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中山成彬601-020-2

実は、日ごろ尊敬してやまない元文部大臣の中山成彬先生が、「とても素晴らしい記事を見つけたよ」と、ある文を送ってくださいました。
一読して、とても感動しました。
その通りだと思いました。
まさに、我が意を得たり、です。
そうなんです。
日本という国に住む日本人は、日本というひとつ屋根の下に暮らす家族なのです。
だから日本は「家族国家」。
そういうと、戦後教育を受けた私たちは、ええっ?!と思うかもしれません。
けれど、日本という国の根底には、間違いなくそれがある。


社長にとって、社員はパート、アルバイトに至るまで、まさに家族だし、そこで働くひとりひとりも、家族の一員なのです。
この文は、ぜひ皆様にもお伝えしたいと思いました。
文は、高千穂神社の宮司であられる後藤俊彦さんのものです。
高千穂神社は、宮崎県高千穂峡にある神社です。
この地は、いま噴火している新燃岳の一角にある高千穂の峰と並んで、天孫降臨の地と言われているところです。
タイトルは、
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私たちのなかに生きている日本神話
~~~~~~~~~~
です。
以下引用します。
~~~~~~~~~

後藤俊彦高千穂神社宮司

【私たちのなかに生きている日本神話】
高千穂神社宮司 後藤俊彦
神職として高千穂神社に奉仕しておりますと、神話と今の日本がいろいろな形でつながっているということを感じます。
高千穂は「天孫降臨の地」と言われております。
記紀によりますと、天孫降臨というのは、遠い神代の昔に、この国を秩序ある豊かな国として治めるために、高天原から天照大神さまの御孫のニニギのミコト様が降臨してきた。
その地が日向(宮崎県)の高千穂だとされております。
この神話に符号するように、奈良時代の「日向国風土記」には、ニニギノミコト様が降臨されたときに、葦原の中つ国と呼ばれていた地上は真っ暗闇で、昼夜の区別もつかないほどだった。
そのときに、高天原から持ってこられた稲の穂を抜いて、そのモミ種を四方にまいたところ、たちまち日月光かがやいて、明るい世界が開けてきた。
したがって、この所を「臼杵の郡、ちほの里」と名付けたと語り伝えられています。
そしていまも、ニニギノミコト様に連なる天皇陛下が、皇居の中で稲をおつくりになり、新嘗祭のお祭りをなさっているというその事実を考えますと、これは敗戦・占領そして戦後というものを経ても、日本は神話とつながっているのだなと感じるのです。
むろん、戦後は、日本人が古来大切にしてきたそうした価値観を封建的価値観として全否定してきたわけですけれども、それでも子供が産まれると氏神様のところにお宮参りに行きますし、七五三になれば、やはり氏神様にお参りして子供の健全な成長を願う。
また最近は、私どもの高千穂神社だけでなく、全国のいろいろな神社が「パワースポット」「スピリチュアル・スポット」などと言われ、非常に多くの女性、しかも若い女性が神社を訪れています。
もちろん、それらの人々は必ずしも天孫降臨神話や、それぞれの神社の由来などを理解して来る方ばかりではないのですが、いろいろな意味で、閉塞された現状を打破したいという気持ちがあるのでしょう。
気持ちの切り替えや、精神のよりどころを求めてやってくるわけです。
そして木々に覆われた清くおごそかな神域に足を踏み入れただけで、なにか心が現れたり、あるいは神社の由来や歴史にふれることによって、身近に自分の生まれたこの国のいにしえの姿や、祖先の歩いてきた道が、尊い清らかなものであったということを知り、それに感動して心から喜んでいらっしゃる。
そういう姿を見ていると、神話時代の感性というものが、まだいまでも私たちの心理の奥深くに残っているのだなということを感じます。
神話というのは、私たちの祖先が、いまだ文字や記録を持たない有史以前のはるかな昔から、その民族が、数万年、ときに数十万年にわたって経験した記憶の伝承、集合的無意識とでもいうべきものです。
それは文字に記録されてはいないけれども、人々の世界観や感性に決定的な影響を及ぼした経験の記憶です。
ですから、決して簡単に消え去る者ではない。
いまでも私たちの文化とか、精神性に影響を与え続けているのではないでしょうか。

これまでは、神話的な世界、あるいは神道的な世界というものと我々が、占領政策や戦後教育によって切り離されてきました。
いまは逆にそれらを取り戻そうという流れになってきています。
そして大切なことは、そこからもう一歩踏み込んで、自分の国のいにしえの姿や祖先の歩んできた道が、尊く清らかなものであったということを知ることだと思うのです。
とりわけ2月11日を迎えるにあたっては、やはり神武天皇の建国の理想というものを思い起こしていただきたいと願っています。
いまではご存知でない方も多いと思いますので、簡単に神武建国について振り返っておきますと、高千穂では、ニニギノミコト様が降臨されたあと、その子孫の皇子が西の辺りをおさめていました。
しかしそれ以外の土地は、いまだ暗く荒々しく、人々の争いが絶えなかった。
あるとき、塩土の翁(おきな)から東に青山に囲まれた美しい地があることを聞いた神武天皇と兄のイツセノミコトは、天つ神の御心にかなった理想をこの地上に実現しようとして、皇子たちと舟師をひきいて東へ向かって日向の国を旅立たれました。
これが「神武東征」と呼ばれることから、戦後は天皇の先祖は武力でもって他国を侵略し征服したというように言われてきましたが、それは間違っています。
ここでいう「征」とは、「正しきを行う」という意味です。
神武天皇は、旅立たれてから、豊後、安芸、吉備の国々を順々に治めて行かれましたが、行く先々で稲作という新しい技術を普及しながら、国が豊かになり、人々が安心できるということを年月をかけて実地に示していったのです。
また、その土地の氏族が持っている信仰を壊すことなく、そのまま認めていきました。
それによりそれぞれの氏族が、天孫族のリーダーシップの下でも領分、役割というものを十分に認識し、平和的に国が護られていった。
こういうプロセスが反映して「神武東征」の物語になっていると考えられます。
ですから「神武東征」を侵略というのは、日本の始まりを貶めようとする作り話にすぎません。

やがて一行は、大和を平定し、畝傍山(うねびやま)のふもとの橿原(かしはら)の地に宮殿を建て、神武天皇が建国の祖として初代天皇の御位につかれます。
そのとき、神武天皇は天つ神の守護によって国内の争いが収まり、平和で豊かな国になったことを感謝するために、作物を捧げてお祭りをなさいました。
そしてこうお誓いになったのです。
~~~~~~~~~~~
上(かみ)は則(すなわ)ち乾霊(あまつかみ)の国を授けたまいし徳(うつくしび)に答え、
下(しも)は即ち皇孫(すめみま)の正(ただしき)を養いたまいし心を弘(ひろ)めん。
然(しか)して後に六合(りくごう)を兼ねて、以って都を開き、
八紘(はっこう)を掩(おほ)ひて宇(いえ)と為さんこと亦(また)可(よ)からずや
~~~~~~~~~~~
つまり、まず国を授けていただいた祖先の神々の恩に感謝し、祖先から伝えられた正しい道を、自分たちも広めていこうではないかと。
そしてそれによって天下万民がもれなく日本という大きな一つ屋根の下で、家族のように睦まじく幸せに暮らして行こう。
こういう気高い国家観といいますか、建国の理想が謳いあげられている
わけですね。

これは「家族国家」建設の理想と言ってもいいと思います。
戦後は、家族あるいは地域というものは、自分たちを縛る悪者であるかのように教えられてきましたけれども、家庭が崩壊し、地域が崩壊することによって、昔は考えられなかったような様々な問題が、特にここ十数年ぐらいの間に、表面化してきました。
そして今になって、家族の大切さや、地域の役割というものが見直されつつある現実をみますと、神武天皇が「家族国家」建設の理想を掲げられた素晴らしさが、より際立って受け止められます。
もちろん、「家族国家」といきなりいわれると、戦後の教育を受けてきた私たちは、何かしら違和感や抵抗感を覚えるかもしれません。
しかし私は、むしろ個人主義や個の権利というものは、そもそも日本人にはなじまないものではないかと思うのです。
神話をひもときますと、日本という国は、イザナギ、イザナミという男女の「むすび」によって、国も島々も、山川草木も、人も、鳥獣も生まれてきたと書かれています。
つまり、最初から、最小単位がダブル(個ではなく複数)なのです。
一方、ユダヤ・キリストの世界では、唯一の神が「光あれ」と言って、土や水などが生じて天地創造が行われたとされています。
最初から最小単位がシングルなのです。
このように考え方が根本的に違う。
にもかかわらず、戦後は個を大前提とした考え方を・・・最初は占領憲法の押しつけなどにみられるように強制的に、その後は自発的に・・・是として社会がつくられてきました。
しかしその一方、日本人の大半は、一神教のキリスト教やイスラム教に改宗したわけでもなく、日本人は依然として多神教的な民族です。
こうした事実から考えると、個を大前提とした仕組みなり社会なりを作った結果、いろいろな不都合が出てきたのは当然の帰結なのではないでしょうか。
そこから考えると、物事には多種多様なるものの結びと結合によって作られていくのだという神道本来の考え方に、立ち返る必要があると思うのです。
では、われわれひとりひとりにとって、イザナギ、イザナミに相当するのは何なのかというと、それは父と母です。
家というのは、父と母がまずあって、家族というものが生まれます。
そして家の中には、昔はどこの家にもお仏壇と神棚がありました。
お仏壇には祖先の御霊を、神棚には地域の守り神である氏神さまをお祭りしました。
つまり、家というのは、いま生きている人間だけでなく、祖先とともにある家、地域の守り神とともにある家。それが本来の家なのです。

一方「家族国家」建設の理想というのは、神話に描かれているというだけなく、現実的に日本人は同じ親から生まれてきたといっていいほどつながりの深い民族です。
2008年の米大統領選の前に、オバマさんの母方の先祖をたどっていったら、十代さかのぼるとブッシュ大統領(当時)と同じ先祖だったということが話題になりましたが、人口1億2千万人以上の日本人の場合は、800年さかのぼるとみんな同じ親から生まれたことになるのだそうです。
日本はすくなくとも2千年以上の歴史がありますから、もう二度も三度も私たちは同じ命の中から生まれ直してきていることになる。
日本人が相手の立場になってものを考えたり、他人の悲しみを自分の悲しみとしてとらえる国民性があるのも、そういうところからきているのかもしれません。
このような来歴や神武天皇の「家族国家」建設の理想というものに思いをいたすとき、やはり家が基本であり、家庭の価値を重視するという原点に立ち返るところから、国や社会の在り方を見直して行くことが大切だと思うのです。
(中略)
日本の歴史を振り返ってみますと、閉塞した状況に直面したとき、日本人はいつの時代も神武建国の理想や神話的精神を回顧しながら、時代を切り拓いてきました。
近いところでいえば、江戸時代の天保8年、当時の政治の腐敗堕落に対して憂いていた大塩平八郎が、大阪で乱を起こしましたが、そのとき、大塩平八郎は、神武天皇の建国の理想に立ち戻らなければだめなのだと言って決起しました。
あるいは幕末、維新期の志士たちも「神武創業」を回顧し、それが時代を動かすエネルギーとなりました。
幕末の国学者八田知紀は、
いくそたびかき濁しても
澄みかへる水ぞ
み国の姿なるらむ
という歌を詠んでおりますけれども、どんなに行き詰っても、国が乱れて行っても、神武天皇の建国の精神に立ち返れば、間違いなくまたもとのこの清らかな生き方ができるという確信を日本人は持っていたのです。

ある意味、国家というのは、そうした建国の理想の神話なくしては成り立たないものなのです。
それは北朝鮮が嘘でもなんでも金日成、金正日の「神話」を造って国をまとめようとしているころをみても分かりますが、それとはまったく比較にならない立派な本物の神話が、我が国にはあるわけなのです。
また神話に起源をもつ皇室は、現実の歴史の中で「国安かれ、民安かれ」のお祈りを続けてこられました。
身はいかになるとも
いくさとどめけり
ただ、たふれゆく民をおもひて
これは昭和天皇の終戦時の御製ですが、まさにご自分の身はどうなってもいいから国民を救いたい、そのようなお気持ちで、御歴代の天皇はお祈りを続けてこられたのです。
そういう尊い事実を何一つ知らないから、最近は皇室を軽んじるような言動が次々出てくる。
先日も国会の記念式典で、秋篠宮殿下に対して「立ってるのがキツイから早く座れよ」という信じがたい発言をした国会議員がいましたが、こんなヤカラが国会議員として議事堂にいるころが間違いでしょう。
今上陛下がお出ましになるということは、単に1億2700万人の日本国民の象徴たる方がそこにお越しになるということではなく、2671年前に、国を思い、民を思い、この日本の国を創立された神武天皇の化身が、そこにお出ましになられるということでもあるのです。
だからこそ、天皇陛下に間近に接した人々は、自然に涙が出てきたり、なんとも言い難い深い感銘を受ける。
そもそも日本の国は、その神武天皇の高き理想に、当時の日本列島に住むあらゆる一族が最終的に共鳴してできあがった国です。
いつの時代も流行があり、価値観は変化していきますが、現代のわれわれも、その素晴らしい理想に立ち返って、閉塞した状況を切り拓き、誇りある立派な国にしていきたいものです。
日本政策研究センター「明日への選択」
平成23年2月号 4p
後藤俊彦「私たちの中に生きている日本神話」より
http://www.seisaku-center.net/modules/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=47
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日いづる国より、中山成彬氏に聞く

日本の心を伝える会 日心会

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