
おもしろいことに、保守を自認している方でも大東亜戦争について、
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戦力、生産力で圧倒的に劣る日本が、井の中の蛙よろしく、無謀にも米国に戦争を挑んだ。
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という認識を持っておいでの方が多いようです。
ところが史実を調べてみると、事実はまるで異なる。
開戦時、日本はむしろ米英蘭濠よりも圧倒的に有利な戦力、生産力を保持していたし、世界情勢も、いまどきの日本政府とは比較にならないくらい精通していた。
しかも、米国に挑んだというのではなく、自存自衛のために、米国の戦争継続意思を喪失させようと戦争に及んだ、というのが真相です。
そこで今日は、この件に関する史実を世界に発信する会の茂木弘道事務局長の手記をもとに、大東亜戦争の開戦について述べてみたいと思います。
ちなみに、史実を世界に発信する会は、日本の保守団体で、史料に基づいた日本語文献を英文で世界に情報発信する会ですが、同時に海外の反日プロパガンダへの対抗、たとえば南京虐殺疑惑などについて、ひとつひとつの資料を精査しながら、きちんと分析調査論証するといった、地味だけれどとっても大切な活動をされています。
こうした活動は、次代を担う皆様にも、是非ご参加いただきたいと思います。
以下にご紹介するのは、茂木さんが書かれた「大東亜戦争は無謀な戦争だった」に書かれていることを、ボク流にまとめたものです。
目からウロコです。
まず、大東亜戦争開戦時の日米の戦力を比較してみます。
(日本) (米国・太平洋)
戦艦 10 11
空母 10 5
甲巡 18 16
乙巡 20 16
駆逐艦112 84
潜水艦 65 30
航空機 4800 5500
なんと空母に至っては、米5隻に対して、日本10隻です。
ここで大切なことは、戦地が本土から遠いと、それ自体が不利な要素となる、ということです。
このことは、たとえば、日本が大東亜戦争の当時に、ヨーロッパ戦線に参戦したら、と考えてみたらよくわかります。
遠隔地での戦闘は、それ自体がたいへんなコストを払うものになるのです。
そもそもこの戦争は、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃で開戦しましたが、国家間で行われる戦争というのは、ストリート・ファイトのように、町で摺れ違って、肩が触れたのどうので、いきなり始まるチンピラのケンカとは違って、開戦の意思決定があり、準備があって、戦闘がはじまります。
下の写真は、ルーズベルト大統領が日本への先制爆撃計画である「JB-355」を承認したサイン入り文書です。
この文書には、昭和16(1941)年7月23日付けのルーズベルト大統領の署名があります。
その署名には、「1941年7月23日、了解、ただし軍事使節団方式をとるか、アタッシュ方式を採るかについては再検討されたし、FDR」とメモが添えられています。

つまり真珠湾で日米が開戦した5か月も前に、米国は日本本土への「先制爆撃攻撃」を計画し、意思決定をしていたわけです。
当時、米国はフィリピンを支配下においていました。
台湾はフィリピンと国境を接しており、フィリピンから日本までは、目と鼻の先です。
米国の思惑通りにいけば、米軍は、当初から日本を空爆、もしくは艦砲射撃していた。
これは戦争の末期に実際に日本本土が受け、日本が焼土となった攻撃ですが、その攻撃は、すでに昭和16年7月には始動していた、ということになります。
要するに、米国ルーズベルトは、開戦の5か月前には、日本をせん滅破壊する準備をすすめていた、ということです。
これに対し、日本が米国との戦闘を開始する意思決定をするのは、米の「JB-355」計画承認に遅れること4カ月、昭和16年11月15日の時点です。
つまり日米開戦の半月前に到って、ようや日本は、「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」を、大本営政府連絡会議で採択しています。
この「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の全文は、http://binder.gozaru.jp/gaimusyou.htm にあります。
一読いただければわかりますが、この計画書のどこを探しても、日本が米英蘭本土を爆撃攻撃するなんてことは、ひとことも書いてないのです。
そこにあるのは、一貫して日本は、≪敵の戦争継続の意思を喪失せしめるよう励もう≫とする姿勢です。
「敵の戦争継続の意思を喪失せしめるよう励む」というのは、どういう意味なのか。
これは、敵を倒し、殺し、せん滅するというものとは異なります。
武力を用いて相手を屈服させ、反省を促す、という意味です。
喧嘩して「相手を殺しちまえ!」というのが米国の「JB-355計画」なら、とりあえず喧嘩は受けて立つけれど「わかってくれればそれでいい」というのが日本の考え方です。
日本側の「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」には、冒頭からそのように書いてあります。
ちょっと引用してみます。
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【対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案】
≪方針≫
一 速に極東における米英蘭の根拠を覆滅して自存自衛を確立すると共に、更に積極的措置に依り蒋政権の屈服を促進し、独伊と提携して先づ英の屈服を図り、米の継戦意志を喪失せしむるに勉む。
二 極力戦争対手の拡大を防止し第三国の利導に勉む。
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文語なので、ちょっと読みにくいかもしれません。
要点を口語でまとめると、次の5つになります。
(1)極東における米英欄の根拠地を覆滅して自存自衛を確立する。
(2)蒋政権の屈服を促進する。
(3)独伊と提携して先づ英を屈服させる。
(4)米の戦争継続意志を喪失させるように努める。
(5)極力戦争拡大をせず、極東諸国に利益があるように努める。
言っていることは、まず「極東における米英欄の根拠地を覆滅」です。
「覆滅(ふくめつ)」というのは、完全に滅ぼすことです。
滅ぼす対象は、米英の保有する極東の根拠地=“軍事施設”です。
「対米英蘭蒋戦争終末促進案」は、そのことを明確に宣言している。
なぜ覆滅すかとえいば、「自存自衛」のためだとも書いてあります。
「自尊自衛」ではありません。
「自存自衛」です。
国家が存続するために戦う、という意味です。
そしてそこには、我が国の自存自衛とは書いてありません。
つまり、ここでいう「自」は、植民地支配下に置かれた極東の国々すべてを指している、ということです。
さらに「対米英蘭蒋戦争終末促進案」は、蒋介石政権の「屈服を促進」すると言っています。
蒋介石政権を「覆滅」するとは言っていない。
これも重要なファクターです。
要するに等しく孫文の弟子である蒋介石が、いまは毛沢東にしてやられて抗日戦線を行っているけれど、彼がいたずらに戦闘をするのをやめ、同じく孫文の弟子の汪兆銘とともに、支那国民の福祉と繁栄のために精を出すなら、日本はいつでも戦闘をやめる、ということです。
さらに「対米英蘭蒋戦争終末促進案」は、英国を屈服させ、米の戦争継続意思を喪失させる、と書いています。
日独伊三国同盟は、あくまで英国を包囲するためのものであり、極東において、米英が戦争継続意思を撤回してくれれば、それで良い、というのが日本の立場だった、ということです。
戦争の大義名分は日本にあり、しかも戦力も生産力も(すくなくとも戦地が日本に近いという意味で)日本が上回っていた。
であれば、この戦争は、当初腹案通りに遂行していれば、充分に勝った戦争であったともいえるわけです。
それがなぜ、雲行きをおかしくしてしまったかというと、要するに日本がむやみに戦線を拡大してしまったということと、軍事に頼り、外交をおろそかにした文民の弱腰にあるのではないかと、分析は進みます。
まず、日本は、ハルノートを受取った時点で、米国内で記者会見をひらき、このノートの内容を米国民に暴露すべきだった。
戦争を望んでいるのが、ルーズベルトその人にあり、ということをアメリカ国民が知ったら、ルーズベルトは苦境に陥り、開戦がむつかしくなったのではないか。
次に戦闘がはじまってから、日本は腹案通りに東亜諸国を短期間で解放し、フィリピンから米軍を追い出し、東亜に新秩序を、あっという間に打ちたてています。
ところが、一方で太平洋側では、海軍がいたずらに戦線を拡大してしまっていた。
そもそも、ニューギニア、ガダルカナル方面という、濠洲の国境すれすれのところまで、どうして日本は進出する必要があったのか。
あそこまでしたら、濠洲は自国に攻め込まれるのではないかと危機感を抱き、米英と連携してそれこそ死に物狂いで、日本に戦いを挑みます。
せめて、太平洋上の防衛ラインは、グアム、サイパン、くらいまでにとどめておけば、戦線は拡大せず、また、グアム、サイパンを要塞化しておけば、米軍はそれ以上先に進めず、日本は長期防衛戦を戦うことができた可能性すらあると言えます。
これは、過去を批判するとか、評価するとか、そういうことではなくて、どうして、どこで有利だったはずの日本は、勝利の道を外してしまったのか、そのファクターは何だったのか、このことは、戦争に負けだだの、戦争をして悪かっただのという議論よりも、はるかに意味のある議論なのではないかという気がします。
戦後の日本、とくに近年の日本は、とにかく日本は戦争をした、日本が悪かった、日本は悪い国だ、という、ある種の「決め付け」からすべての物事を見ようとしているように思います。
そのため、たとえば現場レベルでは、サマーワやカンボジアなどのように、現地に派遣された自衛隊が地元民に大歓迎され、任務を終えて帰国するときには、地元の人たちから「帰らないでくれ」とデモまでされるというのに、日本国内では、それが自衛隊(軍事部隊)だというだけで、なにやら後ろめたい行為のようにしてしか語られない。
国内政治や、メディアは、自衛隊の貢献そのものまで否定し、現地の人々の心を逆に逆撫でしてしまっている。
日本の政治が、世界の中の日本という国の信用を失墜させているという、おかしな現象を起こしているといえます。
しかも、政治の左傾化が著しくなって以降、日本は自慢の経済の発展すら止まり、世界のGDPが2倍に膨らむ中、日本は横ばい、つまり相対的に日本の経済力は、半減してしまっている。
事態がここまでくれば、日本国民全部が、どこかで、何かボタンのかけ違いをしている、ということに、そろそろ気付いてもいい頃だと思います。
日本は、過去、無謀な戦争をした。
とんでもないです。
日本は勝てる戦争をした。
日本が、戦況を厳しくしたのは、当初腹案を無視して戦線を拡大するという暴走があったため、つまり、むしろ国内事情にその原因が求められるのではないかと思えるのです。
日本は65年まえ、米国をはじめ、世界110カ国を相手に大戦争をしました。
そしてそれは充分に「勝てる」戦争であり、現に緒戦は勝っていたという事実を考えるとき、途中から戦況が悪化した要因はなんだったのか。
それは戦後ずっと言われ続けたような、日本が無謀だったからなのか。
わたしたちは、もういちど原点に帰って、この戦争を総括してみる必要があるといえるのではないでしょうか。
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