
先日「誠と義」という記事の中で、五常の徳について触れさせていただいたのですが、仁、義以外についても、内容を教えてほしいとのメールをいただきました。
ボクなどにはおこがましい限りですが、せっかくの機会ですので自分自身への心覚えとして書いておこうと思います。
いずれも、日本人として一番たいせつなものであり、一方、現代社会で忘れられている概念だと思うからです。
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徳
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「徳」は、「彳(ギョウニンベン)」に、「𢛳」と書きます。
ギョウニンベンの「彳」は、「人がたたずむ」の意で、行動することを顕わすヘンです。
つくりの「𢛳」は、旧字は「悳」と書きました。
「悳」は、そのまま「直(まっすぐ)」な「心」です。
つまり、「まっすぐな心で行動する」ことを「徳」といいます。
なかでも大事なのは、「心」です。
いくら「まっすぐ」に生きていても、「心」がゆがんでいたら、それは「徳」があるとは言わない。
昔は、たとえ貧しくとも「徳」のある人を、みんなが尊敬した。
そのひとつの例が、寺子屋の先生で、だから先生が亡くなると筆子塚を建てて、先生の遺徳を偲んだのです。
寺子屋の先生は、単に学問を教える先生ではなく、教師、すなわち「教」える「師匠」だったのです。
そして生徒は「弟子」だった。
「弟子」というのは、弟や子という意味です。
つまり、血のつながった家族と同様に、互いに大切にしあう。
だから寺子屋の師匠と弟子の関係は、「師弟関係」です。
これに対し昨今では、「金」のある人を、みなが尊敬する。
なぜなら「徳」は主観的で数量化できないが、「金」は客観的で数量化できるから、なのだそうです。
けれど「金」には「心」がない。利害関係があるだけです。
そしてみんなが金が欲しいから、金のあるところに人が集まる。
みんな(=人)の「望み」が「金」だから、望みをたくさん持っている人が「人望」がある人となる。
けれど「人望」と「人徳」は、まるで異なる概念です。
「人望」は利害関係であり、
「人徳」は、心や生きかたです。
さらに共産主義からくる階級闘争の概念が根強いから、教師も上司に対しては、常に階級闘争的に批判し、言うことに逆らい愚痴や文句をいう。
そこに「師」と仰いで学ぼうなどという概念は、現代日本人からはまるでこ削げ落ちてしまっているようです。
上司も部下も、先生も生徒も、ひとりひとりが「徳」を積もうと努力した社会と、人々が金を得ることだけを望みに互いに批判しあう社会では、どちらが社会が成長するのでしょうか。
明確な例があります。
修身教育によって、「徳」を学んだ人達が社会の中心を成した昭和は、日本は焼け野原から世界第二位の経済大国にまで、いっきに成長しました。
「徳」を学ばなかった戦後教育を受けた世代が社会の中心となると、父祖の築いた富を遣うことだけに執着し、バブルを起こし、そしてその後の20年、日本の成長は停滞し、いまや落ち込み、教育も経済も世界のトップから坂道を転げ落ちるように、転落の一途をたどっています。
台湾は、風土病が強く、部族同士が対立し殺しあいが平然と行われ、阿片中毒患者が蔓延する土地でした。
日本の統治が始まると台湾は、わずかな期間でたいへんな成長をし、社会は安定し、人々は約束を守り、官僚と民間が互いに信頼しあう高貴で豊かな社会となりました。
満州も同じです。
人々が互いに良くの皮を突っ張らせて、徳を積むことを忘れた社会と、ひとりひとりが徳を積むことを大切にする社会と、結果としてどちらが社会を良くし、成長させるのか。
私たちは、そのことをもう一度考え直してみる必要があるように思います。
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五常の徳
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「五常の徳」というのは、「徳」の「まっすぐな心」の中味です。
それが、「仁、義、礼、智、信」の「五常の徳」であり、「五常の徳」の実践によって、人は「徳」を積むことができるといわれます。
犬や猫、あるいはゴキブリのような昆虫には、「仁、義、礼、智、信」といった概念を持って生きるということはできません。
ですから、「仁、義、礼、智、信」の実践は、人が人であることの証明でもある、と説かれます。
言い換えれば、人が昆虫や動物ではない、人として存在する価値は、「仁、義、礼、智、信」の「五常の徳」が揃うとき、はじめて人は動物や昆虫でない、「人」となる。
もっとひらたくいえば、「徳」がなく、「欲」しかないのは、犬や猫どころか、ゴキブリのような昆虫と同じ、ということです。
人として生まれて、昆虫として生きるか、
人として生まれて、人として生きるか。
日本人はいま、昆虫民族になるか、人の生きる国家となるか、神々に試されようとしている。
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仁(じん)
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「仁」という字は、「ニンベン」に、「二つ」と書きます。
ですから「仁」は、二人がひとつになること。
転じて人々が一体化していくことを指します。
共に泣き、共に笑い、共に喜び、共に怒り、共に死ぬ。
誰かとともに同喜し、同苦し、同泣する心を、「仁」といいます。
それは、相手をいつくしむ心、同情し、思いやり、親しむ心です。
だから「仁」と書いて「ひとし」とも読む。
「仁政」といえば、施政者が、被施政者と共に喜び、共に泣き、共に成長する政治です。
ですから聖徳太子の十七条憲法にいう「和をもって貴しとなす」は、「仁政」の宣言ということができます。
戦時中、硫黄島その他の南方の島々で玉砕した日本兵たち、沖縄戦を戦い抜いた日本兵たち、あるいは特攻隊として決して帰れぬ戦いに挑んだ英霊たちは、祖国を守るための礎(いしづえ)となりました。
祖国というのは、自分たちの家族のいる国です。
もっといえば、日本が家族であり、その家族を守るために死んで行った。
それも「仁」の心です。
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義(ぎ)
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「義」は、先日詳しく書きました。
「義」は、「羊」と「我」という字によって成り立っています。
「羊」というのは、古代においては、神前への捧げものです。羊を殺して、神に捧げた。
ですから「義」は、「我を殺して神に捧げる」という意味です。
会津藩の家老の息子であり、東大総長を三度勤めた山川健次郎は、その東大総長のときに、日露戦争で日本が苦戦しているのを見て、自分を一兵士として参加させろと陸軍省の人事局に迫り、陸軍省の担当官を困らせました。
東大の総長が、将軍として大陸の戦場に行かせろというのではないのです。
東大の総長が、一兵卒として戦場に行かせろというのです。
国を守るという戦いに、階級や職位は関係ない。
国を想うひとりとして、自ら人柱として戦場に赴く。
それが「義」の心です。
いま、日本は、建国以来の危機にあると言われています。
ひとつめが元寇。
二つ目が幕末。
三つ目が大東亜戦争。
そして四つ目が、国家観と歴史観の失われた現代です。
この危機に、自らの命を省みず戦いを興す。
それが「義」であり、その人が「義士」です。
損得勘定の上には、「義士」は存在しません。
損得を超え、不自惜身命の心を持ってたちあがるところに「義」がある。
自分だけは絶対に弾の飛んでこない安全なところにいて、匿名で他社の批判や非難、中傷ばかりする。
そういう者は「義士」とは呼ばない。
いくらきれいごとを並べても、損得抜きで自らの命を投げ出して戦う姿勢がなければ、それは「義士」ではない。
昨今、保守系諸団体において、内部崩壊を導こうと画策する者がまるでウイルスの如く猛威を振るっています。
けれどそうしたウイルス達は、すぐ見破れます。
なぜなら彼らは、すぐに損得勘定を口にする。
命を賭けて私たちの国を守り抜くという覚悟がないからです。
つまり、「義」の心がないのです。
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礼(れい)
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「礼」は新字で、もともとは「禮」と書きました。
シメスヘンに「豊」と書いて「禮(れい)」です。
「示す」というのは、人に見えるように指し示す、あるいは知らしめることをいいます。
それを豊かに行う。
これが転じて、すべての人が行うべき「外形上の秩序」を「禮」といいます。
豊かに示すのです。
ですから、礼を行う時は、相手にはっきりとわかるように行う。
最近のことですが、ある会社に早朝、朝礼の前から訪問させていただく機会がありました。
当然、社員のみなさんが出勤して来る。
この会社では、社長が「うちの会社は社員がちゃんと挨拶できる」というのが自慢です。
見ていると、なるほどみんな「おはようございます」と声を出して入室してきます。
ところが、です。
みんな目を伏せていて、誰も相手の顔を見て挨拶しない。
で、社長さんに言いました。
「どなたも口では挨拶をしていますが、相手の顔を見ていませんね」
「いやあ、気付かれましたか。最近、とみにその傾向が強くなって来ていて・・・」
相手の顔を見ない、眼を見ないということは、みんなが打ち解けよう、和をもとう、もっといえば社員としての一体感を持とうという心がどこかに行ってしまっているということです。
「礼」は「外形状の型」ですが、その「型」は、相手にはっきりと伝わるように示して、はじめて「礼」となる。
「社長、社員さんたちに、相手の眼を見て『おはようございます』と言うように、これは強制してみてください。あっと言う間に社内の雰囲気が変わりますよ」
と申し上げさせていただきました。
それから1ヶ月後、その会社では、社員間のコミュニケーションが良くなり、業績向上の兆しまで現れて来たそうです。
昔は、授業の開始時刻に、先生が教室に入って来ると、「全員起立!」「礼」「着席!」とやったものです。
日本の武道は、すべからく「礼に始まって、礼に終わる」と言いますが、これは何も武道に限った話ではありません。
日本文化や日本精神は、すべて、「礼に始まり、礼に終わる」。
その「型」をないがしろにするということは、それだけで日本文化を破壊することになる。
いささか極論に思えるかもしれませんが、本来「礼」というのは、そういうものだと思います。
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智(ち、さとし)
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「智」は、「知」とは異なります。
「知」は、「矢」と「口」から成り立ちますが、戦いの場では、あたりまえのことながら「矢」をたくさん持ち、射れる方が有利です。
ですから「知る」ことは、たくさんの矢弾を持つに等しく、それだけ人生を豊かにする。
けれど「智」は、「日」の上に「知」が乗っかっています。
日本では、「日」は、天照大神(アマテラスオオミカミ)です。
つまり、単に「知る」だけでなく、日本の最高神であるアマテラスの心を持つことが「智」です。
言い換えると、単にものごとを「知る」だけを「知」と言い、
天照大神の心を持って「知る」ことを「智」と呼ぶ。
ですから、曲学阿世の徒とは、単に「知」を持つだけの者を言います。
「知」は、「智」となって、はじめて人々の役に立つ。
単に勉強ができる。テストの成績が良いというだけでは、「知」を得たにすぎません。
学んだことを活かし、多くの人々の役に立つようになって、はじめて「智」の人となる。
そういうものではないかと思います。
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信(しん)
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「信」は、ニンベンに「言」うと書きます。
ですから「信」は、他人または自分の言うことです。
その言葉に、嘘偽りがないこと。
それが「信」です。
「信」は、嘘を言わず、「言」と「行」ないを一致させます。
つまり、やると決めたらやり抜く。
その場限りの言い訳をしない。
決めたら、やり抜く。
それを「信」といいます。
身を捨てて国を守り抜くと決めたら、残りの障害をそのためにやり抜く。
損得抜きでそんなことをする者は、人は馬鹿だと言うかもしれない。
けれど、やると決めたらやるのが日本男児というものだし、それが大和魂でもある。
吉田松陰が、
「かくすれば、かくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」と詠んだのは、まさに、自己の「信」に忠実たらんとしたことによるものです。
いまのような政権が続けば、これからますます保守の行動は規制され、なかには先般の蓮舫立会演説会の際の事件のように、「民主党は解党しろ」と書いたプラカードを持っているだけで、不当逮捕を受けるような事件は、これからも頻発ことでしょう。
けれどいま、多くの保守系の仲間たちは、もはや身を捨てて立ち上がり、行動を起こしています。
誰に決めてもらったわけでもない。
自分でやると決めた。
その自分に忠ならんと思っているだけです。
その心が、まさに「信」であろうと思う。
いささか散文になりました。
ここまで書いたので、孝、悌、忠、勇についても、書いておこうと思います。
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孝(こう)
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「孝」という字は、「耂(老人)」と「子」から成り立っています。
ですから「孝」は、身内の年長者によくつかえるという意です。
「親孝行」といえば、「親によくつかえる行い」を指します。
その「孝」をつくすべき「親」は、単にとうちゃん、かあちゃんにとどまりません。
なぜなら「孝」は、「耂(老人)」と「子」から成り立っているからです。
当然、祖父母、曾祖父母、そのまた曾祖父母と、代々続く血脈のすべてに対してつくす。
それを「孝」といいます。
戦前までの日本は、大家族主義の国でした。
家には、祖父母がいて、両親がいて、子がいて、孫がいる。
三世代、四世代の同居は当たり前の姿だった。
ですから子は、親や学校だけでなく、祖父母から先祖の話や、昔の様子を聞いて育った。
そうした中で、家族の大切さや「孝」の精神が、むしろ自然なものとして育まれていったといえます。
ところが戦後の日本は、核家族主義です。
祖父母は、遠くにいて、子はめったに祖父母に会うこともない。
これには、個人的にはボクは、戦後改正された建築基準法がおおいに影響していると思っています。
なにせ戸建住宅は、土地が30坪、建坪が25坪と決められた。
そのため、豊葦原の瑞穂の国として、日本中、どこにでも見られた田んぼや畑の風景は、戦後、ことごとく宅地に変わり果てています。
土地の有り余っている大陸なら、それも良いのかもしれません。
けれど、土地が狭く、平野部が狭くて、人々が密集して生活している日本で、はたして核家族化や小規模戸建住宅開発が果たして子々孫々のためになっているかというと、はなはだ疑問です。
現に、昨今では、夢多くして家を新築した第一種住居専用地域は、老朽化した老人家族の住む家となり、あと50年もすれば、その地域は、人の住まない廃墟となる危険さえ現実のものとなりつつあります。
日本は、建築基準法を見直し、最低でも建坪70坪、上物50坪、三世代同居住宅を前提とする住宅制度に変革すべきだと、思います。
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悌(てい)
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「悌」は、先日書いた通りです。
「悌」はリッシンベン「心」に、「弟」で、弟の心で良く兄長につかえること、あるいは弟が兄を敬愛することを意味します。
わかりやすく言えば、兄貴をたてること、です。
そこから派生して、長序の礼をわきまえ、兄や上長を敬愛する心を指しています。
左翼思想、あるいは共産主義思想に染まった人には、この「悌」の概念がありません。
なにせ、上司と部下、親と子、兄と弟は、常に「階級闘争」をする相手だからです。
だから上長を尊敬しようという人がいると、鼻で笑って、「あの人は、そんな尊敬に値するような人物ではない。だから言うことを聞く必要もない」などと、批判ばかりを繰り返すようになる。
そして現代日本では、どういうわけか「批判こそ正義」と思われているような風潮さえあります。
しかし上に述べた通り「義」というものが、我が身を神に捧げる意ならば、「正義」とは、正しい道に我が身と心を捧げることです。
それがはたして、無責任に批判だけを繰り返すことなのでしょうか。
「悌」というのは、現代の日本人が、もっとも忘れている人の道の心なのではないかと思います。
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忠
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「忠」は、「真ん中」の「心」と書きます。
自らの心の中心に置くもの。
それが「忠」です。
「忠」は、単に会社や上司や組織に尽くすことを「忠」と言いません。
たとえば、過日の尖閣諸島で、China漁船と海上保安庁の巡視船の衝突ビデオを投稿した元海上保安官の一式正春さんの場合、勤め先である海保に対しては、彼は不忠です。
なぜなら海保職員としての禁を破ってビデオを公開したからです。
けれど彼を「不忠の人」と罵る人はおそらくいない。
なぜかというと、彼の行動は、単に海保の職員という枠を超えて、日本のために起こした行動だからです。
つまり「忠」は、より高次なものを自己の中心とすることで、より深い「忠」となる。
先日、浅野内匠頭と吉良上野介の諍いは、山鹿流という皇室尊崇思想と、幕閣としての佐幕思想の思想上の対立が原因と書きました。
その事件から、大石内蔵助の吉良邸討ち入りまでの物語が「忠臣蔵」ですが、これが爺さんにいじめられてキレて刃傷沙汰を起こし、切腹となった若侍の仇討ち物語なら、「忠臣蔵」とは言いません。
せいぜい「赤穂藩浅野家家臣仇討ち物語」です。
けれどそれが「忠臣蔵」と呼ばれたのは、まさに、佐幕か勤王かという思想上の対立があったから。
その思想に「忠」たらんとして刃に及んだ藩主の遺恨を、山鹿流陣太鼓を打ち鳴らして討ち入りをし、見事、主君の遺恨を晴らした物語だから「忠義」の「臣下」の「内蔵助」の物語で、「忠臣蔵」と呼ばれた。
つまり「忠」は、一義的には、上司とか会社とか主君とかの「形あるもの」を自己の「中心」に置くことを言うけれど、その奥底にあるのは、もっと形而上学的な存在に、自らの中心を置くこと。
それが「忠」なのであろうと思います。
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勇(ゆう)
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勇気の「勇」は、もともとの源字は「勈」です。
「甬」というのは、上下に突き通す、という意味で、これにシンニュウがつくと「通」となります。
したがって「勈」は、「力」を込めて「上下に突き通す」という意味で、そこから転じて、いさましい、気持ちが奮い立つ、恐れ知らず、強い、思いきりが良い、といった意味の文字となっています。
「勇」については、論語に面白い記述があります。
「子曰、君子有勇而無義爲亂、小人有勇而無義爲盜」
子いわく、
君子、勇ありて義なくば、世、乱れるに至る。
小人、勇ありて義なくば、盗人に至る。
勇ましい勇気は、膂力より生まれます。
膂力は、心身を鍛えることによって身に付く。
ただし、心身を鍛え、勇気を奮い起こすには、その奥底に我が身を捨てても大義に尽くさんとする「義」の心がなければならないという意味です。
上に立つものに勇気ばかりがあって義心がなければ、その組織は必ず乱れ、
下の者に勇気があっても義心がなければ、その者たちは最後には野盗になる。
先日、朝鮮半島で戦後すぐに世話になった恩人の和夫さん一家を殺害した朝鮮人の事件のことを書きましたが、要するに、殺害した犯人の朝鮮人たちには、この「義心」がなかった。
ただ欲望と、人殺しの勇があっただけ。
すなわちそういう行為を成す者は、小人だ、ということです。
さて、長くなりましたので、このへんにしときます。
でも思うに、昔の日本人は、こういうことを幼いころからずっと叩き込まれて育っているのですよね。
よく「明治の気骨」なんていうけれど、現代日本人と昔の日本人の最大の違いは、こうした徳や、仁義礼智信孝忠悌勇といった人として、もっというなら文明人としての教育を、きちんと受けていたということなのではないでしょうか。
ここまで乱れ、精神を荒廃させた日本人が、もとも高次元な精神性を取り戻すには、まだまだ長い年月が必要なのだろうと思います。
けれどそれは、「取り戻そう」という熱意と具体的な行動があってはじめて未来に実現できるものなのではないかと思う。
そしてこうした徳育というものは、本当は世界の一般民衆が、もっとも待ち望んでいるものなのではないかと思います。
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