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1789年7月パリ市民によるバスチーユ牢獄襲撃
この襲撃でパリ市民は初めて武器を手にとりました。
1789年7月パリ市民によるバスチーユ牢獄襲撃

左翼というものが、いかにイカサマでいい加減で無責任なものなのか、これでもというくらい見せつけられたのが、民主党に政権が移ってからの、この1年半でした。
しかし、彼らの革命は、絶対に成就しない。
今日はそれを申し上げたいのです。


ひとつひとつの民主党の情けない売国史を振り返ると、はらわたが煮えくりかえり、胃袋がいくつあっても足らなくなる心境に陥りますので、ここでは言いませんが、おそらくこの稿をお読みいただいている多くの方の思いも同じなのだろうと思います。
民主党そのものは、選挙のためのご都合政党でしかないのですが、彼らの支持母体に、反日左翼勢力があったことは事実であり、結果として民主党による政権交代が、日本の極左化、共産主義化、反日化の方向に一役買っていることは事実であろうと思います。
左翼主義者や反日主義者たちにとっては、民主党政権はまさに、政権交代当時、よく言われた「無血革命」成れり!の心境ではないかと思います。
いまや彼らは好き放題やっている。
まさに天下を取った気でいるのでしょう。
しかし歴史は繰り返すといいます。
世界の歴史を見返すとき、革命というものはその国の歴史、伝統、文化に立脚したものでなければ、絶対に成功しない。
また成功したとしても、その結果生まれた政権が、その国の国民の歴史、伝統、文化の延長線上にあるものでないならば、彼らは弾圧と殺戮によってしか、政権を維持することはできない。
これは歴史が証明していることです。
たとえば、フランス革命といえば、まぎれもない政権革命です。
絶対王政から、自由、平等、博愛を謳う市民革命を成功させた。
教科書などを読むと、あたかもフランス革命は、ルソーやモンテスキューなどによる思想的背景が、革命を起こしたように書かれているけれど、それは違います。
フランスには、もともとキリスト教が普及していて、キリスト教は「神のもとの自由」「神のもとの平等」「神による博愛」を説く。
その教えが、毎週行われる教会の日曜学校で、広く庶民の中に浸透していた。
その教えにある世界と、ルイ王朝による王族支配の現実とのギャップが大きく異なってきたとき、一種のカタストロフィー(雪崩現象)的に革命が起こったとみることができると思うのです。
その意味で、ルソーやモンテスキューは、マリーアントワネットやポンパドール婦人らの贅沢とともに、革命のための一種の引き金の役割を果たしたに過ぎない。
同じことは、ソ連の共産主義革命についてもいえます。
ソ連社会にも、もともとロシア正教が普及し、ロシア正教はユートピア思想を持ちます。
ユートピアでは人に上下の区別なく、誰もが平等で、貧富の差なく、誰もが幸せに暮らしている。
そのユートピアに「共産主義」の名を与え、これを実現するために貴族や商人から資産を奪い取るのだと本に書いたのがマルクスです。
マルクスの資本論や共産主義宣言などは、ある意味非常にいい加減な作品で、彼はアル中で、ウォッカを嘗めながら、要するに貧富の差がこれだけ激しくなった世の中では、国家権力によって金持ちや貴族から富を取り上げ、貧乏人に再配分する。そうすることによって貧乏人にも金持ちにも等しくこの世のユートピアが実現する、と説いたわけです。
ではそのユートピアが、いかなる社会体制を持つ社会なのか、その政治や行政の仕組みはいかなるものなのか、マルクスはひとことも述べていない。
要するに、実現しようとする未来社会像がまるで語られていない。
ただ単に、金持ちが財産や美しい女たちを独占しているのはけしからんから、奴らを倒して、貧乏人に富を再配分しようじゃないか、と説いた。
学問としてみるなら、これほどいい加減な論はないです。
マルクスの説は、これが単に酔っ払いのタワゴトであれば社会に害毒を流すこともなかったろうけれど、彼はこれを本にした。
それも、酔っ払いのラリった頭脳で、あることないこと、長々と書き連ねた。
それで細かな文字だけの厚さ10cmの、誰も読めないような本にした。
ただ、多くのロシア国内に住む庶民には、俺たちはユートピアを目指すのだ、という標語は、非常に理解しやすかった。
こういうものを上手に利用し、政権奪取を図ったのが、レーニンであり、その権力基盤を固めたのがスターリンです。
いいかえれば、ロシア革命というものは、そもそもロシア国民に普及していたユートピアへの憧憬を、上手に利用したレーニンという天才によってもたらされた革命であったということができ、その成功の背景には、もともとのロシア国民の中に、ひろくユートピア思想がひろまっていた、これが常識化していた、ということがあげられるのではないかと思うのです。
しかし現実には、共産主義者たちが作りあげようとした社会が、ユートピアとは程遠く、単に人々から収奪して一部の者たちだけが贅沢三昧に耽る、とんでもないものであったということは、すぐにバレてしまう。
要するにメッキがはがれた。
メッキが剥がれるということは、革命政権は、普通であれば政権の座からひきずり降ろされる。
これを無理やり維持しようとするならば、反対派を粛清する、つまり殺さなければならない。
それもひとりふたりではなく、反対する多くの人々を殺害しますから、それはいきおい大量殺りくになる。
さて、日本では民主党が政権をとり、左翼による無血革命なれり!と喜んで好き放題しているけれど、そもそも左翼思想の原型となっているユートピアという概念は、日本人にはありません。
遅れているといわれようが、反動的と言われようが、ユートピアを信奉しない者は、バカだ右翼だと罵られようが、ないものは、ないです。
ですから一時的に、反戦や平和主義の名のもとに左翼思想に流されたとしても、その思想の根幹になっている概念そのものが存在しな日本では、左翼思想が完全に日本に根付くことはありません。
ない、ということは、左翼はしょせんは少数過激派でしかない、ということです。
そうした少数の過激派がなんらかの弾みで天下を取った場合、先に述べた通り、そうした政権を維持するには、過酷な殺戮や言論統制によって世論を黙らせる以外に方法はありません。
しかし、スパイ防止法すらなく、全世界のマスコミが自由自在に取材や報道ができる日本において、では、民主党に巣食う左翼過激派が、日本国民に対して殺戮ができるのか、インターネットや世界のメディアの前で、完璧な言論統制がひけるのか、といえば、答えはNOです。
ということは、左翼過激派政権は、政権維持のための常套手段が、日本では使えない。
使えないということは、彼らの政権は、すぐに滅びる、ということです。
彼らは、無血革命なれり!と大喜びしたようだけれど、実際には日本は、いまだ革命の最中にある。
一時的におかしな政権が誕生し、それによって多くの人が目覚め、そのあとにくるのは、日本の歴史、伝統、文化に根差したまったく別な政権なのではないか。
そしてそれこそが、真の革命政権となって日本に定着し、新たな日本を築くのではないかと思うのです。
では、日本の歴史、伝統、文化に根差した政権とはいかなる政権かといえば、日本の良さや、日本人の誇りを大切にし、日本人を、いまを生きている日本人だけでなく、すでにお亡くなりになっている過去の日本人、そしてこれから生まれてくる子供たちに対しても、きちんと責任を持つ政権なのではないかと思うのです。
要するに、革命というものは、幾人かの扇動者だけでは、絶対に成功しない。
革命が成功するためには、多くの庶民の同意と信頼と、そのための努力がなければならないわけで、それができな政権は、早晩滅びるしかない。
そういう政権交代を何度かしたうえで、日本は新たな陛下を中心とした社会として生まれ変わるのではないかと思うのです。
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