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Rawhide
ローハイド

以下は、日心会のMLでTEXASさんがご紹介してくださったお話です。
たいへん感動しましたので、転載します。
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「ローハイド」というカーボーイのTV番組をご存知でしょうか。
昭和37(1962)年2月21日、代表的な主人公3人、エリック・フレミング、クリント・イーストウッド、ポール・ブラインガーが日本にやって来たときのお話です。
羽田からそれはもう大歓迎の人々。毎日毎日が、政治家を含めTV関係者らの接待を受けていました。
以下は、http://www.geocities.jp/rawhide217/injapan1962.html#heibon315 からの引用です。 いかに、物凄い歓迎ぶりだったかがよくわかります。
そして、彼らの胸に一番刻まれた思い出は1人の少女との出合いでした。
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週間女性 昭和37年(1962年)3月14日号 本文記事より
<盲目の少女とローハイドスターの喜び>
【日本で初めてよいことをした】
ローハイドの一行はすさまじい歓迎にあって帰っていった。
でも、その豪華な宴会よりも、ローハイドの胸にもっと深く残った喜びは、ある夜ひっそりとたずねて来た、半ば光を失った少女に出会えたことだった。
アリガト、アリガトと、フェイバーは何度も少女を抱きしめた。
【8年前の二重橋の惨劇で】
床の上にきちんと正座して、少女は愛くるしい顔をくっつけるようにしながら、テレビを見つめる。
少女の黒く澄みきったその瞳とテレビは、30センチと離れていない。
それほど近づかなければ、少女には画面に何がうつっているのかわからないのだ。
この少女の名は山田敬子さん。
8年前、昭和29年1月2日、10才の時だった。
この日、敬子さんは両親に手をひかれて、皇居二重橋前の宮内拝賀の群集の中にいた。
橋のたもとに張ってあった縄がとかれたとたん、敬子さんの悲劇が起こったのだった。押し寄せていた万に近い群衆がひしめいて二重橋を渡りかけた時、そこはもう修羅場だった。
誰かが倒れ、あとに続く人たちが折り重なって、悲鳴があがった。
その人の渦の中に敬子さんがいた。
幼い少女の身体の上を幾十の土足が踏み渡った。
失神した敬子さんはすぐ病院にかつぎこまれたが、その時はもう敬子さんの瞳は、いくら見開いても、真っ黒い闇しか見えなかった。視神経が砕かれていたのである。
その闇のとばりを、わずかだけれども暁の光で開いてくれたのは東大清水外科だった。一時は視力0.1まで回復した。
が・・・敬子さんの切れ長の瞳は、またゆっくりとながら光を失ってきている。
その上、手や足から感覚がなくなってきた。
物にすがれば立てるが、離すと、すぐ倒れる。
外には出たことがない。
家の中、床の上の毎日。
それに最近はどうしたことか、突然、全身がケイレンして、気を失うことが多くなった。
全治はおそらく望めないのだろう。
18才になった今でも、敬子さんの身体は1メートル40センチぐらい。
きゃしゃで、羽毛のように軽い。
こうして、床にふせったきりの敬子さんのただ一つの楽しみは、3年前、不幸な娘へのせめてものなぐさめにお父さんが贈ってくれたテレビの、小さな画面に顔を寄せることになったのだ。
そのテレビは、敬子さんの枕もと、すぐ手が届くところに置いてある。
【ローハイドに励まされ】
敬子さんが好きなのは西部劇。
中でもローハイドのスターたちの男らしいさっぱりとした演技が大好きだ。
劇の終わりに、フェイバーが「行くぞ!出発!」と叫ぶ時、敬子さんは自分の半ば麻痺しかけた手足にも、力が甦ってくるような気がする。
もしお父さんが遅くなってローハイドを見られなかった時、敬子さんは、その日の物語を話してあげる。
「あのね、フェイバーさんがね、ロディさんはね」と。
羽田にも、共立講堂のチャリティ・ショーにも行けなくて、しょんぼりして悲しそうな敬子さんに、お姉さんの端子さんは新聞や雑誌から拾い集めたローハイドのニュースを毎日、夕食の時に教えてくれた。
「あら、フェイバーさんはまだ独身なの・・・」
そんな時だけ、敬子さんの瞳は微笑んだ。
なんとか・・・と思って、お母さんのまつさん(58)はNETテレビに、長い手紙を書いていた。
その返事はまだなかった。
それに、この2日間、敬子さんは何も食べていない。
好きなリンゴをむいてあげても、敬子さんは頭を横に振る。
食欲が全然ないのだ。
もし返事がOKにしても、会いに行けるかしら・・・。
【かなえられた夢】
「ローハイドかなんだか知らないが、敬子ちゃんが行きたいのなら行かせてあげなさい」
東京大学外科の清水先生は、こう言って敬子さんの外出を許してくれた。
「ほんと、私がローハイドに会えるの!」
うわあっ、うれしい、と敬子さんは、まだ渋るお母さんをせかして仕度を始めた。
着物はもちろんローハイドが大好きな和服。
ピンクの花を散らしたお召に、白っぽい羽織をふわりとかけ、銀色の草履をはくと、色白でふっくらとした敬子さんは、まるで京人形のように可愛らしかった。
3月1日午後6時、敬子さんは週間女性さし回しの車で、しっかりプレゼントの人形を抱えてローハイド歓迎会場の椿山荘(文京区音羽)に向かった。
椿山荘は敷地2万坪。
会場はその広い庭園の奥の、深い木立に囲まれた四阿(あずまや)だった。
でも、ローハイドにすぐは会えなかった。
薄ら明かりの世界でローハイドだけを生き甲斐のように慕っている少女が、こぬか雨の中で待っていようとは、まだ彼らは知らなかったのだ。
それに、会場は知名士で一杯。
ローハイドは次々に握手攻めにあっていた。
3時間たった。
夜は真っ暗で、四阿(あずまや)の軒につるされたぼんぼりが、雨に濡れた林の葉を銀色に光らせていた。
敬子さんの瞳はうるんで、黒い2枚の木の葉のようだった。
<忙しいから、会ってくれないのかしら・・・>
しかし、やっと宴の半ばになって、メシイに近い少女が自分たちを寂しく待っていると聞いたフェイバーのたくましい口元はギュッと引き締まった。
そして成吉思汗(ジンギスカン)料理をつっついているロディとウィッシュボンにささやいた。
「たくさんの人たちが歓迎してくれたなあ。だけど、誰よりも僕たちを愛してくれている少女が、隣の部屋で待っているんだ」
「どうしたの?」と、緊張した3人を見て大川NET社長がマユをくもらせた。
事情を知った大川社長はすぐに言った。
「すぐこちらへお連れなさい」
敬子さんは係の人からこの言葉を聞くと、抱き上げようとする記者の手を振り払った。
会場との境の障子まで畳3枚。敬子さんは頬を紅く染めるほど力を込めて、ゆっくりと歩いて行った。
【フェイバーに抱かれて】
仲居さんが障子を引き開けるとフェイバーはそこに、白っぽい装いの少女の姿を見た。
内側にカールした黒い髪が、はらりと羽織の肩にかかっているのが印象的だった。
少女は、ざわめきがパッと静まった、広い会場のどこかを探し求めていた。
ふっと少女がよろけた。
フェイバーは、少女との間にふさがっていた紳士たちを、大きな長い腕を頭上から振りおろし、突き飛ばさんばかりにかき分けて突進した。
一瞬のちに敬子さんを後ろから抱きしめていた。
「オ、ナ、マ、エ、ハ?」
少女は突然、がっしりした腕に抱きすくめられ、一寸ほど足が床から離れたのがわかった。
ヤツデのように大きな手のひらが、自分の握りしめたこぶしをそっと柔らかくつつんだ。
「オ、ナ、マ、エ、ハ?」
「もっとお顔を近く」
少女の言った言葉の意味はわからなかったが、フェイバーは分厚い胸の肉を折るように、身体をかがめた。
少女の瞳が、しっかりとフェイバーのキラキラしたグリーンの目をとらえた。
目も口も、少女の顔中が微笑んだようだった。
「わたくし、ヤマダケイコ」
「おう、ケイコ・ヤマダ。K、・・・K、E、I」
フェイバーはもどかしそうに、ケ、イ、コと口ずさみながら、少女を抱え上げ、3歩で少女を元の暖かいガスストーブの席に連れ戻した。
敬子さんとお母さんが並んで座り、ローハイドの3人たちはその後ろに膝まずいて敬子さんを見つめた。
「皆さん、いらっしゃるのよ。ロディさんも、ウィッシュボンさんも・・・皆さん・・・」
フェイバーが敬子さんの左手をとり、ざんばら髪のロディも右手をとった。
ウィッシュボンお爺さんはそっと少女の肩を抱いて、何度もうなずいていた。
敬子さんはテーブルの下をまさぐって、プレゼントのお人形を取り出した。
そして、一つ一つ確かめて3人に手渡した。
「フェイバーさんには」
花嫁人形・・・。
「ロディさんには」
歌舞伎座で買ったイキな若衆人形を・・・。
「ウィッシュボンさんには」
康雄お兄さんが買ってきてくれた東北の、ひなびて、おどけたお百姓姿の郷土人形を・・・。
ローハイドたちは、10センチほどのお人形を大事そうに両手でつまみ、オーオーと嘆声をあげながら、アリガト、アリガトを繰り返した。
「あのね、フェイバーさん」
心は言葉なしで、もう通じ合うようだった。
「ハイ」
フェイバーはかしこまって、顔をグッと近づけた。
「フェイバーさん。私、お願いがあるの」
通訳が意味を伝えると、フェイバーは早くそのお願いを言ってくれるようにと、手を振って通訳をいそがせた。
敬子さんは、たもとをひらひらさせて、そっと顔を隠したけれど、すぐに明るい、はちきれそうな笑顔を見せて言った。
「フェイバーさん、早く美しくて優しいお嫁さんをもらってください。32才はそろそろお年頃ですよ」
フェイバーは強い意思をひそませた額にシワを寄せて微笑んだ。
「フェイバーさんは決して間違わない人だけど、結婚ばかりはロディさんを見習わなくちゃいけませんよ」
小柄であどけなさを残した敬子さんは、フェイバーたちには、ほんの12、3才に見えたことだろう。
でも、フェイバーは、ひたすらに恐縮した顔をほころばせた。
「ウィッシュボンお爺さん!」
と敬子さんが呼びかけた時、分で刻むローハイドたちの時間は無くなったようだった。
「これまで!これまで!」
無情に係員が叫んで、フェイバーの肩を叩いた。フェイバーはちょっと係員を見たが無視した。
「マイ・リトル・ママ!」
私の小さなお母さん、フェイバーはそう言った。
「私は決してあなたを忘れませんよ」
係員にせかされて、やっと3人は立ち上がったけれど、目はいつまでも敬子さんを見つめ、そしてその目はうるんで見えた。
特にウィッシュボンお爺さんのしょぼついた小さな灰色の目は。
【消えない思い出に】
10分、いや、5分間かもしれなかった。
でも、新宿区原町の路道のすみ、バラック建て2間きりの家に帰った敬子さんは、すっかり幸せにつつまれていた。
「フェイバーさんに会えた?」
めっきり白髪が増えているお父さんが心配そうに声をかける。
「会えたわよ」
「なんて言ってた?」
「忘れちゃった。2、3日したら思い出すかもしれない。だって、あまり嬉しかったんだもの」
父の米蔵さんは、ローハイドがプレゼントしてくれたサイン入りの写真を見つめて、ただ、
「よかった。よかったな」とつぶやいた。
敬子は今夜はぐっすり眠れるだろう、とお母さんは思う。
それは、2日間も眠られなかったせいではない。
あの悲しい日から8年、二重苦に苦しんできた敬子さんに、初めて訪れた喜びの夜だったからだ。
「フェイバーさんたち、本当にありがとう・・・」
と、お母さんの目頭は熱い。
だが、残念なことに敬子さんもお母さんも、あののち、ローハイドのスターが大川社長に言った言葉を知らない。フェイバーはこう言ったのだった。
「敬子ちゃんに会えて良かった。会わなければ、今度の日本訪問はまるで無駄だったような気がします。
私たちは、初めて日本で良いことができたのですから・・・。
これで、嬉しさを噛みしめながら、アメリカへ帰れます」
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