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亡くなられた名越二荒之助(なごしふたらのすけ)先生が、親しくされていた方に、マレーシア上院議員のラージャ・ダト・ノンチック氏という方がおいでになります。
氏は戦時中「南方留学生」として来日し、宮崎の高等農林学校や、陸軍士官学校、東京帝国大学等でも学ばれました。
そして会う度ごとに氏が強調していたことが、次の点であったそうです。
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世界史の中で、大東亜戦争くらい「正しい戦争」はなかった。
アジアから、欧米勢力を追い払う戦争のどこに間違いがあるというのか。
間違いがあるとするなら、日本人がこの理想を否定することである。
ユダヤ民族は二千年の亡国の中にあっても、民族の理想を失わなかった。
大東亜戦争は今も継続していることを忘れないでほしい。
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このノンチック元上院議員の言葉は、とても大切なことを含んでいます。
それは、「まだ大東亜戦争は続いている」ということです。
そもそも厳密にいえば、武器を手にしてドンパチやることは、戦闘であって戦争そのものではありません。
だから大東亜戦争は、日本では昭和20年8月15日が終戦記念日だけれど、それはあくまでも戦闘を終わらせた記念日であって、大東亜戦争が終わった日ではない。
9月2日は、日本が、東京湾の戦艦ミズーリ号上でポツダム宣言に調印した日だけれど、これは日本軍が降伏した日であって、大東亜戦争が終結した日ではありません。
では、大東亜戦争の終結はいつの時点だったかというと、国際条約上は、昭和27年4月28日の、サンフランシスコ平和条約発行の日ということになっています。
いちおう法的には、このサンフランシスコ条約で、日本と連合国間の戦争状態は終結したことになっている。
いいかえれば、それまで戦争はずっと継続していたわけです。
昭和20年で日本軍は解散となっていますし、日米の戦闘も昭和20年には終わっているのです。
けれども、昭和27年までは、すくなくとも大東亜戦争は法的に継続していたし、実質的にも継続していた。
つまり何がいいたいのかというと、戦争というものは、ドンパチやるだけが戦争ではなく、占領統治して相手国を腑抜けにするのも立派な戦争である、ということです。
そもそも戦争とは何かといえば、国家がその政治目的を達成するための究極の手段です。
つまり戦争には目的があるわけで、その目的の正邪こそが、正しい戦争か、そうでないかを決定する要因です。
そして日本が明治以降、戦い続け、最終的に行った戦争が、まさに大東亜戦争だった。
この項で、ボクはノンチック元上院議員の「まだ大東亜戦争は続いている」ということを、言おうとしています。
ではその続いている戦争とは何かといえば、狭義には、アジアから欧米勢力を追い払う戦いだった。
そして広義には、優位な武器をもって他国や特定の人種ごと支配し収奪するという人類が過去何千年も続けてきた不法や非道の文化と、武器よりもスキやクワを持って働き強い者も弱い者も一体となって収奪ではなく、働くことに意義と喜びを見出す文化の戦い、
あるいは、特定の施政者(たとえば支那共産党や、北朝鮮の金体制)のような無法者が政治と称して国民を収奪し支配し、人の命を粗末にして人を殺し奪う文化と、人々が至誠の道を歩み、人民もまた自らを戒め徳に向って生きるという文化の戦い。
特定の施政者だけが利を得、無法の限りを尽くす文化と、万民すべてが安らかで、天下万国すべてが平穏で無事な状態を目指す文化との戦い。
もっと簡単に図式化していえば、「暴力主義」対「労働主義」の戦い。
武器を手にしさえすれば、欲しい者がなんでも手に入る。
そういうバカが人々を支配し、人々を殺し、収奪して王侯貴族のような豪奢な生活をする。その一方で、多くの民衆が、不幸のどん底に追い落とされる、という文化。
これに対し、日本は縄文時代の昔から、人々は武器を持たず、武器より働くことに高い価値を見出して生きてきた、そういう文化。
世界中、どこの国に行っても、暴力をもって収奪する者と、収奪される民衆が存在します。
いいかえれば、世界中どこでも、人類の戦いは、ずっとこの2つの戦いの繰り返しの歴史であったといえるかもしれません。
そしてすくなくともこの5千年から1万年の間、暴力を振るう者が、戦いに勝利を得てきた。
だんだんとその規模が大きくなり、ついには国や民族ごと支配し収奪するようになったのが、欧米による植民地政策です。
そしてアジアの片隅にあった日本一国が、世界を支配した列強とがっぷりよつに組んで戦い、ついには、満身創痍となって倒れながらも、アジアから欧米を追い出し、植民地政策そのものを崩壊させた。
しかし同時に、そのアジアの中に、特ア三国という、欧米が行った収奪体制を、国内体制として組んでしまったおバカな国が出た。
特ア三国では、政権をとった一部の者たちが、国民を殺し、なぶり、収奪し、自分たちだけが贅沢の限りを尽くした。
その特ア三国が、欧米に残る一部の暴力主義者たちと組んで、日本を「暴力主義」によって支配しようとたくらんでいて、大東亜戦争のあと左傾化し、解体された日本を、暴力によって支配しようとたくらんでいる、というのが、いまの状況なのではないかと思うのです。
そう考えると、実におもしろいことに気付くもので、それはなにかというと、反日左翼が問題にしていること、反日左翼が抵抗すること、特ア三国が嫌がることをすることが、実は、日本が日本人だけでなく、世界の人々の福祉と健康とご長寿と繁栄を築く石杖になることである、ということです。
簡単な話、彼らは日本が自衛隊を国軍にすることや、日本が核武装することに極端に抵抗する。
また日本の閣僚が靖国を参拝することにも、極端に抵抗する。
正義の神々が、神々の神軍を持ったら、そりゃあ悪鬼どもにとっては迷惑なはなしです。だから抵抗する。骨抜きにしようとする。
日本が軍事力を強化し、世界の悪を懲らしめるという姿勢を見せたら、いったい誰が困るのでしょうか。
すくなくとも、日本人は困らない。
困らないどころが、ただでさえ就職難の時代にあって、国が軍という大量雇用を生んでくれるのですから(仙谷は自衛隊の人員削減などを発表しているが狂気としかいいようがない)、多くの人は助かる。
日本の閣僚が靖国を参拝して、いったい誰が困るのでしょうか。
戦争でお亡くなりになった英霊たちに対し、追悼の意を捧げることは、世界の常識です。日本の閣僚がそれをやったとして、誰がどう困るのでしょうか。
戦後、GHQ(=連合国)は、人種ごと差別することを是とした欧米列強に抵抗した日本に対して、復讐の意思を持って徹底的に日本的精神の解体を押し付けました。
しかし、日本は悠久の大義のために戦った。
そう考えれば、日本は、いまこそ堂々と日本を取り戻す。
ただそれだけのことをするだけで、世界は本当に大切なものを取り返すことになる。
そして、もし日本が目覚めないなら、支那の覇権主義が日本を支配下におさめるよな辞退を私たち現代日本人が招いたのなら、それは人類そのものに対して、取り返しのつかない犯罪を、私たち現代日本人が犯したことになる。
そう思います。
最後に、ラジャー・ダト・ノンチック氏の言葉です。
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かつて日本人は清らかで美しかった。
かつて日本人は親切でこころ豊かだった。
アジアの国の誰にでも自分のことのように一生懸命つくしてくれた。
何千万人もの人のなかには少しは 変な人もいたしおこりんぼや、わがままな人もいた。自分の考えを おしつけていばってばかりいる人だっていなかったわけじゃない。
でもその頃の日本人はそんな少しのいやなことや不愉快さを越えて、おおらかでまじめで希望に満ちて明るかった。
戦後の日本人は自分たち日本人のことを悪者だと思い込まされた。
学校も ジャーナリズムもそうだとしか教えなかったから、まじめに自分たちの父祖や先輩は悪いことばかりした、残酷無情なひどい人たちだったと思っているようだ。
だからアジアの国に行ったら、ひたすらペコペコあやまって、私たちはそんなことはいたしませんと言えばよいと思っている。
そのくせ 経済力がついてきて技術が向上してくると自分の国や自分までがえらいと思うようになってきて、うわべや口先では済まなかった悪かったと言いながら、ひとりよがりの自分本位のえらそうな態度をする。
そんな今の日本人が心配だ。
本当にどうなっちまったんだろう日本人は。
そんなはずじゃなかったのに。
本当の日本人を知っているわたしたちは、今はいつも歯がゆくてくやしい思いがする。
自分のことや自分の会社の利益ばかり考えてこせこせと身勝手な行動ばかりしているヒョロヒョロの日本人はこれが本当の日本人なのだろうか。
自分たちだけで集まっては、自分たちだけの楽しみやぜいたくにふけりながら、自分がお世話になって住んでいる自分の会社が仕事をしているその国と国民のことをさげすんだ眼で見たりバカにしたりする。
 
こんなひとたちと本当に仲良くしてゆけるだろうか。
どうして、どうして日本人はこんなになってしまったんだ。

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