
カナダの友人からお手紙をいただきました。
その中に、平成4年頃、日系教会の会報に掲載された記事の写しがありました。
これを書かれた廖青山(れうせいざん)さんという方は、昭和11年8月、20歳のときに来日された台湾の方です。
その頃の日本人の様子が感動的です。
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【日本で経験した感激】
廖青山(れうせいざん)
わたしの人生を左右した物語です。
日本人の皆様に厚くお礼申し上げます。
私はもう八十歳の老人です。
六十年前の昭和十一年八月、発展途上の台湾から留学のため東京に来ました。
東京に来て初めて乗る市街電車、中野から日本橋に着き降りるとき、停留所には想像もつかない程、たくさんの人が並んでいました。
私には初めてのこと故、慌てて電車から飛び降りました。
その途端、最前列におりました二〇歳前後の若い娘さんの白い足袋の爪先を強く踏み付けてしまいました。
痛かったはずですが、その時の私は、謝る言葉も出ないほどびっくりしてしまい、ひどく責められるか怒られると思ったのです。
その時代の台湾での出来事ならひどく罵られるなど、ただでは済まないことでした。
ところがその娘さんは、びっくりしている私に頭を下げて「アラ、御免なさい」と逆にあやまられました。
私はびっくりして恐縮し、感激しましたが、早々にその場から逃げてしまいました。
これは六十年前の日本社会の一風景と言えましょう。
しかし私には、当時の日本人の生活水準の高さを示す出来事として、生涯忘れられません。
私の人生において最大の感激であり、日本人に対するよい印象であり、日本人に対する認識の始まりでした。
それ以来、私は日本民族を非常に尊敬するようになりました。
カナダに移民してから、すべての友や各集会で、機会あるごとに六十年前に受けた日本に対しての感激をお話ししてきました。
私に足を踏まれた当時の娘さんも、いま、この世におられるならば、もう八〇歳前後のお婆さんです。
私の人生に潤いを与えてくださったこのお婆さんに、厚くお礼を申し上げます。
私は昭和十六~十八年、東京府(都)庁学務部社会及び住宅課に勤務、十九年厚生事業研究所の課程を終えて、科学統制会台湾支部勤務を命ぜられました。
台湾生まれですが、いまはカナダ国籍を取得しております。
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