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靖国神社をご訪問されたダライラマ法王(1980)
ダライラマ法王の靖国訪問

「ガンデンポタン」という国名をご存知でしょうか。
インド北部のダラムサラにある、チベット臨時政府の名前です。
人口600万人で、その1割が僧侶であり、平和で争いのない国家を営んでいたチベットに、突然、人民解放軍が攻め込んだのが、昭和24(1949)年のことです。


このときの中国共産党の言い分が、「我が国領土を確定する」というものです。実に身勝手な言い分です。
武力をもった人民解放軍に対し、仏教国であるチベットには、国防兵力と呼べるものはありません。
相手が抵抗できないとみるや、異様に強腰になるのが、中共政府のならいです。
人民解放軍は、武器を持たないチベット人に対し、11万人もの僧侶を拷問で殺し、150万人もの国民を虐殺したのです。
なんと全人口の4分の1を虐殺した。
そして千以上もあるチベット仏教の寺院を「解放する」と称して破壊し尽します。
こうして蹂躙の限りを尽くしたチベットに、なんと、700万人もの支那人を「移住」させ、昭和40(1965)年にはそこに「西蔵自治区人民政府」を勝手に成立させてしまった。
チベットに住むチベット人たちは、自治を奪われ、抑圧され、重税に喘ぎ、私有財産も持てず、ひたすら中国人たちに収奪され、強姦され続ける毎日を送ることになったのです。
このとき、昭和34(1959)年に、インドに亡命したダライラマ14世が、インド北部の街「ラサ」に設立したのが「ガンデンポタン(dga' ldan pho brang)」とよばれるチベット臨時政府で、そこには現在、十数万人からなるチベット難民たちが居留しています。
当時、ダライ・ラマ14世は、チベットのポタラ宮殿に軟禁されていたのです。
しかし、支那の理不尽な侵略は、全世界に告発されなければならない。
世界中の人々に、祖国復興の援助を要請しなければならない。
ダライラマ14世は、人民解放軍の隙を衝いて脱出し、ヒマラヤを越えて、インドに「ガンデンポタン」を開いたのです。
このとき支那が主張したのが、「ダライラマ14世は、社会主義革命に対する重大な反逆行為」を行ったというものでした。
中共の主張は、「我々は正義のためにチベット人民を解放」し、「友好的に近代化を進めている」というものです。
人口の4人にひとりを殺害し、若い女性は残らず強姦し、釈迦弥陀仏の歴史と
伝統ある僧院をことごとく破壊しつくし、チベット人にチベット語を話すことさえ禁止しいながら、「友好的に近代化を進めている」と強弁したのです。
たとえば、いま、これをお読みの読者の方々の多くは、北京語は会話も読み書きもまるでできないと思います。
ところが、訴訟も警察への訴えも、役所の手続きも、公用語も、テレビ、ラジオも、ある日突然、北京語でなければ一切認められない。国内にいるときは、一切日本語を使ってはならない。逆らえば、その場で裁判抜きの死刑に処せられるという、無茶苦茶が、「現実」に、チベットで行われたのです。
これを非道といわずして、何をもって「国家の非道」と呼ぶのでしょうか。
いま、日本国内にあって、その中共政府と手を組み、沖縄を中共政府の支配下に置こうとする動きがあります。
いま、日本人が日本の政治を選ぶ選挙権を、中共などの反日外国人に売り渡そうとしている政治家や政党があります。
そして目先の利益のために、そうした連中に加担している人たちがいます。
でもね、これだけは言いたいのです。
どんなに金を積まれても、ならぬものはならぬのです。
そして、日本は勁(つよ)くなければならない。
なぜなら日本こそが、世界最古のご皇室をいただく、本当の歴史と伝統を持った国であるからです。
日本を、「ガンデンポタン」にしてはならないのです。
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チベット法王ダライ・ラマ14世・24歳の決断1/2

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