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聯合艦隊20120201

ネットで拾ったお話をご紹介させていただきます。
「ひうらさんの思ひ出」というものです。
ご存知の方もおおいと思います。
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【ひうらさんの思ひ出】
(帝國海軍は断じて同胞を救ふ)


日本海軍は北洋警備、北洋漁業保護のために、旧式駆逐艦を以て編成する駆逐隊の一隊(定数四隻 司令は大佐または古参の中佐)を毎シーズン派遣していました。
国民性なのでしょうか。
ソ連は昔から露骨な国で、我が駆逐隊が漁業海域に到達し、警備任務に就くやいなや、日頃横暴なソ連艦艇が途端に猫のようにおとなしくなりました。
だから駆逐隊は、毎度漁民から熱狂的大歓迎を受けたものです。
必要に応じて、戦隊もしくは艦隊を迅速に派遣することも行はれたようです。
父の友人に「ひうらさん」という越後の人がいました。
生きておられれば、ゆうに百歳を超えましょう。
明治時代に雪の越後をあとにして、刻苦勉励、あまたの辛酸をなめ、戦後は小金持になって、銭湯など経営して世を終えられた方です。
この御仁が、大正の末か昭和の初め、蟹工船に乗組んで北洋漁業に従事していた時のことです。
氷濤の中、果敢に操業していたある日、突然ソ連の警備艦艇に、いわれなく拿捕され、乗組員一同、ウラジオストックに連行され、抑留されてしまったのです。
取調べは惨たらしいものでした。
生きて再び日の目を拝めるかと思った程だそうです。
ありもせぬ犯罪事實の自白を強要され、半殺し状態で朝を迎え、再び鉄格子の中から引き出されました。
いよいよ殺されるかと半ば覚悟した途端、何故か赤魔官憲の態度が手のひらを返す如くに豹変しました。
捜査は打切り、無罪放免。
ロシア紅茶まで振舞われて、にこやかに釈放するではありませんか。
解き放たれたひうらさん達は、警察署だか獄舎だかの外へ出ました。
天然の港町なら、たいがい地形的に港へ向って傾斜し、海側の眺望が開けています。
半信半疑のまま、ともかくも港に向かおうと、ふらつく脚を海へ向けました。
その瞬間、何故、助かったかがわかりました。
沖には、日本海軍の大艦隊が間近く展開し、旗艦たる巡洋艦以下、各艦砲身を陸に向け、砲門を開き、その強大な攻撃力は毎分幾百幾千発ぞ、陛下の赤子にかすり傷だに負はせなば、ウラジオストックそのものを消滅させんばかりの圧倒的武威を以て、ソ連を威圧してくれていたのです。
旭日の軍艦旗の何と美しく、浮かべる城の何と頼もしかったことでしょう。
皆、感泣しました。
鋼鉄の艦体に頬ずりしたい思いで・・・
ひうらさんは無事、日本に帰りました。
取るにも足らぬ漁舟の、僅かな人数の乗組員の為に、大国相手の戦争をも辞せず、瞬く間に艦隊を繰り出して救出してくれた祖国日本の親心にむくいるためにも、なお一層仕事に励み、三代の御代を生き抜き、東京都江戸川区小岩の自邸で、四半世紀ほど前に大往生を遂げられました。
勤倹貯蓄、関東大震災の前の歳に買ったという革靴を、靴底だけ張替え張替えして、生涯穿き続けました。
「ぜいたくをする金があったら、海軍に献金でもせい!」
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いかがでしたか?
ボクは、このお話を読んで、たいへん感動しました。
これこそが国軍というものであり、君民ともに生きる日本の在り方なのではないかとさえ思った。
軍事をないがしろにし、個人の贅沢ばかりを追求する戦後日本というのは、どこか根本的なところで間違っている。
そう思います。
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