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戦艦長門
戦艦長門

これはどっかで書いておかなければならないことなので、今日書いておきます。
大東亜戦争のあと、日本は戦時賠償金として韓国に有償で3億ドル、無償で2億ドルを支払っています。
ひとくちに計5億ドルというけれど、昭和40(1965)年当時の韓国の国家予算は、3.5億ドルです。
なんと、国家予算の1.4倍の経済援助を得たのです。
そのお金で、韓国は「漢口の奇跡」と呼ばれる経済発展を遂げた。
これはいまの日本で言ったら、国家予算93兆円の1.4倍、すなわち130兆円の現生をどっかの国からいただくようなものです。


ちなみに1兆円という金額は、これをお読みいただいているあなたが、毎日小遣いとして1年365日、休みなく100万円を使い続けても、遣いきるまでに2740年もかかる、とんでもない金額です。
その130倍のお金をもらう。
アフリカの超貧乏国が、一夜にして世界最先端の経済大国の仲間入りできてしまうほどの大金をもらって、それで経済成長ができたとしても、何の自慢にもならない。
自分の努力が足りないからです。
ついてに言うと、Chinaには、日本は、計3兆円を支払っています。
これも「改革開放30年の奇跡」と呼ばれる経済の大成長を生んでいます。
そして、Chinaが日本を抜いて世界の経済大国になったと自画自賛している今でさえ、日本政府は、まるでバカのようにChinaにお金を払っている。
おかげでChinaは、金が余り、その日本円で、日本の土地や水源地まで買い漁りだした。
とんでもない話です。
韓国の経済成長も、Chinaの経済成長も「奇跡」だなんてとんでもない話です。
働かずに、政治で、日本からカネをふんだくった。
それだけの話です。
ついでにいうと、旧ソ連。
5カ年計画とか、10カ年計画とかの計画経済で、国民はたいして働きもしないのに、インフラが次々と整備され、経済成長を遂げたかのごとく吹聴されていたけれど、終戦後に、ソ連の都市インフラが整備されたのは、シベリアに抑留された日本人の働きと、日本人が満州に築いた建造物やら工業施設を、まるごとソ連に移植しただけのことでしかない。
ただ同然で働き者の日本人を使い、インフラを整備させ、それでソ連では人々は働かなくてもこんなに都市が整備されています!などと吹聴した。
それを真に受けて、ソ連は素晴らしい国などと本気で慕っていた学者や評論家、政治家が日本にいたということ自体、後世から見ればとんだお笑い草です。
終戦当時、日本は皇居まで焼けるほどの焼け野原でした。
都市インフラは崩壊し、経済は総崩れとなり、企業は倒産し、食べるものさえなかった。
そんな時代に、日本は、必死の努力をして立ち上がり、経済の復興を遂げ、世界第2位の経済大国にまで上り詰めています。
なるほど終戦直後の貧しい時代に、アメリカから食糧支援をいただいたり、新幹線をひくときも、予算が足らずに、世界銀行から借款したりもしているけれど、そうして成長できたのは、他の誰でもない、日本人の努力によるものです。
日本の政治は、戦後しばらくの間はGHQによって、その後は、GHQに媚びを売った売国奴たちによって、牛耳られてきました。
それでも日本が昭和後期に高度成長を遂げることができたのは、明確な国家観を持った戦前の教育を受けてきた民間と、優秀な官僚が、愛する家族のために、必死になってこの国を支えてきたに他なりません。
ところが、世が、昭和から平成になると、国家観を持たない戦後世代が社会の中核となっていきます。世代交代です。
その結果がどうなったかというと、日本は「長引く不況」から脱皮できず、日本経済は沈滞化し、何をやっても鳴かず飛ばず。長引く不況は、いまだに出口さえ見えていません。
ボクたちが子供のころは、鉄腕アトムやスーパージェッターに代表されるように、未来は光り輝く時代だった。
けれどいまの子供たちにとって、未来はいったいどういう時代かといえば、不透明で先行きの見えない、古い言葉でいえば「無明」でしかない。
先日、秩父の酒造メーカーを訪ねたときのことです。
その会社は、当代で7代目になる老舗なのだけれど、初代の遺訓が立派な筆字で掲げてありました。
そこには、「陰徳を積み、子々孫々の繁栄を」の文字がありました。
誰も見ていなくたって、しっかりと仕事をする。
酒造メーカーというのは、たいへんな仕事で、新米が収穫されると、それから半年間、杜氏たちは、休みなく毎日働きます。
土日祝祭日はありません。
なぜなら、酒には土日の休日はないからです。
暦が休みだからと、ほったらかしにしたら、酒が全部ダメになってしまう。
だから杜氏たちは、住み込みで、休みなく働きます。
もちろん、1日の中に、休憩時間はふんだんにある。そうでなければ体が持たない。
けれど、午前4時から午後いっぱいまで、働きづめに働く。
そして酒ができると、次の半年間は、コメ作りのために田舎に帰って行きます。
かつて、日本人は働きすぎるから、休日を増やそうと週休二日制が導入されました。
それはそれでいいけれど、肝心の、陰徳を積み、天下国家のために自らを鍛え、律するという肝心の部分が、いまの日本からは失われています。
それでいて、いまだに韓国や中共に、カネを出そうとする。
大バカ者とは、そういう者を言います。
日本を取り戻すということは、日本の心を取り戻し、日本人が日本人としての国家観を取り戻すことでもあろうかと思います。
このたびの大震災では、自衛隊や警察、消防のみなさんは、災害復興のため、まさに世を日に継いで働いて来られた。
私たちは、日本人として、生き方そのものを見直し、同時に国家についての認識も、あらためるべきときにきた、そのように思います。
菅は、原発を停める前に、総理でいることを止めよ!
そう思います。
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