
子供の喧嘩といえば、昔は「とっくみあい」の喧嘩をよくしたものです。
それが最近では、滅多に喧嘩をすることもなく、たまにあっても「殴り合い」になるのだそうです。
原因は、幼いころからのテレビの刷り込みで、「○○レンジャー」などの怪物ものので、キックやパンチを目で見て覚える。
いやはやテレビの影響というのは、おそろしいものです。
そういえば、初期の頃のウルトラマンは、最後はスペシウム光線で怪獣を倒すけれど、その途中の格闘シーンというのは、いま思えばまさに「とっくみあい」でした。
それがパンチやキックでの戦いが主流になったのは、仮面ライダーくらいからです。
以後は、子供の喧嘩も、パンチやキックが主流になった。
もともと喧嘩といえば「とっくみあい」だったのには理由があって、昔の人は幼いころから剣術を習ったから、実は、パンチが当たらない。
どんなハードパンチャーの拳でも、木刀の切っ先のスピードには敵わないです。
木刀と書きましたが、剣道が今のような防具と竹刀というスタイルになったのは、実はずいぶんと最近のことなのです。
それ以前の剣術道場というのは、基本、防具はつけません。
竹刀もない。
練習着を着て、木刀を持って稽古した。
木刀は、たいてい硬くて丈夫な樫の木でできています。
中には、黒檀を用いた重いものもある。
新撰組の近藤勇や土方歳三などが学んだ天然理心流では、真剣と同じ重さになるよう、太くて分厚い木刀が用いられています。
これで打ちあうのです。
当たれば、大けがをします。
打ちどころが悪ければ、死にます。
そういう道具を使って、防具もつけずに稽古したのです。
ですから、剣術の稽古で何を学ぶかといえば、とにもかくにも、相手の太刀筋や動きを読んで、毛筋一本で、その攻撃をかわす。
当然です。
当たれば大けがをするのです。
これが木刀でなく、真剣なら、死んでいる。
だから、決して「あたらないよう」に全力を尽くしてこれをかわした。
そういう訓練を積んだのです。
ついでに申し上げると、よく最近のテレビや映画などである「つばぜり合い」は、剣術では「禁じ手」です。
木刀同士なら、相手の打ち込みを木刀でかわしても、それは木と木がぶつかるだけで済むけれど、これが実戦なら日本刀と日本刀がぶつかるわけです。
日本刀は、すぐれた切れ味を持つけれど、薄くて鋭利です。
薄くて鋭利な刃物と刃物がぶつかりあったらどうなるか。
考えなくてもわかることです。
刃こぼれするし、折れたり曲がったりしてしまう。
伝家の宝刀という言葉がありますが、精魂こめて作られ、先祖代々伝わる大事な刀を、使い方を誤って折ったり、傷にしたりしたら、ご先祖様に申し訳がたたないと考えるのが、日本人です。
だから、日本刀での斬り合いに、刀と刀を、チャリーンと合わせるなどという戦い方はない。
ついでに申し上げると、日本刀での戦いには、「盾」は用いません。
世界中、剣と楯はセットなのですが、日本の鎧(よろい)装束には、盾は存在しない。
要するに、相手の剣を毛筋一本でかわして、斬る。
それが剣術の戦い方です。
ちなみに、テレビや映画での殺陣シーンでは、いまどきはどの時代劇でも必ず、相手の剣を、自分の剣で受けるというシーンが出てきます。
これこそ大ウソのコンコンチキです。
実は、以下を言いたくて、長い前置きをしています。
戦前の日本の軍人というのは、とにかく恐ろしく強かったのです。
常に少数で、大多数の敵と戦い、それでも勝ってしまった。
とりわけ恐ろしかったのが、日本の軍人による夜襲です。
接近戦になると、日本の軍人に勝てる軍隊は、世界中、どこにもなかったといわれた。
ところがその「おそろしく強い」日本の軍人というのは、体格で言ったら、ものすごく小柄です。
だいたい当時の平均身長は、160cm前後です。
これは世界的にみても小柄です。
お隣のコリアンなどは、遺伝的特性で、日本人と比べると、男性の体格は、ひとまわりもふたまわりもデカイ。
そのことは、明治の初めごろ日韓を訪問したイザベラ・バードの紀行文にも出てきます。
ついでにいうと、一時、メディアが「モテる男の条件」と言って騒いだ「三高」も、デタラメです。
「三高」とは、高身長、高学歴、高収入ですが、在日コリアンは、平均的に日本人よりも体格が大きくて背も高い。
大学には、在日朝鮮人枠があって、国立大学とかも、相当アホでも入れてくれるから、高学歴になる。
で、パチンコ店のセガレなら、高収入で、それが大和撫子にモテる条件なのだそうです。
男だ女だに関係なく、身長や学歴、収入の多寡が、幸せの条件にはなりません。
大切なのはハートです。
「三高」などというバカげた在日の妄想を、ナルホドと何も考えずに受け入れていた日本人こそ、(ボクもそのひとりですが)、いいツラノカワです。
コリアンがいくら体格が良くても、Chineseがいくら大人数で、ぶ厚い青竜刀を振り回しても、とにかく日本の軍人には敵わなかった。
青竜刀は、ぶ厚くて重いから、攻撃が単調です。
これをかわして、切れ味のするどい日本刀で、斬る。
日本人は、おそろしく強かったのです。
同様に、いくらコリアンの体格がよくても、木刀で相手の動きを読んで、切っ先を毛筋ひとつでかわず訓練を積んだ日本人には、パンチもキックも通じない。
なぜなら、あたらないのです。
そのくせ、棒きれひとつで、打ちすえられるし、つかみかかって組みふせようとすると、柔道の投げ技で、投げ飛ばされる。
そりゃあ、日本人が怖かったわけです。
だからこそ、もし戦いになったとき、剣は剣で受けるもの、という刷り込みを日本人にしておけば、たとえば青竜刀で斬りかかったとき、日本人が日本刀で受け太刀してくれれば、日本刀もろとも、日本人を青竜刀でまっぷたつにすることができる。
要するに、そういう絵を書いている奴がいて、その絵に日本人は戦後65年、易々と乗せられ、弱化されてきている、ということです。
もう少し続けます。
昔、連合赤軍事件というものがありました。
この事件以降、左翼のいわゆる「闘争」は、日本人の世間からは、もはや見向きもされなくなった。
その2年後、大ヒットした曲が、麻丘めぐみの「わたしの彼はひだりきき」です。
ロングヘアを、頬のところだけ、短くカットした、彼女のヘアスタイルは、平安美女を思わせるお姫様カットと呼ばれ、当時「かわいい」と大流行した。
そしてかわいらしい日本人形のような女性が、「わたしの彼は左きき」と歌ったわけです。
左きき=左前=左翼を連想させますが、美しい日本女性、しかも古風ないかにも日本的な情緒を持った美しい女性が、私の彼は左です、とやったわけです。
歌った歌手の麻丘めぐみさんには、何の罪もないけれど、この歌のおかげで、確実に当時の大学内での左翼派学生の地位は向上した。
なにせ左翼の方がかっこいい。
私の彼は、左なのです。
ボクも、麻丘めぐみのファンだったし、この歌も好きな歌ではあるけれど、社会性を失った左翼の復権のために、そういう歌を仕掛けたヤカラが、たしかにこの日本にいた、という事は、忘れてはいけないことのように思います。
もうすこし続けます。
戦後、もてはやされたもののひとつに、男性の低音があります。
フランク永井の「君恋し」や「おまえに」は、いまでもカラオケで歌われる定番ソングになっているけれど、そこでよく言われたのが「低音の魅力」です。
そして男性の声は、低い声がモテ声だ、とされた。
けれどよくよく考えてみると、実は低い声というのは、非常に「通らない」声です。
たとえば連隊に、右向け―、右っ!と号令をかけるとき、低い声では、後ろの方にはまるで聞こえない。
銃弾唸る戦場では、むしろキーの高い声の方が、よく通ったりします。
とりわけ、騒音の中では、半音高い声の方が、よく通る。
だから、電車のアナウンスなどは、半音高く「次は~、新宿~。新宿~。お降りの際は・・」などとアナウンスします。
騒音の中で、声を聞き取りやすくするためです。
要するに、日本男児がモテたい一心で、低音病にとりつかれれば、もはや号令をかけることもできなくなる。
集団戦術がとりにくくなる。
号令できる日本人男性が、減る。
これも、日本弱化策の一環だったのかもしれません。
毎日新聞社のWAIWAI事件など、氷山の一角で、これまで日本人は、戦後65年、ありとあらゆるトラップを仕掛けられ、弱体化させられ、結果として、私たちは、そうした日本解体計略に、うまうまとのせられ、結果として、親China、親韓、反日政党、政治家に、この日本を明け渡してしまったのです。
そして、先人達が築いてくれた日本は、もはや風前のともしびにある。
最近、日本で商売をする韓国人の方と話をする機会があったのですが、彼ら、もう完全に日本を馬鹿にしきっていますね。
いまどき、世界中どこに行っても、韓国産品だといえば、相手にされない。
日本くらいなもの、なのだそうです。韓国産品をありがたがって買ってくれるのは。
これで日本の農業が壊滅してくれれば、韓国製食品が飛ぶように売れる、のだだとか。
その韓国人の友人のChineseが言っていたそうです。
Chinaでも韓国でも、総理や政府高官が、外国から金銭を受け取っていたことがバレれば、国民は暴動を起こしてでもそんな総理を引きずり降ろす。
ところが日本では、そんな不祥事がバレても、国民は何も文句を言わない。
日本人は、完全に政治オンチのアホタレになっているから、何を言っても、どれだけ収奪しても、やり放題、なのだそうです。
年号が昭和の間は、それでも、日本に手をだそうというのは、おっかなびっくり、こわごわ、だったそうです。
いまは、完全に舐めきっている。
何度もこのブログで書いていることですが、ボクは、人のせいにすることが嫌いです。
こんな日本にしたのは、他の誰でもない。日本人そのものです。
逆にいえば、日本人が矜持を持ち、本来の日本の歴史、伝統、文化を大切する気概を持てば、それだけで日本は変わる。
日本を変えるのは、他の誰でもないのです。
自分自身が変わることです。
ボクは、そう思います。
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