
以下は日心会MLでSさんが投降された記事の転載です。
ひとりじゃないって感じれる日本人的「心」こそが、素晴らしい技術の生みの親になっている。
そう感じさせる一文です。
おススメです。
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【世界一の砲丸職人】
今年はロンドンでオリンピックが開催されますね。
数あるオリンピック種目の中で、今回は「砲丸投げ」についての話を紹介します。
大柄で屈強な選手が砲丸を肩に乗せ、渾身の力を込めて投げた飛距離を競う競技ですが、世界中の選手たちから愛用される砲丸を作っているのが日本人であることを御存知でしょうか。
その人物は、(有)辻谷工業の辻谷政久さんです。
辻谷さんが作った砲丸が最初にオリンピックに採用されたのは1988年のソウルオリンピックの時、しかし当時は、どの選手も辻谷さんの砲丸を使いませんでした。
選手にしてみれば、この大一番のために日々厳しい練習を積み重ね、国の代表として、この場に立っているのです。
無名で実績のない、初採用の砲丸をあえて手に取るリスクは避けたかったのかも知れません。
辻谷さんとしても、丹精込めて作った砲丸が誰にも使ってもらえないのでは、言葉にできない悔しさがあったはずです。
ですが、ここで諦める辻谷さんではなかったのです。
自分の砲丸を、どうすれば使ってもらえるか?その研究を始めました。
ある日、工場近くの土手で試し投げをしていた時、ある事に気付きました。
「同じ重さの砲丸でも、飛ぶ距離が違う。それを調べてみると、飛ぶ砲丸は平らな場所に置いても転がらない、しかし、飛ばない砲丸は転がってしまう。「あ!重心か!」とひらめいたんです。」
そこで、既にオリンピック使用実績のある砲丸を取り寄せ、それらを半分に割ってみると、海外の砲丸はNC旋盤(コンピューター制御の工作機械)で作られていました。
これだと、国際規格の重さに合わせられず、対策として砲丸に穴をあけたり、鉛を入れたりして規格に適合するようにします。
そうすると、重さは合うけれど重心はズレまくる。
重心を砲丸の中心に持ってくれば、選手に受け入れてもらえる!
辻谷さんは確信します。
しかし、重心を中心に持ってくることは至難の業でした。
1つの材料の中でも、密度は濃い部分と薄い部分があるからです。
辻谷さんは、この難問に対し、「肝心なのは勘です。光沢や旋盤を削っている時の音、指先に伝わる圧力などを感じ取りながら、作業を進めていきます。」と言っています。
辻谷さんは長年の勘と感覚を武器に、砲丸の重心を中心に集めることに成功しました。
さらに辻谷さんは砲丸に、あるアイデアを取り入れます。
それまで砲丸は表面がツルツルでしたが、そこに筋模様をいれたのです。
友人50人から指紋を集め、手にフィットするようにしたのです。
「持ちやすくて、投げやすいかな、と。筑波大学の学生さんにも試投してもらったら全員が「投げやすい!」って言ってくれて、JOCの許可も得られて、その砲丸をバルセロナオリンピックに納品したんです。」
すると、面白いことが起こります。
納品した32個のうち、約半分が本番前に紛失したのです。
選手が自国での練習用にと、無断で持ち帰ったのでした。
「なくなったと聞いて、喜んだのはわたしだけでした」と辻谷さん。
当大会では、辻本さん作成の砲丸で獲得したメダルは銀メダル1個。
それでも辻谷さんは、確かな手ごたえがあったようです。
続くアトランタ(1996年)、シドニー(2000年)では、金、銀、銅メダルを独占!
辻谷さんの砲丸は、一躍大人気となります。
しかしその後、表面に筋をつけることは禁止という規約改定がされてしまいます。
「ならば、重心をもっと真ん中にしようと考えましたね。シドニーでは、まだ10分の2程度は重心がズレていた。手触りがツルツルならば重心でカバーするしかないですから」
辻谷さんは不利な規約改定に負けず、前向きに挑戦し続けました。
アテネオリンピック、日本のカメラマンに砲丸投げトップ選手4人が、「今回は日本製はないのか?」と聞いてきます。
表面に特徴的な筋のついた砲丸がなかったのです。
そこでルール改訂の話をすると、彼らは納得してツルツルの辻谷さんの砲丸を手にします。
そして、アテネでも金、銀、銅を独占してしまいます。
4位だったマルチネス選手(スペイン)は、インド製を使用。
競技後、「日本製を使っていれば・・・」と嘆いたという逸話も残っています。
続く北京オリンピック。
ここでも辻谷さんの砲丸は大活躍か、と思いきや辻谷さんは当大会への納入をしませんでした。
あれだけ心血を注いだ砲丸なのに、なぜ?
理由は、サッカーのアジアカップ中国大会での「日本バッシング」や日本大使館への投石などを見て、「この国はオリンピックを開催する資格がない」と感じたからだそうです。
出場選手達にしてみれば、世界一の砲丸抜きで競技するのは非常に残念でしょう。
また辻谷さんにしても、それは不本意だったのではないでしょうか。
しかし、感じたことを信念として貫く姿勢は、正々堂々とした「英断」だったと思います。
今年のロンドンオリンピックでは辻谷さんの砲丸が納品される予定です。
砲丸投げ競技を観る際は、砲丸に込められた職人魂にも想いを馳せてみてはいかがでしょうか。
実は、2001年春に辻谷さんは海外メーカーから週給2万ドルで技術ライセンス譲渡を条件に技術指導に来てほしい、とオファーがあったそうです。
「断りました。鋳物屋さんなどの協力なくして、ここまでの砲丸を作ることは出来ませんでしたし、日本発の技術は大切に守らないといけませんから」
辻谷さんは、こう述べています。
この話で感じていただきたいのは、
北京オリンピックに協力しなかった!
海外オファーも断った!
だから、この人は保守の鑑だ!、といった政治的見方ではありません。
自分の目で見て、感じた想いを曲げない意思。
逆境でもあきらめず、創意工夫と技術で克服する行動力。
大きな誘惑の前でも、自分の立場は決して自分ひとりで築いたのではなく、周りの人々からの協力があってこそ、という謙虚な気持ち。
まともな日本人なら誰もが、美しいと思える日本人ならではの考え方。
そういった考え方を「日本の心」と表現できるのではないかと思い、またその「日本の心」を大事に、そして誇りにして頂ければと思います。
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