
旧暦で、享保7年12月4日というのは、新暦、つまりいまの暦では1723年1月10日にあたります。
この日、なにがあったかというと、江戸に「小石川養生所(こいしかわようじょうしょ)」ができた日です。
小石川養生所というのは、江戸の医療施設です。
治療費は全額無料です。
入院中に必要な、日用品や寝間着なども、全部支給で、全部無料です。
小石川養生所については、山本周五郎の「赤ひげ診療譚」でも有名で、映画では、赤ひげ先生を三船敏郎が演じていますので、知っている人も多いと思います。
もうれつに繁盛したしたし、ほんとうに赤ひげ先生のような奉仕的な医師も数多く輩出しています。
この小石川養生所は、八代将軍、徳川吉宗が設置を決めました。
それは、養生所がたちあがる、ちょうど一年前のことです。
吉宗が江戸市中に設置した目安箱に、小川笙船(おがわしょうせん)という当時50歳になる江戸の町医者が、投書をしたのです。
そこには、次のように記載されていた。
(1)江戸に「施薬院」を設置し、身寄りのない病人を保護すること。
(2)医療は、幕府医師が勤番で行うこと。
(3)看護人は、身寄りのない老人を用いること。
(4)維持費は、官費を用い、受診者から費用をとらぬこと。
無料で高等医療が受けられる施設として、江戸時代の小石川養生所が有名ですが、実は、小石川養生所が誕生するよりもちょうど1000年前(いまらか1280年前)に、日本には、まさに無料の医療施設があったのです。
それが「施薬院」で、天平2(730)年に、光明皇后の発願で創設され、光明皇后自らが病人の看護を行ったと伝えられている施設です。
ここでは、諸国からご皇室に献上された薬草を栽培し、庶民に無料で施した。
しかも、光明皇后自らが、患者の治療の最前線にたち、人々に慈愛を施したと伝えられています。
そしてこの施設は、奈良の都から、京都へと、なんとそののち、約300年間も、庶民の無料療養所として機能し続けた。
すごいですね。
こうした前例があるので、吉宗は、即座に江戸南町奉行大岡越前を呼び出し、具体的実現に着手させます。
そして大岡越前は、たちまちのうちに設立計画書をまとめています。
それによれば、
施設建築費=金210両
年間維持費=金289両
要員=
医師 7名
与力 2名
同心10名
女性看護婦(中間)8名
収容患者数 40名
設置場所=小石川薬園
準備万端整いました。
それで、享保7年12月4日(新暦1723年1月10日)、小石川養生所が開業したのです。
開業当初は、お上に対して、もったいないと、肝心の患者が来なかったそうです。
だから「くるしゅうない、近こう寄れ」などといっても、庶民は遠慮して来ません。
これは困ったってことになって、江戸中の木戸番の名主さんたちを養生所の見学に招待するとともに、むしろ養生所の方から積極的に、身寄りのない貧人や、看病人があっても貧しくて医療費を払えない者、行倒人や寺社奉行支配地の貧民を収容していきます。
そして医師たちが実に献身的な医療を施した。
こうした努力の積み重ねによって、小石川養生所は、江戸中期には大繁盛となり、それとともに、お上の信頼度も上がっていきます。
いま、この小石川養生所は、東京大学大学院、理学系研究科附属植物園となっており、そこには、当時使われていた井戸だけが、往年の姿をとどめています。
小石川養生所は、1000年間に現実に合った施薬院を江戸時代に再現して見せた仁術の場です。
そもそも、武士は庶民を守るものとして存在しています。
だから戦いの場では、尖頭きって戦い、命をかける。
武士は、庶民を守ることに責任を負っているのです。
そして太平の世にあっては、戦(いくさ)ではなく、病気こそが庶民の安全を脅かすものです。
ならば、武士が手伝い、医者を雇い、庶民に十分な医療が受けれるように手配する。
それは、むしろあたりまえのことである、と考えられたわけです。
光明皇后の施薬院といい、将軍吉宗の小石川養生所といい、素晴らしい取り組みだと思います。
けれど、よいこと、正しいことをしたからといって、いきなり人々が寄ってきて信用され、利用されるわけではない、ということも、このお話は示しています。
小石川養生所ができた当初は、患者さんは誰も来てくれなかったのです。
医師や同心、与力たちが、むしろ積極的に働きかけ、努力した結果、はじめて患者さんが集まり、そこで精一杯の医療を施し、苦労を重ねて、はじめて人々は、その努力を、ある意味「あたりまえのこと」として認めてくれた。
日本の保守派は、いまやマイノリティ(少数派)と言われています。
そして民主主義の世の中では、多数議席をとらなければ、日本という国がよくない方向に引きずられてしまいます。
そうならないためには、多数議席を応援する多くの庶民が、保守に目覚めることが不可欠の要因です。
つまり、保守が日本人の常識となることが大事なのです。
その常識とするためには、メディアが反日化しているいま、残された方法は、目覚めたひとりひとりが、語りに語り、つたえにつたえていくことに尽きるのではないかと思います。
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