人気ブログランキング←はじめにクリックをお願いします。

安曇川流域の森
安曇川流域の森

明治神宮の森は、かつては練兵場として使用されていたところです。
当時の人達の判断で、植林され、いまに至っています。
先日、連隊長吉松喜三大佐のお話を書きました。
≪靖国神社の苗木と緑の連隊長・・・吉松喜三大佐≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1019.html
いまでも、すこし郊外を車で走れば、山々の木が見えます。
よくみると、実に整然と木々が生えています。
植林した森だからです。
植林は、日本の誇る文化といえます。


人は木を伐採して、燃料にしたり家屋や家具の材料にしたりしますが、伐採したら、草と違ってなかなか生えて来ないのが樹木です。
大東亜戦争のとき、石油もなく燃料のなかった日本は、木々を伐採します。
このとき日本の森林資源は、なんと30%も減少しています。
それがいまは、元通り戻っている。
陛下が全国を回られ、自らの手で植林を興されたからです。
朝鮮半島は、いまでこそ山々に緑が茂っていますが、日本統治前は禿山でした。
下にある写真は、1880年代のソウルの南大門大通りの様子ですが、遠くに見える山々の木はまばらです。

1880年代のソウルの南大門大通りの様子
1880年代のSeoul 南大門大通り

朝鮮半島というのは、不思議なところで、いまから1万2000年以上前の遺跡は数十カ所あるのですが、7000年前から1万2000年前までの5000年間、人類の痕跡が途絶えます。遺跡がないのです。
諸説ありますが、人は火を使います。
おそらく、森を伐採した後、植林せず、半島一帯が砂漠化して人が住めなくなったのではないかと思われます。
エデンの園も、実在したといわれています。
場所は、サウジアラビアのド真ん中あたりです。
いまは荒涼とした砂漠地帯ですが、かつてはそこは緑豊かな大地だったのです。
森があれば獣がいます。
植物の果実もなります。
人は、狩猟採取生活ができます。
ところが人類は火を使います。
女たちが食事を作るために火を使う。
木々の伐採は男の仕事です。
火=赤=りんご。
リンゴを食べた人類は、植林をしなかったがために森が荒涼とした砂漠になり、人が住めなくなって、その地を追われた。
いま、イスラエルのあたりも、荒涼とした砂漠地帯ですが、先般ご紹介したマサダ砦のあたりも、戦いのあった2000年前は、緑の大地です。
≪マサダ砦の戦いと尖閣問題≫
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1021.html
支那大陸も、いけどもいけども黄砂の舞う砂漠地帯です。
もともとは、そこも緑の大地です。
人類が火を使い、植林をしなかったために砂漠化した。
中国大陸でも、植樹すれば緑豊かな大地になるのです。
吉松大佐が植樹した内蒙古安北県の苗木は、いまでは豊かな緑地帯を作っています。
内蒙古の風景
植林したところだけに樹木が生え、他は禿山です
内蒙古の風景

冒頭の明治神宮の森に植林した当時は、日本国内では早成の杉や松が盛んに植えられた時期にあたります。
しかし当時の人たちは、杉や松、檜などの針葉樹は、亜硫酸ガスに敏感なので都会では育ちにくいだろうと、椎の木や樫の木、あるいは楠の木などを植えています。
そのために、当時の日本領土であった樺太や台湾、朝鮮半島も含めて、全国から13万本もの苗木を献木として寄付で集めて植林しました。
そして戦後65年経ったいま、椎や、樫、楠の下には、青木や榊など、土地本来の木々が、ようやく根付いています。
これ、実は重要なことなのです。
土地本来の植生を活かそうと思っても、周囲の緑地環境が整わなければ、生えてくれないし育ってくれないのです。
だからはじめに、強い広葉樹を植えて木陰を作り、そうすることでようやくその土地本来の樹木が育つのです。
土地に残る木は、自然によって淘汰されます。
台風や地震や火事といった自然災害でも消えてしまうことがある。
植林しても、長い年月の間には、最後には限りなく自然に近い樹木がその地を覆うようになる。ほんものの植生になる。
ほんものの植生は、厳しい環境に耐えて長持ちするものです。
そして50年、100年、1000年、1万年も残るものです。
それが「森」です。
戦後、高度成長以降の私たち日本人は、この森を次々に開拓し、住宅やマンションにしていきました。
木で作られる住宅も、セメントで作られるマンションも、どちらも「死んだ材料」で作られるものです。
耐用年数は、せいぜい数十年から、数百年です。
それを作る人も、住む人も、せいぜい生きても100年。
しかし森は、数百年から数千年、ときには万年にいたるまで、命をつむぎ、育て、私たちに必要な酸素ときれいな水を供給してくれます。
「鎮守の森」という言葉を聞いたことがあろうかと思います。
神社をとりかこむように森があり、そこに鳥居があった。
そうです。そこが鎮守の森です。
鎮守の森
鎮守の森

戦後すぐのころまでは、日本全国に「鎮守の森」は2864か所もあったそうです。
しかし、いまや「鎮守の森」は、僅かに全国で40か所程度しか残っていません。
私たち戦後の日本人は、なにかとっても大切なことを忘れてきたのではないでしょうか。
その「大切なこと」を忘れた戦後の日本人は、森をずっと粗末にしてきた。
その森には、水源地があります。
水源地は、きれいでおいしい水を作ってくれます。
私たちが生きていくために欠かせない「水」です。
その水源地が、いま、支那人たちによって買い占められています。
彼らが買収した水源を湛えた日本の森林の面積は、一説によれば3万2000ヘクタールに及ぶ。
100ヘクタールは30万坪です。
30万坪の水源を湛えた日本の森林が、全国で320カ所買い占められているといるのです。
お近くに大きな川がある方は、シーズンによって、川の水量が、堤防からあふれんばかりに満々となっているときもあれば、水位が極端に下がり、水量が減っている様子などを身近にご覧になっておいでのことと思います。
これは、田の灌漑のために、ダムや水門を利用して、人工的に水位を調整しているのです。
田植えの頃には、水位を高くします。田に水を入れるためです。
稲刈りの頃には、水位を下げます。田の水を抜くためです。
水道の水は、近くの川から採っているばかりではありません。
たとえば、ボクがいる埼玉のある市では、市内の貯水場で作る水道水は、市内で消費される水の約1割です。
あとの9割は、利根川の上流から、遠くひっぱってきている。
いまは水道の蛇口をひねれば、水が出ます。
しかし、水源地を中国人に買い占められれば、結果がどうなるかはわかりません。
日本の社会では、水利権というのは、とっても大切で複雑に入りくんだものです。治水事業は、国や地方の公益の柱でもあります。
日本人は、約束事を守り、互いに助け合うことを前提に、治水を行います。
しかし支那人たちにとっては、日本の法律や、複雑な日本国内の利水権など関係ありません。
自分たちが土地を買えば、その土地や水源地をどう使おうが、自分たちの勝手、というのが、支那人です。
そういう連中が、いま、日本の水源地を買いあさっている。
支那人に日本の水源地買収には理由があります。
支那は人口で世界の20%を占めるものの、淡水資源は世界の5~7%しかありません。
結果、支那全土660都市のうち、3分の2が水資源の危機に直面しているのです。
農業用水や飲み水は、すでに揚子江や黄河が世界最大のどぶ川になったいま、地下水に依存する他ありません。
ところがその地下水も、9割が汚染され、6割はまるで使用に堪えない深刻な汚染に遭っています。
とくに南部では、重金属による地下水汚染が実に深刻なものとなっている。
北部では、工業用水による地下水の汲み上げの結果、いまや地下水は毎年1メートルずつ水位が下がっているといわれています。
さらに支那がいまの経済モデルで発展していけば、2030年には水消費量が7500億立メートルに達します。これは支那全土の水資源の9割です。
中国の経済発展は、彼らが粗末にした水資源の枯渇によって、もはや頭打ちとならざるを得ない状態にあるのです。
しかも、人が生きるために必要な飲み水もない。
自業自得とはいえ、彼ら支那人にとっては、水は、飲料だけでなく、産業上も死活問題になっているのです。
しかしだからといって、彼らに日本の水源地を買い占められ、日本の上流の水をどんどん組みあげられ、トラックで運び出されたら、今度は日本の水が枯渇します。
支那人によって買い占められた森の水源地から奪われる水は、Volvicのような「おいしい水」、「飲料用の水」だけではないのです。
水源地の水を乱獲されたら、地下水にも影響が出ます。
水源地の下流では、地盤沈下が起こり、田畑の灌漑用水も、満足な供給ができなくなる。
日本の農工業も大打撃を被るのみならず、地番沈下は下流域の人々の生活環境も破壊します。
さらに上流の水源地を荒らされるということは、河川流域の生態系全部に影響を及ぼします。
彼らはイナゴの大軍です。
資源を食い荒らすだけ食い荒らすだけです。
植林したりして大切に水源地を育てるという感覚を持ちません。
これは放置しておいて良いような問題ではないはずです。
私たち日本に住む日本人にとって、まさに死活問題です。
ちなみに、今年の夏の猛暑は、皆様にも記憶に新しいことと思います。
今年の夏はほんとうに暑かった。
その暑いさなか、支那共産党の幹部用の飲料水として、500mlのペットボトル1億本が、日本の某企業に向けて発注されました。
支那の水は、もう飲めないのです。
ところが、猛暑のおかげで、肝心のペットボトルが手に入らない。
おかげで、かなり小さな零細事業者にまで、500mlのペットボトルがないか、照会がはいっています。
最終的に、どれだけの量のペットボトルが支那に出荷されたのかまでは、情報が乏しくてわかりませんが、そのようなかたちで、どんどん日本の水が支那に流出しているのは、事実です。
↓日本の水を守れ!と思う方、クリックを↓
人気ブログランキング
日本の水源地が狙われている!

日本の心を伝える会 日心会

コメントは受け付けていません。