
ある女性のお話をしてみようと思います。
その女性は、昭和14(1939)年のお生まれで、今年72歳になります。
彼女は、中卒で掃除のおばちゃんをしています。
けれど彼女は、あのビル・ゲイツ(Microsoft社社長)と対等に話せ、招待される友人でもあります。
彼女は、幼いころご両親を亡くされました。
中学を卒業した彼女は、だからすぐに働きにでなければならなかった。
関西で育った彼女は、地元の大手百貨店に就職のための面接を受けに行きます。
けれど面接官の人は、彼女が孤児であることから、最初から冷たい。
自分を受け入れてもらえることはない、と確信した彼女は、
「私のような者に働き口を提供するのも、あなたがたの仕事なのではありませんか?
これで失礼します」と、席を立った。
自分ではどうすることもできないことで、自分が評価され、見下される。
14歳の彼女は、辛くて、悲しくて、涙が止まらなかった。
いまから60年も昔の出来事です。
彼女は、結婚し、一児をもうけ、家計のためにと働きに出ます。
仕事は、掃除のおばちゃんでした。
出勤は早朝、時間は不定期で、土日も出社。帰宅が極端に遅くなる日もある。
けれど彼女は一生懸命仕事をして、いつしかマイクロソフト日本支社のビルの清掃責任者となりました。
30名余の部下を使い、みずからも清掃を行う。
ある日のことです。
男子トイレの掃除を終え、清掃道具を持ってそこから出ようとしたとき、背の高い外人と入り口でぶつかりそうになりました。
その外人さんは、「 I'm sorry」と言った。
おばちゃんは、おもわず「ヒゲ、ソーリー」と答えた。
日本語のわかるその外人さんは、笑いながら、自分のあごの周りを撫でるふりをしながら「ひげ剃り?」と笑った。
おばちゃんも笑った。
その外人さんが、ビル・ゲイツでした。
大の日本好きであるビル・ゲイツは、マイクロソフト社の中で、いつも日本の作務衣を着ているそうです。
他の社員さんたちは、重役も平社員も、みんな背広にネクタイです。
ビルの中で、ビル・ゲイツひとりが作務衣を着ている。
そしてどこに行くにも、常にビル・ゲイツには、二名のボディガードがついています。
トイレに行くときは、ボディガードは、トイレの入り口前に立つ。
だからそのとき、ビル・ゲイツは、ひとりでトイレのドアを開けて入って来たのです。
ほんの、ひとこと二言の会話でした。
トイレで鉢合わせし、ヒゲソーリーと冗談を言ったなどというのは、誰でもすぐに忘れてしまうような、ほんの些細なできごとです。
ところが、それから間もなくしてあったクリスマスイブの社内パーティで、おばちゃんは突然、パーティーに参加するようにと内線電話で呼ばれます。
仕事中だし、他の掃除のおばちゃんたちもいるしと断ると、しばらくしてまた内線がかかってきました。
「おばちゃんたち全員、参加してください、ビル・ゲイツ社長からの直々の依頼です」というのです。
やむなくおばちゃんは、当日出社していたおばちゃんたち全員を呼び、みんなでパーティ会場に行きました。
おしゃれなんてしていません。
普段の作業衣のままです。
こわごわと会場に入って行くと、そこにはたくさんの社員さんがいる。
ビル・ゲイツもいる。
普通の社員さんだって、ゲイツと直接会話なんて、なかなかできません。
そのビル・ゲイツが、おばちゃんを見つけると、とっても嬉しそうな顔をして、よく来てくださいました、とおばちゃんを抱きかかえんばかりに歓迎した。
そしてみんなにも、このおばちゃんは、すごい日本人で、自分が大好きな人ですと紹介してくれた。
一緒にいた他の掃除のおばちゃんたちにも、ビル・ゲイツが単なるおべんちゃらではなく、本気でこのおばちゃんを尊敬し、親しみを込めていることがわかったそうです。
それほどまでにビル・ゲイツはおばちゃんを歓迎した。
この話を聞いて、ボクは大変に感動しました。
掃除のおばちゃんたちというのは、会社の中ではいわば日陰の人です。
トイレで出会っても、廊下ですれ違っても、その存在自体が意識すらされない。
けれど日本びいきのビル・ゲイツは、どんなに汚い仕事でも、どんなに辛くても、何十年でもそれを誠実に行い、しかも「ヒゲソーリー」というくらい、ユーモアとウイットを忘れず、堂々と自らの仕事に精を出す。
そんな本来の日本人の典型を、彼女の中に見いだしたのであろうと思うのです。
作務衣を着て、日本が大好きなビル・ゲイツには、彼女が誠実に毎日の清掃をしていること、自分の仕事に誇りを持って生きていること、そして彼女が胸を張って堂々と生きていることを、瞬間に見抜いた。
だからこそ彼の心の中に、彼女への尊敬の念がわき起こり、トイレであった小さなその事件を忘れず、パーティに全員を招待した。
そういうことであろうと思うのです。
世界を知る大人物のビル・ゲイツが、日本でただひとりの信頼できる友人とまで称したこのおばちゃんは、今年で72歳になられます。
同じ歳の旦那さんは、ある会社の経理をしていて、定年後もその手腕を買われて会社に残り、たいへんな高給をとっておいでの方です。
つまり、彼女は、別に働かなくたって、十分飯を食って生けれるだけの収入がある。
けれど彼女は言います。
「働かないと体がなまるし、働くことで毎日人様のお役に立てれることがとっても嬉しいのです」
明治のはじめ、日本にやって来た外国人たちは、日本人がとってもきれい好きで、庶民たちもとってもよく笑い、とっても明るく、自分の仕事に誇りを持って日々を送っている姿に、たいへんな感動をしています。
以下に櫻井よし子さんが自由社の「新しい歴史教科書」に寄稿した文章の一部を転載します。
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「江戸参府紀行」を著したジーボルトは、日本では身分の違いは、欧州よりもなお厳しい格式で隔てられてはいるが、人々は同胞として相互の尊敬と好意によって堅く結ばれていると書いた。
「武士の娘」を著した杉本鉞子(えつこ)は、「召使いは地位は低くても、家族として扱われ、主人とともに喜び、共に悲しみ、また主人も召使いを親身になって世話したものでありました」とし、しかし互いに親しみ、思いやりあう主人と召使いであっても、「主従の間がみだりになれなれしすぎるということはありませんでした」とも書いた。
人の上に立つ者ほど己を厳しく律することが自明の理とされた日本で、身分の下の人々もまた、満ち足りた幸福そうな笑顔を浮かべて暮らしていたことに、諸外国の人々は驚いた。
その日本を指して、在日フランス大使となったポール・クローデルは、「彼らは貧しい。しかし、高貴である」と語った。
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もうひとつ。日心会のMLから。
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2000年7月4日、20世紀最後のアメリカ独立記念日を祝う洋上式典に参加するため、世界各国の帆船170隻、海軍の艦艇70隻がニューヨーク港に集結しました。
翌日の5日に英国の豪華客船「クイーンエリザベス2号」が入港してきたのですが、折悪しくも2ノット半の急流となっていたハドソン川の流れに押された巨大な客船が、4隻のタグボートの懸命な操船も虚しく、係留中の海上自衛隊練習艦「かしま」の 船首部分に接触する事故 を起こしてしまいました。
着岸したクイーンエリザベス2号からすぐさま、船長のメッセージを携えた機関長と一等航海士が謝罪にやってきました。
相手の詫び言に対応した「かしま」艦長・上田勝恵一等海佐はこの時、こう答えたそうです。
「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。
それよりも女王陛下にキスされて光栄に思っております!」
これが何千人もの船乗りたちの間で大評判になり、ニューヨークだけでなく、ロンドンにも伝わって「タイムズ」や「イブニング・スタンダード」も記事にし、日本のネイバル・オフィサー(naval officer:海軍士官)のユーモアのセンスを評価する声が高かったそうです。
この事故、場所が英国と日本の治外法権の場所(米国)ということで、下手に揉めれば論争に発展する可能性がありました。
また、もしそうなった場合、英国の威信を少なからず傷つけることにもなりかねません。
このような状況をサラリとユーモア一言で片付けた上田勝恵一等海佐の対応能力は相当優れていたと言えるでしょう。
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個人主義が蔓延し、自分さえ良ければと、人の足を引っ張ったり、文句を言ったり、揚げ足を取ったりという風潮が蔓延するいまの日本の中で、いまだ日本人の日本的心をしっかりと持った人達がいる。
そういう人を一瞬で見抜いたビル・ゲイツは、大の日本びいきの人でもある世界最高峰のビックマンであった。
そしてビル・ゲイツが尊敬する日本人というものが、毎日を誠実に生き、ユーモアとウイットを失わず、日本人としての心を持って生きている普通のおばちゃんであった。
そのことに、ボクはなにかとても感動し、考えさせられるエピソードだと思い、ご紹介させていただきました。
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