
神奈川に、manadara(マナダラ)という画家の先生がおいでになります。
東京芸術大学を卒業後、日本画を中心に幅広く制作活動をしておいでの方です。
絵は、日本画という伝統的な手法、懐古的な題材を守りながら、今までの概念を超え、画面の天地左右を自由自在に扱い、退屈のないドラマチックな展開を表現するのが特徴のです。
この先生が、実は、古事記の普及促進にと、古事記をテーマとした創作活動をされています。
古事記は来年、太朝臣安萬侶(おほのあそみやすまろ、太安万侶(おおのやすまろ))によって献上されてから、ちょうど1300年の節目となります。
よく「記紀」といいますが、これは「古事記」と「日本書紀」を合わせた言葉です。
成立は古事記の方が古く、古事記が和銅5(712)年、日本書紀が養老4(720)年です。
平安時代には、日本書紀の方が「正史」とされ、当時の貴族たちの歴史教科書となった。
つまり、紫式部なども、日本書紀を勉強したわけです。
不思議なのは、なぜ「日本書紀」が「正史」となったか、です。
今日は、manadara先生のご紹介なのですが、このお話を書くのにちょっと脱線することをお許しください。
「古事記」と「日本書紀」では、物語の表現に微妙な違いがあるのです。
しかも、「日本書紀」は記述に数々の矛盾があるのに、「古事記」にはそれがない。自然なのです。
もともと、何百年もの間、口伝で人から人へ、口から口へと伝承されてきたものを、書にまとめたわけです。
人から人へと経由する間に、矛盾点はなくなり、前後の物語が一体化し、言葉に隙がなくなる。
とくに日本人の場合、言霊というくらい、言葉を大切にする国民ですから、ほんの一行、一行、単語のひとつひとつにまで気配りがなされ、後世の人がそこから多くを学べるように工夫がされる。
たとえば「古事記」では、イザナキ、イザナミの出会いは、互いに「我、成り成りて成り余るところあり」、「我、成り成りて成り足らざるところあり」と言いあうシーンがあります。
実はこの
「成り成りて、成り余る(足らざる)」というのは、非常に矛盾をはらんだ言葉です。
「成り成りて」は、「完璧に成長して大人になった」という意味です。
完璧に成長したということですから、単に肉体だけでなく、頭の方もちゃんと勉強して成長を遂げた。
つまり心身も学問もちゃんと修養し、鍛え上げ、完璧な大人になった。
ところが、男性のイザナキには、完璧に成長したはずなのに、余っているところがある。
完璧に成長した女性のイザナミには、足らないところがある。
そこでこの「余っているもの」と「足らないところ」を合体させて、大切な子孫を産んだ、となっています。
このくだりひとつをとっても、とても大切なことが書かれています。
つまり、男女とも完璧に成長してはじめてセックスの対象となり、同時にセックスは大切な子を産むための神聖な行為である、というメッセージがそこにある。
逆にいえば、成長途上の子、つまり学生や未成年の子供は、まだ「成り成りていない」のだから、性はオアズケです。
「エッチしたいなら、もっとちゃんと勉強して、オトナになってからにしなさい!」というわけです。
これは神話が単に史書というだけでなく、口伝によって多くの人に広がり、子孫たちにとってのとても大切な人生教科書にもなっていた、ということでもあろうと思う。
ところがこのイザナキ、イザナミの記述が、「日本書紀」になると、陰陽の概念に変換されていて、男性に陽物、女性には陰部があるから、その二つを合体させようという物語になっている。
「成り成りて」という実に日本的な物語が、「陰陽道」というChinaからの渡来概念に置き換えられているのです。
なにか、クサイ(笑)。
古事記の成立が西暦712年、日本書紀が西暦720年です。
この少し前に、日本史上とんでもない大事件が勃発しています。
それが、天武天皇元(672)年の「壬申の乱」です。
「壬申の乱」というのは、教科書では簡単にサラッと流されてしまうけれど、実は、武力でご皇室が制圧されたという、日本史上唯一のとんでもない大事件です。
その少し前の天智2(663)年には、白村江の戦いが行われた。
日本と百済の連合軍が負けたということは、百済の難民が大挙して日本に逃げてきた可能性がある。
そして仏教を信仰する蘇我氏が、我が国古来の国士である物部氏を討ったのが用明天皇2(587)年です。
こうした歴史を振り返ってみると、なにやら大東亜戦争とその後の日本とボクにはどうしてもオーバーラップして見えてしまうのです。
どういうことかというと、まず蘇我と物部の対決があった。これがいわば明治維新です。
その76年後、アジア最大とも称される白村江の戦いがあった。
新羅、Chinaの連合軍と、日本、百済連合軍の戦いです。
これが大東亜戦争。
その9年後、壬申の乱が起こる。
GHQによる日本占領です。
けれど、日本を大事にしようとする保守勢力は、まだまだ国内に温存されており、彼らは壬申の乱の40年後、在日渡来人による日本占領を嘆き、日本の正史を「古事記」として書き顕わした。
これは実にインパクトのある出来事です。
日本人が日本人としての誇りに目覚める。
そこで在日渡来勢力が、これはたいへんと、微妙に国史を書き換えて作ったのが「日本書紀」なのではないか。
平安時代を通じ、「日本書紀」は我が国の正史とされました。
そして「古事記」は封印された。
その「古事記」が、再び世に出たのが、なんと「日本書紀」が顕わされてからなんと一千年を経過した江戸時代中期、本居宣長が現れてからのことです。
本居宣長は、万葉集の研究に生涯を捧げた賀茂真淵の子弟にあたります。
本居宣長は、明和元(1764)年から寛政10(1798)年まで、なんと35年もかけて古事記の注釈を書き表した。
本居宣長の顕わした「古事記伝」は、古事記全巻の注釈本としては、古今東西において、唯一のものです。
いまでも古事記を研究する学者は多いけれど、本居宣長以後、古事記全巻の注釈本を書いた人は誰もいない。
万葉集の研究の賀茂真淵からはじまり、古事記研究の本居宣長、そして宣長の弟子の平田篤胤の「復古神道」に至り、我が国の「国学」の道が拓けました。
国学は、「四書五経」をはじめとする儒教の古典や仏典の研究を中心とする学問傾向を批判し、日本独自の文化・思想、精神世界を日本の古典や古代史のなかに見出していこうとする学問です。
江戸時代に、この「国学」が生まれ、一方において山鹿素行の「中朝事実」など民族派の思想が広がり、大塩平八郎の檄文、明治維新へと日本の大改革が始まっています。
一般に明治維新は、尊王攘夷の旗印と言われるけれど、その心にあるのは知行合一を説く陽明学であり、平田篤胤の復古神道、そしてその根にあるのが、本居宣長の古事記伝です。
人は、物語の中に生きると言われます。
戦前、死んで靖国神社で会えると信じたのも、我が国は天壌無窮の神勅を受けた豊葦原の瑞穂の國として米を農業の主に据えたのも、世界はみな兄弟と信じたのも、すべてその根にあるのは、日本神話であり、古事記の物語が持つ世界観です。
ちなみに宮崎アニメの天空の城ラピュタの世界も、もののけ姫のシシガミ様も、森の精も、日本神話が土台になっています。
そしてそのアニメは、海を渡りジェームズ・キャメロン監督によって映画「アバター」の世界観となって世界に広がりました。
いま、ハリウッドでは日本映画やアニメのリメイクもの、あるいは二次創作ものを作れば大ヒットする、というのが流行になっているのだそうです。
日本神話は、つまり、いま、まさに世界のトレンドの源流をなそうとしているとさえいえる。
その日本神話の根っこにあるのが、まさに「古事記」の世界なのです。
「古事記」の世界を学ぶと、実におもしろいことがわかります。
日本では、アマテラスが最高神ですが、アマテラスは、女性神です。
女性神を最高神としているのは、世界で唯一、日本だけなのだそうです。
そして古事記に登場する神々は、どの神々も、最初に登場したときにはろくでもない(笑)。
あのスサノオだって、最初はママが恋しいと、ヒゲ面のいいオトナになっているのに、仕事もほっぽりだして毎日大声で泣いてばかりいた。
いまで言ったら、いい歳した若者が、仕事もしないでひきこもりになり、家でパソコンゲームばかりしているようなものです。
そのスサノオが、ワガママからたまたま世に出ることになり、そこでありとあらゆる試練を与えられ、立派な大人として成長する。
大国主のミコトも、最初に登場したときは、兄弟たちみんなの荷物を担がされる、ただのパシリです。
けれどパシリのオオクニヌシには優しい心があって、因幡の白ウサギを助ける。
そのことから、オオクニヌシは、ありとあらゆる迫害に耐えながら、最後には「大いなる国の主」つまり「大国主」に成長する。
古事記の物語は、神々の成長の物語でもあるのです。
そしてその物語は、私たち後世の人に、勇気を与えてくれる。
冒頭にご紹介した画家のmanadaraさんは、そうした古事記の世界を、いままさに世界に向けて絵画を通じて世界に情報発信されています。
日心会では、9月17日午後2時から、文京アカデミー湯島で、高森明勅先生をお招きして、日本神話の勉強会を開催します。
そのとき、manadaraさんから、古事記の絵画の絵はがセットを9名の方に進呈します。
(10セットmanadaraさんからお預かりしましたが、ひとつは高森先生に進呈)
どうぞふるってご参加ください。
【「日本の神話」勉強会】
日時:9月17日(土)14時から
場所:文京アカデミー湯島「学習室」
東京メトロ丸の内線・都営大江戸線「本郷三丁目駅」下車 徒歩10分
都営地下鉄千代田線「湯島駅」下車 徒歩7分
バス「湯島4丁目」下車 徒歩4分
講師:高森明勅氏(日本文化総合研究所代表)
参加費:1500円(初めての方)、
1000円(以前も参加された方)
主催:日本の心をつたえる会
愛国女性のつどい花時計
申し込み方法:
info@nippon-kokoro.com
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manadaraさんのHP
http://www.muse-product.ecnet.jp/popkojiki1.html
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