力の低い赤米は段々作られなくなってしまいました。
しかし、日本人は大変義理がたい。
日本にくまなく稲作文化を拡げてくれた、古代のご先祖さまへの感謝の気持ちを忘れなかったのです。
赤米を作られることが少なくなった今でも、お正月や秋祭りなどの行事がある日には、ちゃんとお赤飯を用意して、御先祖さまにお供えをしています。
赤米を食べることが少なくなった今、みなさんは赤米の代わりに、お赤飯を作って食べているわけです。
また、お赤飯をご先祖さまにお供えする時は、日本に稲作文化を拡げてくれたことへの感謝の気持ちを忘れな
いようにしましょう。
私たちは古代の御先祖さまのおかげで今の生活ができているのです。
【お赤飯のもとは赤米。その赤米とは、古代の御先祖さまが拡げてくれたお米の始まり。】
これが、『赤いご飯のヒミツ』です。
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とっても良いお話です。
赤米(あかまい)というのは、下の写真にあるように、玄米の皮が赤いお米で、稲穂も赤くなる稲から採れるお米です。

野生の稲の多くは赤米で、気候の変化や病害虫などに強い代わりに、私たちが普段食べる白米と比べて収穫量が少なく、糖度が低いので、あまり美味しくないらしいです。
記録としては、奈良県高市郡明日香村の飛鳥京跡から発見された木簡に、献上物として赤米、赤搗米、赤春米などの記載があり、6世紀頃には、まだ広く栽培されていたことが伺えます。
赤米そのものの栽培物の出土としては、佐賀県の吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)で、いまから3000年ほど前の大量の赤米の炭化物が見つかっています。
ですから、いまから3000年前から1500年前まで、日本各地で広く赤米の生産がされていたのは、間違いないようです。
その後赤米は、より収穫高の多い白米に取って代わられますが、それでも何か祝い事があると赤飯を炊いてご先祖様に感謝する。
その伝統は、現代社会となったいまでも残っているわけです。
そして赤飯を炊く理由が、ご先祖様への感謝の心にあるとは・・・。
とっても良いお話だとおもいました。
やっぱり日本て、いいですね♪
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